お知らせ

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東京教区ニュース第411号

2024年04月08日

共に手を携えて、小さな光を大きな光に

大司教 菊地 功

3月14日、教皇執務室にて、国際カリタス事務局長(中央)と教皇様に謁見

東京教区の皆さま、御復活おめでとうございます。

今年の復活祭に洗礼を受けられ、新しく教会共同体の一員となられた多くの方に、心からお喜び申し上げます。よく言われることではありますが、信仰の歩みにとって洗礼はゴールではなくスタートです。これから共に支え合い助け合いながら信仰の道を深めながら歩んでいきましょう。

復活徹夜祭の典礼に与られたでしょうか。復活徹夜祭の始まりを象徴するのは暗闇です。その暗闇の中で、復活のローソクに火がともされました。司祭が声高らかに宣言するとおり、暗闇に輝く小さな炎はキリストの光です。その小さな炎は、それでも暗闇が深ければ深いほど、力強く輝きを放ちます。でもまだ、その輝きは復活のろうそくの周辺だけを照らす小さな光に過ぎません。

二度目の「キリストの光」という司祭の呼びかけの後に、この小さな炎は、参加されている皆さんの手元にあるローソクに分かち合われていきました。一人ひとりのローソクは小さく、そこから放つ輝きも小さな光ですが、聖堂に集まった皆の手元に炎が行き渡ったとき、その光は聖堂全体を照らす大きな光となりました。

わたしたちは、これを実現したいのです。この世界の現実の中で、これを実現したいのです。

いのちを賜物として与えられた神は、そのいのちの尊厳が徹底的に尊重され、一人ひとりのいのちに与えられたご自分の望みが、十全にまた具体的に生きられる世界の実現を願っておられます。しかし現実はどうでしょう。いのちの尊厳が、人間の尊厳が、十分に尊重され守られている世界だと、わたしたちは胸を張っていうことはできません。今この瞬間にも、いのちの危機に直面する人たちは、特にウクライナやガザなどをはじめとする世界各地に多数おられ、また日本の社会の中にも様々な形で人間の尊厳をないがしろにされ、いのちの危機に直面する人たちも少なくありません。

まるで暗闇に支配されているかのようなこの社会の現実の中にあって、わたしたちはいのちを生きる希望を光として掲げたいと思います。一人ひとりにできることは限られています。一人ひとりが掲げることのできる光は、小さなローソクの光に過ぎないでしょう。だからこそわたしたちは、共に手を携えて、大きな光を生み出したいと思います。

わたしたちの信仰は、一人ひとりがなにか大きな事を成し遂げるのではなく、それぞれに与えられた小さな希望の炎をしっかりと暗闇の中で掲げることで、教会共同体全体として、社会の闇を照らす光となることを目指しています。小さくとも、弱々しくとも、自分の光を高く掲げましょう。 去る3月13日は、2013年にコンクラーベ(教皇選挙)で教皇フランシスコが選出されてから11年目の記念日でした。ちょうど国際カリタスの要務があったためローマに出かけていたわたしは、国際カリタス事務局長と共に、翌14日の朝8時半に、教皇執務室で直接お会いして、諸々お話しする機会を頂きました。

教皇様からは、世界各地で困難な状況にある人と、共に歩むことの重要さと、そのために取り組んでいるカリタスを始めとした教会の社会的活動の重要さを再確認する言葉を頂きました。日本の教会ではどうなっているのかという問いかけもあり、カリタスジャパンを始め、特に東北の大震災以降続いている教会全体として、困難の中で生きる人たちと歩みを共にする活動のことや、東京教区を始めいくつかの教区では、教区全体の社会活動を統括する「教区カリタス」を創設していることなどをお話しいたしました。

今回の謁見を通じて、教区の皆さまに教皇様の祝福が与えられたことを、お知らせ申し上げます。教皇様は昨年の12月17日で87歳となられました。このところ、歩行に困難があり、車椅子での移動が続いていますが、それでも謁見でお会いした際には、杖をついて立ち上がり、一緒に写真に収まってくださいました。また、このところ風邪の症状が続いているとも報道されていましたので、健康についてお尋ねしたところ、「医者からは仕事に差し支えないほどに健康だとお墨付きをもらっている」旨のお返事でした。それでも教皇様が日々担われている諸々の重責を考えたとき、わたしたちにできるのは教皇様のために祈ることだと思います。 教皇様ご自身は常々、「私のためにも祈ってください」と言われています。この御復活祭にあたり、いのちの与え主である御父が、わたしたち普遍教会の牧者である教皇様を力づけ護ってくださるように祈りましょう。

