Tangible 第2号

2022年06月07日

教区カテキスタ養成講座 受講予定者の声

信仰の証し人になるために…

受講予定者
元第3・4期生、第5期生候補者
高円寺教会
長野美都子

2021年10月に開講されるカテキスタ養成講座の受講を認めていただき、少々の不安と意気込みを持ちながら、待っていた9月末のことです。

胃腸の不調を感じて受診をしました。 まさかの新型コロナ〈陽性〉でした。

デルタ株が収まってきた時期なので、保健所や病院が混むこともなく、全てがスムーズに運び、検査結果が出た翌日には、ホテル療養となりました。

短い時間に関係各所に連絡し、猪熊神父様にも「コロナ感染のため、療養生活に入りますが、順調に回復すれば10日間で家に帰れると思います」と連絡しました。

途中で少々、症状の悪化があり、一時的に入院しましたが、コロナとしては軽症であり、11日目に帰宅することができました。

養成講座の開講日にも間にあい、やれやれとほっと一息。会社にも復帰しました。講座は、無事、始まりました。

しかし、1か月経っても一向に元気にならず、むしろ寝込むことが多くなりました。「もしやこれが後遺症というモノなのでは?」と、いくつかの病院と電話相談窓口に問い合わせましたが、「うちでは分からない」「専門の病院に行くように」と言われ、後遺症外来を探して連絡しました。予約は既に1か月待ちでした(現在でも後遺症を診てくれる病院は極端に少なく、常に混んでいます)。

その間、私はフラフラになりながらも、通常と同じように出社もしていました。猪熊神父様の講座は大変興味深く、毎回ワクワクしながら、そして同時に、「自分にカテキスタができるのかな?」と不安を持ちながらも、毎回、講座には出席していました。毎回、その内容に圧倒され、引き込まれていました。自分の知識不足に青くなったり赤くなったりしていた頃、ようやく、後遺症外来に行く日が来ました。

診断の結果は、「あなたの後遺症は、かなり重い方です。今すぐすべての活動をやめて、全力で療養しないと寝たきりになる可能性があります」とのこと。医師から通達を受け、その場で会社に対する診断書(当初は2か月の出社停止)を渡されました。

会社の上司に連絡を取り休職に入りましたが、内心では「なんとか1~2週に1回のカテキスタ養成講座は出られないだろうか」と思っていました。

しかし、医師の言う通り、本当に体調不良がひどいので、何度も、突然、休むことになるかもしれません。スケジュール調整をしてくださる神父様にも、仲間の受講生たちにも迷惑をかけてしまうことは間違いなく「今期はリタイア、できれば来期で受けさせていただけないでしょうか?」と、お願いしました。

猪熊神父様は、快く承諾してくださり、そして、私の身体を心配してくださいました。いつも祈ってくださいました。

当初、私は診断書が2か月休職だったことから、その程度休めば復帰できると甘く考えていましたが、2022年4月末になった現在でも、通院以外の外出はできない状況です。家事も休み休み、最低限のことしかやれません。

後遺症の症状は、「もぐら叩き」と言われるほど、多種多様な異常が次から次へとあらわれて、まったく、ゴールが見えません。

また、症状によっては専門医に診てもらう必要があるので、今も4つの病院と、鍼灸院1つ、整体院1つに通っています。

山のように薬を飲み、行動療法と食事療法もあります。

今までに薬や治療によって克服した症状は、それこそ何十とあるのですが、新たな症状がひっきりなしに出てきます。

現在はひどい眩暈(めまい)に苦しめられて、音過敏や光過敏によって、スマホやパソコンの作業も連続30分が限度です。

後遺症発症から数か月が過ぎた頃、今度は会社から「2022年6月までに復帰のめどが立たないなら退職」との通告が来て、その時から精神的にも参ってしまいました。

収入が無くなったらどうやって生きていくのでしょうか?

