お知らせ

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東京教区ニュース第406号

2023年10月04日

シノドスの歩みをさらに深めるために

 
西村桃子さんと菊地大司教
 

東京大司教 タルチシオ 菊地  功

この教区ニュースがお手元に届く頃には、わたしはローマでシノドスの総会に参加しています。世界代表司教会議(シノドス)第16回通常総会は、「ともに歩む教会のため―交わり、参加、そして宣教」をテーマに、三つのステージに分かれて、2021年10月にはじまりました。
 
各教区レベルでの第一ステージ。日本を始めアジア各地は感染症の影響で、皆で集まるようなプログラムを実施できませんでした。そのため盛り上がりを欠いていることは事実です。東京教区では、インターネット上で短いビデオプログラムを公開して、シノドスの情報を提供してきました。(このビデオはYouTubeのカトリック東京大司教区チャンネルで現在もご覧いただけます)。
 
2022年8月から今年の3月までは第二番目の大陸別ステージとなり、アジアでもFABC(アジア司教協議会連盟)が中心となって、バンコクで集まりを開催しました。
 
そして今回が第三番目のローマにおける総会の第一会期です。来年2024年10月に第二会期が予定されており、それを持って今回のシノドスは終了することになっています。
 
日本からは、司教協議会を代表してわたしが参加し、それ以外に歴史上初めて女性がこの役割に任命されましたが、西村桃子さんが議長団に加わり、シスター弘田鎮枝が顧問として参加しています。
 
今回のシノドスにはゴールが設けられているわけではありません。これまでのシノドスであれば、何か議題が設定されていて、それについて意見を交換し、最終的に教皇様に対して答申をすることがゴールでありました。
 
しかし今回のシノドスには、そういったゴールはありません。多くの意見を集約しながら議論をすることよりも、もっと霊的な側面、すなわち教会は現代社会にあってどのような存在であるべきかを見いだそうとする試みであり、さらに教会をその始まりから導いている聖霊が、今の時代に教会をどこへと導いているのかを見いだそうとする試みでもあります。さらに言えば、そういった聖霊の導きを見いだす姿勢を、教会の常なる姿勢として定着させようという試みでもあります。
 
今回のシノドスがはじまってから、世界中で様々な意見が飛び交っています。これまでの教会の教え伝統をひっくり返すのではないかと、教皇様を批判する声まで聞こえてきます。現代社会に迎合するだけではないか。そういった心配の声も聞かれます。しかし、わたしが理解している限りでは、今回のシノドスは、教会の教えに大きな変革をもたらそうとしてはいません。目指すところは、教会が、聖霊の導きを共同体として識別しようとする姿勢を、しっかりと身につけようとするところにあります。その意味で、今回のシノドスの歩み自体を、歯がゆく感じておられる方が大勢いることも存じ上げています。議題を設定して、議論をすることがないからです。分かち合いを中心にして聖霊の導きを識別しようとするプロセスは、つかみ所がなく、明確なゴールが見えません。あらためて強調しますが、今回のシノドスは、新しい教えを生み出したり、組織改革をしたりするためではなく、教会の霊的成長のために行われる祈りの集いです。
 
シノドス事務局長のグレック枢機卿は、9月12日に世界中の司教に書簡を送り、シノドス会期中に、教会全体でシノドスのために祈ってほしいと要望されました。その中で枢機卿は、ただ行事の成功のために祈るのではなく、祈ること自体が教会全体がシノドスに参加する一つの方法だと強調し、今回のシノドスが議決するためではなく霊的成長を目指すものであることを明確にされました。さらに枢機卿は、シノドスの期間中、「御言葉に耳を傾け」、「沈黙のうちに礼拝し」、「シノドスのために取り次ぎの祈りをし」、「神が教会共同体に注がれる恵みに感謝の祈りを捧げる」ように、呼びかけておられます。
 
東京教区の皆様にあっても、どうかこの10月4日から29日までの期間、祈りを持ってシノドスに参加してくださいますようにお願いいたします。またわたしを始め、総会に参加しているすべての方のためにお祈りください。
教会の霊的な成長のために、歩みをともにいたしましょう。
 
(左から)小西広志神父(教区シノドス担当者)、菊地大司教、西村桃子さん(シノドス議長代理)による緊急鼎談ビデオを撮影しました。近日公開予定!
 