「日本のシノドスのつどい」に参加して

アシジのフランシスコ 小田 武直

昨年10月にバチカンにおける世界代表司教会議(シノドス)第16回通常総会第1会期が終了した。今年10月の第2会期までは、各国の教区・小教区でその準備をする時期となっている。日本における準備の一環として、3月8日から9日にかけて、東京・日本カトリック会館で「日本のシノドスのつどい」が行われ、全国15教区からの代表者(司教・司祭・奉献生活者・信徒各1人ずつ)と、準備を担当した「シノドス特別チーム」の、約60人が集まった。 東京教区から司祭の代表として参加した小田武直神父(教区本部事務局次長)に、「日本のシノドスのつどい」の様子と感想を寄稿していただいた。

このたび『日本のシノドスのつどい』に参加させていただき、まことに感謝しております。終わってみて改めて、今回参加できたのは聖霊のお導きであったと実感しているところです。

今回の集いでは、シノドス第1会期で取り入れられた「霊における会話」を実際に体験してみることが主眼にありましたが、それは私があらかじめ思い描いていたものをはるかに上回る貴重な経験をもたらすものでした。

そもそも、私の信仰の原点は、アルコール依存症の互助グループ、アルコホーリクス・アノニマス(AA)の分かち合いにあります。そこで自分とそっくりな、無力で惨めな状態を経て回復を果たした体験を聞くことができ、その中に無条件に受け止めて力づけてくれる仲間の愛、神様の愛を体感したことが信仰の原点です。その後、教会で聖書の分かち合いなどに参加することはありましたが、AAに優る分かち合いに接することは滅多にありませんでした。

ところが今回のシノドスの「霊における会話」に参加してみて、司教、司祭、修道者、信徒が一つになって、知識に偏らない、ありのままの体験を分かち合うことができたことや、それが段階を経て、参加した隣人と共感し合い、やがてこの集まり全体への導きとして受け止められていくことを体験しました。それは新鮮で、今まで経験したことのないものでした。それによって、当初、自分自身の中に思い浮かんだことが新たにさせられていったことも、思いがけない収穫でした。

それは、よく整えられた仕組みによるものであったと、振り返って気づかされます。「霊における会話」では、始まる前と「会話」の合間に、必ず祈る時間が取り入れられます。この会話の主導権はあくまで聖霊であり、聖霊は私たちの心を照らし、私たちは、その照らしによって心に浮かび上がったものを語り出していくのです。さらにこの「会話」は3つのステップを経て進められ、第1ステップでは「わたし」を主軸に、テーマについて心に浮かび上がったことを語り出していきます。第2段階では「あなた」を主軸に、第1ステップで分かち合われたことを思い巡らしながら分かち合います。そして第3ステップでは「わたしたち」を主軸に、これまで分かち合われたことの共通点を見出して、この集まり全体の導きとして受け止められたことを語り出していくのです。もちろん、一致し難い点があれば、そのことも踏まえて分かち合い、異なる意見も尊重しながら進められていきます。このように行われた「会話」を最終段階で、この集まりの上に働かれる聖霊の導きとしてまとめ、全体会議で発表します。

私はこの過程の中で、まず自分の心に浮かび上がった思いを同じように共有する人たちが、立場の別なく同じ場所にいることに大きな共感と安心を覚えました。さらに第2、第3ステップまで進んでいくと、当初の思いを少しも損なうことなく、それまでの自分にはなかった思いがけない導きを受け止められていることに気づかされました。このように「わたし」、「あなた」、「わたしたち」という段階を経て、「わたし」の思いが「あなた」と共有され、「わたしたち」全てを導かれる神様の愛へと心開かれていくのです。それは決して変わることのない神様の導きと、絶えず変えられていく「わたし」を実感することでもありました。

このような「霊における会話」は、教会の根本に根ざした、教会がともに歩むための優れた方法であることを実感します。神様が愛によって私たちを造られ、私たちも同じように神様を愛し、隣人を愛し抜いて生きられるように、イエス様は「ともに歩む教会」を残してくださいました。そこには必ず、私たち全てを導かれる聖霊の照らしと、それをともに分かち合う隣人が不可欠です。また、その愛を十全に受け止めるためには、私たち一人ひとりが打ち砕かれて、その体験を分かち合う仲間を必要とします。あるいは最も打ち砕かれた声なき人の声が拾い上げられることこそが、神様のみ旨であるとも言えます。そのために「霊における会話」はとても優れた方法であり、多くの場面で取り入れられていくことを期待しています。