治療法も確立されておらず、たいしてデータの蓄積もない新しい病気です。

ブレイン・フォグ(註/「Brain Fog」とは、「頭にモヤがかかったようにボンヤリしてしまい、考えたり集中したりするのが難しくなってしまう症状のこと)にも悩まされました。あんなに本が好きだったのに、本が読めなくなったのです。A4の紙1枚の文書も頭に入りません。

記憶力も信じられないほど低下しました。理解力、判断力もおかしいし、まるで認知症になったかのようです。

「私の脳みそ、どうなっちゃったの?」と思い、恐怖にかられました。

「働かないと生きていけないんですけど」と、後遺症の主治医に仕事復帰を願ったこともあります。

でも、ここが本当に幸運なできごとだったのですが、主治医は本当に親身になって、私のことを全力で止めてくださいました。

「いいですか、長野さん。ここで無理したら、本当に寝たきりになりますよ。あなたは、当初より、ちゃんと良くなってます。今、無理をしては絶対にダメです。寝たきりってどういうことか分かりますか?オムツをして、自力で食事もできなくなります。そうなったら、あなたの介護一切する人が必要になるということです。つまり、あなたの家族なり、誰か周りの人生も変わってしまうのです。あなたは今、自分で食事もできる、通院もなんとか来られる、トイレにも行けるでしょ?」

確かに、最も悪かったときの私は、パフォーマンス・ステータス8でした(註/パフォーマンス・ステイタス「Performance Status」とは全身症状の指標のことで、8はトイレと食事以外は、ほぼ寝たきりの状態を指す)。

受診した時点で6、半年経過した今は4~5をウロウロしています。主治医は、会社に出社(通勤)して良いレベルは、0か1と言います。道のりは遠いと言わざるを得ません。

また、主治医はこうもアドバイスしてくれました。

「躊躇なく、誰のどんな助けも借りなさい。必要なら精神科や心療内科に行きなさい。迷ったり惜しんだりしないで。」

その頃は、不安と焦りから睡眠障害もひどく、何もできない自分をふがいなく思い、心の状態も最悪でした。

とりあえず「眠れるようにしてほしい」と、心療内科を受診しました。それまで昼間はスマホやテレビ、YouTubeなどで気を紛らわせ、できるだけ自分の状況を考えないようにしていましたが、夜になると「なぜ、こうなったのだろう」「なぜ、私なのだろう、私がいったい、何をしたっていうんだろう」「何をやっても良くならないではないか」と不穏な感情が出て来て、希望や何の疑いもなく信じていた明るい未来を打ち砕いていくのです。1日中、泣いてばかりでした。

身体の痛み、経済的な困難、心の打撃が襲ってきて、KO寸前でした。

猪熊神父様が、何度も、何度も定期的にメールをくださり、励まし続けてくださったので、ありがたくて読むたびに号泣です。

「必ず時が来るから。神様はちゃんとしてくださるから」と。

そうです、私たちの信じている神はそういうお方です。それは疑いなく信じています。

猪熊神父様をはじめ、多くの信仰の仲間が祈ってくださっていることは知っていながら、私自身は神に祈れない状態が続いていました。

何をどう願っていいのかも分かりませんでした。

「どうしてこんな目に合わせるのか。あなたのために働こうとしていたのに」と直談判する勇気すら持ち合わせていませんでした。

心療内科で入眠剤と抗うつ剤処方、併用してカウンセリングを受けていくうちに、心は少し回復してきました。

私は黙想の中で本当に久しぶりにイエス様に語りかけました。

私は石段に腰掛け、通りを眺めています。向こう側をイエス様が歩いていました。ぼんやり見ていると、こちらを見て近づいてきてくれました。

レビに声をかけたように「私についてきなさい」とおっしゃる。

私は「イエス様、そうしたいけど、足が痛くて歩けないのです」と言いました。

イエス様は、立ち去らずに私の隣に腰掛けました。そして、道を行き交う人々を一緒に見るようにと、言われた気がしました。

その頃、現実の生活で音過敏や光過敏、ブレイン・フォグがいよいよ強くなり、テレビもラジオも本もスマホも利用できず、もちろん気分転換の外出もできず、食事制限があるため、質素な物しか食べられなくなっていました。

