教区の歴史
2005年元旦、神の母聖マリア・世界平和の日、ミサ説教
2005年01月01日
2005年1月1日深夜零時、東京カテドラル聖マリア大聖堂にて
カトリック教会では正月元旦は「神の母聖マリア」の祭日であり、また「世界平和の日」でもあります。教皇は毎年「世界平和の日」のメッセージを発表します。今年のメッセージは「悪に負けることなく,善をもって悪に勝ちなさい」です。そこできょうはこのメッセージについて一言申し上げたいと存じます。
「悪に負けることなく,善をもって悪に勝ちなさい」。これは聖パウロのローマ人への手紙12章21節の言葉です。悪に対して悪をもって報いることなく、善をもって報いることによって悪に打ち勝ちなさい、ということです。これはキリスト教の教えの中心であり、イエスの福音の真髄であり、イエスの生き方そのものでした。
教皇ヨハネ・パウロ2世は言います。「平和とは、悪が善によって打ち負かされるときにのみもたらされる、長くて辛抱強い闘いの成果である」。実に平和とは戦いの成果であり、この戦いは決して容易なものではなく、困難をともなう、長く辛抱強い闘いです。そしてこの闘いとは悪との闘いであり、しかも悪に対して悪をもってではなく、善をもってする闘いなのです。わたしたちは知っています。この世界には「悪の連鎖」が存在することを。これは実に手ごわい敵です。人類の歴史は悪の連鎖、復讐の連鎖で織り成されています。悪の連鎖は集団のレヴェルでも個人のレヴェルでも存在します。今、世界中で起こっている戦争や紛争はすべてこの悪の連鎖反応の一環であるとも言えます。アフリカにおける武力闘争、パレスチナでのテロと暴力、イラクで繰り広げられている悲惨な状況など、人類が悪の連鎖に縛られていることを示しているのではないでしょうか。
悪の連鎖は集団だけでなく個人をも捕らえています。個人の犯罪、暴力、個人間の争いや対立にわたしたちは苦しみ悩んでいます。悪は悪を呼び覚ますという苦い経験をわたしたちは否定できません。悪の連鎖というときすぐに連想されるのは暴力です。実際、悪の連鎖のなかで特に目立つのは暴力による悪の連鎖です、悪は通常さまざまな形をとった暴力によって行われます。主イエス・キリストは暴力という悪の連鎖を断ち切るよう教え、実行されました。実に暴力は人間の尊厳に反し、人間の尊厳を冒す大きな悪です。暴力との闘いこそ人類の最大の共通課題ではないでしょうか。
教皇様は言われます。「平和という善に至るためには、暴力は絶対に受け入れることのできない悪であり、決して問題解決にはならないことを、はっきりと自覚し、認めなければなりません」。時に集団による暴力は軍事行動となり戦争に発展します。紛争の解決として国家による戦闘行為は是非とも避けなければなりません。以前は正戦(正しい戦争)、あるいは聖戦(聖なる戦争)という理論がありましたが、今日では戦争自体があらゆる努力、知恵、忍耐の限りを尽くして回避すべき悪である、と考えるべきです。暴力は不当に自分の主張を実現するための力の行使です。暴力は相手の権利を侵害する行為、もっとも愛に反する行為であります。
暴力には集団による場合だけでなく個人による場合もあります。家庭、職場における暴力あるいは特定の地域、集団における暴力もあります。この点においてわたしたち教会も決して免責されるものではありません。暴力は肉体的暴力のみならず心理的暴力、言葉による暴力などさまざまな形をとります。わたしたちは競争と管理の社会に住んでおります。他方、消費主義は絶えずわたしたちの欲望を刺激します。人々は大きなストレスにさらされていますので、欲求不満が増大し、いつそれが爆発して暴力に結びつくのか、予測がつきません。しかし家庭と教会は本来、癒し、安らぎ、支えと助けの場、いのちへの奉仕の基本単位です。家庭と教会には絶対に暴力的行為があってはならないのです。ところが、現実には「家庭内暴力」が存在しています。教会はこの事実を重視します。教会は家庭の役割を助け補い、さらに進んで人々に安らぎと癒しをもたらさなければなりません。教会は本来、そのための交わりの秘跡、神と人、人と人との交わりであるはずです。
悪との闘いというとき、わたくしは教皇様の意向に従い、貧困との闘いということにも皆さんの注意を向けたいと思います。数知れない人が貧困に苦しんでおります。貧困は飢餓、病気,差別、孤独などの形をとって現代世界に深刻な問題を問いかけています。誰しも人間らしく生きる権利と義務をもっています。ところが、貧困が人類の権利を妨げ、義務の遂行を困難にしています。わたしたち人類が兄弟姉妹として共に歩むということは、人類共通の課題である貧困という問題を担い合い、分かち合うということに他ならないと思います。教皇様は2004年10月より2005年10月を「聖体の年」とされました。そしてヨハネ福音書13章を引用しながら、わたしたちも互いに足を洗い合うことをとおして愛を示すように、貧しい兄弟姉妹の必要を自分の必要と看做して、互いに仕え合うよう勧めておられます。神の愛の極みである聖体の秘跡から力をいただき、互いに愛し合うことができますよう心から祈りましょう。キリストが与えてくださった新しいいのちの力によって、わたしたちが言語、国籍、文化の違いを超えて、互いに同じ家族として認め合い、助け合い、正義と自由、平和の国を建設するために貢献できますように祈りましょう。
今日、わたしたちは「神の母聖マリア」を祝います。ルカは本日の福音で、「マリアはこれらの出来事をすべて心に納めて、思い巡らしていた」とあります。マリアは絶えず信仰のうちに神のみ心を求め、日々の生活の中で神のみ旨を行うことによって生涯を神に捧げました。この聖母の生涯はわたしたちキリスト者の模範です。マリアはその生涯をもって「悪に負けることなく,善をもって悪に勝ちなさい」との愛の教えを全うしたのでした。わたしたちもこの愛の教えを生きることができますよう、聖母の取次ぎを願いましょう。