一方、私たちの普段の生活では、分かち合うことよりも、むしろ共通の課題について議論し、結論を導き出していくことのほうに馴染みがあるのではないかと思います。確かに、物事を効率的に進め、目に見える結果を示すためには、そのほうが優れているのかもしれません。ところが効率化を求め、目に見える成果を追い求める現代文明が、大量生産、大量消費社会を生み出し、巨大な環境破壊をもたらしたともいえます。そのことによって、多くの貧しい人々が貧しいままにされ、効率的でないものは容赦なく切り捨てられる世界を出現させたのは確かなことです。

そのような世界の潮流の中で、教会は教会ならではの方法で、ともに歩むとは何か、私たちの世界はどこから生まれ、どこに向かおうとしているのかを提示できたらと思います。そのために「霊における会話」があらゆる集まりの中で取り入れられ、ともに歩む世界を形作っていくことができたらと希望しております。


「霊における会話」について解説する西村桃子さん(シノドス議長代理)

カトリックスカウトB-P祭 「さあ、みんなで漕ぎ出そう!イエスさまとともに」

東京大司教区内のカトリックボーイスカウト・ガールスカウト約600名が、ボーイスカウト運動の創始者であるB-P(ベーデン・パウエル卿)とその妻でありガールスカウト運動を委ねられたオレブの生誕を記念し、2月12日に東京カテドラル聖マリア大聖堂に集い、菊地功大司教様の主司式で感謝のミサを捧げました。今年も、ミサの進行や、午後の交流プログラムは、高校生・大学生年代のユーススカウトの奉仕に支えられました。

今回のテーマは、この夏に淡路島で行われる全国カトリックスカウトキャンポリーに因み、「さあ、みんなで漕ぎ出そう!イエスさまとともに」です。大司教様は説教の中で、「人間は、互いに助け合い、支え合って生きていくために命を与えられている。イエスさまが嵐の中の船で語られたように、全てを生み出された神さまを頼りに、互いに助け合って生きていくことが大切だと、心に刻んでいきましょう」とお話してくださいました。

ミサの中で、キリスト教章の顕彰を受けた2人のベンチャースカウト(高校生)の感想です。

キリスト教章顕彰

つくし野天使幼稚園
ボーイスカウト町田第16団
三上 雄己

2月12日、合同B-P祭が東京カテドラル聖マリア大聖堂で行われました。名誉なことに、このB-P祭では、自分にとって二つのことが行われました。一つ目は前から取り組んでいた宗教章の顕彰式です。

昨年、町田教会に通いカトリックについて一から学び、精一杯取り組んできました。私の他にも仲間が宗教章取得に励み、時間はかかりましたが、共に教え合い成長することができたと感じています。また宗教章を取得するにあたってたくさんの方にサポートをしていただき、感謝の気持ちでいっぱいです。今回の取得に際し、隣人を助けることはまさにボーイスカウト精神と重なり、カトリックの教えはスカウト活動の中心にあることが学べて意味深く感じました。

そして二つ目は聖書朗読です。前回初めて参加した時には大勢の参加者の一人でしたが、今回は前に出て聖書を朗読する機会を頂きました。私は500人以上の前に立って朗読をすることは初めてのことでしたので緊張しましたが、何度も練習したり、本番では堂々とした姿勢を保ち、大きくはっきりと聞き取りやすい声で朗読したりするなどを意識して取り組んだことで、それなりの成果を出せたと感じております。とても良い経験になりました。

このB-P祭で経験したことや学んだことに感謝し、今後の活動や普段の生活につなげていきたいと思います。

つくし野天使幼稚園
ボーイスカウト町田第16団
メルチャー 匠音

B-P祭で僕が関わったことは、奉納とキリスト教章顕彰式です。奉納では、カリスを運びました。奉納は初めての経験だったため、方法がよくわかりませんでしたが、本番前に練習をする時間があったことで、練習と内容が少し違ったことを除いて、上手にできたと思っています。

キリスト教章の顕彰式では、数百人の前でキリスト教章を取得し、大司教様より励ましのお言葉を頂きました。自分の名前が呼ばれるときに、常識的な範囲の大きな声で返事をしようと考えていましたが、出そうとしていた声量を遥かに超える声を出してしまったことで、僕の声が教会中に響き渡ってしまい心なしか恥ずかしい気持ちになりました。また、顕彰後の「弥栄」を上手く返すことができるか心配でしたが、一緒にキリスト教章を取得した三上くんのおかげで、立派な弥栄を返すことができたと自負しています。

