お知らせ

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Tangible第16号

2023年11月10日

9月9日(土)、カテキスタ養成講座の5期生3名が新たに「教区カテキスタ」として認定・任命された。
カテキスタは小教区の枠を超えて、新しく教会を訪れた人々のために奉仕し「入門講座」を担当する人たちである。
この度、ケルンホールでの大司教による修了式を迎えることができた。
そして認定任命式が東京カテドラル大聖堂で行われ、それぞれの派遣先教会が発表された。
同時に2期生の再任命も行われ、来年4月から合計38名の教区カテキスタが7つの教会に派遣されることになる。

「東京大司教区 カテキスタ養成講座」2023年9月9日・大司教最終講話要旨

カトリック東京大司教区 教区長 タルチシオ 菊地功大司教

◆日本の教会は先細りの教会?

ご存じのように、つい先日、教皇様は大阪教区と高松教区の統合を発表されました。実際には、大阪という教区と高松という教区がなくなって、全く新しい「大阪高松大司教区」という司教区が誕生するのです。

今まで16だった日本の教区が15になる。客観的に見ると、縮小傾向にある日本の教会の象徴みたいに考えられてしまいます。 しかしながら、1980年代に開催された福音宣教推進全国会議(NICE)の時代に、すでに教区の再編は大きなテーマとなっていたと聞きました。

その当時、これだけ激しく、そして、短期間で少子高齢化が進むとは想像しておられなかったと思いますが、全体として組織体の合併や数の減少というのは、どうしてもマイナスのイメージになります。おもわず、日本の教会は先細りの教会なのではと感じることもあります。

しかし、結論から申し上げると、わたしは全然そのようには思っておりません。

◆神様は福音宣教者を日本に送り続けている

パウロ6世の使徒的勧告『福音宣教』に、こういう1節があります。

「たとえわたしたちが福音をのべ伝えなくとも、人間は神のあわれみによって、何らかの方法で救われる可能性があります」(80)

つまり救いのわざは、人間のわざではなくて、神様のご計画のもとにあるのだから、神様はそのあわれみによってなんとかして人を救っていこうとされるに違いない。

ですから、救いの実現という視点からは、実はあまり心配していない。しかし問題はそこにはないんです。

たとえば、この数十年の間に、海外から来られた、特にフィリピンから来られた信徒の方が、なぜこんなに日本社会で増えていったんだろう。もちろん、社会的に言えば、結婚のためであったり、労働のためであったり、いろんな理由がそこにはあるに違いないのだけれど、教会的に言ったら、神様が福音宣教者を日本に送り続けていたのだとわたしは思っています。それぞれの人たちにそれぞれの理由が、個人的な理由はあるけれども、それは神様ご自身の、なんとしてでも多くの人に福音を伝えたいという熱意が実現した一つの形だとわたしは思っています。  

◆福音宣教はわたしたちの、この世界における根本的な存在理由

そこから先が課題です。

パウロ6世の『福音宣教』の続きには、「しかし、もしわたしたちが、怠りや恐れ、また恥-聖パウロが『福音を恥じる』というときの-あるいは間違った説などによって、福音をのべることを怠るならば、果たしてわたしたちは救われるでしょうか」(80)と記されています。

つまり、わたしたちにとっての課題は、わたしたちが何をするのか、であろうと思います。神様は、なんとしても福音を一人でも多くの人に伝えようと、さまざまな手を尽くされます。その神の熱意を、地上において具体的に実現するのは、わたしたちの務めなのです。ですから教会は、福音を一人でも多くの人に伝え、一人でも多くの人を救いに与るようにすることを「目的」としているのではなくて、それは教会がこの世界に存在する「理由」そのものです。わたしたちが神様から派遣された「理由」です。わたしたちは教会共同体として存在している限り、福音を告げ、多くの人を救いに招くのが当然であって、それはわたしたちにとって副次的な存在理由ではありません。福音宣教はわたしたちの、この世界における根本的な存在理由です。