そういう状態で「楽しいことが何もない」と、信仰の友に愚痴を言ったら、「まるで修道士のような生活だ。ある意味、神様の一番おひざ元にいるんじゃないか?」と言われて、そうかもしれないとも思い始めました。

イエス様が「ここに留まり、人々を見よ」とおっしゃるなら、気づいたことはたくさんあります。

病気がいかに辛いか。お金の無いことがいかに不安か。認知症になってしまう恐怖がどんなものか。

人の役に立たないという現実がどれだけ自分を打ちのめすか。

とりわけ、そういう人たちが愛されることが、どれだけ難しいのかということも…。

人間は、自分に都合の悪い人を愛せないもので、去る人はどんどん去っていくのです。それなのに、私には、猪熊神父様をはじめ、私を気にかけ、祈り続け励まし続けてくれる方々、全力で治療してくれる何人ものドクターがいるのです。

家族も「今までのように働けないなら、新しい生き方をすればいいじゃない」と、なにも責めず受け止めてくれます。 何もできなくても、ただ愛されるだけの人に私がなれたのは、周囲に本当に愛することができる人がいるからです。

かつて、船越保武氏の彫刻展を見に行ったことがあります。

氏は脳梗塞により彫刻家の命である利き手を動かすことができなくなりましたが、残された左手で後の作品を作りました。その作品はすごく私の心を打ちました。率直に「以前の作品より響いた」と感じました。

神様は大切なものを何か奪うのでしょうか?それなのに、前より素晴らしくなる人がいるのは何故なのでしょうか?まったく違うステージに上がったかのように。

よほどの奇跡がない限り、私は6月に職を失うでしょう。そして、この病気がいつ治るかも分かりません。もし、家事や仕事ができるくらいに回復しても、特効薬が出ない限り一生要注意のようです。

それでも、今は、カテキスタの養成講座を受けて、いずれ、だれかのために何か手助けができたらいいなと思っています。

それまでは、多くの方の手助けを受ける側にいます。愛されることはとても大切ですね。

主が「さあ、起きなさい。立って、床を担いで歩きなさい」と言ってくださる日を待っています。

いつか、まだ見ぬ皆様のお役に立つ日が来ることを願っています。そして今、戦争・貧困・病気・困難の中で希望を失いかけている全ての人のために祈っています。

こんな私のためにも、皆様、どうかお祈りをお願いします。


編集者記◉長野さんは、上記のように、今も療養生活を続けながら、第5期生として、カテキスタ養成講座に参加なさることを希望していらっしゃいます。しかし、体調によっては、それも適わず、再び、参加を延期せざるを得なくなるかもしれません。それでも、御本人は諦めないとのこと。希望のうちにあります。まるで、ヨブ記を目の当たりにしているかのようです。第6期、あるいは、第7期生…になるかもしれません。当初、第3・4期生として、原稿を依頼していましたので、今回ここに、良きタイミングであると判断し、お預かりした原稿を掲載させていただきます。皆様の、極めて具体的な応援をお願いします!

「更新プログラム」参加者の声

教区カテキスタは、3年という年月を区切っての奉仕職です。途中、何かあったら何時でもこの奉仕職から離れることができ、また、何時でも戻ってこられる仕組みです。このプログラムに参加し、面接・面談を経て、大司教へ再任命の申請をすれば、さらに3年間、教会における奉仕職に励むことになります。それが「更新プログラム」です。

主の息吹に吹き寄せられて

スタッフ
徳田(とくでん)教会 
足立眞由美

ある主日のこと、「あなた土曜日って、時間あるの?」、当時の主任司祭の一言で、東京教区のカテキスタ養成講座に、スタッフとして加わることになりました。

東京教区生涯養成委員会…、信徒の養成…、共同宣教司牧…、羅列する漢字に引き気味の私でしたが、「チャレンジしてみます」とお伝えすると、担当司祭の猪熊太郎神父様は、「チャレンジなさっているのは神様です」とそっけなく答えられました。

