お知らせ

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東京教区ニュース第413号

2024年06月04日

カトリックスカウト派遣隊 ケルン訪問記

ケルン大聖堂前にて

先月号の東京教区ニュースでお伝えしたとおり、今年は1954年に東京・ケルン両教区の姉妹教会関係が始まってから70周年の記念の年である。先月号では、菊地功大司教、稲川保明神父、熊坂直樹神父の3名によるケルン訪問記を掲載したが、今月号では、4月28日から5月5日にかけてケルンを訪問したカトリックスカウト派遣隊の中から、隊長1名、スカウト2名の訪問記をご紹介する。若い感性が得たケルンの空気の一端を、読者の皆様にも感じていただければ幸いである

両教区の交流を 未来に つなげられるように

派遣隊長・ 田渕 六郎(上智大学)

このたび、ケルン教区と東京教区のパートナーシップ70周年を記念して実施された、「アルテンベルクの光」に参加するカトリックスカウト派遣隊の隊長として、4月28日から5月5日にかけてドイツのケルンを訪問しました。派遣されたのは、日本カトリックスカウト協議会(JCCS)に属するボーイスカウトとガールスカウト11名、リーダー4名の合計15名です。物心両面にわたる厚いご支援を賜り、このかけがえのない経験を可能にしてくださった菊地功大司教様をはじめとする教区の皆さまに、この場を借りて感謝申し上げます。

派遣隊は、メンバーが決定した1月下旬から3カ月にわたって8回の準備集会を開催し、訪問の準備をして参りました。ドイツのカトリックの歴史と、今日にいたる両教区の交流の歴史を学ぶことで、スカウトたちは、自分たちが「アルテンベルクの光」に参加することの意味を共に考えました。この準備に当たってはとくにJCCS担当司祭の高木健次神父様(高円寺教会主任司祭)、東京教区ドイツ語共同体担当司祭ミルコ・クイント神父様から多くのご教導を頂きましたことを感謝申し上げます。

現地では、ケルン大司教区のマリアンヌ・バウアーさん(青少年カテケージス・霊的指導担当者)たち数名の教区担当者に加え、デーニャ・シャルヴァンさんをはじめとするDPSG(Deutschen Pfadfinderschaft Sankt Georg;ドイツ聖ジョージボーイスカウト)ケルンの若手リーダー、スカウトたち10名以上が、綿密に組まれた、とても興味深いプログラムを運営し、私たちとずっと行動を共にしてくださいました。日本語が堪能なメンバーも複数おられ、日独の特別な関係を感じました。スカウトたちは活動の中でそれぞれの交流を深め、出発時には別れがたい関係を築いたようです。

詳細はスカウトによる記事に委ね、訪問の概況を記します。4月29日の午前中にアルテンベルク大聖堂に到着し、現地の皆さんと合流しました。キャンプファイヤーやハイキングといったスカウトらしいプログラムで交流を深めた後、翌30日19時から、大聖堂横の広場にて「アルテンベルクの光」の開会式が始まりました。トビアス・シュヴァーダーラップ神父様(ケルン教区若者担当司祭)の開会宣言で始まったイベント冒頭にて、100人ほどの聴衆を前に、スカウト11名がこれまで準備してきた南中ソーラン節の踊りを披露し、喝采を頂きました。

ソーラン節 披露後の記念撮影

その後、賑やかな交流を経て、いよいよ23時から大聖堂にて「アルテンベルクの光」のVigil(徹夜祭)が始まりました。日本では経験したことのない、2時間近くに及ぶ荘厳な式典にて、参加者それぞれの蝋燭に炎がともされました。東京に持ち帰る燭台と蝋燭も頂きました。翌5月1日朝には、祝典の中心となる出発のミサが開かれました。ミサの後半、我々一同が「マリアさまのこころ」を歌う機会を頂いたことは、忘れがたい経験です。

翌2日からはケルン市内のDPSG本部の宿舎に移動し、デュッセルドルフとケルンにて教区の若いスカウトたちと交流を深めました。

3日には、ケルン大聖堂を訪問し、司教総代理のグイド・アスマン神父様に大聖堂内を御案内いただくという栄誉に与かりました。大聖堂内で共に祈りを捧げた後、観光地としても有名なホーエンツォレルン橋にて、スカウトたちの友情がずっと続くことを祈りながら、橋に南京錠を取り付けたことも、かけがえのない思い出となりました。

南京錠をホーレンツォレルン橋に取り付ける

今回頂いた恵みを、今後の両教区の若者の交流として未来につなげられるよう、力を尽くしたいと思います。

「アルテンベルクの光」 で得た経験から

本尾 敬之 (カトリック渋谷教会・ ボーイスカウト渋谷 第5団)

4月30日の深夜11時前「アルテンベルクの光」の点火のセレモニーが行われました。日本と比べるとかなり日の入りの遅いドイツでも、この時間には周囲はすっかり暗くなっていました。聖堂に入ると昼間は強い日差しでステンドグラスに照らされていた聖堂内部が、今は燃え盛る炎を思わせる真っ赤な照明に照らされています。

