お知らせ

お知らせ

Tangible第13号

2023年06月30日

受講生の声

神様はいつもとなりに

受講者 
第5期生
神田教会 古畑 久美子

◉学びのスタート

カテキスタ養成講座の5期生としての学びも終盤に入りました。この間、たくさんの学びと気づきをいただき、感謝の気持ちでいっぱいです。

私の学びのスタートは、養成講座の案内で、初回のオリエンテーションが母の納骨日と重なることを知り、「どうしよう」の言葉が頭の中で渦を巻くことから始まりました。

「早く伝えなければいけない」との思いとともに、「最初のオリエンテーションから参加できない私に、講座受講の資格があるのか、学ぶことができるのか」と、自問自答しました。勇気を振り絞って、参加できない理由と「それでも、学びたい。受け入れてほしい」との思いをメールで伝えました。これが、私のカテキスタ養成講座での学びの始まりでした。

神父様からの返信の到来に安堵しつつも、次の瞬間、「本文になんて書かれているのか」という不安も広がりました。そこには「しっかりお母さんとの別れを悔いの無いようになさってください。2回目の参加の時に、5期生の仲間に、オリエンテーションがどんな話であったか、注意点などしっかり聞き、教えてもらい準備をしてください。そのための仲間の存在です。お母さんのために祈ります」と書かれてありました。

受け入れていただけた安堵と共に、これから始まる学びに対しての責任を、改めて感じました。

◉養成講座での学び

私はこの講座で、「キリスト者として学び直しができる」「求道者の方に対するノウハウを教えて頂ける」と大きな勘違いをしていました。

私たちには、毎回一つのテーマが与えられ、それに基づき、自分でレジュメを作り、講座の内容を組み立てるという大きな課題があります。

「何をどう話したらわかっていただけるのか」「自分の言葉で伝える難しさ」「知らず知らずに使っている教会用語」「当たり前に唱えている『主の祈り』『アヴェ・マリアの祈り』」「『アーメン』という言葉の意味でさえ、初めて、教会の門をたたいた方はご存じない」「せっかく教会の門をくぐって来られた方を、不安やクエスチョン・マークでいっぱいにしないためには…」。指摘を受けるまで、これらのことに気がつきませんでした。そして、そんな自分に腹が立ったことを覚えています。 しかし、回を重ねる度に、カリキュラムの中に、神様からの恵みと愛があることを知り、それこそが求道者に伝えるべきメッセージであることを学びました。カテキスタは、神の愛を途切れることなく伝えるリレーのバトン役として、次のみ言葉につなげなければならないことも改めて学びました。

 猪熊神父様は、「インターネットで検索すれば出てくる事柄ではなく、あなたの信仰、あなたの体験を通して、自分の言葉で伝えることが求道者に一番響き、理解していただけることです」と、繰り返しお話ししてくださいます。一つひとつを自分の言葉に変換できるように、み言葉を味わい、自分のものにしなければという思いでいっぱいです。しかし、なかなかそのようにはできない難しさにぶつかっているのも現実です。

◉自分の言葉で語る

私自身が洗礼の恵みを求めていた時のことです。当初は父の反対で洗礼を受けることができませんでした。結婚後、夫の理解で洗礼の恵みに授かることができた時の喜びは今でも忘れておりません。

その後、マリアニストとしての歩みの中で、マリア様への奉献を通して、「ねばならない」の思いから解放され、「らしく」生きる喜びの中で生活できるようになりました。それは常に神様が伴走者として、共にいてくださることが感じられるようになったからです。 父の入院中にたくさんの話をしました。

「お前のことは何も心配しない。こうして毎日のようにベッドの傍らで話ができたからなあ…。一番の理解者の夫、それぞれに自分の道を見つけ歩んでいる3人の孫たちが支えてくれている。何より、いかなる時も目に見えない大いなる力、神・マリア様に支えられているお前を知ったから安心している。あんなに反対して悪かったな。その支えがあったから、どんなときも泣き言を言わずに乗り越えてきた娘を誇りに思うよ。あちらの世界で会えたら話を聞いてみるからな。残してきたお前のための祈りを教えてもらうから。」と言い残してくれた父…、私の宝です。