東京教区に待望の補佐司教任命!

 
教皇フランシスコは、9月16日19時(ローマ時間お昼)、東京教区補佐司教にアンドレア・レンボ(Andrea Lembo )神父を任命されました。2018年6月23日に幸田和生補佐司教(当時)の引退が受理されて以降、5年間不在であった東京教区に待ちに待った補佐司教が誕生いたします。わたしたちに補佐司教を与えてくださった父である神様に心から感謝の祈りをお捧げいたしましょう!
 
アンドレア被選司教は、1974年5月23日、イタリアのロンバルディア州ベルガモ出身の49歳。ミラノ外国宣教会会員で、現在はミラノ会東アジア管区長、府中教会協力司祭を務めておられます。
 
司教叙階式は12月16日(土)を予定していますが、開始時間等の詳細は後ほど発表いたします。アンドレア被選司教様、おめでとうございます。
 
※なお、ルブリカに従ってミサの奉献文の中で「わたしたちの司教タルチシオ・菊地功」に加えて「被選補佐司教アンドレア・レンボ」と唱えることもできます。
アンドレア・レンボ被選司教略歴
1974年5月23日     イタリア共和国ロンバルディア州ベルガモ県トレヴィーリオに生まれる
1974年11月24日      トレヴィーリオ聖ペトロ使徒教会にて受洗
2003年6月7日       フィリピンにて助祭叙階
2004年6月12日           ミラノ司教座聖堂にて司祭叙階
2009年4月          来日
2011年4月〜2012年3月  板橋教会助任司祭
2012年4月〜2017年3月  習志野教会助任司祭
2014年4月〜2021年2月  一般社団法人船橋学習センター「ガリラヤ」副理事長
2017年4月〜2023年3月  府中教会主任司祭
2017年5月〜       カトリック・ミラノ外国宣教会管区長
2021年2月〜       一般社団法人船橋学習センター「ガリラヤ」理事長
2021年6月〜       公益材団法人真生会館理事長
2023年9月16日      東京教区補佐司教に任命
 

訃 報

パウロ森一弘名誉司教が、9月2日(土)午前3時39分、上部消化管出血のために、東京逓信病院(飯田橋)にて帰天されました。享年84歳でした。どうぞお祈りください。
葬儀ミサ・告別式は、9月5日(火)12:00より、東京カテドラル聖マリア大聖堂にて、菊地功大司教の司式によって執り行われました。なお、森司教は検体を希望なさっていたため、納骨式は数年後に行われる予定です。

パウロ 森 一弘名誉司教
 
【略歴】
1938年10月12日     神奈川県横浜市に生まれる。
1954年 4月 3日        栄光学園聖堂にて受洗
1967年3月11日        司祭叙階(ローマにて)
1977年8月~1981年3月  関口教会助任
1981年4月~1985年1月  関口教会主任
1984年12月3日     東京教区補佐司教任命
1985年2月23日     司教叙階
2000年5月13日     東京教区補佐司教退任
2023年9月2日       帰天
役職等
1985年11月~2021年6月   真生会館理事長
 
セバスチャン 西川 哲彌神父が、2023年9月8日(金)午前4時10分、多臓器不全のために、ベトレヘムの園病院(清瀬)にて帰天されました。享年80歳でした。どうぞお祈りください。
葬儀ミサ・告別式は9月12日(火)13:30より、東京カテドラル聖マリア大聖堂にて、菊地功大司教の司式によって執り行われました。納骨式の日程は未定です。決まり次第、教区ウェブサイトにてご連絡いたします。
 