その他の儀式でも、普段見ることのないことを見ることができて興味深かったです。式典ではところどころ緊張をしていましたが、振り返ってみると、大勢の皆様に祝福されたことは光栄であり、このような場に立てるよう日頃より指導していただいた皆様に感謝いたします。

役割によらない場所

教区シノドス担当者 瀬田教会主任司祭
小西 広志神父

「役割によってのみ人間関係が規制される現代利益社会の中で、役割によらない人間関係の小さな場所を創ることを夢みたいだけである」(橋本峰雄、「寺の住職になって」より)。

これは橋本峰雄師の言葉です。師は大学で西洋哲学を教えながら、京都の法然院の貫主(かんす)として仕えた方です。右の一節は、1967年に初めて住職になった際に書き記した言葉です。 

半世紀以上の時の隔たりを超えて、この言葉はわたしのこころに響きます。役割や働きが社会の中で生きる人間の価値になっています。上の学校に行く若者たちは、就職のことを考えて学校を選びます。少ない労力で最大限の収入を得ることが仕事探しの基準となります。仕事を失った人は、社会の中で孤立していきます。人と人の関わりも役割や働きで決まります。今年62歳となったわたしにとって、自分の社会での役割や働きが少しずつ失われてきていることを実感しています。スーパーやコンビニでの買い物の仕方が変わってしまいました。どのようにお金を払ったらよいのか戸惑うことがしばしばです。そんな時、社会での自分の位置がまたひとつ失われたと感じてしまいます。駅で切符を買おうとすると券売機の前で立ち止まってしまいます。どのボタンを押したらよいのか分かりません。窓口を探してみても、どこにも見当たりません。そんな時、すごく疎外感を味わいます。先日、自動車免許証の更新に出かけました。スマホで予約した若者たちが、それこそスマートに手続を進めるのを横で眺めながら、もたもたしてしまいます。後ろで待っている若者たちにペコペコと頭を下げるときの屈辱感は今までにないものでした。「社会について行っていないな、遅れをとっているな」と感じると、世の中から取り残され、自分らしい役割や働きすらも失われていくように思ってしまいます。

歳を重ねるとは役割や働きを剥ぎ取られることなのかもしれません。教会では、信徒の皆さんは仕方なしに説教ともつかない漫談に耳を傾けてくれています。しかし、今しばらくすると誰も聞いてくれなくなるでしょう。なぜなら、実はわたしもまた、若い頃に年上の司祭たちの説教に耳を貸すことはなかったからです。「因果はめぐる糸車」とはこのことです。

役割と働きだけでは人の関わりは規定できない、新しい人間関係の「集い」を創造しなければならないとした理想は未だに実現していないようです。むしろ、効率と結果を重視した人の集まりが重宝されています。

わたしたちの教会はどうでしょうか。1965年に第2バチカン公会議が終了して、教会の改革はなされていきました。「開かれた教会」というアピールは1980年代によく聞かれたものです。同じ頃「ともに喜びをもって生きよう」という呼びかけもありました。確かにわたしたちの教会は「ともに歩む」教会を目指したと思います。阪神淡路大震災、東日本大震災と大きな災害を経験しながら、さらには30年以上に及ぶ経済の低迷を体験しながら、教会は多くの人びとと「ともに歩む」ものになりつつあります。

しかし、教会の共同体の中ではどうでしょうか。役割を重視した共同体になっているように思います。たくさんの役割が信仰の共同体である小教区には存在します。確かに役割を担っていると充実感があります。喜びもあります。聖歌隊で歌う。朗読の当番を担う。侍者をする。お掃除をする。献金を数える、などなど。信者による無償の務めと働きで共同体は成り立ちます。 

それはとても美しく、気高いものです。皆で力を合わせて聖週間の準備をする。皆でこころを寄せて聖堂の前庭に春の花を植える。しかし、いつの間にかそのことが硬直化し、専門化し、役割になってしまってはいないでしょうか。「そのことは誰々の係のことよ。わたしには関係ないわ」ともし考えたとしたら、共同体での人と人との関わりは「この世的」なものとなるでしょう。

信者が最後まで果たす役割があるでしょう。それはみ言葉をあじわうこと、そしてみ言葉に触発されて祈ることです。「教会に来られない人は、来られないなりの理由があるのでしょう。しかし、その人たちが祈りを忘れているとは思えない。教会へとあこがれて祈りをささげているのではないでしょうか」と語ってくれた方がいらっしゃいました。み言葉と祈りでつながり合う信仰の共同体へと新しく創造されますように。 

