教区の歴史

教区の歴史

復活の主日・日中のミサ説教

2005年03月27日

2005年3月27日、麹町教会にて 

 

2005年の復活祭のミサを麹町教会の皆さんと捧げることができますことを大変うれしく存じます。主イエス・キリストの復活はわたしたちの信仰の中心です。復活とは、イエスが罪とその結果である死に打ち勝たれたことを意味しています。わたしたちは信仰によってキリストの復活に与ることができるのす。イエスは敵を愛すように教え、その教えを実行しました。悪に対して悪をもってせず、善をもって悪に打ち勝ったのです。彼は権威をもって教えましたが、決して自分の教えを強制したり暴力を用いたりすることはありませんでした。ひたすら神の愛を説き、それを実行されました。復活はイエスの愛の勝利であります。愛は最後には罪と悪に勝利することを身をもって証しされたのです。わたしたちはこのイエスの生き方、愛の勝利と復活を宣べ伝える者です。 

本日の朗読がパウロは教えています。

「あなたがたは、キリストと共に復活させられたのですから、上にあるものを求めなさい」「上にあるものを心に留め、地上にあるものに心を引かれないようにしなさい」。

復活されたキリストの霊である聖霊に導きに従い、悪に対して善をもって立ち向かい、復活の信仰を証しすることがキリスト者の使命ではないでしょうか。わたしたちは復活を真理として信じ受け入れ、この信仰を多くの人に伝えなければならないのです。復活はわたしたちが信じる信仰の真理の中心であります。 

ところで、真理を宣べ伝えるとき、わたしたちの取るべき態度について是非お伝えしたい「教え」があります。その教えとは、「真理は、やさしく、そして強く心に沁みこむ真理そのものの力によらなければ義務を負わせない」という言葉です。真理は決して強制されてはなりません。真理は真理自体の持つ力によって心から心へと伝えられるものです。実はこれは第二バチカン公会議の『信教の自由に関する宣言』の中にある言葉です。ヨハネ・パウロ二世教皇様は、紀元2000年の大聖年を迎える準備をするために出された書簡の中でこの言葉を引用されたのです。長い教会の歴史の中で、教会の構成員(メンバー)の中には、この教えに背き、自分が真理であると信じる信仰を強制したり、そのために暴力を行使したりしたことを指摘し、反省すべき過ちであったと認められたのです。強制や暴力はイエス・キリストの生き方に反します。イエスは真理を生き、十字架にかかっていのちを捧げ、真理を伝え証ししました。教会はこのイエスに倣って歩んでいかなければならないのです。 

わたしたちが、聖霊の導きに従い、謙遜に誠実に真理を宣言し証しすることができますよう祈りましょう。