  ◆「シノドス」は教会の本来あるべき姿を、当たり前の姿にすることが目的

今、「シノドス」のことをよく耳にいたします。「シノドス」のテーマは、「ともに歩む、教会のために」、副題は「交わり、参加、そして宣教」です。10月の総会のための討議要綱では、分かち合いの話し合いのテーマを、この副題の順番を入れ替えて行うことが示唆されています。話し合いの順序は、「交わり、宣教、そして参加」です。宣教と参加の順番が入れ替わっています。

世界中から集まってきた意見をもう一度よく見直すことで、交わりの教会共同体はそれ自体が宣教することを本質とし、だからこそ誰も排除することなくすべての人の参加を呼びかけるものとなる、という考え方なのだそうです。このシノドスは、教会のあり方を見直し、教会が現代社会にあって教会の本質を生きることができるようにしようとする試みであるように感じています。教会は本質的に、交わりのうちに福音を告げ知らせる存在でなくてはなりません。

「シノドス」は教会の変革を目指していますが、それは組織改編ではなく、教えの変更でもなく、現在の形の破壊でもありません。そうではなくて、教会の本来あるべき姿を、当たり前の姿にすることが目的です。  

◆皆がともに祈り分かち合うことで、聖霊の導きを識別する教会へ

その流れの中で、東京教区も、この地にあって、今の時代を生きる共同体として、福音を告げ知らせる存在であり続けなくてはなりません。もしそうでないなら、変革していかなくてはなりません。

わたしたちも、共同体の交わりの中で、祈りと分かち合いを通じて、聖霊の導きを識別する教会になりたいと思います。目指しているところは、議会制民主主義のような教会ではなく、司教や司祭が王様のように支配する教会でもありません。皆がともに祈り分かち合うことで、聖霊の導きを識別する教会です。 とはいうものの、司祭の数は減っています。修道者の数も減っている。働き手が少ないから、信徒の役割が重要視されるようになったのかというと、必ずしもそういうわけではないのです。

これまで忘れられていた信徒の役割を、思い起こすときが来たと言うべきだと思います。これまでは、司祭は十分いるし、修道者も十分いたので、司祭と修道者が教会で役割を担うことで十分に足りてしまっていたのです。それが、今やっと、司祭や修道者の影が薄くなったことで、信徒の召命を忘れ去っていたことに気がついたのです。新しいことを発見したのではなくて、これまで隠されてきたことに気がついたのです。

◆信徒使徒職はキリスト者に与えられた召命の一つであることを思い起こす

本来的に教会において信徒が持っている役割を、つまり本来持っている召命を、本来あるべき姿で生きていただくということが、教会には必要なのだということに、いまやっと教会は気がついたのです。だから、司祭や修道者が足りなくなったので信徒に代わってもらいたいという話ではなくて、信徒は代打要員なのではなく、本来するべき役割を十分に果たしていただきたいという話です。

信徒使徒職はお手伝いではなくて、それぞれキリスト者に与えられた召命の一つを生きていくことにしたのだということを、あらためて思い起こす時が来ています。

その意味で、このカテキスタの方々の役割は、決して、司祭が足りないからお手伝いとして要理教育や信仰養成をする信徒が必要だというのではなく、司祭がいてもいなくても、信徒の本来果たすべき役割としてそこにあったということです。

もう一つ重要なことが、教会は未だに聖職者や修道者を中心にものを考える組織であるので、信徒の役割を語るとき、信徒は当然ボランティアで奉仕してくれるものと思い込んでいる節があります。しかし教会が本気で信徒の役割を意識するのであれば、毎日の生活を抱え、家庭を持ち、さまざまな人生の課題に日々直面している方々を、時間を割いて教会のために奉仕していただくということが、どういう意味を持っているのかを、まず考えなくてはならないと感じています。

  ◆わたしにとっての、教会におけるカテキスタの存在

さて、わたしにとって、教会におけるカテキスタの存在というのは、ある意味、あたりまえの存在であって、何も珍しいことではない、特別な存在ではないということを申し上げておかなければなりません。