東京教区災害対応ワークショップ

3月15日、東京教区本部事務局にて、カトリック司教協議会復興支援室主催による「東京教区 災害対応ワークショップ」が開催された。講師は復興支援室緊急対応支援チーム(ERST)のメンバー。教区本部事務局で働く司教、司祭、信徒職員とカリタス東京職員の他、信徒の有志も受講者として参加した。

司教協議会復興支援室は、東日本大震災で得た経験を生かし、今後も起こりうる自然災害に対応するために、2022年2月の司教総会で常設が決定された。復興支援室の下に結成されたERSTは、東日本大震災の復興支援経験者で構成され、自然災害が発生した際には、被災教区の要請によって現地に派遣され、最長3カ月間、被災教区の復興支援活動をサポートする。実際に、昨年7月の秋田豪雨災害と、今年1月の能登半島地震では、ERSTのメンバーが被災地に赴き、被災教区の支援活動をサポートしている。

ワークショップの前半では、パワーポイントを用いながら、復興支援室とERSTの成り立ちや、カトリック教会のこれまでの災害復興支援活動について、また、今後実際に自然災害が起こった場合、教区はどのように対処すればよいのか、どのようにERSTの派遣要請をすればよいのかなどが説明された。

後半では、「夏場の台風とその後の大雨によって荒川が氾濫し、広域にわたって洪水が発生。いくつもの教会が床上浸水以上の被害を受けている」という想定の下、受講者を「教区本部事務局」と「現地サポートセンター」の2班に分け、災害時に行うべきことのロールプレイを行った。

教区本部事務局班では、「現地の被災状況の確認」「小教区の連絡網作成」「外国人信徒の被災状況確認」「教会以外の施設のリストアップ」「広報発信」「義援金・支援金口座の作成」等が必要事項として上げられたが、その多くは災害が起こる前から準備しておかなければならないことが分かった。

教区本部事務局班の話し合い風景

サポートセンター班では、センターの人的役割分担、事務用品等の準備、小教区における復興支援活動の把握と支援、ボランティアベースを設置する教会の選定や、社会福祉協議会のボランティアセンターと連携する必要性などが確認された。

ワークショップの最後に、カリタスジャパン担当司教(災害発生時には復興担当司教を兼任する)の成井大介新潟司教が「カトリック教会は支援団体ではない。教会の特徴は災害が起こる前からそこにいて、地域の人と一緒にともに歩んでいくこと」と述べ、教会だからできる支援、教会だからしなければいけない支援のあり方を説いた。

教区本部事務局とカリタス東京は、大規模自然災害にどのように備え、災害が発生したらどのように対応していくかの準備を進めている。各小教区でも、自分たちにできる災害への備えと対策について、考える機会を持っていただければと思う。

カリタス東京が作成した「東京大司教区災害予測マップ(都内)」

 

東京大司教区司祭人事(第1次)

東京教区では、2024年度の司祭の人事異動を以下のように決定しましたので、お知らせします。

東京大司教
菊地 功

小教区関係(4月1日付)    
新任地 氏 名 現任地
荻窪教会主任 辻 茂師 荻窪教会小教区管理者
市川教会主任 晴佐久 昌英師 浅草・上野教会主任(兼)
八王子・高幡教会主任(兼) 髙木 賢一師 八王子教会主任
八王子・高幡教会助任(兼) 熊坂 直樹師 豊島・北町教会助任(兼)
関口・本郷教会主任(兼) 小池 亮太師 小平教会主任
関口教会協力 ホルヘ・ラミレス師 高幡教会主任
本郷教会協力(大司教館居住) 猪熊 太郎師 目黒教会協力
浅草・上野教会主任(兼) 天本 昭好師 関口・本郷教会主任(兼)
豊四季教会主任 ※ 門間 直輝師 法人事務部長
豊島教会主任 田中 昇師 豊島・北町教会主任(兼)
小平・清瀬・秋津教会主任(兼) 野口 邦大師 清瀬・秋津主任(兼)
小平・清瀬・秋津教会助任(兼) 冨田 聡師 清瀬・秋津助任(兼)
清瀬・秋津教会協力 加藤 英雄師 木更津教会主任
北町教会主任 古市 匡史師 西千葉・千葉寺・茂原教会助任
松戸教会主任 髙瀬 典之師(さいたま教区) 松戸教会小教区管理者
西千葉・千葉寺・茂原教会助任 金 泌中(キム ピルジュン)師
(ソウル教区)
関口教会協力
青梅・あきる野教会主任 マウリッツィオ・ビッフィ師
(ミラノ外国宣教会)
青梅・あきる野小教区管理者
木更津・五井・鴨川教会主任(兼) グエン・スアン・ティエン師
(聖コロンバン会)
五井・鴨川教会主任(兼)
目黒教会助任 マーティン・ドュマス師
(神言修道会)
名古屋大学で勉学
木更津教会協力
(渋谷修道院居住)
佐藤 了師
(ドミニコ会)
市川教会協力
調布教会主任 山野内 公司師
(サレジオ会)
さいたま教区本庄教会主任
足立教会主任 ピオトル・ソーリヒ師
(サレジオ会)
調布教会主任
三河島教会主任 野口 重光師
(サレジオ会)
足立教会主任
教区本部協力 石脇 秀俊師 豊四季教会小教区管理者
他教区へ 鈴木 正夫師
(サレジオ会)
三河島教会主任
     

