お知らせ

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Tangible第12号

2023年06月07日

受講生の声

イエス様の足跡を共に歩む

受講者
第5期生
西千葉教会 西井 ゆかり

私はカトリックの幼稚園を卒園しました。

私の父もミッションスクールを卒業したからでしょう、自分の子供には、幼稚園から大学までの間、一度は、ミッションスクールに通わせたいという思いがあったようです。そのため、家の近くの他の多くの幼稚園の中からカトリックの修道会の幼稚園を選んだのでした。幼稚園と同じ敷地内には東京教区の教会もありました。園長先生は大きなドイツ人のお年を召した神父様でした。日本語はあまりお上手ではありませんでしたが、私は、神様、イエス様、マリア様、教会の教えなどの神父様のお話を聞くことが大好きでした。そして、小学生になり、家族の中で、ただ一人でしたが、洗礼を受けるお恵みが与えられました。

小学校低学年のある年のことでした。 教会にいる間に大雪になってしまいましたが、私は一人で家まで帰らなければなりませんでした。教会は大通りから少し奥まった所にあり、だれも歩いてなかったので大通りまでは、小さな子どもがひとり歩くにはとても大変なほど、雪が積もったままでした。その時、「私の歩いた足跡をたどって、歩いてきなさい。」と、園長先生であった神父様が私の先を歩き、おっしゃいました。大きな神父様の大きな大きな足跡を小さな私は一生懸命にたどり、降り積もった雪の道を歩きました。雪に足を取られることなく、安全に安心して歩くことができました。神父様は「信仰も同じですよ。同じようにイエス様の足跡をたどって歩きなさい。」と教えてくださいました。

イエス様の足跡を歩くということは、イエス様の教えに従い、イエス様のように生きるということです。この時に私は、このようにイエス様の足跡をたどり、神様の国へ行きたいと思ったことを覚えています。

しかし、実際は、イエス様の足跡から何度も外れましたし、足跡から外れたいとも思ったことも事実です。幼稚園で神様に出会ってから現在まで、多くの困難や挫折がありました。それでも、苦しみや悲しみを乗り越えて生きてこられたのは、いつの間にかイエス様の足跡をたどるように連れ戻されてきたからです。その時点ではわかりませんでしたが、過ぎ去った後に考えてみると気づかされます。イエス様の足跡から離れたり、離れそうになったりすると、その時々に出会った方たちの影響などにより、私は神様に連れ戻していただいたのだとはっきりわかりました。

現在、私は、カトリック信者として、神様の愛のうちに喜びと希望に生きています。そして、神様の愛を伝えたいと思うようになりました。

それには、理由があります。 「行きなさい」「伝えなさい」と、マタイ福音書に何度も出てくるように、イエス様ご自身の言葉があります。何よりも、神様の愛を必要とする人々がたくさんいます。そして、私はどうしても誰かに話さずにはいられないのです。しかし、私には、神学的知識や、人に伝えるための国語力や、考える力などの能力がないと十分わかっていましたので、自信がありませんでした。

そのようなことを考えている時、同じ所属教会のカテキスタになられた方からお声をかけていただき、東京教区カテキスタ養成講座の募集を知りました。 お話をしているうちに、このような私でも神様の道具として、私をお使いになってくださるのではないかと思い、養成講座に申し込みました。 神様の愛について他の人々に伝えることは、私自身と神様との関係からできることです。神様と共に歩んでいる時、人々に語ることが自然にできるようになるのではと思いました。

祈りの内に、聖霊の導きにより、人々に、神様の愛について伝えることができるように、そして、イエス様の足跡を他の人々と、特に入門者の方々と共に歩んで行くことができるようになりたいと思っています。 

ご案内

教区カテキスタ養成講座 第6期受講生の応募締切日が迫っています。

各小教区主任司祭宛に送付されている応募要項をご一読のうえ、お志ある方は、以下のように期日までにお申し込みください。お待ちしています。

■申込方法:「申込書」に必要事項を御記入のうえ、他の必要書類とあわせ、締切日に間に合うように下記の住所まで、直接郵送して下さい。後日、講座についての通知をさせていただきます。

〈申込先〉〒112-0014文京区関口3-16-15
東京大司教区 生涯養成委員会「教区カテキスタ養成講座」係

講座申込締切日:2023年6月23日(金) 17:00必着

みなさまのご応募をお待ちしています!

現場の声

新しい試み、新しい出会い?