ゴシック様式の聖堂内で、バンドの演奏による軽やかな音楽からセレモニーが始まりました。やがて、聖堂内を照らしていた照明が消え、オルガンの演奏とともに「アルテンベルクの光」の点火が行われ各々の蠟燭に光が移され、聖堂は光に包まれました。

「アルテンベルクの光」は、ケルン郊外の小さな町にあるアルテンベルク大聖堂に由来します。かつてこの地にはシトー会の修道院があり、その教会であるアルテンベルク聖堂を記念して、1922年にケルン大司教区の青年教育センターが設立されました。アルテンベルクはドイツのカトリック青少年活動の中心地として発展することになります。

「アルテンベルクの光」は、第二次世界大戦後の1950年に、ヨーロッパの和解と平和を支持するカトリック青年のしるしとして始まりました。1960年代半ばには、第二バチカン公会議や学生運動の台頭などの雰囲気の中で一時中止されていましたが、1980年には、「アルテンベルクの光」は活気をもって再開されました。参加者は年々増加し、今では毎年5月1日にドイツ国内外から2000人以上の若者がアルテンベルクに集まり、光を受け取り持ち帰るようになりました。 「アルテンベルクの光」は、ドイツやヨーロッパのみならず、世界中の若いキリスト者の一体感の象徴となっています。

我々派遣隊は、「アルテンベルクの光」の開催前日である29日にドイツへ到着し、アルテンベルクへ移動しました。到着後、いくつかの交流イベントに参加し、翌30日には地元のスカウトと共に ドイツで最も高い鉄道橋であるミュングステン橋を目指してハイキングを行いました。

30日の夕方、「アルテンベルクの光」の開会式が行われました。会場は予想以上に多くの人で賑わっており、その力強さと歓迎の雰囲気に心から感動しました。我々は、日本の文化を紹介する一環として、ソーラン節を披露しました。にわか仕込みの拙いソーラン節には似つかわしくない、割れんばかりの拍手を頂き、大いに恐縮した次第です。

開会式の後は、文化交流のワークショップが行われました。「茶道」、「書道」、「折り紙」、 「紙飛行機」、「割りばし鉄砲」等の様々な日本文化を体験できるブースを設け、大勢の人々で賑わいました。特に、日本の伝統文化に興味を持ってくださった参加者が多く、ブースには常に人が絶えませんでした。

ワークショップ 書道

日本文化 茶道の紹介

夜には聖堂で点火のセレモニーが行われ、雰囲気は一変して厳かさに包まれました。参加者が一堂に会し、「光」を受け取り、平和への祈りを捧げる瞬間は真に感動的でした。その静寂の中に、心が1つになる感覚を味わいました。

翌朝「アルテンベルクの光」の出発ミサに参加し、これまでの体験を振り返りながら、今後の行動について考える時間を持ちました。この「アルテンベルクの光」で得たすべてのこと、五感をもって感じ取った一切をどのように受け止め、どのように行動していくべきかを深く考えることができました。

この「アルテンベルクの光」での経験は、私たちに多くのことを教えてくれました。交流や新たな出会いから学んだことは、これからの人生に大きな影響を与えると確信しています。また、カトリックスカウトとして、若い世代のカトリックの信徒としての自覚を深めるものであり、我々の若い世代の自発的な行動が必要となることを感じました。

アルテンベルクの光ミサ 入堂

ケルン大聖堂を訪問して

菅原 理沙 (カトリック麻布教会・ ボーイスカウト港5団)

5月1日、アルテンベルクでの出発のごミサの後、デュッセルドルフにてケルン派遣隊とDPSGのスカウト、そして現地のスカウトとの交流を行いました。3つの班に分かれてドイツの伝統的な料理を作り、全員で1つのテーブルを囲んで食事を共にしました。それぞれカトッフェル・ズッペ、シュペッツェレ、アップルクランブルを作りましたが、どれもとても美味しく、ドイツの食文化を垣間見ることができました。その後、ドイツのゲームと日本のハンカチ落としで遊び、言語の壁を越えて絆を深めることができました。

日本の遊びで交流

5月3日の午後、派遣隊はケルン大聖堂を訪れ、司教総代理のアスマン神父様に聖堂内を案内していただきました。ケルン大聖堂前の広場に到着したとき、ゴシック様式の建築物として世界最大とされるケルン大聖堂に圧倒されたことを覚えています。最も印象的である二つの塔をはじめ、細部まで施されている彫刻の数々を実際に見ることができて感動しました。

聖堂内に入って神父様にお会いし、最初に聖母マリアの祭壇の前で「マリアさまのこころ」を歌わせていただきました。像の前にはたくさんの蝋燭が捧げられていてケルン大聖堂が多くの人の拠り所となっているのだと感じました。

そして三博士の棺や大聖堂の施工図を間近で見させていただきました。三博士の聖遺物が収められている金色の棺は間近で見ると様々な装飾が施されていて目を奪われました。棺の前で神父様に三人の王は本当に三人であったのか、王様であったのかは定かではないが残された聖遺物からそう考えられているという話を聞きました。日本語では三博士とされていますがヨーロッパでは三人の王とされていることが多いそうです。毎年1月6日、三博士の聖遺物が公開されているときに一度行ってみたいと思いました。