時が来るまで、一時も離れず神様が傍らにいてくださったから、そして、これからも居続けてくださるから、前を向いて進むことができる。父からの赦しは第2の洗礼の恵みであったようにも思っております。

◉カテキスタをめざして

求道者の皆様はそれぞれの思いで、教会の門をたたいてくださっていると思います。

そのような方々の思いに寄り添って、一生の宝を育む大切な時を共に歩むお手伝いができたらと思います。

それがいかに大切で、難しいことであるかを改めて再確認し、覚悟を持って、残りの講座を受けようと思っております。 神の国の実現のために、自分の信仰を伝えられる人になれるように、歩み続けていきたいと思っております。

現場の声

チーム一丸となって

カテキスタ 第3期生
チーム葛西
麹町教会 重田 佳明

◉「受講者ゼロ」
 ~不安・心配からのスタート~

私は、去年2022年9月10日(土)に教区カテキスタに任命され、葛西教会に派遣されました。

派遣前講習を経て、2023年4月22日(土)に葛西教会での教区カテキスタによる2023年カトリック入門講座オリエンテーションが行われました。しかし、そのオリエンテーションに出席したのは、葛西教会の主任司祭である柴田神父様、チーム葛西のカテキスタ5名だけでした。

そうです!受講者は0人、一人もいませんでした。

オリエンテーションが始まる前、Twitterで告知もし、葛西教会では柴田神父様、教会委員の方々にご案内を行ってきました。しかし、受講者は現れませんでした。

私には、自分が初めて講座を持つことに対する不安がありました。さらに、受講者が現れない場合は、どのようになるのかという不安、心配も起きてきました。

チーム葛西の仲間からは「このようなことが起こることもある」「この日本において、カトリック信者は少なく、出会う確率(は少なく)、ましてや、教会に行くということは、とても難しいことである」「キリスト教、カトリック教会に興味を抱いたからといって、すぐに講座につながるものでもない」という話を聞きました。「ましてや、葛西教会は駅からも遠いし、利便性は決して良いとは言えない」とも聞きました。カトリック教会が置かれている日本の現実が、よくわかり、とても勉強になりました。そして、「この先、受講者が現れなかったら…」という不安も薄らぎました。

オリエンテーションでは、葛西教会の柴田神父様と今後のことを話し合いました。「受講者が、今後も現れなかったら、信者対象のフォローアップ講座も検討すべきではないか」という話が出ました。

話し合いの結果、しばらく、受講者が現れるのを待つことになりました。

それから、カテキスタの仲間が、Twitterで再び募集を呼びかけました。葛西教会では、柴田神父様、教会委員長といった方々が、受講者を探してくださいました。

◉「チーム」であることを深く実感

この一連の動きを見て、私は、チーム葛西のカテキスタだけがチームのメンバーではないのだ、ということを痛切に感じました。

私は、教区カテキスタのミッションとは、派遣先の教会のためではなく、キリストの福音を派遣先の教会で伝え、洗礼希望者に道を示すことであると教えられました。私は、派遣先の教会とは、きっちりと線引きをしなければいけないと思っていました。

しかし、葛西教会の方々も、カテキスタと共に考え、悩み、動いてくださることに、私は深い感動を感じました。チームとは、カテキスタだけで成り立つのではなく、派遣先の教会(葛西教会)とも、共にチームであることを深く実感したのです。 実は、この文を書いているは5月21日(日)です。 昨日、5月20日(土)に第3回の講座が開かれました。受講者は0人でした。講座担当のカテキスタ2名は、講座の準備をして、決められた講座時間に葛西教会に行き、待ちました。

