教区の歴史
「聖書の集い」について
2016年02月21日
はじめに
東京教区の優先課題の一つ、「信仰養成」あるいは「霊的成長」の中心的なテーマは、教会につながるすべての人がどのようにして神の子どもとして(人間的にも、信仰者としても)成長していくことができるか、ということだと考えます。
そのための基礎となるものは、何人かが一緒に集まってともに祈り、聖書を読み、分かち合う「小グループ」、「分かち合いの集い」、「小さな共同体」というようなものではないでしょうか。信仰の道を一人で歩んでいるのではなく、誰かと一緒に支えあい、励ましあいながら信仰の道を歩んでいると感じることは、わたしたちにとって大きな支えとなるからです。
ここでは、実際に何人かの信徒(もちろん、司祭・修道者でもかまいません)が、集まって一緒に聖書を読み、祈り、霊的に成長していこうとするための1つの方法を提案します。
もちろん、すでにあるさまざまなプログラムも役に立ちます。「聖書100週間」や「7ステップス」などは、定評のあるプログラムです。
ここでは、日曜日のミサの福音を用いた、分かち合いと祈りの集いの方法を紹介します。そのような集いを「聖書の集い」と呼ぶことにします。一つの提案ですが、実際に始めてみて、ご意見をお聞かせいただければ幸いです。司祭が定住しておらず信仰養成講座がほとんど開かれていない共同体などに、特にお勧めしたいと思います。
「聖書の集い」について
「聖書の集い」は、福音を一緒に読み、一緒に味わい、共に祈る集まりです。聖書の集いは次のことを目指しています。
- わたしたちの現実の中で神がともにいてくださることを発見する
- ともに信仰の道を歩む仲間作り
- 霊的成長
- 誰かがこれをやってみよう、と思って、別の誰かが賛同したところから、すべては始まります。
- 参加者は、誰でも参加できるオープンなものでも、逆に、ある共通点をもった人に限ってもかまいません。年代、置かれている状況、抱えている悩みなど、共通のものを持った人でなければ、分かち合いにくいことがあるからです。
- 人数は多すぎないほうがよいでしょう。10人を超えたら別のグループを作るとよいでしょう。
- 場所は家庭でも、教会の一室でも可能です。教会内で呼びかけるときは、主任司祭と相談して、主任司祭の了解のもとに始めてください。
「聖書の集い」の進め方
『聖書の集い』ガイド ダウンロード用 Word / PDF
※「気をつけるべきこと」「はじめの祈り」「結びのことば」のサンプルもここにあります
- 短い自己紹介(皆が知り合っている場合には必要ありません)
- はじめの祈り(司会者が唱えます)
- 次の日曜日のミサの福音の箇所をゆっくり読む。
- 「福音のヒント」を読む。
- もう一度、福音の同じ箇所を読む。
- 5分ぐらい、各自が沈黙のうちに福音の言葉を味わう。
- 心に響いたことを分かち合う。
- 神が今日のわたしたちに何を呼びかけておられるかを受け取るために、 しばらく沈黙のうちに祈る。
- 参加者が自由に自分のことばで祈りをささげる。 最後に一緒に主の祈りを唱える。
- 結びのことば
気をつけるべきこと
「安心」ということは分かち合いが成り立つための前提条件です。参加者が安心して分かち合いをすることができるために、次の点に注意します。
1.集いの場で聞いたことを他の場で話さない
そこで話されたことが、他の場所で他の人に伝わるならば、だれも安心して話すことはできません。「分かち合い」で聞いたことはわたしたち一人一人の胸の中に収めることを約束します。言った本人に対しても、別の場で「あの時あなたはこう言いましたけれど…」というような言い方はすべきではありません。秘密を守ることができないグループは簡単に崩壊してしまいます。
2.支配するのは神の霊
人が集まるところに「人を支配したい」という誘惑が生まれます。「教えたい」「コントロールしたい」「自分が一番になりたい」その誘惑に打ち勝つことが必要です。限られた人だけが長時間話すのも禁物です。司会者やグループの代表は、奉仕者であるという意識を徹底しなければなりません。
誰かが聖書の箇所について質問をしたとき、それについて知識を持っている人が教えることは簡単です。しかし解説を始めた瞬間に「分かち合い」は終わってしまいます。この点に注意が必要です。何もすべてを理解する必要はないのです。話が途切れたとき、沈黙を埋めようとして話す必要もありません。その時は、神が沈黙のうちにわたしたちに語っていることを聞けばよいのです。なお、終了時間を守ることも大切です。
聖書の集いは、だれか人間が支配する場ではなく、すべての参加者が一人一人の心に働きかける聖霊の導きに従おうとする場なのです。
3.相手を批判しない、議論しない
自分の発言が人から批判されると、ある場合には非常に傷つき、もう二度と話すまい、と思うようになります。安心のためには「批判しない」という原則も大切です。大切なのは、人の言葉に耳を傾け、人の思いをそのまま受け取ろうとすることです。わたしたちは議論するために集まっているのではなく、霊的に成長するために集まっているのです。
「福音のヒント」
この「福音のヒント」は毎週日曜日のミサの福音を味わうためのヒントです。「聖書の集い」では、誰かが教える人ではありません。かと言って、ただ個人個人の感じ方だけで福音について語り合うことにも不安があるかもしれません。ここでは必要最小限の解説と、生活の中で聖書からの光を受け取るためのヒントが述べられています。一緒に聖書を読むときに役に立つのではないか、と思います。
なお、ミサの準備のために個人的に用いることもできますし、ミサに行けないときに聖書の箇所を味わうためにも役立てていただければ幸いです。
もう一つの使い方として、ミサがないときの「集会祭儀」で用いることも考えられます。説教がない場合に少しでも豊かに聖書からメッセージをいただくためです。3つの使い方があるでしょう。
- 前もって「福音の集い」でその箇所を分かち合った人の誰かが福音朗読後に話をする。
- 集会祭儀の福音朗読後に読んで、各自が沈黙のうちに味わう。
- 集会祭儀の福音朗読後に読んで、参加者で分かち合いをする(少人数の場合)。
- いずれにせよ、集会祭儀でこれを用いる場合は、必ず主任司祭とよく相談してから用いてください。
幸田和生司教