教区の歴史
岡田大司教着座5周年記念ミサ説教
2005年09月04日
2005年9月4日(年間第23主日)、午前10時
東京カテドラル聖マリア大聖堂にて
2000年9月3日、このカテドラル聖マリア大聖堂で大司教に就任いたしましたとき、わたくしは「わたしたちの教会がすべての人に開かれた共同体、とくに弱い立場に置かれている人々、圧迫されている貧しい人々にとって、安らぎ、慰め、励まし、力、希望、救いとなる共同体として成長するよう、力を尽くします。」と申し上げました。そしてそのときから本日まで5年間、この決心を実行に移すよう努力を重ねて参りました。この間、ご支援ご協力ご理解くださった皆様、祈りもってわたしを支え助けてくださった皆様に厚く御礼申し上げます。
本日、着座5周年のミサを捧げるにあたり、いま念頭にあることをいくつか申し上げます。わたくしが感じているのは、多くの人が癒しを必要としているということです。癒しとは心と体の癒しです。多くの人が苦しみ悩んでいます。教会であるわたしたちも例外ではありません。わたしたちもさらなる癒しを必要としています。わたしたちは救われているので問題がないが、日本の社会は癒しが必要だということではありません。わたしたち自身、癒しを必要としている弱い人間であるという自覚を持つべきでしょう。「癒し」は神の国の到来のしるしです。病人を癒し、汚れた霊を追放することなどによってイエス・キリストは、神の国の到来を宣言されたのです。
神の国の到来は罪の赦しの宣言でもありました。罪の赦しは神の愛の宣言です。「神は罪人を愛してくださる。」 これはイエスがもたらされた大きな福音、よい便り、喜びの知らせでした。最も大切な癒しは罪の赦しを受けることです。わたしたちが最も必要としているのは罪の赦しです。罪の赦しを受け、そし罪を赦してくださった神の愛に応えて歩むことです。わたしたちの教会は「ゆるしの秘跡」という宝を持っています。それを大切にしましょう。「わたしは父と子と聖霊のみ名よってあなたの罪を赦します」という司祭の罪の赦しの宣言を受けたとき、どんなにうれしいことでしょうか。
神が先にわたしたちを愛してくださったのでわたしたちは愛することを知りました。神の愛はイエス・キリストを通して完全にあらわれました。弟子たちは主イエスの愛を知りました。それはイエスの死と十字架を通して明かにされた愛でした。弟子たちは復活されたイエスに出会って罪の赦しを確信し、完全な癒しを受けたのです。復活されたキリストはいまわたしたちと共にいてくださいます。罪の赦しと癒しを与えてくださいます。わたしたちは信仰によって、回心を通して、復活の主からその恵みをいただきます。教会は人々に赦しと癒しをもたらすキリストの体、復活されたキリストの現存される共同体です。
今日の福音は教会共同体の在り方を教えています。わたしたちは兄弟姉妹として、互いに赦し合い、受け入れ合い、戒め合いましょう。心を一つにして祈りましょう。罪の赦しのために、兄弟姉妹として互いに愛し合えますように。わたしたちの教会がすべての人、とくに弱い立場の人、悩み苦しむ人にとって、癒し、安らぎ、平安、希望の交わりとなりますように。自らの心の奥にある闇に苦しむ人にとって、光、安らぎ、救い、希望となりますように。
今年の8月はわたしたちにとって特別な恵みのときでした。今年の『平和旬間』中、『平和を願うミサ』の他に、『日中韓青年・平和の集い』が行われ、東アジアにおける平和の建設のために、相互の理解と協力を進めるために大変有益な機会をもつことができました。また、この期間中に途切れることなく『平和のための祈り』のリレーが行われました。これは本当に素晴らしいことです。
またドイツのケルンでは『第20回世界青年の日』が行われ、世界中から100万人もの青年たちが参加しました。日本からも300名が参加、わたくしもケルンとの友好関係にある教区の責任者ということで、日本巡礼団団長として参加しました。東京教区から実に多くの方々が参加してくださり、また事務局の仕事あるいはアシスタントとして奉仕してくださいました。これらの方々に厚く御礼申し上げます。この大会に参加した者は皆、祈りによる連帯という素晴らしい体験をすることができました。明日の教会を築き担う青少年の皆さんの今後の活躍に大いに期待します。
さて東京教区は3つの優先課題への取り組みと平行させて『カテドラル構内再構築』というプロジェクトを実施しなければなりません。近い将来の具体化が迫っています。わたくしはこのプロジェクトの立案と実施にあたり、もう一度信仰の原点に立ち戻りたいと思います。わたしたちの教会は何をめざすのでしょうか。教会とはそもそも何でしょうか。神の国の到来のしるしである「癒し」と「赦し」という原点に立って、再構築を考えて見たいと思います。東京教区本部であるカテドラル構内は、教会の在り方のしるしです。建物をどうするかということも大切ですが、その前にわたしたちはここでどう生きるのか、どう歩むのか、がもっと大切です。苦しみ悩む人の癒しと安らぎ、飢え渇く人の救いと命の泉となる教会として、わたしたちが成長することができますよう、聖霊の助けと導きを切に祈りましょう。