3年の準備期間を経て、第1期生たちの募集が始まっていた「東京教区カテキスタ養成講座」は、これまでにないオリジナルの素晴らしいプログラムです。

カトリックの教理だけではなく、聖書箇所からひもといて父である神と出会い、イエスの死と復活、三位一体、秘蹟について、また、日本の近現代史と教会の関係から、教会の組織と経済に到るまで、さらには、霊的な「分かち合い」の実習や、与えられたテーマに沿って自らの信仰体験を、入門者・求道者に語り、共に歩くための実践をするなど、講座開催の部屋の真ん中には、イエスが座っておられることを感じることができます。

私は、洗礼の準備をしていた時、このような内容の話を聞いたことはありませんでした。

養成講座を修了し、大司教様から認定・任命を受けた後、受講生たちはカテキスタとして、東京教区内の6つの指定教会に「チーム」のメンバーとして、派遣されていきます。

ここでいう「チーム」は、単なる仲良しグループではありません。共に歩くことを具体化するためのチームです。

一方には、受洗希望者と一対一で寄り添うことが良いとする考えがあるかも知れませんが、教会を訪ねて来られた方のプロフィールも知らないうちに、ベストマッチの伴走者をあてがうことは、とても難しいことです。

チームのメンバーになる時、器用な手・良く聴こえる耳・巧みな言語能力を羨む必要はありません。なぜなら、それらは、チームの中に既に用意されるからです。神様は、全てご存じのうえで、いつも、足りないものを加え、与えられるからです。

このチームは、東京教区の場合、司祭・カテキスタ・スタッフの混成です。問題があれば、祈り、智慧を出しあい、勇気を持って、解決の道を探ります。司祭ですら、チームにおける象徴的な存在ではなく、共に仕え合い、共に歩き、時には、走るフロントランナーとなります。 「

決して、誰かをひとりにしない仕組み」がここにはあります。

この4月から、教区カテキスタ第1期生たちの「更新プログラム」が始まっています。

コロナ禍で制限を受けながらも、多くのチームで受洗者を送り出すことができた第1期生たちは、カテキスタとしての現場を経験したうえで、「まだ、ブレイクスルーしていない。更新して、奉仕を続けたい」と聖霊に強められて、このプログラムに参加しています。

高齢化する信徒、減少し続ける司祭など、教会の現実を見つめれば、教会に来られた方々を、自分たちの小教区だけでなんとかしようとするのではなく、定期的に入門講座が開催されている、教区の6つの教会に送り出していただくようお願いします。

私は、日常に、和装をすることが多いのですが、古くから着物の文様に「吹き寄せ」と、呼ばれるものがあります。さまざまな木の葉や花が、風に吹かれて寄せ集められた様子を表現したものです。

聖霊の息吹によって集められ、招かれた私たちは、まさに「吹き寄せ」の集まりです。多様性・ダイバーシティなどと構えることなく、この美しい日本語で、私たちの目指す方向を表現したいと思います。

キリストに「触れられ」、カトリック教会の扉の前に立ち、ドアノブを回して入って来られた方々を、私たちは「吹き寄せ」られた「チーム」で迎え入れ、共に歩いて行きたいと思うのです。

良き道具となるために

カテキスタ第1期生
チーム葛西
築地教会
田中洋子

カテキスタ養成講座に参加し、勉強を始めた頃は、まさかコロナという聞いたこともない流行病で、1年半から2年近くも、日々の行動が制限されるとは思ってもいませんでした。ミサへの参加が制限を受けたり、復活祭もできなかったりしたことも、生まれて初めてのことでしたが…。