しかし、誰も来ませんでした。 この原稿の締切りギリギリまで、皆さまに受講者が現れた喜びを伝えるために待つことにします…。

◉ついに、受講希望者が…面接へ
~喜びを分かち合う~

皆さま!嬉しいことがありました!今、この原稿は、5月28日(日)に書いています。

ついに、受講者が現れました。

昨日5月27日(土)、チーム葛西のカテキスタ3名が受講希望者に会いました。講座について説明をしました。6月3日(土)に講座があります。受講希望者はその講座に出席してみたいと話され、出席することになりました。この方が、主任神父様からの推薦をいただき、正式な参加者となってくれることを切に希望します。

受講希望者と面接が終わった後、まず出張中の柴田神父様に、さらに教会委員長にも連絡を差し上げたところ、お二人ともとても喜んでくださいました。もちろん、生涯養成委員会でカテキスタをご指導されている猪熊神父様も、とても喜んでおられました。さらには、他の教会で活躍されているカテキスタの仲間からも喜びの連絡がありました。

このように、皆が喜びに包まれている姿を見ると、これが、天の国の喜びだと深く実感します。

アァ~、苦労したけれど、カテキスタになって良かったと深く実感し、今日の晩酌のビールは、とても美味しいです。

まだまだ、これから、この方を見守りながら、一人の受講者に満足せず、多くの方が参加希望するように、引き続き祈っていきたいと思っています。

折が良くても悪くても

カテキスタ 第2期生
チーム葛西
田園調布教会 佐藤 英雄

◉派遣先教会での祈りの姿と共に

東京大司教区菊地大司教様から教区カテキスタ2期生としての認定・任命を受け、カトリック葛西教会に派遣されてから、3年が経過しました。

葛西教会のミサ参加者は、日本人に加えフィリピン人、ベトナム人も多く、最近はインド人の方も増えています。土曜日の19時からのミサ前の、数名の信者さんの祈る姿は敬虔で美しいです。

主任の柴田神父様や上村教会委員長は、わたしたちカテキスタにとても理解があり、好意的です。講座を受け入れ、会場を提供することは、どこの教会でも大変な中、聖堂の後方に位置するトマスホールを開放していただき、講座に使用しています。

◉チーム・メンバーに助けられて

チーム葛西の当初メンバーは、1期生が4名、2期生が2名の合計6名で構成され(現在は5名)、約1年を通して全32回の講座を、一人5~6回(1回約60分から80分)を受け持ち進めてきました。

発表前の準備には相当の時間がかかってしまいます。これまでの自分の信仰体験をもとに、証しを中心に話すつもりで構成を考えるのですが、どうしてもテーマごとの聖書箇所や教会に関連する箇所が気になり、調べだすと時間が費やされてしまいます。生きた信仰の証しよりも、知識を伝えようとして力が入り、失敗して反省することの連続です。

しかし、私の拙い話は他のメンバーに助けられ、講座には、個人ではなくチーム葛西としての力が発揮され、受講者へ届けられているのだと痛感しています。

◉聖霊の働きによる受講者の変化に感動

講座を通して感じることは、最初はほとんどの方から質問もなく、少し重い空気です。回を重ねれば少しずつ慣れてきて大丈夫だろうと思うのですが、状況はほぼ同じです。ところが、ある回から目の動きに変化が現れ、やさしい微笑を含む穏やかな表情に変わり、質問も出始めました。

コロナ対応による規制の3年間、私たちはお互いの顔と顔とを突き合わせて見ることはほとんどありませんでした。しかし、全体が見えなくとも「体のともし火は目である」(マタイ6・22)と記されているように、神様はわたしたちの努力を無駄にはなさらず、神の御言葉を通して聖霊が働いて下さり、確かにその人に変化が現れ「全身が明る」(マタイ6・22)くなっていく様子を見ることができました。