セバスチャン 西川 哲彌神父
 
【略歴】
1943年1月19日        旧満州国奉天市に生まれる。
1962年5月27日        浦和教区川口教会にて受洗。
1976年11月3日        司祭叙階(東京カテドラルにて)
1977年4月~1981年4月  高円寺教会助任
1983年3月~1984年3月  小平教会主任
1984年4月~1992年3月  館山教会主任
1992年4月~2000年3月  徳田教会主任
2000年4月~2003年3月  豊四季教会主任
2003年4月~2009年3月  豊島教会主任
2010年4月~2016年3月  浅草教会主任
2011年4月~2016年3月  上野教会主任(浅草と兼務)
2016年4月~2019年3月  関口教会主任
2019年4月~2022年3月  清瀬教会主任
2022年2月26日~       病気療養
2023年9月8日       帰天
 
パウロ・テレジオ 古賀 正典神父が、2023年9月10日(日)早朝、ペトロの家の居室で倒れているのを発見され、救急搬送され、午前8時53分、帰天されました。享年64歳でした。どうぞお祈りください。
葬儀ミサ・告別式は9月19日(火)13:30より、東京カテドラル聖マリア大聖堂にて、菊地功大司教の司式によって執り行われました。納骨式の日程は未定です。決まり次第、教区ウェブサイトにてご連絡いたします。
 
パウロ・テレジオ 古賀 正典神父
 
【略歴】
1959年 8月12日       鹿児島県鹿児島市に生まれる。
1978年10月1日        関町教会にて受洗。
1990年 3月11日       司祭叙階(東京カテドラルにて)
1990年 4月~1991年 3月   洗足教会助任
1994年 4月~1995年 6月   八王子教会協力
1995年 7月~1995年12月  西千葉教会助任
1996年 1月~1997年 3月   西千葉教会主任代行
1997年 4月~1998年 6月   高円寺教会助任
1999年 4月~2000年 4月   立川教会協力
2000年 4月~2003年 4月   梅田教会主任
2007年 4月~2017年 3月   小平教会主任
2017年 4月~        ペトロの家(病気療養)
2023年 9月10日       帰天
役職等
1991年 4月~1995年 6月   東京教区本部 事務局次長
1991年10月~1995年 6月     東京教区 会計担当
2003年 4月~2007年 3月   カトリック中央協議会 法人事務部長・秘書室長
2007年 4月~2011年 3月   東京教区 会計担当・法人事務部長
 
パウロ 星野 正道神父が、9月20日(水)世田谷区弦巻のお住まいにて虚血性心不全のため帰天されました。享年73歳でした。どうぞお祈りください。
葬儀ミサ・告別式は9月26日(火)13:30より、東京カテドラル聖マリア大聖堂にて、菊地功大司教の司式によって執り行われました。納骨式の日程は未定です。決まり次第、教区ウェブサイトにてご連絡いたします。
 
パウロ 星野 正道神父
 
【略歴】
1950年1月20日      東京都杉並区に生まれる。
1982年4月10日      吉祥寺教会にて受洗。
1993年3月13日      司祭叙階(上野毛教会にて)
1993年3月~2002年3月   上野毛教会協力
2006年4月~2008年3月   多摩教会協力
2007年7月1日        カルメル会より東京教区へ移籍
2008年4月~2012年3月    立川教会協力
2012年4月~        教区本部協力
2023年9月20日       帰天
教育関係
2004年4月~2019年3月  白百合女子大学教授
2010年4月~2013年3月      白百合女子大学キリスト教文化研究所所長
2017年4月~2018年3月      白百合女子大学カトリック教育センター長
2019年4月~2023年3月     和歌山信愛大学教授・学長補佐
2023年4月~          世田谷聖母幼稚園園長
               学校法人世田谷聖母学園理事長