養成講座募集の案内には、一言半句も書いていなかった「模擬授業」に度肝を抜かれ、「大変だ~」とそれから準備に走りまわり、他の受講生の皆さんの模擬授業に胸を熱くしたりして、やっと迎えた認定・任命ミサの前々日、思いもかけず義理の母の死にあい、熊本から「ああ、今頃、認定・任命ミサだなぁ」と思いながら、孝行のかけらもできなかった義理の母の棺に寄り添っていました。

こう考えてみると、カテキスタとしての歩みは、ここまででも随分と波乱万丈でした。ところが、チームとしてスケマ作りに取り組んでいるうちに、大切な仲間の一人が転勤となり(その頃は、4人くらいで、こっそり「さよなら会」もできたのですが)、さぁ、4人でフル稼働だ!と思ったのも束の間、今度は、コロナによる教会活動の制限で、1年半近くも入門講座を開くことができなくなりました。

この間、葛西教会の主任司祭である柴田神父様、教会委員長さんには、カテキスタの仲間たちが葛西教会から3人も出ていることなどから、親切に迎えられ、よくしていただき、感謝の言葉もありません。

受講生の方々からも、「講座を続けていただきたいのに」と言われ、こちらとしても断腸の思いでした。イエス様の招きの声が遠くならなければいいがなぁ…と。

ああ、しかし、なんという傲慢だったのでしょう。 イエス様は招きの声をむしろ強めてくださいました。

5ヶ月近くの中断の後、講座を再開した時、受講生の皆さんは「谷川の水を求めて」いたように、また、集ってくださいました。

多くの学びの機会がありました。 自分が講座を担当した時、副担当でお手伝いしながら講座を聞いていた時、受講生の方々と一緒にミサに預かっている時、彼らの洗礼のための書類を準備しながら、嬉しかったけど、「これは、神様の働きなんだ」と心の底から思いました。

私たちは神様の道具。イエス様が使いやすい良い道具でなければならない、と。

やっと、講座の1サークルが終わりました。 なんと長くかかったことか。

でも、それだけチームは強められました。 私の足りないところ、できないところをチームの皆が補ってくれました。

そう、私たちはチームなのです。一人では足りないこと、できないことがいっぱい出てきますが、助け合って、頼っていい仲間がいるということは、なんという慰めであり、力であることか!

3年前までは顔も知らなかった大人たちが(いろいろなことはありますが)、今は頼りになる仲間なのです。

これも一つの奇跡でしょう。 人間ですから、至らない点や合わない点があります。それらを含めて、私はチーム葛西で奉仕できたことに感謝しています。

でも、いつも同じところに留まることを、主はお許しにはなりません。

チームも、いつか新しくなっていきます。

大人が新しいチームを作っていくのは、正直たやすいことではありません。でも、それができた時、受講生だけでなく、私たちも、いいえ、私たちこそが「変えられて」「新しくされて」いくのだと思います。

それこそが、永遠・普遍の真実をお伝えしていくための、良き道具になる道なのではないでしょうか。 コロナに振り回され、回り道の連続だったこの3年間が、掛け替えのないものに思えてきました。

ご指導くださった大司教様、神父様方、スタッフのみなさん、そして、1期生・2期生のカテキスタの仲間たち、そして、受け入れてくださった葛西教会の方々、受講生の皆さん、本当にありがとうございました。

さぁ、良き道具とするための新しい第1歩です!

受講生の声

カテキスタ養成講座を受講して

受講者第4期生
習志野教会
田中 潤

サラリーマンとしての勤めが、あと2年半になったとき、ふと考えました。

「40年会社の中で、生産現場、事務方、営業、社員教育などの色々な仕事をしてきた。どの仕事も大変だったけれど、一生懸命やってきた。そして、仕事が忙しい中、教会の役員やカトリック船橋学習センターの運営も頼まれて、数年間やってきた。でも、教会の役員やセンターの運営は、仕事のスキルと同じだよなぁ。自分は、カトリックの教えをまともに学んだことはなかったなぁ。幼児洗礼だから、カトリック要理の知識は、教会学校レベルだし。信仰は浅いよなぁ。このままでいいのだろうか」と。