※6月末まで法人事務部長と兼任

委員会関係(4月1日付)    
カリタス東京    
常任委員会委員長(新任) 小池 亮太師  
退任 天本 昭好師 常任委員会委員長
     
青少年委員会    
新任委員 ボニー・ジェームス師
(イエズス会)
 
新任委員 森 晃太郎師
(イエズス会)
 

 

教区本部関係(7月1日付)    
退任 門間 直輝師 法人事務部長

*教区本部機能の見直しによる変更。
 具体的な見直しについては、アンドレア・レンボ補佐司教のもと、浦野雄二事務局長が運営の任に当たる。

以上

CTIC カトリック東京国際センター通信 第276号

永住できない永住者

何人かの若者に「外国籍の友人から『永住者の在留資格が取れた』と聞いたらどう思う?」と質問してみました。「おめでとう。これで安心だねって思う」「ずっと日本に居るつもりなんだ。祖国の家族は寂しくないのかと思う」などの答えが返って来ました。「永住者」ですから、「ずっと日本に住む(住める)人」と理解するのは当然でしょう。ある法律事務所のホームページでは「永住者」の在留資格について、「永住者とは法務大臣が永住を認める者で、生活の本拠を生涯日本に置く者のことを言います」と説明しています。

しかし、今、その在留資格が揺らいでいます。

2019年11月、「施策の参考にする」という目的で行われた世論調査で、永住外国人について次のような設問がありました。「永住者数を多いと思いますか」「永住許可を取り消す制度を設けるとしたら、どのような場合に取り消すべきだと思いますか」。 回答として「税金や社会保険料を納めなくなった場合」「生活保護を受けるようになった場合」「日本人と結婚して通常より早く永住を許可された外国人がその後すぐに離婚した場合」などの選択肢が示され、それぞれ73.2%、39.8%、38.3%の人が永住資格取り消しに「賛成」と答えました。

納税や社会保険料の支払いが、日本に住むすべての人にとって大切な義務であることは言うまでもありません。しかし、どんな人であっても、それまでの安定していた生活が崩れることはありうるのです。前年度までそれなりの収入があったとしても、失業や病気、高齢化、そして事業の不調などにより、前年度の収入額に対して課せられる税の納付が難しくなることは誰にでも起こりうることでしょう。場合によっては、生活保護を受給して最低限の生活を維持せざるを得なくなるかもしれません。婚姻関係の破綻についても、日本人の配偶者の裏切りや暴力に起因した、外国人配偶者が望まない結果であるかもしれないのです。「そのような状況にある永住者から永住資格を取り上げていいと思いますか」というのがこの設問なのですが、前述のとおり、少なくない数の日本人はそれに「はい」と答えたということです。

そして、これらは世論調査にとどまらず、今国会において「法改正」という形で具体化されようとしています。どのような時に永住取消が行われるかはまだ明らかにされていませんが、「永住者」という在留資格が、「永住」という安定的なものでなく、条件によって取り消されるものになることは確かです。ある永住者は「もしこれが本当に日本人の外国人永住者に対する意識であるのならとても寂しく感じます」と話していました。

私たちは「外国籍」の人たちをどのような存在と考え、どのように彼らと日本で暮らしていきたいのでしょう。本質的な問題を再考し、答えを出さなければならない時が来ているのです。

相談員 大迫こずえ

地域の行事で祖国の料理をふるまうウガンダ出身者(写真は本文の内容と関係ありません)