カテキスタ 第1期生
チーム葛西・チーム神田
築地教会 田中 洋子

チーム神田のフォローアップ講座、今年のテーマは「食べたり飲んだり イエスの横顔」!

いかにも私たちらしいテーマだな、と感心してしまいました。 聖書には意外にも、「食べたり飲んだり」の場面が多いのです。それを考えていくことで、「食」の持つ意味、「食」の環境、「孤食」の意味、反対に「共食」の意味、「食べ物」の持つ意味、「食べる」ことの持つ意味…、いろいろな面から人として私たちと同じように「食べたり飲んだり」したイエスに近づくこと、また、彼の持っていた旧約聖書の「食」のイメージに近づくことができるかも。

興味津々で用意を始めましたが、なかなか思うようには行きません。

フォローアップということで、ある程度、聖書の知識を持つ信者さん、ないしは、入門式近い方などをイメージしていたのですが、「どなたでもどうぞ」というスタンスですから、全くキリスト教に縁のなかった方がいらっしゃるかもしれません。対象が絞りにくいのです。言い換えれば、どなたにも問いかけられる問題でなければ意味がないということ。

模擬講座を始めてみましたが、まず時間の使い方が難しい!

入門講座とは違い、みなさんとの「分かち合い」が主眼となります。「分かちあい」は結論を目的とする物ではなく、み言葉から触発されたみなさんの心の声が聞きたい!でも、それを引き出すのが誘導になってはならず…。

み言葉を味わうための静かな沈黙の時間も必要です。

担当者の周到な時間配分が必要になってきます。

ともかく「詰め込みすぎ」なのです、私たちは!

もっとみ言葉に信頼して、み言葉の語りかけに任せて、という毎回の反省を経て、4月に第1回目の講座が行われました。 誰一人参加者がいらっしゃらなくてもという覚悟で臨んだその日、思いがけず出席者に恵まれ、聖書の言葉に触れ、担当者の周到な準備のおかげで、私も実り多い「食」の言葉との出会いができました。

これから1年にわたる冒険が始まります。

うまくいくだろうかという不安はともかく、出席者の皆さんとの実り多い分かち合いに期待を寄せています…でも、きっと大丈夫!主が面白そうなお顔で私たちと共にいてくださいますよ、きっと!

忌憚なき意見をぶつける

カテキスタ 第1期生
チーム松原・チーム神田
世田谷教会 鈴木 敦詞

今年4月、チーム神田では、東京教区カテキスタたちによる、初のフォローアップ講座が開始されました。今現在、教区には、チーム松原と並び、2つのフォローアップ講座が設けられていることになります。

この講座の開講に向けて、今年の初めから、受講者なしで、チームのメンバーとなるカテキスタの有志たちが集まり、実験的な運用に向けての練習をそれぞれのメンバーが1回ずつ、計5度繰り返しました。

チーム神田の際立った特徴として、司祭1名と信徒5名のチームですが、信徒と司祭の上下関係を排除し、メンバー全員が自由に発言するように努めたということで、これは画期的なことだと思っています。

いわゆる聖職者中心主義からの脱却というのは、急を要する重要な課題ですが、公会議以降の教会の急激な変化、そして、信徒たちの多様な年齢層と社会経験の多様性ということが、おそらく主な原因で、現実には、伝統を引きずった教会、教区のあらゆるところで、信徒や司祭の意識が変化していくことが大変に難しいことになっています。

信徒側でも無意識に今までの慣習を引きずり、受動的に司祭に作業の指示や、結論や方向性を出してもらうのを待っている、司祭もワンマンで一方的な態度をとりコントロールをしようとする、という悪癖が、程度の差はありますが、いろいろなところに見られます。

チーム神田は、新しく組織し発足したフォローアップ講座ということで、その点をはじめから全面的に無くしていこうという姿勢が、司祭にも信徒側にも強くありました。

今、思い出してみると、「まったく何も響いてこない」という全面的なダメ出しも時にはありました。「だらだらと朗読が長すぎる」「説明が多すぎる」「頭でっかちで神学的なことを並べても全く響いてこない」「そもそも、怒鳴りつけていたのでは、参加者と分かち合いなんかできるわけがない」などなど、いつもこのような喧嘩腰ではないのですが、お互い、かなり正直に批判作業をしたのは事実です。

当日話すだけではなく、後日、メールでいろいろな意見交換も頻繁になされました。そして、日時が経過して、自分の問題点がクリアに見える、といったことも少し経験できました。