神様は私の心の温泉です -森一弘司教を偲んで-

森司教の葬儀ミサの説教は、森司教から真生会館理事長を引き継いだアンドレア・レンボ被選司教によって行われました。森司教への追悼の辞として、アンドレア被選司教の説教を掲載いたします。

パウロ森一弘司教様は、1938年10月12日生まれ、18歳でカトリックの洗礼を受け、カルメル会に入会されました。1960年上智大学を卒業、1967年にローマにて司祭叙階され、カトリック東京大司教区の教区司祭となり、1985年には司教に叙階されました。東京大司教区補佐司教を務める傍ら、聖書研究にも勤しまれ、数多くの著書を執筆してこられました。2000年に補佐司教を引退なさってからは、2021年6月30日まで真生会館の理事長を務め、その間もカウンセリング・霊的指導・執筆・黙想指導などに力を注いでこられました。
 
イエスは言います。「疲れた者、重荷を負う者は、だれでもわたしのもとに来なさい。休ませてあげよう。わたしは柔和で謙遜な者だから、わたしのくびきを負い、わたしに学びなさい。そうすれば、あなたがたは安らぎを得られる」。主の呼びかけは驚くべきものです。主は身分が低く、生活の苦しみを抱えた人々に対し、ご自分に従うよう呼びかけます。主は数々の困難を抱えた人々に対し、ご自分に従うよう呼びかけ、ご自分のうちに安らぎと慰めを得られると約束します。その呼びかけは命令の形をとっています。「わたしのもとに来なさい」、「わたしのくびきを負いなさい」、そして「わたしに学びなさい」です。
 
マタイによる福音書のこの一節は、森司教様の宣教司牧活動を示すだけではなく、森司教様がどんな人であったのかを私たちに教えてくれます。
 
最初の命令は「わたしのもとに来なさい」です。森司教様は、人々の声に耳を傾ける奉仕活動だけでなく、講話、黙想会などを通じて、どれほど多くの人々をイエスに導いたことでしょう。
 
第二の命令は「わたしのくびきを負いなさい」です。あまりにも多くの人々の肩にのしかかっているくびきを司教様は外そうとされました。人々と会う中で、こうした不安を自ら引き受け、生きやすくしてくださいました。
 
第三の命令は「わたしに学びなさい」です。森司教様は貧しい人々や小さな人々に寄り添い、福音に従って生活しました。たしかにイエスから学ばれました。
 
森司教様は、この三つのことばをご自分の人生の歩みと活動の源になさいました。非常に優秀な方でありながら、柔和で、謙遜で、目立つことなく、教会のため、日本社会のため、悲しみ苦しむ全ての人のために力を注いでこられました。長年、補佐司教として、そして真生会館の指導者として、司教の三つの聖務を見事に果たされました。すなわち、教える任務、聖化する任務、統治する任務です。
 
私が森司教様に初めて出会ったのは、2011年12月26日、この大聖堂での主の降誕祭に当たる司祭の祈りの集まりの時でした。教会の一番後ろの席に座った私の隣に、司教様もお座りになりました。そのとき私は、森司教様だとは分かりませんでした。その祈りの終わり頃、神様に賛美する荘厳な讃美歌を歌いながら、森司教様は私に声をかけてくださいました。
 
「もしかして、アンドレア神父様ですか」
「はい」
「ね、ね、神様は何人だと思いますか」
「さあ、分かりません」
「僕は、絶対に日本人じゃないと思うよ」
「そうですか」
「だって、日本人は、自分が褒められたり、拍手を送られたりするのをいやがるでしょう?神様が日本人だったら、今どこかで、ご自身を隠しているのではないかと思うよ。むしろ、僕にとって神様はあなたと同じ、イタリア人だと思うよ。イタリア人は褒められるのが大好きだから」。
 
