教区の歴史

教区の歴史

聖霊降臨・堅信式のミサ

2003年06月08日

2003年6月8日、東京カテドラル聖マリア大聖堂にて

 

2000年ほど前のこと、エルサレムのとある広間で不思議な出来事が起こりました。十字架につけられて殺されたナザレのイエスの弟子達の上に聖霊が降ったというのです。この出来事が今日祝う聖霊降臨です。この日を期して弟子たちの宣教が開始されました。これが教会の誕生です。

教会とはイエスの霊であり父である神の霊である聖霊を受けた人々の集まりです。霊によって呼び集められた神の民、家族です。教会の使命は福音宣教(福音化)ということです。

この福音化の働きにすべての信者は召されています。福音化のために派遣された人を使徒と呼びます。同じ使徒といっても司教、司祭、助祭、修道者、信徒によってその役割は異なりますが、同じキリストの使徒の使命に与ります。 

福音宣教(福音化)とは何か。一時議論されました。

イエスは「全世界に行ってわたしの弟子をつくりなさい」と言われました。キリストを信じキリストに従っていく人の輪を広げていかなければなりません。最新の統計によれば 2002年の日本のカトリック教会の信者数は449,927名です。そのうち東京教区は91,480人です。これは教会に登録されている人数ですから、外国籍の信者を考えればおそらく同数か、それ以上の信者がいると思われます。したがって日本におけるカトリック信者の数はおよそ 100万人であると言えましょう。

日本全体で信者の数は少しずつ増加しています。(東京教区だけをみれば1990年と比べると約1万人の増加です)。しかし、年間の受洗者の数自体は減少しています。例えば日本全体で 1992年には10,513人が洗礼を受けましたが、2002年では8,129人に留まっています。人数はあまり問題ではないと言えばそれまでですが、わたしたちは1億2千 600万の国民へ宣教しなければならないのです。(ちなみに信者率は0.356パーセントです)。 

これより皆さんは、キリストの使徒となりその言葉と行いを通してキリストの弟子をつくっていくという教会の使命の一翼を担うのです。

復活されたキリストは「地の果てに至るまで行って復活の証人となりなさい」と言われました。キリストの復活を指し示す生き方をしなさい、ということです。「わたしは世の終わりまであなたがたとともにいる」とも言われました。それは聖霊の派遣のことです。わたしたちに聖霊を遣わし、その賜物を通してキリストが復活して生きておられることを世に証されるのです。それを行うのは他の誰でもない、あなた方、今日堅信を受けるあなた方です。その証しとは端的にいって「ガラテヤへの教会の手紙」のなかでパウロが言っているように「霊の導きに従って歩むこと」です。霊の結ぶ実りは「愛であり、喜び、平和、寛容、善意、誠実、柔和、節制です」。これに反して肉の業は「姦淫、わいせつ、好色、偶像崇拝、魔術、敵意、争い、そねみ、怒り、利己心、不和、仲間争い、ねたみ、泥酔、酒宴、その他の類のものです」。わたしたちが真摯に反省すれば、このような肉の業から解放されていない部分があることを認めなければなりません。教会の福音化の働きは、まず回心であり、キリストにおける再生です。 

東京教区では今年の復活祭4月20日より宣教協力体が発足しました。同時に教区本部では3つの優先課題への取り組みを開始しました。

その一つが「心のケア」という課題です。誰かが誰かの心を癒すというのではなく、全員の課題として、皆、自分のこととして取り組んで行きたいと思います。肉の業からの解放と聖霊の実りの充満に向かってともに歩むことこそ、この課題「心のケア」への取り組みではないかと思っています。

最後に今日の第一朗読にふれたいと思います。まさに聖霊降臨の場面です。ここに文化・民族の違いを超えてキリストの霊によって一つに結ばれているダイナミックな神の民の姿があります。東京教区が目指すのはこの神の民の姿です。東京は国際都市であり、わたしたちの教会は国際的で多国籍化した神の民です。このなかから新しい力が生まれてきます。東京教区はカトリック東京国際センターの働きを充実させていくとともに、教区全体で、国際化・多国籍化教会の在り方を検討し、よりよいものとする努力を重ねてまいります。

宣教協力体発足後初めての合同堅信式に与る皆さんが、東京教区の新しい力、希望となるよう、切にお願いしそのために祈っております。