というのも、わたしの父親は、わたしが生まれた当時、岩手県の教会でカテキスタをしていました。ですからわたしは生まれてから小学校4年生まで、教会に住んで、毎日父親であるカテキスタの働きを見ておりました。 その、カテキスタが存在して当然のところで育ってきて、神言会で司祭になり、アフリカに派遣されました。ガーナの山奥の教会で8年間働きました。

日本の教会との大きな違いは、公共交通機関がないので、大きい教会で信者さんたちが来るのを待っていることはできません。周囲の村に巡回教会を設置し、こちらから出かけていかなくてはならない。わたしが担当していたのは23カ所くらいありましたが、そこをわたしが一人で手当てすることができるわけがありません。

ミサは大きな村で月に1度、小さな村では3カ月に1回という教会もありました。それでは日曜日はどうしていたのかというと、それぞれの巡回教会にカテキスタがいて、その人たちが日曜の集会祭儀をし、病人のためにお祈りをしたり、亡くなった人がいれば、葬儀や埋葬もカテキスタが担当します。そして、洗礼や堅信の準備も、すべてカテキスタの人たちの担当でした。

  ◆信徒の継続養成に向けて、カテキスタに大きな期待

そういうわけで、わたしにとってカテキスタという存在は、当たり前の存在です。教会にいなくてはならない重要な部分です。ご聖体を授ける聖体祭儀をつかさどり、秘跡を授ける司祭も必要ですけれど、同時に教会共同体を生き生きしたものとして存在させていくためには、信徒によるカテキスタをはじめさまざまな役割を果たしてくださる信徒が不可欠です。そのためにも、信徒の継続養成は、教会にとって重要ですし、それを担うカテキスタの役割は、東京教区においてはこれからますます重要になっていきます。これから、将来に向けて、カテキスタの役割は、入門講座にとどまらず、信徒の継続養成へと広げていかなくてはなりません。

みなさんの活躍に感謝するとともに、大きな期待を抱いています。

新たに教区カテキスタに認定任命された5期生。左から山田方子さん、高橋宏樹さん、成田雅江さん

「東京大司教区 カテキスタ養成講座」2023年9月9日・認定任命ミサ説教要旨

カトリック東京大司教区 教区長 タルチシオ 菊地功大司教

■日本の教会の現状と課題

日本の教会の現状は、昨年の教会の公式統計によれば、全国の信徒総数は416,315名です。10年前、2013年の信徒総数は、436,670名。海外から来られた多くの信徒が含まれていない統計ですが、日本の教会の信徒数は劇的に増加する方向にはありません。

8月15日には、大阪・高松大司教区が設立され、日本の教区数は16から15に減少しました。また司教団は、日本の司祭養成を、来年の4月から東京で一本化すると決定しています。司祭の高齢化と召命の減少は大きな課題です。

■超越者に対する畏敬の念を失いつつある現代社会

私たちが生きている現代社会は、超越者に対する畏敬の念を失いつつある世界です。大災害に襲われ、目に見えない小さなウイルスに翻弄され、いのちの危機に具体的に直面したにもかかわらず、それでも、人間の知恵と知識で世界はコントロール可能だ、という確信から解放されない世界です。具体的ないのちの危機に直面しているにもかかわらず、それでもなお、互いの利己的思惑と欲望の実現のために暴力を持って対立し、互いを排除し合い、暴力を持っていのちを奪い合い、悲しみと絶望を生み出している世界です。

そのような社会の現実の中で、宗教的信念やそれに基づく宗教的価値観は単なる理想として、夢物語のように片付けられてしまい、わたしたちは呆然と立ち尽くしています。

■カテキスタはキリスト者としての召命を生きる道

司祭養成に限定された文書ですが、2016年に教皇庁聖職者省が出された司祭養成基本綱要である『司祭召命のたまもの』には、「司祭養成は、一連のキリストの弟子としての歩みである。それは、洗礼の時に始まり、他のキリスト教入信の諸秘跡によって強化されて、神学校入学時にはその者の生活の中心として意識され、さらに生涯を通して継続されるものである」とあります。