森司教様に出会った時から、司教様は私に親しく接してくださいました。真生会館を引き継いでからも、何度も何度もご指導くださり、知恵もたくさん下さいました。
 
最後に森司教様と会ったのは、数週間前でした。すでに司教様は体調を崩されていたのに、ご自身もおつらい状態のなか、私の健康状態を心配してくださいました。「アンドレア神父様、心配していますよ。どうかお大事にしてください。皆さん、神父様のことを期待しているのだから。無理しないでください」と、あらためて優しいことばをかけてくださいました。
 
森司教様からは数えきれないほどたくさんのことばを頂きましたが、なかでも一番大切にしたいと思っているのは次のことばです。「神様は私の心の温泉です」。苦労しながら耐え忍ぶ人々は、1日あるいは一週間あるいは1ヶ月の間、たった一回だけでもお風呂に入れるなら、きっとほっとして喜びに満たされるでしょう。厳しい世界に生きる人が、温かくて優しい温泉に入るならきっと安らぎを得ます。確かに「神様は私の心の温泉です」。
 
森司教様、これから私たちは寂しくなりますが、司教様の温泉のような温かさと優しさを決して忘れはしません。
森司教様、長い間お世話になりました。
 
有難うございます。

信仰と生活の乖離

教区シノドス担当者 瀬田教会主任司祭
小西 広志神父

森一弘司教さまが帰天なさった。ちょうど思い出したことがあるので初老の神父の昔話として少しお付き合い願いたい。それは「信仰と生活が乖離している」という司教さまの主張である。
 
第二バチカン公会議が終わったのが1965年であった。新しい風を教会は感じ始めた。その風に後押しされるように東京大司教区は教区大会を1970年に開催した。七つの項目について話し合い、意見を交換した。こうして、第二バチカン公会議による教会の刷新は具体的に始まっていった。高度経済成長期の終焉を迎えた70年代は「モーレツからビューティフル」などと言われて生活のスタイルと「こころ」のあり方が問われていた時代である。一司祭であった森司教さまはカルメル会という修道院を出て東京教区へと移られた。哀しむ人や苦しむ人との出会いが修道生活から牧者の生活へと向かうきっかけになったという。そして多くの方々に関わり、多くの方々に福音を伝え、多くの方々を洗礼へと導いた。80年代の中盤に東京大司教区の補佐司教に任命された森司教さまは、今までの日本の牧者たちとは少し違う視点から務めを果たしておられた。
 
「信仰と生活が乖離している」とおっしゃったのは森司教さまだったように覚えている。つまり、日曜日にはミサに来て立派な信者として祈り、ご聖体をいただいていくが、他の曜日はイエスさまのことを忘れ、あまつさえ神さまのことを忘れて生きている。信じることと生きることがバラバラであるという主張であった。確かに第二バチカン公会議後「信徒の教会」というかけ声のもとに信徒が教会の運営や社会に存在する様々な問題に取り組んできた。そして、聖職者や修道者は奉仕者として位置づけられ、信仰の共同体に奉仕し、社会に奉仕するものとなった。しかし、キリスト信者一人ひとりの生活は主イエス・キリストの福音とは無関係なところにあったかもしれない。時あたかもバブル経済の絶頂期である。「こころ」のあり方が大切だとは分かっていても、生活を基礎づけるのはモノとお金であるという価値観が一般的な、そんな時代であった。「信仰と生活の乖離」が生じないようにしなければならない。そのためには神のみ言葉である聖書を味わう。そして共同体で支え合っていくキリスト者の生き方を森司教さまは提唱していた。福音宣教推進全国会議(NICE-1)もそのような背景から生まれたものだろうと筆者は考えている。
 
森司教さまは特に小教区共同体になじめないような人びとへの関わりを大切になさった。そのお一人おひとりに真摯に関わった。生活の悩みや苦しみに耳を傾け、励ましを与え、力づけた。このような牧者としてのスタンスは最期まで貫き通された。こうして司教さまを通じて洗礼の恵みをいただいた人びとは数多くいる。
 