三博士の棺の下をくぐり正二十面体の聖遺物箱に触った後、神父様の案内の下、階段を上り中2階のようなステンドグラスをすぐ近くで見られる場所に上りました。ケルン大聖堂の中でも有名なモザイクのようなステンドグラスを近くで見ることができ、下から見たときと違う視点からの美しさに魅了されました。モザイクのステンドグラスは第二次大戦時に破壊された部分の修復を現代アートのゲルハルト・リヒター氏に依頼してこのようになったと知り、歴史ある大聖堂の一部に現代的な部分が含まれていることもケルン大聖堂が愛される理由なのだと感じました。

ケルン大聖堂 聖遺物が埋め込まれている3博士の王冠の刻印がある

その後ステンドグラスに沿って一周し、2つの塔の内部に行きました。それぞれ修復中の美術品や設計図、振り子時計等があり、どれも歴史を感じさせるものばかりでした。

一周した後、神父様にアルテンベルクの光の蝋燭をお渡しして火を灯していただきました。そして小聖堂に移り皆で祈りをささげる会を行いました。その中で今回ケルン派遣隊に参加できたことや関わってくださった方への感謝とともに、アルテンベルクの光のミサの際にもあった、戦争や貧困で苦しんでいる世界中の人のために微力でも何ができるかを考えることができました。最後にはドイツ語、英語、日本語で歌を歌い、DPSGのリーダー、スカウトとの間にできた確かな絆を感じることができました。

アスマン師よりアルテンベルクの蝋燭に火を灯される

スカウトとの交流、ケルン大聖堂訪問を通して多くのことを経験し、学びました。この学びを自分の中にとどめるだけでなく、周りのカトリックスカウトや周囲の人とも共有し、分かち合うことが派遣隊の使命だと感じています。そして私たちが恵まれている環境にあることをいつも心にとめ、カトリックスカウトとして恥じない行動をこれからも続けていかなければと改めて思いました。

「霊における会話」について その2 「ともに担う」ために

教区シノドス担当者 瀬田教会主任司祭
小西 広志神父

先月号から「霊における会話」についてお話ししてきました。1回目は「霊における会話」を通じて共同体が造りあげられていくのだとお話しました。その共同体には、真ん中に主イエス・キリストがいてくださるのです。2回目の今月は、「ともに担う」についてお伝えしましょう。

わたしの机の上に十字架の置物があります。大きな十字架を12人のこびとさんたちが一緒に担いでいる陶製の置物です。南米ペルーからのお土産だそうです。よく見るとこびとさんたちはアンデスに住む人々の姿をしています。わたしは、この置物を眺めて少し黙想することがあります。「わたしは、このようにみんなと一緒に主の十字架を担っているのだろうか」、「わたしが担当する小教区共同体が、この素朴でかざらないこびとさんたちのように十字架を一緒に担い合う共同体になれるのだろうか」。

主イエス・キリストの愛のわざである十字架を「ともに担う」のが信仰の姿だと思います。共同体の真ん中にイエスがいてくださる。そのイエスは十字架にかけられたイエスなのです。すべてを明け渡し、御父に対しても、人に対しても「無」となっていくイエスなのです。

世界中にある教会は、そこに生きる人々の十字架を担います。例えば、終わりが見えない殺戮に直面するガザ地区にあって、そこに生きるキリスト者は間近な人々と十字架を担います。苦しみを、哀しみを「ともに担う」のです。部族の隔たりを越えて、信仰の隔たりを越えて、軍政下のミャンマーにいるキリスト者は兄弟姉妹たちと十字架を「ともに担う」のです。

教会はその長い歴史の中で、「ともに担う」姿を表してきました。それは聖人たちの生き方によく現れます。中世の頃、アシジの聖クララは一度も会ったことがないプラハに住むアグネスの苦しみを祈りを通じて「ともに担い」ました。近世では聖マルチーノ・デ・ポレスは貧しい先住民たちの友となり、彼らの痛みを「ともに担い」ました。近代では聖ヨハネ・ボスコとその仲間たちは政争と近代化のおかげで置き去りにされてしまった青年たちの哀しみを「ともに担い」ました。現代ではコルカタの聖テレサが物質文明に翻弄されている現代人の傷を「ともに担い」ました。このように「ともに担う」は教会の本質なのです。今、目の前にいる人と、あるいは遠く離れた人と喜びや哀しみを「ともに担う」ことが信仰の生き方なのです。

イエスは「ともに担う」方でした。福音書でイエスがあわれに思うときには、特別な言葉が使われると聞いたことがあります。「はらわた」(内臓)を表す言葉に由来するのだそうです。イエスは、涙する人々、オロオロするする人々、希望を失っている人々を目の当たりにして、ご自分のはらわたが痛くなるほどに苦しくなってしまう。そんなお方なのです。イエスの「あわれ」は「かわいそう」とか「気の毒」とかを超えています。確か、「イエスはあわれに思って」を「イエスははらわたして」とお訳しになったのは故佐久間 彪(さくま・たけし)神父だったように覚えています。