カリタスの家だより 連載 第161回

生老病死に寄り添うボランティア
ボランティア開発養成室 酒井 育子

咲き誇る桜のときもここしばらくのこと、時に夏の装いも見かける頃となりました。桜の人の世のあれこれにかかわらず、季節は巡ってまいります。

東京カリタスの家では、今年もボランティア養成講座を開催いたしますので、実行委員会は準備に奮闘しております。

今年のテーマは「生老病死に寄り添う」です。生きている限り、喜びも苦しみもさまざまですが、その世代その世代で悩みには特徴があります。子どもたちの受難、若い時の焦燥や憂鬱、人生の盛りに訪れる危機、そして年を取ってからの逃げ場のない病や苦しみ、死に直面しての動揺など……。ボランティアとしてこれらの悩みにどう向き合い、寄り添うのか。

コロナ禍の長いトンネルを抜けつつある私たちの社会は、この間、これらの問題に向き合うことを余儀なくされてきたはずですが、果たして少しは成長できたでしょうか。取り残され、無視され、見て見ぬ振りをされてきた心細い人々の存在を自分のことのように捉える想像力は少しでも増したでしょうか。コロナが猛威を奮う頃、喉の痛みや発熱を「もしやコロナでは?」と疑い、家族や同僚に移すまいと病院を訪れた体験、もう移してしまったかもしれないと怯えた日々、病院が門を閉ざして「自主隔離でお願いします」と言われ呆然としたこと、ワクチン有害説の報道に震えたとき、などなど……。今こうしている時にも、コロナで失った大切な人を想って泣く人、後遺症に苦しむ人、不安に怯える人は大勢います。世界一忘れっぽいと言われる私たち日本人ですが、この体験を忘れることは赦されないと思います。もしこの体験から私たちが養った想像力があるのなら、遠い国の戦禍に怯える人々に想いを致すことも、以前より容易になっているかもしれません。

2024年度のボランティア養成講座は5月11日に始まります。講座の全容はまだ整いつつあるところなので詳しいお知らせはまたの機会に譲ります。昨年補佐司教に叙階されたフレッシュなアンドレア・レンボ司教の講座を皮切りに、さまざまな世代の悩みや苦しみに毎回スポットを当てる講座にいたします。講師、講座実行委員、そして参加してくださる皆さまが、心を一つにして苦しむ人々のために何ができるかを考えるひとときにできればと願っております。

講座のお知らせは各教会にチラシなどを郵送するほか、東京カリタスの家ホームページ、教区ニュース誌上にも掲載する予定です。どなたでも参加できますので、カトリック信者でない方にもお勧めいただけます。奮ってご参加くださいませ。

東京カリタスの家は半世紀の歴史を持つ相談機関です。故白柳枢機卿に集められた4人のボランティアによって創設された当初から、ボランティアの働きを原動力として運営されてまいりました。現在は公益財団法人となり、発達障害児や精神障害を持つ方々に寄り添う福祉事業部門等で多くの職員が働いていますが、ご相談に応える家族福祉相談室とボランティアを育てるボランティア開発養成室は無償のボランティアによって運営されております。寄って立つところは50年間変わらず利他の「キリスト教精神」です。プロフェッショナルの集まりではありません。あくまでも傾聴と寄り添いが活動の根幹にあります。悩む方に説教したり、これが解決方法だと断定したりするのは私たちの流儀ではありません。神の前に対等な人と人同士、ゆっくりと聴きゆったりと寄り添ってまいります。医療や法律など、専門家の助けが必要な時には、適切な専門機関を紹介することにしております。皆さまの周囲でボランティア活動をご希望になられる方がいらっしゃいましたら、東京カリタスの家に電話をなさるようお勧めください。

東京カリタスの家受付 
03-3943-1726
月~土 10時~14時

福島の地からカリタス南相馬 第30回

まだまだ続く…
畠中千秋(聖心会修道女)

2011年3月11日の東日本大震災発災後、東北被災地(太平洋沿岸部)には、7か所のボランティア拠点が開設された。そのうちの一つの旧原町ベース(現在「カリタス南相馬」)は、2012年6月1日に開設された。

この時間のギャップの理由は、福島第一原子力発電所の事故により放射能が拡散されたことにある。その後、除染作業が始められ、13年過ぎた現在も除染完了していないところがある。そして、除染して排出された「放射性廃棄物」が中間貯蔵施設に運ばれ、満杯になりつつある。また、最終貯蔵施設の場所が定まってもいない。30年後までには定めることを予定としている。