更に、救われた人が葛西教会の土曜日19時ミサにおいて、聖書朗読を喜んで生き生きとしている姿には感動しました。 2年間で4名の方が、神の恵みの洗礼に与りました。もちろん、数や確率ではなく「大きな喜びが天にある」(ルカ15・7)ことがうれしいのです。

◉御言葉に励まされて待ち、そして…

今年度も、4月のオリエンテーションから始まり、講座は予定通り進められています。 ところが5月末現在、受講者は一人もいません。わたしたちの気持ちは落ち込みました。 しかし、神を求めている民は必ずいるはずです。ですから、落胆せずに、使徒パウロがテモテに宛てた手紙の中で厳かに命じているように「御言葉を宣べ伝えなさい。折が良くても悪くても」(2テモテ4・2)の、聖句に励まされ、どのような状況にあっても期待していたところ、一人の青年が受講を希望しているという情報が入りました。

99匹の羊のように、神を必要としなくても生きて行ける人々はたくさんいると思います。しかし、一匹の羊のように、神を必要としている方もまだまだいるのだということを思い起こしました。

神に感謝です。

「更新プログラム」参加者の声

今、私たちがいる場所

カテキスタ 第2期生
チーム関町
立川教会  森 邦彦

◉「どれくらい縛られているのか」の考察からスタート

教区カテキスタには3年に1度の更新プログラムがあり、2期生の自分は今これに参加しています。

教員免許(今年末で無期限に戻りますが)のように、教わったことが古くなったり、忘れたりしないようにすることが目的です。参加してみると、まずは、私たちが今いる社会がいつからあるもので、私たちがその社会の考え方にどれくらい縛られているかを、考えさせられるところから始まりました。

◉「家」をめぐる経験から

日本に限らないことだと思いますが、社会の仕組みが大きく変わったときでも、人の意識は簡単には変わっていきません。

大家族から核家族に、個人が自由に生きられる社会に変わりながらも、私たちは「家」についての考えから離れられません。

昨年、父の葬儀と納骨、相続手続きを自分が中心になって進めました。その間「三男の自分が進めてしまっていいのだろうか」という思いがたびたび頭に上りました。うちの家族は、「カトリックだから」と結構自由にやっていたのですが……。

現在の「家」という考え方も、古代からあったわけではなく、せいぜい明治時代に生み出されたもので、強制されているわけでもないのに、なぜ私たちはそれに縛られ続けているのか。もう少し自由に考えてみたらいいんじゃないか、と諭されました。

◉司祭が多いのに教会に元気がないのはなぜ?

また、日本のカトリック教会は世界中の教会と比べて司祭の数が多いといいます。自分も子どもの頃以来、さまざまな方から「神父様にならないか」と言われ続けていました。あの言葉のままに、司祭になる方がそれだけいた、ということでしょうか。

それはそれで喜ばしいことなのですが、司祭が多いのに、なんで日本のカトリックは元気がないのでしょう?不思議に思います。

◉求道者と「共に」歩むことを目指して

私たちが自分たちを縛り付けている先入観から自由になること、そして客観的な視点から自分たちを見つめることで、私たちは求道者の悩み、苦しみを素直に受け止め、共に歩むことが出来るように、きっとなれると思っています。

この更新プログラムが、受講している私たちにとって、そして未来の求道者にとって、よい実りをもたらしますように。

更新プログラムで日本人の「頑張り」を考える

カテキスタ 第2期生
チーム西千葉
小岩教会  前田 はる美

◉カテキスタ「更新」の仕組み

東京教区カテキスタは、9月に任命を受け、翌年4月から3年間という期限付きでそれぞれの教会に派遣されています。そして任命から2年が経過すると、カテキスタとしての奉仕を今後も続けるかどうかを決める機会をいただき、4年目以降もカテキスタとして奉仕することを希望するのであれば、半年にわたる「更新プログラム」を受講し、9月に再任命を受け、その後の3年間の任命を受けるというプロセスです。ここで一度辞めることを決心したとしても、将来、更新プログラムを受講すれば、再び戻って来ることができる、という仕組みになっているのです。