「霊における会話」で「ともに担う」共同体の最初の一歩が始まります。それは抽象的なものではありません、具体的に「ともに担う」のです。まず、話し合うテーマがあらかじめ参加者に知らされます。参加者はそのテーマについて自由に祈らなければなりません。そして祈ったことをある程度メモにまとめておくことが勧められます。「祈る」、これが「ともに担う」の第1ステップです。そして、一緒に集まった参加者たちは「み言葉」を聞きます。信仰は聞くことから始まります。「霊における会話」も聞くことから始まるのです。耳にした「み言葉」を「ともに担い」ながら、沈黙のうちに祈ります。「み言葉」と「沈黙」が第2ステップです。そして、参加者一人ひとりが自分が祈ったことを語ります。他の参加者たちはそれを「ともに聞きます」。これが第3ステップです。 「祈る」、「み言葉」、「沈黙」、「聞く」のステップを何度かくり返すうちに、共同体全体の中に「ともに担う」という意識が醸しだされていきます。なぜなら、主イエス・キリストが「ともに担い」ながら共同体の真ん中におられるからです。これは聖霊の働きと言い換えてよいでしょう。

「愛の反対語は憎しみではない。愛の反対語は無関心である」と語ったのはコルカタの聖テレサでした。「霊における会話」によって、わたしたちは現代社会に蔓延する「無関心」への誘惑から解放され、「ともに担う」共同体となれるのです。

下井草教会創立75周年ミサ

4月21日午前、下井草教会にて菊地功大司教司式による創立75周年ミサが行われた。下井草教会はサレジオ会に司牧が委託されている教会であり、主任の並木豊勝神父をはじめ、多くのサレジオ会の司祭が共同司式に駆けつけた。創立者ドン・ボスコの霊性に倣って青少年司牧に力を入れているサレジオ会が司牧する小教区ということもあり、ミサには侍者をはじめ大勢の若者が集まった。

説教の中で菊地大司教は「皆さん一人ひとりが教会共同体の中で与えられた召命をしっかりと自覚して、それに一生懸命になって生きてください。それがわたしの一番の願いです」と述べ、さらに25年後の100周年に向けて「生き生きとした、バラバラだけれども同じ方向に進んでいる活発な教会共同体を生み出していっていただきたい」と語った。

司式の菊地大司教とサレジオ会の司祭たち

ミサの最後の挨拶で並木神父は「全ての信者の皆様方によってこの教会が作られて来たのは大きな恵みでありました。これからも前を向いてこの教会が進んでいくことになります」と信者への感謝を述べ、「そして今日、この日を私たちとともにお祝いしてくださる菊地大司教様が来てくださり、司教を中心として司祭団が揃いました。それから皆様方がいて、ミサが行われる。これがカトリック教会のミサなのだということです」と、司教、司祭、信徒の交わりのうちに教会とミサ聖祭があることを語った。

並木豊勝神父による挨拶

ミサ後は中庭で祝賀会が行われた

ドイツ語共同体・フランス語共同体合同ミサ

左から、エミリオ神父、ミルコ神父、セカ神父、ジェローム神父

現在、東京教区のドイツ語共同体とフランス語共同体では、定期的に合同ミサを行っている。5月9日(主の昇天の祝日)の夜には、ドイツ語共同体がミサを行っている中目黒の聖ミカエル教会にて合同ミサが行われた。

主司式はミルコ・クイント神父(ドイツ語共同体担当司祭)。共同司式司としてジェローム・ドゥジャン・ドゥラバティ神父(フランス語共同体担当司祭)とセネガル出身で日本滞在中のエル・フランス・セカ神父、そして、スペイン出身のエミリオ・マルティネス神父(ドミニコ会)が加わった。また、多数の参列者の中には駐日セネガル共和国大使であるジャン・アントワーヌ・ドゥフ氏も含まれていた。

ジェローム神父によるフランス語の福音朗読

ミサは基本的にドイツ語で捧げられたが、ジェローム神父が祈る箇所はフランス語で唱えられた。聖書朗読や聖歌、共同祈願はドイツ語とフランス語が交互に用いられ、ミサで配布されたプリントには、ドイツ語で読まれる箇所にはフランス語訳が、フランス語で読まれる箇所にはドイツ語訳が掲載されていた。

ドイツ語とフランス語で書かれた聖書朗読と祈願

2カ国語で行われたミサであったが、ぎこちなさや不自然さは全く感じられず、キリストの食卓を囲む一つの家族としての温かな一致で満たされた、自然体のミサであった。ミサの後は、軽食を囲みながらの歓談の時間が続いた。

急速に多国籍化が進む日本社会にあって、多くの日本の教会も多文化・多言語の共同体となっている。今回ご紹介したドイツ語共同体とフランス語共同体の合同ミサを、多文化・多言語共同体を豊かに形作る試みの一つとして参考にしていただければ幸いである。