しかも会社の定年前セミナーで、日課を書き出す課題があり、空白が多いことに気づきました。仕事人間ほど、仕事を止めたらガクッとくるとも言われました。毎日が日曜日となったら、何もすることがないというのは、辛いこと。定年後は、「教養(キョウヨウ)=今日用」を持つことが大切だと言われました。

では、自分は何をすべきか。

いろいろ考えました。図書館に通い、趣味や読書にいそしんでも、飽きが来るだろう。もっと人の役に立つことをしたいなぁ。

そんなある日、カテキスタ養成講座のポスターを見ました。

カトリックの教えをキチンと学び直して、カテキスタとして、教会や人々に奉仕できるのではないかと思いつきました。でも、「勉強がたいへんだよ」と、教会の人々には言われます。悩んだ末、カテキスタとして活躍している先輩や神父さまたちに相談したら、「是非やりなさい」とのこと。

でも、私は「物覚えが悪いのです。日本語も含めて、語学が苦手なのです」。神父さまは「何とかなりますよ」。「そうですか、では、神様にゆだねましょう」と云うことで、勉強をまた、始めた次第です。

ということでしたので、毎回、教会の教えの基本的なことを学び直しています。

コロナ禍で、カテキスタ養成講座が途中で中断した3期生たちと、私たち4期生が机を並べて勉強しています。カテキスタの先輩たちが、模範授業をしてくださり、実践で身に着けた語りに、毎回、感心しています。猪熊神父さまの「本質はここだ」の解説は、心に深く刻まれます。

一番心配だった仕事をしながらの勉強も、コロナ禍で空いている通勤電車の中で本を読み、昼休みに物事を調べたり、発表資料を作ったり、高校生・中学生のように、しっかりと勉強です。

ただ、人に『教え』を伝えるということは、仕事のスキルと全く違います。

仕事のプレゼンテーションは、ポイントをいかに確実に伝えるかですが、求道者には、「イエスの姿を、私はどう受け取って、実生活で活かしているか」を心を込めて伝えないとなりません。

ビジネス脳から、教会脳に頭を切り替えないとなりません。実に、学ぶこと、身に着けることが多くありますが、学ぶ喜びを感じています。

私にできるのは、求道者に、ほんの第一歩をお伝えするだけです。私が担当する求道者が、ベテランの社会人であれば、今の教会ならば、柱にもなると思います。若い方ならば、将来、修道者や神父様になるかもしれません。もしかしたら、未来の教皇さまになるかもしれませんね。そんな夢を持っています。

様々なものを背負って教会の門を叩いた求道者の手助けが、少しでもできればと思っています。

現場の声

一人ひとりの個性で…

カテキスタ第2期生
チーム関口
麹町教会
嘉藤まゆみ

 

主の平和

関口教会では、コロナ禍の中で入門講座がスタートしました。受講生やカテキスタのメンバーたちも緊張気味の中、第1回となるオリエンテーションが始まりました。

講座後の受講生たちとの何気ない会話を通して、講座の回数が増すごとに、緊張も和らいでいきました。

2022年4月の最後の講座では、受講生一人ひとりから感謝の言葉をいただき、また、何よりも、受洗の喜びに輝く笑顔を見た時は、とてもうれしい瞬間となりました。 クスクス笑いながら、受講生の一人から「カテキスタの皆さん一人ひとりに個性があって楽しく、良かったです」と言われた時は、ホッコリとした気持ちになりました。

カテキスタとして、受講生の前で話す緊張感には、まだ、慣れずにいます。コロナ禍において、仕事と講座を両立すること、また、時間をいっぱいに使って話すことの難しさもあります。それでも、1期生や2期生からのアドバイス、友人たちの励ましをいただきなら、奮闘中です。

いつも講座前に早くいらして下さり、聖書の準備をはじめ、細やかな気遣いをしてくださる関口教会のサポート・スタッフの皆様、講座前の励まし、講座後の助言、ありがとうございました。感謝しています。