2020年9月に認定・任命を受けたカテキスタ2期生は、2021年4月から派遣されていますから、現在、更新プログラムの対象となっていて、8名全員が受講中です。

◉更新プログラムとは?~教会の今を知り、これからを考える~

この原稿を書いている時点で、全10回のうち3回が終了したところです。

第1回はオリエンテーション、第2回は「弟子の召命」がテーマでした。日本のカトリック教会の特殊な現状を具体的な数字で示されたことが印象に残っています。

そして第3回は明治以降の歴史から日本という国の成り立ちを振り返ることで日本人の気質を言葉にして整理していくような内容でした。明治時代の日本政府は、過去のすべてを捨てて欧化主義へと突き進みました。その劇的な変化は、時間軸を見直してみると「たった数十年で?」と思うことがたくさんあります。そして富国強兵に代表される日本人の気質は、今もなお、私たちの無意識な土台として存在していて、欧米人の考え方や行動との違いを感じることも多々あります。

このように全体として「今の日本のカトリック教会を知り、これからの日本の教会を考える」内容になっています。

◉濃密な分かち合いの時間

さて、更新プログラムでは、講座の最後に、講師やスタッフも加わって1時間ほどの分かち合いの時間があります。2期生は1期生と比較して人数が少なかったこともあり、お互いによく知ってはいるし、月に一度の定例会で顔を合わせてはいるものの、こんなに濃い内容の話をしたことはありませんでした。しかも「カテキスタ」としてのそれぞれの経験が、さらに分かち合いをより有意義なものにしているように感じています。

◉「頑張り」をテーマに分かち合い

前回の分かち合いのテーマは「頑張ることを相手に強要したことはありませんか?」。 確かに子供のころから「がんばりなさい」と言われて育ってきましたし、何気なく「がんばってね」と声かけする気がします。日本では仕事でも「頑張り」が認められたりしますが、欧米では結果がすべてと考える人が多いです。とはいえ、努力や頑張りがなければ、その先の結果もないわけだし…。

入門講座の現場では、私たちが受講生に「頑張り」を強要することはないにしても、私たちが、自分自身に「頑張り」のプレッシャーをかけることはあるかもしれません。

また、「頑張り」を美徳とする日本人にはイエス様のたとえ話が響かないこともあるでしょう。

改めて「頑張り精神」の根強さを認識しました。

◉スタッフとの分かち合いを楽しみに待つ

1期生からも、更新プログラムの分かち合いは、とくにスタッフとの分かち合いは得るものが多いと聞いています。過去3回では、まだスタッフの方と同じグループになることがありませんでしたので、これからの更新プログラムを楽しみにしています。 

一致に向けての「分かち合い」

スタッフ
麹町教会  小林 ひとみ

◉更新プログラムは貴重なチャンス

4月15日、初参加。

更新プログラムでは、テーマに沿った講話のあと、少人数での分かち合いとなる。今回は3人グループの全員がスタッフだったので、これまでの流れをうかがう。

それぞれの教会での取り組みなどもうかがえて、貴重なチャンスとなった。感謝!

養成講座スタッフに加わり10か月、スタッフの方たちの穏やかで真摯な姿勢に励まされてきた。

カテキスタとして派遣されている方たち、それを目指す方たちの意識の高さにも刺激をいただく。 そして、指導される司祭たちのお話やご指摘には、いつも感銘を受ける。分かったつもりになっていたことがクリアになり、腑に落ちる。