多国籍の会衆

ドイツ語共同体・フランス語共同体合同ミサが行われるようになった土台には、ドイツ・フランス両国の和解と友好の歴史がある。その歴史について、ミルコ神父に解説していただいた。

「国民間の友情」ミルコ・クイント神父

1962年7月、ドイツのコンラート・アデナウアー首相とフランスのシャルル・ド・ゴール大統領がフランスのランスで会談しました。それは歴史的な会談であり、独仏関係における画期的な出来事でした。それまで血なまぐさい戦争で互いに争ってきた2つの国が、より近づき、和解し、最終的には友好国となることを試みたのです。

フランスの都市ランスは、第一次世界大戦中、数々の戦いの舞台となりました。そこは1945年、ドイツ国防軍が降伏文書に署名した場所でもあります。1962年7月8日、ドイツ首相とフランス大統領が会談したのもこの地でした。1週間にわたる公式訪問の最後を飾ったのは、軍のラッパではなく、ランスのゴシック様式の大聖堂のオルガンからの平和への呼びかけでした。

両政治家は、戦争の傷跡が残る大聖堂で行われた教皇ミサに参列しました。アデナウアー首相とド・ゴール大統領が大聖堂を出ると、何千人もの人々が万雷の拍手で温かく彼らを迎えました。ドイツ首相に対するフランス人の友好的で開放的な態度は、当時から独仏の連帯の基盤がいかに強固なものであったかを明確に示していました。

数週間後の1962年9月、当時ドイツの首都だったボンを再訪したド・ゴールは、市庁舎のバルコニーからドイツ語で人々にこう呼びかけました。「ドイツ万歳!独仏友好万歳!」

両国の政治家にとって、この友好関係が国家間だけでなく、何よりも両国民の間で発展することが極めて重要でした。1963年1月のエリゼ条約調印は、そのための重要な基礎を築きました。

コンラート・アデナウアーとシャルル・ド・ゴールがランスのミサで始めた和解は、過去数十年にわたって継続され、深められてきました。両国民の和解は、統一ヨーロッパにおける平和と自由の礎となりました。

ヨーロッパにおけるドイツとフランスの間の問題は、現在、困難なように見えるかもしれません。しかし、1つだけはっきりしていることがあります。ドイツとフランスには、ヨーロッパ連合(EU)をより緊密なものにし、完全な政治連合へと発展させるという共通の責任があります。ヨーロッパにおける難民危機、世界秩序の改革、EUの世界的な政治的プレーヤーとしてのさらなる発展といった今日の課題を克服するためには、両国間の緊密な協力が重要な前提条件となります。

ドイツとフランスは、共同体の方法論を支持するために協力し、特に困難な状況においては、これまでと同様、勇気と自信をもって協働しなければなりません。

教会の使命のさらなる展開のために

教区本部 事務局長 
浦野 雄二神父

千葉寺教会と西千葉教会は、2025年に統合されることになった。2つの教会は、来年度以降、西千葉教会を信仰生活、宣教活動の拠点として、新たな歩みを始める。両教会の統合によって、千葉地区の宣教が強化されていくことが期待されている。

2つの教会の統合ということは、ある意味で画期的なことである。それぞれの働きを集約して、託された使命に応えようとする、積極的な決断ということができる。

今年の待降節第1主日(12月1日)に西千葉教会で、統合スタートのミサが予定されている。この日で、すべてが西千葉教会に集約されてしまうわけではなく、最終的な統合の完了には、しばらく時間が必要となるが、統合に向かっての準備の報告も発信してもらいながら、両教会の積極的な決断を、側面から支援し、見守っていきたい。

2024年 世界召命祈願の日ミサ

4月21日、世界召命祈願の日、東京カテドラル聖マリア大聖堂にて、東京教区一粒会主催の「世界召命祈願の日ミサ」がアンドレア・レンボ補佐司教司式によって行われた。当日は晴天に恵まれ、召命を願い求める多くの方々がミサに参加した。

ミサには、日本カトリック神学院院長の稲川圭三神父をはじめ、神学院養成担当司祭の他、教区、修道会から多くの司祭が共同司式に加わり、東京教区の神学生と関口教会の青年たちが侍者を務めた。

また、イエスのカリタス修道女会のスモールクワイヤーが聖歌奉仕を務めた。 説教の中でアンドレア司教は、「召命は何よりも喜びの中で、生まれるものである。信仰の喜びを受け止め合う中に、召命は育まれるのだ」と述べ、ミサの最後の挨拶では、自身の体験として「先日、司教となって初めて故郷に帰り、母と再会したが、大いに喜んでくれた。それは自分が司教となったからではなく、自分の息子が元気に生活していることが分かって喜んでくれたのだ。このように人の幸せを我がことのように喜び合う交わりの中で、召命は育まれていくのだ」と語った。

アンドレア司教による説教

ミサの後にはケルンホールで懇親会が開かれた。軽食をともにしながら歓談の一時がもたれ、神学生、修道者の周りには多く参加者が集まり、打ち解けた様子で会話が交わされていた。