その地域に住んでいた人々・家族は故郷を失ってしまった。いずれ、30年後にその土地が戻ってきても、当時の風景・故郷として思いだす風景ではありえない。地下水が汚染水と化した水を溜めるタンクも増え続けている。放射能を除去しても実際はトリチウムが残る「処理水」を、2023年8月、海に流し始めた。猛烈に反対している漁業者がいるにもかかわらず。これも、30年ほどの年月をかけて海に放流していくことになっている。

また、除染のために、はぎ取った農地の一番肥えた良い土の表層5 cmの土も含めて放射性廃棄物を可燃と不可燃に分別し、焼却した後の灰が8000ベクレル以下であれば、その灰をコンクリートに混ぜて、道路や堤防に使うことや、また農地に混ぜていくことを言い出す人々は、被災した人々の心を踏みにじることにも気づかない。

福島第一原子力発電所と第二発電所は廃炉するとされたが、廃炉の完了は30年ほど先の話とされている。福島の原発事故のあと、世界では脱原発に舵を切る国も出てきた。そして、持続可能なエネルギーへの模索が続いている。しかし、日本はまだ、原発の再稼働を諦めてはいない。福島第一原子力発電所の事故による「緊急事態宣言」は、今も続いている。明らかに、「原子力」は人間の知恵と英知と技術力ではコントロールできていない。このままでは、私たちの生活を守るどころか私たちの命を脅かしている存在だ。ここには、生きとしけるすべての命を守り生かし続けていくための重要な課題が突きつけられている。

だからこそ、福島第一原子力発電所の事故は、福島だけの問題ではない。老若男女・宗教・民族・国籍を問わず、共に尊重し共存できる世界を創るために、一人ひとりが自分のこととして考え続けていくことができますように…。

カリタス東京通信 第13回

世界病者の日ミサと教区内愛の奉仕活動団体の集い報告
事務局 田所 功

世界病者の日のミサ

2月11日(日)世界病者の日、午後2時から東京カテドラル聖マリア大聖堂で世界病者の日のミサが行われました。主催はカトリック東京大司教区、運営をカリタス東京が担当して実施しました。主司式はアンドレア・レンボ補佐司教で約300人が参加しました。この日のミサは、国際カリタスが全世界で展開中の「Together We」キャンペーンの意向のためにもお捧げしました。このキャンペーンは、回勅『ラウダート・シ』と『兄弟の皆さん』などを通して、教皇フランシスコが示された「すべてはつながっている」という総合的エコロジーのもと、「ケアの文化」と「ケアの共同体」を進めていこうというものです。

アンドレア司教は、説教の中で「重い皮膚病についての記述はすべて、人間的交わりからはじき出されている状況を示唆しています。重い皮膚病の人に誰かが近づくならば、皮膚病の人は『わたしは汚れています!』と叫ばなければならないほど、すべての人から『のけ者』にされています。ここで、私たち自身に目を向けてみましょう。私たちが生きている社会、職場、あるいはこの教会の中にいるかもしれない『のけ者』にされている人々の叫びを、私たちは聞いているでしょうか。そしてその人たちに対し、どう答えますか。この福音書に耳を傾ける時、イエスに向き直り、イエスに信頼するなら、聖書の中の出来事が、今、ここで、私たちの間で、実現するに違いありません」と呼びかけられました。

当日のミサ献金は、能登半島地震被災者への救援募金の意向で5万5279円が集まり、カリタスジャパンへ送金しました。

教区内愛の奉仕活動団体の集い

世界病者の日のミサの後、関口会館ケルンホールにて東京教区内で愛の奉仕に取り組む団体やグループの集いを開催しました。昨年に続いて2回目の開催となり、約50団体・グループ120名の方々にご参加いただきました。

菊地功大司教は挨拶の中で「世界病者の日を定められた教皇聖ヨハネ・パウロ2世は、病気で苦しんでいる人たちのために祈りを捧げるように招くと共に、医療を通じて社会に貢献しようとする多くの医療関係者や病院スタッフ、介護の職員など、いのちを守るために尽くす方々の働きに感謝し、彼らのためにも祈る日とすることを呼びかけました。この二つの意向を忘れないようにいたしましょう。」と述べられました。

「愛の奉仕活動団体の集い」で挨拶する菊地大司教

編集後記

姿が見えないと、声が聞こえないとたまらなく不安になる。寂しくなる。

そんな存在に出会えたなら、その人生は幸せだ。その宝を見失うことがありませんように。(Y)