2022年4月23日、関口教会では、新しい受講生を迎えて、講座がスタートしました!2023年春に受洗の喜びを一緒に迎え、分かち合いたいと思います。

復活祭を終えて

カテキスタ第2期生
チーム関口
板橋教会
長澤重隆

カテキスタ講座・関口チームの受講者は、当初7名の参加で始まり、復活祭までに4名の方が受洗されました。ベトナム籍の方が結婚のため1月に先行して本郷教会で、他の方は関口教会、瀬田教会、初台教会でそれぞれ受洗されました。他の3名は、結婚されたベトナム籍のパートナーの信者、昨年、関口教会で受洗され、司祭のすすめで入門講座を学び直す信者、そして、講座に途中参加したために、今年も講座を継続される方でした。

受洗された受講者の皆さん、本当におめでとうございます。

大きな恵みのうちに喜びに満ちたものとなったでしょう。そして、私たちカテキスタにとっても、カテキスタ講座を通しての初めての受洗者であり、その喜びと感謝は言い尽くせません。

思い返すと、東京教区でのカテキスタ養成は2018年4月から開始され、2019年の復活祭後に入門講座が開設できる予定でしたが、同年1月からCOVIT19コロナ感染が初めて世界的規模で拡がった影響で、約1年間、スタートが遅れてしまったのです。

関口教会チームの入門講座は、結果的に、2018年9月認定の第一期生3名と、2019年9月認定の第二期生2名が合流して、2020年復活後の講座開設をめざしてさまざまな準備を始めました。

準備内容は多岐にわたり、一つは、約1年間の入門講座の計画~講座の回数、内容、受け持ち担当(主・副カテキスタ、広報担当)であり、もう一つは、開設する関口教会との確認事項~主任司祭、教会委員会、使用できる部屋や利用方法、教会内の他の入門講座との打ち合わせなど、また、講座をサポートしてくださる、関口教会スタッフの配置の可否などでした。

準備段階で課題となったのは、月1度の派遣前講習やカテキスタ定例会の約1時間程度では、カテキスタ5人の話し合う時間が少ないと感じたことでした。打ち合わせが足りない時は、ZOOMミーティングも行いました。打ち合わせでは、入門講座の内容やテーマ、引用する聖書箇所などについて、どのように受け止め理解し、自分の信仰を伝えようとしているのか、カテキスタ同士が互いを理解するようと努めました。これは少なくともお互いが仲間として、信仰を求める方々へ奉仕する絆を醸成することになったと思います。また、受講者から質問や意見が出た時に答えることができない場合、次回の講座で対応することも想定し、カテキスタ同士のコミュニケーションを深めることができたのでした。

そして、講座開始が近づくにつれ、オリエンテーションの大切さがひしひしと感じられ、講座登録の手続き、受洗希望や所属する教会の有無と推薦状の提出、出欠確認やその方法、コロナ対策のための諸注意など、具体的な手続きはたくさんありますが、これらを簡明にできるよう準備しました。

これは初めての受講者との交わりを大切にしたいからで、受講者の人柄や受講の動機や意向を理解するために、オリエンテーションでは、できる限りコミュニケーションを大切にしようと打ち合わせを重ねました。

結果として、オリエンテーションでは受講された皆さんやスタッフの皆さんとも打ち解けた雰囲気が生まれました。また、登録手続きも含めて受講前には、個別の面談で登録手続き等を行うことができました。

さて、入門講座は、2021年5月に開設する予定が、またもやコロナ対応のため延期となりました。関口教会の主任司祭と相談を重ねながら、予定していた講座回数が減らないように講座計画を一部変更するなど、ようやく、7月に開講することができたのでした。

講座は、主担当と副担当2名が参加するのですが、私たちは受講者をより知るため、また、主担当の講座を一緒に聴講して互いに学び合うため、しばらくは全員が、講座に出席することにしました。これはとても良い相乗効果を引き出すことができたのです。それぞれのカテキスタの講座で、新しい学びや気づきにつながり、互いが高めあうことができたと思いました。

