教区の歴史

教区の歴史

東京教区平和旬間・平和を願うミサ(西千葉教会)説教

2005年08月07日

2005年8月7日、 西千葉教会にて

 

 

皆さん大変お暑いなか、お集まりいただきましてまことにありがとうございます。

2005年の平和旬間は、従来の東京教区の平和旬間のやり方を少し変えまして、昨日(8月6日)、カテドラルではいろいろな行事、特に日中韓3国の青年たちが平和について話し合う、「日中韓青年・平和の集い」をいたしました。青年の集いなのですが、集まった人はほとんど青年ではなかったのですが(笑い)。幸田補佐司教が提案したプログラムで、各国2人ずつの青年6人が壇上に上り、平和について、特に東アジアの平和ということについて話し合いました。それを集まった人たちが聞いて、自分の意見を出し、質問をしました。集まった人たちの9割位が青年ではなかったです。東京教区は東京都と千葉県ですが、千葉県がない東京都だけの東京教区では良くないと思います。千葉県があるので東京教区は救われています。千葉県でも、平和旬間のときに、司教が捧げるミサがあってしかるべきではないかと思いまして、かなり前に小林神父様に、平和旬間のときにミサをしたい、させてほしい、と言って(困らせたかもしれませんが)、準備していただきました。ありがとうございます。 

今、聖書を3カ所朗読していただきました。私は第1の朗読からは次のようなことを思います。イザヤの預言ですが、「正義と平和」ということです。教皇庁には「正義と平和委員会」があります。世界中に「正義と平和」を担当する司教を置くようにと教皇パウロ6世がおっしゃって、日本にもそういう部門ができました。わたしも「正義と平和」の担当司教をしていました。一番皆さんがご存じの司教は亡くなられた相馬司教様です。「正義」の造り出すものが「平和」。「平和」は「正義」の実りということです。「正義」というのは角が立つので、まあまあ、仲良くやりましょうというのが私たち、日本人の考え方なのかもしれませんが、「正義」の上に初めて本当の平和が築かれるのだということを聖書は教えていますし、教会の教え、特に第2バチカン公会議の『現代世界憲章』は、そのことをはっきり、そして強く言っています。 

2番目の朗読はヤコブの手紙でしたが、私はここから次のようなことを思いました。 人間の心の中には悪い思いがあります。ねたみ、利己主義、嫉妬、憎しみなどとというようなものです。これは私たちの間に混乱を引き起し、不和を生じさせます。心のなかに平和がなければ私たちの中に平和をもたらすことができません。私は中学生くらいのときに 習ったのですが、『ユネスコ憲章』というのがあります。心の中に平和の砦が築かれなければならない。心の中に平和の砦がなければ、どんなに努力しても平和の建設は空しいことだ、ということだと思います。私たちは自分自身の心をいつも清く、主の平和で満たしていただけるように祈らなければいけないと思います。この平和、それは復活した主イエス・キリストが私たちに与えてくださるものです。復活なさったイエスが現れて、弟子たちのところに来られ、「あなたがたに平和があるように」とおっしゃいました。そして、彼らに聖霊を与え、息を吹きかけるということで、ご自身の霊、聖霊を与えて、そして、罪の赦しを告げ知らせる平和の使徒とされたのです。教会はこのようにして誕生いたしました。私たちは、復活した主イエス・キリストから聖霊を受け、聖霊の賜物である平和に満たされて、人々に平和を伝え、そして、平和のために働く者とされたのです。このイエス・キリストは十字架にかかり、十字架によって罪、そして、その結果である死に打ち勝たれて、私たちに永遠のいのち、復活のいのちをもたらしてくださっのです。 

今回、日本の司教団は「非暴力による平和のメッセージ」を発表いたしました。是非 、これを受け取ってお読みください。副題は、「今こそ預言者としての役割を」ということです。預言者の役割というのは、教会の使命の中の重要なものです。旧約聖書には預言者が出てきます。代表的な預言者、イザヤとか、エレミヤ、エゼキエル、ダニエルなどそういう人たちですが、神様のことばを告げ知らせる人たちです。神のことばを預かって、それを人々に取り次ぐという役割が預言者の役割です。時に、耳に痛いこと、人々の耳には快くないことを言わなければなりません。本当のこと、神様が本当に望んでおられることを人々に告げなければなりません。相手が誰であっても、たとえ王であっても、権力者であっても、いけないことはいけない、と言わなければなりません。それが預言者の役割であります。この役割をイエス様は私たちに託されました。ですから、教会は時の流れのなかで、神様のみ心に沿って言うべきことを、正しいこと、イエス様の生き方に合った、イエス様の教えに適った大切なことを告げ知らせなければならないのです。それが預言者としての役割を果たすということだと思います。 