懇親会の一コマ。懇親会には司牧訪問を終えた菊地大司教も駆けつけた

「世界召命祈願の日ミサ」は、コロナ禍の3年間は中止され、昨年ようやく再開することができたが、懇親会の再開には至らなかった。今年はミサとともに懇親会も開催され、コロナ禍以前のスタイルに戻ることができた。

東京大司教区における 今後の感染症対策に関して

東京大司教 菊地 功

東京教区の皆様 世界規模の新型コロナウイルス感染症の大流行に伴い、東京教区でも、2020年1月以降、公開ミサの中止を含む、様々な感染症対策を教区の皆様にお願いして参りました。この間、東京教区の教会を起源としたクラスターの発生は一件も報告されておりません。皆様のご協力に心から感謝申し上げます。

さて、2023年5月8日に国による新型コロナウイルス感染症の位置づけが2類相当から5類に変更され、「政府として一律に日常における基本的感染対策を求めることはない」とされてから1年が経過しました。その間、東京教区内の教会においても、深刻な感染症の発生は見られなかったことから、5月19日の聖霊降臨の主日をもって、教区から小教区にお願いしていた感染症対応への指針を全て廃止し、2020年1月以前の教会活動と同じ状態に戻すことといたします。

今後は各小教区内でよく話し合った上、それぞれの共同体で必要とされる感染症対策に努めてください。その際、マスク着用の有無など、意見の違いによって共同体の分裂や排除が起こることのないよう、小さな声に耳を傾けることを大切にしていただければと思います。

「第48回日本カトリック映画賞」授賞式と上映会

SIGNIS JAPAN (カトリックメディア協議会)は、「第48回日本カトリック映画賞」にドキュメンタリー映画『ただいま、つなかん』[風間研一(かざま けんいち)監督 115分 製作著作:文化工房]を決定いたしました。 授賞作『ただいま、つなかん』は、東日本大震災で被災した宮城県唐桑町の牡蠣養殖業・菅野和亨(やすたか)さん、一代(いちよ)さん夫妻と、彼らの元に集まってきた大勢のボランティアの若者たちの交流を10年にわたって描く感動的なドキュメンタリー映画です。

授賞理由

『ただいま、つなかん』は、「復活」の映画だ。一見そこには、この世の絶望が映っているようにも見える。突然襲ってくる津波の悲劇や、愛する人との理不尽な死別。さらには、生活を破壊するウイルスの流行。現実の十字架は、あまりにも過酷だ。しかし、よく見るとそこには、絶望を優しく包み込む希望が映っている。復活を夢見て助け合う、笑顔の仲間たちが映っている。およそこの世のあらゆる映像は過去を映しているものだが、この映画には驚くべきことに、未来が映っている。 対象にカメラを向ければ自動的にドキュメンタリーが撮れるわけではない。対象の奥深くから、人の意志や偶然を超えた聖なる働き、あの名付けようもない慈愛に満ちた何ものかが浮かび上がる瞬間を捉えて、初めてドキュメンタリーは成立する。 『ただいま、つなかん』は第一級のドキュメンタリー映画だ。いまなお試練の内にある人に復活の未来を見せてくれる、ときめく映画だ。日本カトリック映画賞にまことにふさわしいと、最大限の評価を与えたい。

晴佐久昌英神父(シグニスジャパン顧問司祭)

7月6日(土)13:00より 星陵會舘ホール(東京都千代田区永田町)にて上映会&授賞式と対談(風間研一監督×シグニスジャパン顧問司祭、晴佐久昌英神父)を行います。
前売りチケット1,500円・障がい者1,000円(介助者1名も同額)を麹町教会案内所、スペースセントポール、サンパウロ書店(四ツ谷駅前)、高円寺教会(天使の森)、ドン・ボスコ社にて販売中。
問合せ先 E-mail
     090-8700-6860(担当 大沼)

CTIC カトリック東京国際センター通信 第278号

広島・津和野巡礼

私が初めて津和野の乙女峠まつりについて知ったのは2013年です。当時萩にいらしたフィリピン人のシスターが誘ってくれたのでした。その時以来、迫害下でも信仰を固く守った日本の殉教者を記念して祈る人々の一員となるというこの経験を他の人とも分かち合いたいと望んできました。乙女峠は、19世紀後半にこの地で殉教した人たちを記念しています。その中の一人、安太郎という若者はとても狭い牢屋に閉じ込められて死に追いやられたにも関わらず、信じられないほど幸せそうだったそうです。現在、マリア聖堂から少し離れたところに、牢に入れられた彼の像と、彼が牢に入れられている間に、毎晩彼を訪れて励ましたというマリア様の像を見ることができます。

CTICの英語司牧チームは5月2日から4日の日程で、広島・津和野の巡礼を行いました。4人のフィリピン人が参加し、呉教会のバート・カシアノ神父様が同行してくれました。巡礼は広島のカテドラルの平和記念聖堂から始まりました。十字架の道行の第4留までを記念聖堂で祈り、次の4留は三篠教会で、残りの留はイエズス会の長束修道院の丘で祈りました。この修道院は原爆の爆心地から4.5キロの場所にあり、被爆者たちを救護した場所として知られています。私たちも平和記念資料館を訪問し、原爆の後の心の痛む被害の状況を伝える展示を、祈りながら見て回りました。巡礼1日目の終わりはカテドラルの庭で夕の祈りをしました。