また、主担当が一方的に話しをするだけではなく、受講者から質問や意見を求めることや、他のカテキスタから受講者の理解を助けるための一言コメントを求めることによって、少しずつ受講者が話しやすい雰囲気が生まれていったのでした。

実際の講座で、受講者が下を向いて席に座っている姿を見た時、私たちの講座が、知識偏重で単なる説明になっているのかな、言葉が足りないのかなと気づかされることもありました。こうして回を重ねる毎に、講座修了後の受講者との雑談の機会も増え、それぞれの事情や本音の会話も得ることがあり、信仰と親交を深めていったと思います。

講座の後半になって、受講者のお一人から印象深い質問がありました。 それは、「講座のお話を伺ってきて、私は洗礼を受けたいと思っています。ですが、以前から思っていたことですが、どうしても『復活』ということを信じることができません。復活を信じなければ洗礼は受けることはできないのでしょうか?」というものでした。

私は一瞬、言葉を詰まらせ、また、いろいろな言葉が頭の中をよぎりました。 「イエスは、人の子は必ず多くの苦しみを受け、長老、祭司長、律法学者たちから排斥されて殺され、三日の後に復活することになっている、と弟子たちに教え始められた。しかも、そのことをはっきりとお話しになった」 「キリストが復活しなかったのなら、私たちの宣教は無駄であるし、あなた方の信仰も無駄です」

「私をお遣わしになった方の御心とは、私に与えてくださった人を一人も失わないで、終わりの日に復活させることである。私の父の御心は、子を見て信じる者が皆永遠の命を得ることであり、私がその人を終わりの日に復活させることだからである。」

様々な聖書の言葉から「復活」を説明しようと頭の中をよぎりましたが、控えました。この方の質問は、講座の目的に適った本質的なこと、信仰そのものの課題だと感じたからです。 そして同時に、心のうちで、何故か、ニンマリともしていました。

「はい、今のままでは、洗礼は受けられないと思います。でも、大丈夫です。あなたはイエス様の平和に包まれて、必ず『私は信じます』と言うことになるのですから…」と思い、安心していたからです。

復活は、私たちを新たなものとしてくださり、再び、神の恵みのうちにイエスと共に生きていくことになる。そして、信じることが、希望の日々となることを見い出していくからです。

今年の復活祭は、この入門講座の体験もあり、いつもの復活祭よりも感慨深いものとなりました。改めて、洗礼が喜びであることを感じました。

今年も、復活後の4月から2年目の関口教会入門講座が始まりましたが、カテキスタの仲間たちにあらためて感謝します。仲間たちの支えと思いやりが講座の土台となりました。

最後に、講座のために施設を提供してくださるのみならず、細やかな配慮と、何よりも受講者の皆さんを温かく迎え、支えてくださる、関口教会の主任司祭とサポート・スタッフの皆さんに、心から感謝と御礼を申し上げます。これからもよろしくお願いいたします。

関口教会2022年の入門講座
日時場所などについてはこちらをご覧ください

「教区カテキスタ養成講座」への申込みを考えてはいるものの、今ひとつ、決断がつかない方。 どうぞ、一度、講座を見学しに来て下さい。事前に、専用ダイヤル(080-8888-6943)まで、ご一報をお願いします。

■コロナ・ウイルスのために、教会の様々な集まりに制限がされたままの状態が続いていますが、アフター・コロナに備えて、「教区カテキスタ養成講座」第5期生の応募は続けています。今年度の応募締切は6月26日(日)となります。受講希望者は、まず、所属教会の主任神父様に御相談になったうえで、必要書類を整えてお申込みをなさって下さい。

 

キリストに「触れられ」受洗を望むようになった人々に、日々「接している」カテキスタたち。 そのようなカテキスタになることを望み、カテケージスを、より「手触り感のあるもの」として学ぶ受講生たち。 そんな彼らと、彼らを支える小教区の信徒の皆さんが「接する」ための媒体になれれば…、と願っています。