「信仰と生活の乖離」が再び生じているように感じる。どのように乖離しているかを描写するのは難しい。ただ、なんとなく2020年からのいわゆる「コロナ禍」のおかげで信仰に根づいて生きていくという姿勢が少しゆらぎ始めているように思う。自分の都合で教会に来たり来なかったりを決定できるように考えている方々は多いような気がする。また、若い世代は日々の生活に追われて日曜日にミサに出席するのも難しくなっている。高齢の家族の介護と介助のために教会共同体に来られない人も増えている。この半世紀、70年代以降から取り組んできたような信仰の共同体のあり方では対応できないほど、事態は深刻さを深めているように思う。
 
高位聖職者である森司教さまの魅力とアピールによって「信仰と生活の乖離」は回避できた。しかし、これからはわたしたちキリスト信者一人ひとりの取り組みが求められている。それは決して個人的になされるのではない。「ともに歩む」という立場から一緒に取り組んでいかなければならないだろう。こうしてわたしたちの東京大司教区は少しずつ「シノドス的」な教会へと変わっていくのだと信じている。

4年ぶりのマリア行列―地域の中で生きる教会―

 
去る8月12日(土)、カトリック赤羽教会にて4年ぶりのマリア行列が行われた。このマリア行列は教会の敷地内のみならず、教会を出発してマリア像と共に教会近くの商店街を行進するものである。「赤羽教会に通って40年」という信徒の方曰く、「自分が赤羽教会に転籍した時にはすでに行われていた」という伝統ある行事だが、コロナ禍の間は中止されており、今年、4年ぶりに復活した。
 
当日は午後五時からマリア行列のために特別に許可された聖母被昇天のミサが捧げられ(もちろん、8月15日当日にも捧げられたとのこと)、100名近い信徒が参加した。ミサが終わると、聖堂の外には、台車に乗せられたマリア像が登場。ミサに参加した司祭と信徒がそのまま、「あめのきさき」を歌いながらマリア像と行列を開始した。商店街のアーケードの中に入ると、アーケードのスピーカーからも「あめのきさき」が流れ始めた。
 
かつては、このような行列は日本の各地で見られたが、現在でも続いている教会は決して多くはないという。また、昨今の宗教団体への風当たりを考えると、新たに企画することも難しいだろう。赤羽教会主任司祭の平孝之神父によれば「赤羽商店街の住民には(赤羽教会の敷地内にある)聖母の騎士幼稚園の卒園生がとても多いのです。彼らはカトリック信者ではなくても幼稚園時代にお祈りやマリア様のことを学んでいるので、マリア行列にも理解があります」とのこと。さらに平神父は「そのような恵まれた地域の特色を生かし、信徒だけでなく地域に受け入れられる教会であり続けたいと思います」と語った。
 
赤羽教会のマリア行列は、特別な事情がない限り、これからも毎年開催される予定。「地域の中で生きる教会」の姿をご覧になりたい方は、是非一度参加していただきたい。
 
「あめのきさき」が流れる商店街のアーケード
 
スカウトも隊列整理で協力

2023年平和旬間行事報告

去る8月12日(土)、カテドラル聖マリア大聖堂及びケルンホールにて、2023年平和旬間のミサと行事が行われた。ここで、その様子をお伝えする。

カリタス東京事務局 田所 功

8月12日土曜日、4年ぶりに東京カテドラル聖マリア大聖堂と関口会館ケルンホールにて平和旬間行事を実施することができました。午前11時より大聖堂で平和を願うミサ、午後1時30分からケルンホールで松元ヒロさんのトークライブ、午後3時から大聖堂で社会学者、東京都立大学教授・宮台真司さんの講演会というプログラムでした。
平和を願うミサ
主司式は菊地功大司教、そして12名の共同司式司祭、約300人が参加しました。東京教区では、この平和旬間で特に姉妹教会であるミャンマーの教会を忘れることなく、平和を祈ることを大切にしており、多くのミャンマー出身の方も参加しました。
 