司祭に限らず修道者や信徒を含め、キリスト者はそれぞれに固有の召命を生きています。召命を生きることは、常に完成を目指しながら継続される、生涯を通じた養成の道であります。

キリスト者は生涯を通じて、キリストの弟子としての歩み、固有の召命について、継続して養成を受け続けなくてはなりません。

そのために必要なのは、その養成を手助けする人たちの存在です。その中には、カテキスタの召命を生きようとする人たちが含まれています。カテキスタは、司祭たちの単なるお手伝いではなくて、キリスト者としての召命を生きる道です。

■召命とは神からのたまもの、呼びかけ

人間が召命を生み出すことはできません。召命は、神からのたまものです。召命は、神からの呼びかけです。あの日、ガリラヤ湖の湖畔で、イエスご自身が声をかけられたように、徹頭徹尾、神からの一方的な呼びかけです。

私たちにできるのは、それに応えるかどうかの決断であります。そして決断をしたものが、その召命を生き抜くことができるように養成を続け、霊的に支えることであります。  

■福音宣教~イエスと出会い、主をあかしする

教皇様は、2023年2月15日の一般謁見で、召命についてこう語られています。 「福音宣教は、主との出会いから生まれ、すべてのキリスト教的活動、特に福音宣教は、ここから始まります。学校で学んだことからではありません。違います。主との出会いから始まるのです。…主とともに過ごさないなら、主ではなく自分自身をあかしすること…になり、まったくの無駄に終わってしまいます」

イエスと出会いましょう。主との出会いから召命への道が開かれます。 カテキスタとして生きるみなさん、多くの人に主との出会いの機会を生み出してください。

カテキスタの口を通じて、自分を語るのではなくて、主御自身が語り教えられるように、常にご自分の信仰の養成にも励んでください。

知っていますか? 私たちの「信仰」を? 共に歩む信仰の旅 ―同伴者イエスと共に―

派遣先別 カテキスタ一覧

一覧の①は第1期生を表す。以下同様に丸数字は期別を表す。

◉チーム葛西◉

(左から)内田 正さん 佐藤 英雄さん 重田 佳明さん 田中 洋子さん 成田雅江さん 田中 良知さん

① トマス・ヨハネ 内田 正 (ウチダ タダシ) 麹町教会所属
② アンデレ・フランシスコ・ペトロ 佐藤 英雄 (サトウ ヒデオ) 田園調布教会所属
③ フランシスコ・アシジ 重田 佳明 (シゲタ ヨシアキ) 麹町教会所属
① アグネス 田中 洋子 (タナカ ヨウコ) 築地教会所属
①使徒ヨハネ 田中 良知 (タナカ ヨシトモ) 市川教会所属
⑤ マリア・クララ 成田 雅江 (ナリタ マサエ) 高円寺教会所属

以上 6名

◉チーム清瀬◉

(左から) 荒井 貴さん 今田 潔さん 今田みゆきさん 椿 望さん 林 惠美さん 原 一之さん 森 邦彦さん

① トマス・アクィナス 荒井 貴 (アライ タカシ) 麹町教会所属
④ フランシスコ・アシジ 今田 潔 (イマダ キヨシ) 調布教会所属
④ マリア・クララ 今田みゆき (イマダ ミユキ) 調布教会所属
② ヨゼフ 椿 望 (ツバキ ノゾム) 赤堤教会所属
① マルガリタ 林 惠美 (ハヤシ メグミ) 板橋教会所属
① トマス 原 一之 (ハラ カズユキ) 秋津教会所属
② 洗礼者ヨハネ 森 邦彦 (モリ クニヒコ) 立川教会所属