2日目はついに、津和野の乙女峠での式典に参加する日です。津和野町とカトリック教会が協力して行うこの行事には様々な所から人が集まってきていました。高齢で、もう峠までの行列に加われない地元の信者の方も、沿道でロザリオの祈りをして参加していました。正午から大分教区の森山信三司教様の司式によるミサが捧げられました。森山司教様もこの乙女峠まつりに初めて参加されたそうです。ミサには、広島司教の白浜満司教様はじめ30人以上の司祭団が共同司式し、約400人が参列しました。津和野教会の主任司祭である山根敏身神父様が乙女峠まつりの歴史と乙女峠マリア聖堂の建設に携わった人々について話してくださいました。ミサの後には各自がお弁当を分かち合って、参加者の中に家族的な雰囲気を感じることができました。

今回私たちの巡礼に参加した人たちは、皆、迫害に耐えて信仰を守った殉教者たちを記念する行事に参加することができて、大きなお恵みを感じました。そして毎年5月3日に行われる乙女峠まつりにもっと多くの信者が参加するようになればよいと希望しています。

エルリン・レゴンドン(CTICスタッフ)

カリタスの家だより 連載 第163回

ボランティア養成講座 
実行委員長 酒井 育子

初夏の爽やかさの中に梅雨の気配がする頃となりました。春から初夏にかけての東京カリタスの家の活動をご紹介します。

ボランティア養成講座 実行委員会よりお誘い
5月11日から始まったボランティア養成講座についてのご案内は、東京教区ニュース5月号VIVID欄でご紹介しました。すでに2つの講座を終えておりますが、後半3つの講座もみなさまにご検討いただきたく、ご案内申し上げます。

今年度のテーマは「生老病死に寄り添う」です。私たちがそれぞれの世代で出会う困難を理解し、いかに寄り添って行けるかを考えます。ボランティア養成講座では、専門家に知識の一端を分けていただいた後、カリタスの家のボランティアと参加者全員でテーマについて分かち合います。質疑応答の時間も設けてありますから、講師と親しく意見を交わすこともできます。

6月1日「認知症の人々とともに~街のカフェで」は、ご自宅を開放して認知症の当事者、ご家族、奉仕者と語り合う安らぎの場としたことを始まりとして、都内各地に拠点を広げつつある「認知症カフェ」の竹内弘道氏を講師としてお招きしています。老いとともに心身の機能が衰えるのは自然なこと。その時が来ても慌てず、焦らず、楽しく暮らしていくことができれば……誰もが願うことでしょう。「認知症カフェ」の試みから、ヒントを頂きたいものです。

6月15日には「DVに苦しむ人とともに」と題して、相変わらず多い女性への暴力を取り上げます。DVは人生の盛り、最も充実した年代に起こりがちです。21世紀になって女性の意識も変化し、一見減少傾向にあると感じられるDV問題ですが、果たして現状はどうでしょうか。女性ネットSaya-Sayaから千野洋見さんにおいでいただき、現状と見通しについて講じていただきます。

最終回の6月29日は医師である小堀鴎一郎さんに、人生の「最終ステージにある人々とともに」過ごす訪問診療の現在を語っていただきます。神から頂いた人生の最後の一瞬までをその人らしく過ごすために、自宅での看取りを数多く手がける日々のお話が聞けるはずです。 ボランティア養成講座への参加申し込みは、講座当日まで可能です。日曜祭日を除く10時から14時に東京カリタスの家受付にお電話をください(03-3943-1726)。 お問い合わせもこちらへどうぞ。

会場は東京カテドラル構内、カトリックセンター1階カトリックセンターホールです。受講料は1講座につき1,500円。当日受付でお支払いください。

ご参加をお待ち申し上げます。

「春をさがしに」

みんなの部屋では卒業式シーズンを少し過ぎた3月22日に利用者さんと共にお花見散歩を計画いたしました。

寒さが続いた時期でしたが「もしも桜が観られなくとも春の兆しを見つけるお散歩にしよう!」と、春探しのお散歩スタートとなりました。

細川庭園から江戸川公園へと向かった先では、彩り豊かな花壇の花や、たった1輪だけ開いていた桜の花と出会うことが出来、春を感じられる良い時間となりました。

(みんなの部屋より)

福島の地からカリタス南相馬 第32回

カリタス南相馬スタッフ 福田 仕

昨年12月から約100日間、ピースボート「地球一周の船旅」116回に参加しました。ピースボートと関わって4回目の船旅ですが、今回は南太平洋から南米、アフリカ、アジアと周遊しました。訪問国では日本で集めたリコーダーやピアニカなどの支援物資を届け、子どもたちと交流もしました。また訪問国で活動する環境活動家やNGO団体、ジャーナリストが部分乗船し、気候変動や環境問題などのレクチャーがあったり、各国ミュージシャンのパフォーマンスを楽しんだりしました。