講座では受講者を前に、このお役目をカテキスタが担うわけだ。400年前の禁教時代にもあった大役。

皆の努力が主に向けられ、伸びやかに活躍できるよう応援したい。けれど、まだ言葉がおぼつかない。

ただ、あらためて「分かち合い」の大切さを感じたので、それを記したい。

◉聖霊の働きの場「分かち合い」

講座でのカテキスタは、同時にファシリテーターとしての役割を担うことが多いと思う。

養成講座で岡田ご夫妻が講話下さった「分かち合い」は、具体的で大切なことを網羅されていた。どのような場面においても役立つ貴重な導きだが、あのように流れるようなファシリテートは簡単にできるものではない。その場をまもり、集う人を繋ぎ、信仰を持って生きる恵みを確かにすること。次回への希望とともに、それぞれの生活へ送り出すこと。時間の管理も必要となる。

核となるのは、そこで分かち合われた語らいが、みことばに支えられて、皆のこころの糧となるということだ。猪熊神父様が「その場にいる人たちと、ともに作ってゆく意識を」と言われた言葉を、そう理解している。「二人または三人がわたしの名によって集まるところには、わたしもその中にいるのである(マタイ18・20)」。

互いに違う生活や価値観を持つ者同士が語るとき、聖霊が働く。

他者の視点を得て、思いがけない気づきが起こることもある。 その流れを皆で受け止め、味わい、一致を感じられたら美しいひとときとなるだろう。

◉コロナ禍を通し、今ともにある恵みに感謝し、一致を目指す

「生きているうちは叶わないかもしれないけれど、わたしたちは一致を目指してゆく」。

10年近く前にうかがった、具正謨神父様のこの言葉が信仰の支えとなっている。

時空間を超えた神のみ手の中で、希望を持ち続け力を尽くす。失敗も大切な糧として、いつか喜びのうちに一致するための一歩にしてゆく。そのようなキリスト者として、ともに、といざなわれ、今に繋がっている。

コロナ禍を通して、私たちは日常の脆さを知った。ニコラ・バレにいらした子どもの代母も、お会いできないまま帰天された。

今ともにある恵みに感謝し、一致を目指したい。

不穏な世界の中で志を同じくする人たちが、祈りのうちに集う、この時間はかけがえない。

みこころに照らされた「分かち合い」が、皆の遣わされる力となりますように。

典礼あれこれ 第6回

「年間の典礼」

今年は5月28日の聖霊降臨の主日をもって、復活節が終わり、典礼季節は「年間」に入りました。それに伴い、祭服の色が白から緑に変わりました。

この「年間」という季節は、「キリストの神秘の種々の面を取り立てて祝わない週間」(「典礼暦年と典礼暦に関する一般原則」43)ではありますが、意味のない季節ではなく、「こういう週間、また、とりわけ主日は、むしろキリストの神秘全体を追憶するもの」と理解されます。

言い換えれば、「年間」は一つの典礼季節として、1年間を通して、キリストの救いの神秘全体を思い起こしていく季節でもある、ということです。特に主日は、古代の教父たちが表現しているように、いわば、週ごとに祝う小復活祭という理解がなされています。待降節や四旬節、あるいは復活節といった典礼季節より前に、「主の日」を大切に祝う習慣が教会には存在していたのです。

この年間主日においては、3年サイクルで聖書が朗読されていきます。

A年には「マタイによる福音書」、B年には主に「マルコによる福音書」、そして、C年には「ルカによる福音書」がそれぞれ福音書の記載順に従って、毎週、朗読されていきます。

主の公現の祝日の後に祝われる年間主日の典礼では、イエスさまの福音宣教の初めが朗読されます。そして、聖霊降臨後の年間主日では、福音書の順に従って、イエスさまの言葉と行いが思い起こされていきます。また、年間最後の主日では、終末への待望が語られていきます。これを継いで、待降節の最初の2回の主日では、主の再臨というテーマが語られます。

このように、1年間の「年間」の典礼季節を通して、キリストの神秘全体を追憶していくのです。

「司祭の祭服が緑になったので、どうでもよい主日の典礼」なのではなく、古代の教父たちにならって、週ごとの小復活祭を心から祝い、主の救いの神秘を毎週、心に刻み続けていくことを、この典礼季節に心がけていきたいと思います。