教区の歴史

教区の歴史

第16回International Day 国際ミサ説教

2006年05月14日

2006年5月14日12:00~、 東京カテドラル聖マリア大聖堂にて

 

 

2006年の、第16回International Dayを迎えました。今回のテーマは「主よ、わたしをお遣わしください」です。 

わたしたち教会は主なる神より派遣された神の民です。派遣とはすなわちMISSIONです。MISSIONはすなわち使命であり宣教です。わたしたち一人ひとり、それぞれ教会の使命を遂行するという召命を受けているのです。この教会の使命はいろいろに表現できますが、そのなかで、「平和のために働く」ということは誰にとっても特に大切な使命です。イエスは山上の説教で「平和を実現する人は幸いである」と言われました。日本のカトリック教会は毎年、「平和旬間」を行っております(8月6日より15日)。今年の東京教区の平和旬間のテーマは「平和を実現する人は幸い」であります。実行委員会が企画・準備中です。皆さん、是非ともご参加ください。 

私は、「平和」というより「安心」ということについて話したいと思います。「安心」は広い意味で「平和」に含まれるかもしれません。「安心を実現する」ということも、わたしたちの重大な使命ではないでしょうか。人間にとって安心ということは極めて大切です。人は大きな力に守られているとき安心です。人は信頼できる人とつながっているとき安心です。そして「安心」はわたしたちの人生の歩みの中で、人々とのつながり、かかわりのなかで育てられ養われ、成長するのです。親から愛され、また周囲の人から守られていることを知っている子どもは、親が見守る中、安心してのびのびと遊び戯れます。ところが、安心のない子は親にしがみつきはなれようとはしません。心配で、心配で、片時も親から離れることができないのです。 

実際、わたしたちはいろいろな人との「つながり」の中で生きています。つながりとはまず家族、友人・知人、地域の人々とのつながりであり、わたしたちキリスト者の場合、教会というつながりであります。つながりがなければ人間として成長できないし、人間らしく日々生きることもできないのです。いろいろな人とのつながりのなかに、自分にとって特に大切な人とのつながりがあります。その人とは、自分をありのままに受け入れてくれる人、自分のことを理解してくれる人、あるいは理解しようと努めてくれる人、心を開き、心を通わせてくれる人、安心して自分を打ち明けられる人、自分のすべてを委ねられる人...です。そのような人は、わたしたちの話を聴き、わたしたちを助けようとします。でも決して人に自分の考えを強制したり押し付けたりはしません。相手の自由・自律を認め大切にし、距離を保ちながら、受け入れ見守り、必要な助けを提供します。わたしたたちはこのように、安心して自分を委ねられる人を必要としています。そして、わたしたちもそのような、安心される人にならなければならないと思います。 

といっても、わたしたち人間は誰でも弱く、そして自己中心な存在であることを知っています。そのような、安心できる友を見つける、あるいは自分が安心してもらえる人になるということは難しいと感じます。人が人の安心になるということは実際難しいです。でもわたしたちにはそのための道があります。それはキリストという道です。今日の福音、ヨハネの15章の、「キリストというぶどうの木」につながるという道です。キリストとつながり、キリストにとどまるならば、キリストの助けがあれば大丈夫です。わたしたちは互いに互いの安心になることができるでしょう。 

互いに愛し合うというのは、つまり互いに安心になるということではないでしょうか。ヨハネは今日の第2朗読で言います。「子たちよ、言葉や口先だけではなく、行いをもって誠実に愛し合おう。これによって、わたしたちは自分が真理に属していることを知り、神のみ前で安心できます」。 

主よ、どうか人々にあなたによる安心を示し届けるというわたしたちの使命を実行できるよう、聖霊をお与えください、主キリストによって。アーメン。