教区の歴史

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聖霊降臨の主日、合同堅信式の説教

2006年06月04日

2006年6月4日、東京カテドラル聖マリア大聖堂にて

 

 

ただ今から130人あまりの方が堅信の秘跡をお受けになられます。堅信はわたしたちを聖霊降臨の恵みに与らせる秘跡であり、使徒たちが受けたのと同じ恵みを授ける秘跡であります。 

今、朗読されました福音はヨハネの20章で、復活節第2主日(神のいつくしみの主日)の福音と同じ箇所です。「週の初めの日の夕方」とありますので、ヨハネの福音書によれば、聖霊降臨はイエスが復活されたその日の夕方の出来事となっています。いわば「ヨハネの聖霊降臨」の場面です。 

イエスは十字架につけられて惨めな最後を遂げてしまいました。その後、弟子たちはどんな状態に置かれていたでしょうか。彼らの心の状態を想像してみます。「弟子たちはユダヤ人を恐れて、自分たちのいる家の戸に鍵をかけていた」とあります。彼らはすっかり落ち込み、心は闇に閉ざされ、恐怖に震えおののいていました。挫折感、絶望感、不安、恐怖、戦慄などで心はいっぱいでした。その上さらに師を裏切り見捨ててしまった悔恨、自責の念に苦しんでいたのです。そういう使徒たちのところへ復活なさったイエスが現われ、彼らの真ん中に立ち、「あなた方に平和があるように」と言われたのです。これは彼らをすっかり変えてしまう大きな出来事でした。「弟子たちは主を見て喜んだ」とあります。彼らは大きな喜びを体験しました。わたしたちの教会はこの出来事、聖霊降臨によって誕生したのです。教会の原点にはこの弟子たちの体験があります。 

それでは、この使徒たちの体験とはいかなるものであったのでしょうか。今日はこの点に焦点を絞り深めてみたいと思います。復活したイエスに出会った彼らは大きな喜びを体験しました。それは罪がゆるされたという喜びです。ゆるしは心の平安をもたらします。イエスと和解できた平安から生まれた喜びです。彼らはイエスの愛を悟り、イエスの愛によって心が満たされます。勇気をもってイエスを宣べ伝える力が与えられました。愛、喜び、平和、勇気という聖霊の実りを受けたのです。 

聖霊降臨によって弟子たちはすっかり生まれ変わりました。なかでもペトロの変貌は際立っています。ナザレのイエスに出会った漁師のペトロは「人をすなどる人」になるため舟と網、すべてを捨ててイエスに従いました。彼は確かに、率直で直情的な人、熱心に神に仕えるユダヤ人でした。懸命にイエスについて行きました。しかし実はイエスのことばの意味、イエスの心がよく分かっていなかったのです。天の父の心、神の慈しみを理解することができませんでした。ペトロが考えた神はおそらく次のような神です。 

悪人を罰し罪人を裁き、神の正義を地上に打ち立ててくれる力ある存在。「力ずくですぐにでもご自身の意志を実現なさる神」。しかし、いくら待ってもイエスはそのような支配を行わない。それどころか十字架上で惨めな最後を遂げてしまったのです。全能の神、力づくですべてを支配する神というペトロの神理解が完全に崩壊してしまいました。そのペトロを救ったのは復活されたイエスです。三度も主を否んでしまったペトロをイエスはゆるし受け入れ、さらに罪のゆるしを告げ知らせる使命を与えたのでした。このとき始めてペトロは神のゆるし、慈しみを、しみじみと体験したのではないでしょうか。 

教皇ベネディクト16世は何度も、「わたしたちの神は忍耐強い」と言われます。今まであまり「忍耐の神」という言い方は聞いたことがありませんでしたが、このペトロの回心の話から「神は忍耐強い方である」ことを学ぶことができます。わたしたちも罪人であり、種々問題をもっています。神は忍耐をもって、わたしたちの回心を待っておられます。また、わたしたちの世界には、神のお望みとはほど遠い、ひどい状態があります。(もちろん神のみ心が行われているという素晴らしい部分もたくさんあるのですが...)。皆さん、神はどうしてこの現実を見逃し放置しておられるのか、と思ったことはありませんか?神はわたしたちがみ心に従ってこの世界を新たにされるのを、忍耐強く待っておられると思います。毒麦のたとえを思い出しましょう。そう考えれば、わたしたちの神は本当に忍耐強いお方です。典礼聖歌のなかに「かみは恵みと憐れみに満ち、怒るに遅く慈しみ深い」(63番)という言葉があります。これは詩編145から取られました。新共同訳では次のようになっています。

 

「主は恵みに富み、憐れみ深く

忍耐強く、慈しみに満ちておられます」(詩編145.8)

 

今日、堅信の秘跡によって与えられる7つの聖霊の賜物の中に、勇気(剛毅)がありますが、忍耐は勇気の賜物に含まれます。

 

祈りましょう。

「どうか主よ、あなたがどんなにか忍耐強い神でいらっしゃるか、悟らせてください。そしてどうかあなたのその忍耐を少しでもわたしたちにお与えください。」

 

忍耐は希望と結びつきます。

「どうか主よ、わたしたちがそれぞれ忍耐と希望をもって歩み、自分の召命を全うすることができますよう、助けてください。アーメン。」