大司教は説教で、「『戦争は死です』。同時にそれは、偶然もたらされた災害ではなく、『戦争は人間の仕業』でもあります。ですから、それを止めるのも人間の務めであります」そして「平和を語ることは、戦争につながる様々な動きに抗う姿勢をとり続けることでもあり、同時に人間の尊厳を危機にさらし、いのちを暴力的に奪おうとするすべての行動に抗うことでもあります」と話されました。
講演会
大聖堂での宮台真司さんの講演会には約300名が参加しました。カトリック信者である宮台さんは、今日の平和を考えるにあたって、キリスト教徒の側からイスラム教をよく理解すること、そしてイスラムの教義は戒律などにはっきり定められていることが多いのに比べ、イスラム教と比べてはるかに未規定の部分が多いキリスト教とは何か考え直す必要性について話されました。最後に、「キリスト教にアドバンテージがあるとしたら、教義的に不完全でありいろいろ考える余地があるところ。これからも仲間と議論し徹底して考え続けることが、平和や人類の良き将来に私たちを導いてくれるでしょう」と話を締め括られました。
 
ミサと宮台さんの講演は、カトリック関口教会のYouTubeチャンネルで視聴することができます。
平和旬間期間中、関口会館のエントランスホールに、東京教区ミャンマー委員会によってミャンマーの支援先の活動を紹介する写真展示コーナーも設けられました。当日はミサ献金とイベント会場での献金合わせて23万5497円が集まり、ケルン教区と共同で推進しているミャンマーの避難民の子どもの教育プロジェクト「希望の種」の活動のために活用されます。
松元ヒロさんトークライブ報告

カトリック東京正義と平和の会 
齊木 登茂子

東京教区内の教会では初めてとなる、松元ヒロさんのトークライブを開催しました。ケルンホールの収容人数を考えて「先着200名」としましたが、事前の問い合わせでは、「ヒロさんを無料で見せるなんて大変なことになりますよ」という内容が多かったので、さぞ行列が出来るかと心配していましたが丁度200名の方に観ていただけました。
 
会場は「ヒロさんを観たことのある方」と「初めて観る方」が半々くらいでした。大聖堂のミサ後に、我々スタッフの「面白いから観て行って」という呼びかけに応えて「知らないけれどあなたがそういうなら……」と会場に足を運んでくださった方もいらっしゃいました。
 
司会の簡単な挨拶の後、ヒロさん得意の政治風刺から始まりましたが今回は、自民党女性局のフランス旅行のネタからでした。ヒロさんは、どこの協会(教会)にも政党にも所属していないから「自由に話せる」とおっしゃり、政府の批判や政治家の話題を面白可笑しく伝えてくれます。また、本の紹介もしてくれ、「帰りにはあの本を買って帰ろう」と思わされます。平和旬間行事なので「憲法くん」のネタを必ず入れて欲しいと事前にお願いしていたので、「アンコール」の演目に入れてくださっていました。日本国憲法の前文を憲法自身に成り代わって暗唱する姿に、拍手喝さいでした。ライブ中、手話通訳者や要約筆記の方々を困らせるくらいのマシンガントークで一時間、会場を笑わせ、ほろりとする話も交えて観客を魅了してくださいました。私たちが聖書を読み祈りながら、どう考え行動したら良いのかを話し合う機会にもなったかと思います。

カリタス東京通信 第8回

かけがえのないいのちを育む「家」として

東京サレジオ学園 施設長
田村 寛神父

「行ってきます!」「行ってらっしゃい!」子どもたちは家である施設から学校に通学し、塾や習い事、地域のスポーツクラブなどにも通ったり、友だちとの付き合いで外出したり、高校生でアルバイトに行く子もいます。児童養護施設は全国に約600か所あり、多くの施設が戦争の犠牲となって親を失った子どもたちの保護救済を目的として、1947年の児童福祉法の制定に結びつき公的責任として位置づけられました。現在では予期できない災害や事故、親の離婚や病気、また不適切な養育を受けている等、子どもの入所理由は様々ですが、家庭による養育が困難な子どもたちが生活する「家」としての役割を担い、一人ひとりを大切にすることを心がけています。
 