その結果、意見の忌憚のなさ、遠慮のなさでは、おそらくどのチームの引けをもとらないくらい、皆、図々しく活発に、真剣そのものの批判、意見交換ができるようになってきたと思います。

ただし、こういうやりかたが、いつもできるとはかぎりません(人の個性、性格もありますし、人間関係とタイミングも大事です)、圧迫的な嫌な雰囲気にならないようにすることが必須条件だと思います。

まず、第一に友情、信頼関係があり、その上に正直な意見が続く、という順序であるべきで、逆では何もはじまりません。

まだまだ、向上しなくてはならないと思います。

講座の担当者はプレッシャーがあり大変ですし、準備にも時間を大変とられます。とはいえ皆、それぞれ工夫してよりよい運用を模索してきたとおもいますし、これからもそうしていくでしょう。

本当の気持ちをぶつけた批判になっていたので、皆、いろいろと、内心傷ついたり、悩んだりすることもあったと思います。人の気持ち、感情に配慮することがまず一番大切だと思います。

ともあれ、少しずつ、問題点を冷静に見つめて、徐々に徐々にしか私たちはよくなっていけないものだと思うし、時間が経てば、もっと響くような批判や、目覚ましい建設的な意見というのを出せるようになる日が来る、ということを、私は信じています。

そしてその上で、いつも絶対に忘れてはいけないのは、互いの信頼、大胆さ、自由さ、なによりも福音を伝える喜び、そして福音そのものの力強さです!

これらの点を、特にしっかりと押さえていこうと思っています。 世の中の危機的状況を考えると、まさに今こそ、福音を伝えなければなりません!

そのためには、練り上げて鍛えなくてはならない。知恵と賢慮、心の強さと柔和さ、謙遜さを聖霊に願うほか、方法などない気がします。

今はまだ、苦しい時かもしれないけど、今が踏ん張り時。このことがいつか実る時が来ると信じて。 ◆

学びあい、支えあい、わかち合い、祈りあう 東京大司教区「フォローアップ講座」

神田教会

「祈りの集い」と「フォロー・アップ講座」
最寄駅:JR「水道橋駅」

スケジュールはこちら

松原教会

フォロー・アップ講座(分かち合いの集い)
最寄駅:京王線「明大前駅」

スケジュールはこちら

どなたでも参加できます! 少しでも興味のある方は日程をご確認の上、ふるってご参加ください!

典礼あれこれ

第5回「復活祭の典礼」 典礼刷新の精神

教会の現代化を目指して開催された第2バチカン公会議(1962年~1965年)の実りとして、それまでローマ典礼では、全世界においてラテン語で捧げられていたミサの刷新と国語化が行われるようになりました。日本においても、それまではラテン語のミサが行われていました。

この公会議で最初に発布された文書は『典礼憲章』(1963年12月4日可決)ですが、この文書の中には、典礼刷新にあたり、いくつかの点が強調されています。その一つは、キリストの過越の神秘の記念から典礼を理解しようとすることです。なぜなら、教会がキリストの死と復活を思い起こすことを通して、教会の中に救いの力が働くからです(年間第2主日 奉納祈願 参照)。

また、「典礼は、教会の活動が目指す頂点であり、同時に教会のあらゆる力が流れ出る源泉である」(『典礼憲章』10条)とその重要性が強調されています。

典礼刷新の精神として、『典礼憲章』は、次のように述べています。「この刷新によって、式文と儀式が示す聖なることがらがより明らかに表現され、キリストを信じる民がこの聖なる事柄をできるかぎり容易に理解し、十全かつ行動的に、そして共同体自らが執り行うことによって参加することができるよう、式文と儀式を整える必要がある。」(『典礼憲章』21条)

現代に生きる私たち一人一人が、共同体として、主の過越の祭儀に十全かつ行動的に参加することがここに表現されています。心を込めて主のみことばに耳を傾け、心を合わせて祈願に「アーメン」(「そうなりますように」「その通りです」の意味)と答え、意識的な沈黙を作り出すことによって祈りの雰囲気を作り上げ、声を限りに賛美の歌を神さまに捧げる、といった神の民の行動的参加が求められています。「ミサは司祭だけのもの」では決してなく、「司祭と会衆が共にささげる」ミサであることを今回は強調したいと思います。

あなたもカテキスタの仲間になってみませんか!

「教区カテキスタ養成講座」への申込みを考えてはいるものの、今ひとつ、決断がつかないあなた。 どうぞ、一度、講座を見学しに来て下さい。事前に専用ダイヤル(080-8888-6943)までご一報をお願いします。