教区の歴史
パイプオルガン祝福に際してのミサ
2004年05月02日
2004年5月2日、東京カテドラル聖マリア大聖堂にて
ただ今、待ちに待った新しいパイプオルガンの祝福式が行われ、正式にオルガンが使えるようになりました。これは関口の教会にとってだけでなく東京教区にとっても大きな喜びであり、大きな出来事です。このパイプオルガンの演奏によって多くの人々が心の慰め、いやし、喜びを得ることができるでしょう。
さて本日は召命祈願日であり,「よい牧者」の福音が読まれます。そこで今日は、わたしたちの教会の牧者のあり方についてごいっしょに考えてみたいと思います。現代はストレスの多い時代です。わたしたちは例外なくストレスに悩まされています。簡単に「ストレス」という言葉を使っていますがストレスとは何でしょうか。医学や心理学も専門家もいらっしゃるでしょうから知ったかぶりをするのは甚だ僭越です。しかし、もう広く知れわたった言葉ですので一応国語辞典で調べてみました。「苦しみ・恐れなどの精神的な刺激が原因となって生体内に生じるひずみとそれに対する体内の反応」とあります。これではよくわかりませんが詮索はこれくらいにしましょう。
人々はストレスに苦しんでいます。会社で働く人はストレスが多い、とくに管理職はストレスが多いと聞きます。いや家庭でもストレスが多いといいます。父であること、母であることはストレスを引き起こします。教会ではどうでしょうか。教会の奉仕者は、場合によってストレスが多いと思います。教会委員などは気疲れするお役目でストレスが大きいと思います。心から御礼申し上げます。教会の牧者もストレスが多いのです。一つの教会を預かる主任司祭の苦労は大変です。
誰でも人生を真摯に真面目に生きようとすればストレスが生じます。人が地上で生きる限りストレスのない生活や仕事はありえないでしょう。問題はそのストレスをどのように解消するのか、自分のストレスとどう向き合うのかということです。いろいろなやり方があるでしょうが、もっともいけないやり方は、自分の怒り、不満を自分より弱い人に向けて憂さ晴らしをするというやり方です。これは、自分の問題を人に転嫁し、人を傷つけ苦しめることによって緊張から逃れようとする卑怯なやり方です。これは最低です。
教会の牧者の仕事にはストレスが伴います。牧者も人間ですから怒り、悲しみ、あせり、不安、恐れなど人間的な感情を体験します。よい牧者ナザレのイエスも本当に人間であったのでこのような否定的な感情を体験しました。しかし、わたしたちとイエスが決定的に違う点があります。それはストレスへの対処の仕方です。イエスにストレスという言葉を結びつけるは不適切であるような気もしますが、ともかくイエスは人間として大きな苦しみ、悲しみ、暴力、裏切りなどを体験しました。これがイエスの受難です。今は復活節ですが、聖週間の典礼はイエスの受難をしみじみと教えてくれます。イエスは本当の人間であったので、人間としての苦しみを体験し、大きなストレスに出会いました。わたし達と違うのは、苦しみから生じたストレスへの受け止め方、対処の仕方です。ここが決定的に違います。
わたしたち司祭はイエスのようなよい牧者でなければならない。よい牧者は自分の羊のためにいのちを捨てます。はたして自分はどのような牧者であろうか。今日はこのことを反省しなければなりません。いまSelf-Careということも言われます。自分の健康は自分で注意管理しなければならないと言われます。それは大切なことです。でも、それが弱い者いじめや責任転嫁という方法で行われてはならないということです。
きょう祝福されたパイプオルガンは、ストレスの多いわたしたちの心を癒し、清め、高めてくれるだろうと思います。罪と死に打ち勝たれた復活の主がいつもわたしたちと共にいてくださ います。復活の主に祈りましょう。主キリスト、わたしたちの牧者である司教・司祭たちが、あなたに倣い、苦しみと悩みを父である神に捧げることを通してあなたの過ぎ越しの神秘を日々生きることができますように。アーメン。