今年は、ちょうど戦後60年です。戦後50年のときに、やはり日本の司教たちは平和メッセージを出しました。「平和への決意」というメッセージです。それから10年、このとき言ったことを更に発展させようということでこのメッセージができております。この本は、メッセージの本文と、メッセージの解説の2つの部分から成り立っています。メッセージそのものは、司教全員で作りました。実際には、何人かの司教さんが起草し、それを全員で審議し、修正して合意できたものを発表したわけです。十数人の司教がおりまして、年齢も違いますし、体験や意見も違いますので、完全に同じ意見になるまで議論する、というのは大変なことでした。最終的に全員が合意しまして、こういう文章になったことは、嬉しいことであります。幸田司教さんが初めて司教会議に出たのですが、この内容よりも、最後には、こういう文章を発表することに全員が賛成した、という事実に大変驚いておられました。私は驚かなくなっているのですが(笑い)。 でも、考えてみると驚くべきことですね。なかなか意見が合わないのです。皆さんの中でも合わないことがあると思います。この世の具体的なことには、いろいろな考え方があるのです。しかし、教会として、神様がお望みになっていることをできるだけ皆さんにお伝えしなければなりません。それが司教の役だと思います。 

このメッセージの内容は読んでいただければ分かっていただけると思いますが、4つ のことを強く主張しています。まず平和のためには、「人間の尊厳」をよく認識し、そして、お互いに人間として尊敬し合わなければならない、ということです。このことを更に詳しく説明しているのが、冊子に出ております高見三明大司教(長崎)の説明でして、大変すばらしい内容だと思います。是非お読みください。 

2番目の点は、「富の公正な分配と環境保全」ということで、平和を脅かすいろいろな原因の中に、富が公正に分配されていないということ、そして環境が破壊されているということがあるということを述べているわけです。 

そして、もう一つ「アジアの国々との和解と連帯」ということです。これは大変デリケートな問題ですが、私たちは、自分たちの歩んだ過去を見つめながら、アジアの人々、特に近隣の国々の人々と和解をしなければなりません。そのために、先程申し上げました、日中韓青年・平和の集いをやりました。私も出席して話を聞いていたのですが、長い歴史があるわけで、1回会っただけで、すぐに和解が成立するわけではありませんが、和解のための努力を積み重ねていかなければならないと思うわけです。 

そして、4番目の点は「非暴力を貫いて連帯を」ということです。今回のメッセージで一番言いたいところは、タイトルにありますように、「非暴力による平和への道」ということです。イエス様の教え、聖書の教えは、人間には復讐とか報復という強い衝動があるわけですが、報復を捨てるようにということです。悪に対して悪を返さず、善によって悪に打ち勝ちなさい、と聖パウロも教えているわけです(ローマ12・21)。そして、教皇ヨハネ・パウロ2世も、元旦に平和メッセージを出してくださいましたが、同じことを教えています。悪の連鎖反応は、暴力の連鎖反応となって暴力は暴力をもって対抗したり報復したりしてしまいます。もし、相手が自分よりも強ければ、自分の暴力の衝動を他の人に向けることによって、自分の衝動を満たそうとする傾向が人間にはありますし、民族、国家にもあるのではないでしょうか。 

その点、日本という国は、60年前に戦争に負け、もう戦争はしないという決心をし、約束をいたしました。それが日本国憲法として結実しているわけで、60年間、戦争をしないできた、というのは大変な事実なのです。私はこの60年間を生きてきたわけで、当たり前だと思ったのですが、世界の歴史の中で、それは大変な事実です。戦争に巻き込まれなかった、これはいろいろな原因や理由があったと思いますが、私たちの憲法のお陰だと思います。特に、憲法9条の改正論議がありますが、日本国憲法9条は、キリスト教的な精神を表しているのではないだろうか、と思うわけです。 

この間、ちょっと読んだ本に、こういうことが出ていました。私も子ども心に覚えているのですが、日本が戦争に負け、連合軍が進駐してきて、しばらく日本はアメリカを主体とする連合軍の支配下に置かれたわけですね。アメリカからやって来た一番上の人はマッカーサーでしたが、この方のときに、日本国憲法が作られました。彼はこう言ったそうです。「わたしは軍人です。軍人は解りやすく言えば、殺すことが仕事です」。と言ってしまえば身も蓋も無いのですが、やたらと殺すわけではありません。理由、根拠があって、戦 争があれば護るために殺さなければならないわけですが、解りやすく言えば、殺す事が仕事です。だから自分はずっと殺すことをやってきた、と言ったそうです。本当にいつも心苦しい思いで生きてきました。今日、1つだけ最後に良いことをしたと思います。それは自分の時代にこの憲法を生み出すことに力を貸したことです、と。これは本当に良いことをしたと思っている、と言って、そして、日本を去った、ということなのです。実は、そんなことを私は知らなかったのですが、昨夜、偶然読んだ本に出ていたわけですが・・。 

とにかく、非暴力による平和への道を実行しましょう。何ができるか、ということを私たち日本の司教は考えました。この本にいろいろな可能性が書いてありますので、是非読んでいただきたいと思います。