以上 7名

◉チーム関口◉

(左から) 嘉藤 まゆみさん 高岡 詠子さん 髙橋 宏樹さん 長澤 重隆さん 宮島 智美さん 渡瀬 美登里さん

② マリア・ベルナデッタ 嘉藤 まゆみ (カトウ マユミ) 麹町教会所属
① マリア・ガブリエラ 高岡 詠子 (タカオカ エイコ) 麻布教会所属
⑤ ベルナール 髙橋 宏樹 (タカハシ ヒロキ) 麹町教会所属
② トマ 長澤 重隆 (ナガサワ シゲタカ) 板橋教会所属
③ マリア・グラティア 宮島 智美 (ミヤジマ チミ) 碑文谷教会所属
① セシリア 渡瀬 美登里 (ワタセ ミドリ) 麹町教会所属

以上 6名

◉チーム関町◉

(左から) 小川 美緑さん 小手川 裕子さん 鈴木 英彦さん 中井 美帆さん 森 邦彦さん 山田 方子さん

② ヴェロニカ 小川 美緑 (オガワ ミロク) 関口教会所属
① マリア・カタリナ 小手川 裕子 (コテガワ ヒロコ) 赤羽教会所属
① ヘルマン・ヨゼフ 鈴木 英彦 (スズキ ヒデヒコ) 高幡教会所属
③ ガブリエラ 中井 美帆 (ナカイ ミホ) 関口教会所属
⑤ セシリア 山田 方子 (ヤマダ マサコ) 碑文谷教会所属

以上 5名

◉チーム西千葉◉

(左から) 市川 正史さん 神崎 理恵さん 前田 はる美さん 三輪 秀樹さん 山田 千鶴子さん

③ アントニオ茨木 市川 正史 (イチカワ マサフミ) 小岩教会所属
① マリア・マグダレーナ 神崎 理恵 (カンザキ リエ) 五井教会所属
② エリザベト 前田 はる美 (マエダ ハルミ) 小岩教会所属
① ダニエル 三輪 秀樹 (ミワ ヒデキ) 茂原教会所属
① アグネス 山田 千鶴子 (ヤマダ チズコ) 五井教会所属 

 以上 5名

◉チーム松戸◉

(左から) 鈴木 真理子さん 竹内 公子さん 田中 潤さん 永井 裕子さん 森山 ハツヱさん 山下 充志郎さん

④ テレジア 鈴木 真理子 (スズキ マリコ) 習志野教会所属
① マリア・アンナ 竹内 公子 (タケウチ キミコ) 上野教会所属
④ アシジのフランシスコ 田中 潤 (タナカ ジュン) 習志野教会所属
② ベネディクタ 永井 裕子 (ナガイ ユウコ) 小岩教会所属
① マリア 森山 ハツヱ (モリヤマ ハツヱ) 葛西教会所属

以上 5名

◉チーム松原◉

(左から) 鈴木 敦詞さん 田中 芳保さん 三谷 博子さん 柳谷 晃子さん

① アンセルム 鈴木 敦詞 (スズキ アツシ) 世田谷教会所属
③ アンデレ 田中芳保 (タナカ ヨシヤス) 亀有教会所属
① ベルナデッタ 三谷 博子 (ミタニ ヒロコ) 初台教会所属
① アンナ・フランチェスカ 柳谷 晃子 (ヤナギヤ アキコ) 麹町教会所属

以上 4名

Catechista 仲間と共に歩んでゆく

コロナ禍のために中止になっていた懇親会が4年ぶりに開催されました。 認定・任命ミサ終了後およそ1時間ほど、式の緊張から解放されて互いに親睦を深め合いました。

教区カテキスタとして日々、研鑽を重ね努力している彼らを、どうか応援してください。そして「教区カテキスタ養成講座」に興味のある方、申し込みを考えている方、今ひとつ決断がつかない方、まずは講座を見学に来てください。 事前に専用ダイヤル(080-8888-6943)までご一報をお願いします。

カテキスタを支えるスタッフたち