ピースボートが船を出すきっかけになったのは、40数年前の歴史教科書問題でした。日本がアジア諸国に多大な犠牲をもたらしたアジア太平洋戦争のとらえ方をめぐって様々な議論が起こった頃で、過去の戦争を見つめ市民レベルでの国際交流と対話をピースボートは続けています。そして国連との特別協議資格を持つNGOとして、「持続可能な開発目標」(SDGs)の達成を目指すプロジェクトに取り組んでいます。またノーベル平和賞を受賞した国際NGO「核兵器廃絶国際キャンペーン(ICAN)」の運営グループとしても参加しています。

船内レクチャーで、南太平洋では約200回もの核実験が行われ、放射線が広範囲に拡散して海洋を汚し、今も健康被害に苦しんでいる島民がいる現状を知りました。「核兵器禁止条約」を批准するよう日本政府に働きかけることは、戦禍が広がって世界が混迷の中にある今、戦争被爆国として日本が「ヒバクシャ」の声を届けることだと学びました。

船上での3月11日には様々なプログラムが企画され、私は福島の現状を語ることになりました。乗船者の中には浪江町や富岡町夜ノ森の方もおられ、各地を転々とする避難生活や様々な要因による家族崩壊などのつらいお話を伺っていましたが、「自分たちは人前で話すと涙が込み上げてしまうので、私たちの代わりに話してほしい」と依頼されました。企画では原発温排水による環境問題について語る方や脱原発訴訟原告団の方の報告もありましたが、私は自分が関わった福島の方の代弁者として、これまでの苦しみと希望、そして原発に対する思いを語らせていただきました。これからも代弁者として、福島の方の声を伝えていきたいと思います。

カリタス東京通信 第15回 

カリタス東京の常任委員会委員長に任命されましたが…

カリタス東京 常任委員会
委員長 小池 亮太神父

2024年4月1日付でカリタス東京の常任委員会委員長に任命されました。しかし、恥ずかしいことに私は「カリタス東京」をよく分かっていないのです。そこで、過去の東京教区ニュース(2023年1月3日発行 第399号)を見直してみます。

「カリタス東京は、カトリック東京大司教区の新たな委員会組織として2022年4月24日に創設されました。2020年12月末に、カトリック東京大司教区の宣教司牧方針が発表され、具体的な取り組みの一つとして、『教区カリタスの創設』が明記されました。『カリタス』はラテン語で愛を表し、世界各地でカトリック教会全体の愛の奉仕の活動組織の名称として使われています。日本にはカトリック司教協議会の委員会であるカリタスジャパンが、日本を代表するカリタス組織として存在しますが、カリタス東京はカリタスジャパンの下部組織ではなく、教区カリタスとしての東京教区独自の組織です。」

退任された前委員長の天本昭好神父がこのように説明していました。そして、次のように続けています。

「宣教司牧方針から約1年半の準備を経て立ち上がりましたが、コロナ禍という状況下で、人的財政的資源も限られているのが現状です。従来の委員会ごとに個別に担当司祭を置き、そこで分野別に社会司牧に当たるスタイルから、神の民として信徒、修道者、司祭が合意形成した上で協働していくプロセス、いわばシノダリティを運営のスタイルとしていきます。カリタス東京は、社会司牧の特定の課題のためだけに組織されたのではありません。福音の精神に基づきながら、日本の司教団ならびに教皇フランシスコが『福音の喜び』で指摘している社会へのまなざしのうちに活動していきます。それは、時のしるしを識別しながら、『人格の尊厳』と『共通善』が損なわれていく社会の側面に声を上げ、すべての人が全人的発展の実りを味わうことができる社会へと歩めるように、善意あるすべての人と共に働いていくことを目指していきます。」

日常生活はコロナ前に戻りつつあるものの、教会が「人的財政的資源も限られている」ことには変わりがありません。「時のしるしを識別しながら、『人格の尊厳』と『共通善』が損なわれていく社会の側面に声を上げ、すべての人が全人的発展の実りを味わうことができる社会へと歩めるように、善意あるすべての人と共に働いていくことを目指していく」のは素晴らしいことですが、果たしてカリタス東京がそのようなことを目指せる組織なのか……そこで、神のことばに照らし、聖霊に支えられながら、委員長として「東京教区の実力」と「カリタス東京という組織とその役割」を真摯に見つめ、「できること」と「できないこと」、「やるべきこと」と「やるべきではないこと」を見極めながら活動を進めていきたいと考えています。

編集後記

聖書は、復活したイエスが弟子たちと食事をしたり、弟子たちがイエスの身体に触れたりする様子を繰り返し描く

福音記者たちは、復活したイエスは幻や霊体ではなく実体のある肉体を持った存在であると伝えたかったのだろう

愛は現実だ。生々しく、奇麗事でもない、時に泥にまみれたこの地上においてこそ、私たちは愛を生きていく(Y)