どんなに幼くても、分離などの喪失体験を経験してきた子どもたちであり、成長とともにその事実を受け入れていかなければなりません。子どもにとっては安心して自分を委ねられる大人の存在が何よりも必要ですが、施設に来ることになった子どもたちは親や親族など本来安心できる存在の大人から逆に不適切な関わりを受けてきています。年齢が小さいうちであれば、なおさら抵抗することも逃げることもできませんし、記憶にない頃であれば、潜在的に受けているダメージも大きいと思います。施設での生活はゼロからのスタートではなく、マイナスからのスタートなのです。
 
「日本カトリック児童施設協会」という児童養護施設だけでなく、乳児院や母子生活支援施設、自立援助ホーム等を含めた全国的な組織があり、本年(2023年)4月現在77施設が所属しています。「カトリック施設」という名のとおり、ほぼカトリックの教区や修道会、信徒によって設立されました。国が教育と社会福祉に十分に力を入れることができなかった時代、多くのキリスト教の学校と施設がその役割を担ってきましたが、時代の変化に伴って各施設で働く職員の大半がカトリック信徒ではなく、司祭やシスターがいない事業所も増えているのが現状です。私が働いている東京サレジオ学園(東京都小平市)も100名近い職員のうち、カトリック信徒は数名ほどで司祭は私一人ですので、むしろ信徒ではない多くの方々がサレジオの創立者であるドン・ボスコが大切にした「子どもたち自身が愛されていると感じられる関わり」を深く理解して子どもたちの養育に携わってくださっていることで日々の営みが継続されていると言えますし、今後は各施設が地域の教会との連携を深めていくことも大切です。
 
子どもたちが大人への信頼を取り戻したり獲得したりするには、関わる側の大人が徹底して子どもに寄り添うことが求められます。そして私たちが自分の弱さや不足を正直に認めて「祈る」姿勢を持つことが大切です。今秋11月末にコロナ禍以来、実に4年ぶりにカトリック児童施設の全国大会を東京都内で開催する方向で準備しています。大会の締めくくりには菊地大司教の司式で派遣ミサを行う予定です。東京教区の皆様におかれましても是非関心を持って頂き、子どもたちのため、そしてカトリックの精神で働く職員のためにお祈りと応援をよろしくお願いいたします。

CTIC カトリック東京国際センター通信 第271号

森司教様、西川神父様

先月はCTICに非常に関わりのあった方々が相次いで帰天されました。1991年の設立以来、2003年まで運営委員長を務められた東京教区の元補佐司教の森一弘司教様と、最初の現場担当者をされた東京教区司祭の西川哲彌神父様です。CTICはかつて移住者の方たちの相談を受けやすいようにと、亀戸の雑居ビルの中に事務所を構えていた時期がありますが、その亀戸相談センターの設立の精神を森司教様はCTICのニュースレターで次のように語っておられました。「亀戸相談センターは、具体的に滞日・在日外国人の方々の『かなしみのかたまり(大江健三郎さんがノーベル文学賞受賞式で語ったことば)』に耳を傾け、それに触れ、少しでもそれを和らげることができれば、という思いから発足しています」(1995年1月)ここで森司教様が語られたことは、CTICそのものの発足の精神であると言えるでしょう。
 
この精神を実現すべく、初代の現場担当者としてまさに手探りの状態で奮闘されたのが西川神父様でした。海外から来たたくさんの人たちが働き、生活し始めるという新しい事態に、日本社会全体で見ても外国人支援は手探りだったと言えるでしょう。そういう状況で海外からのカトリック信者の人が教会に持ち込んでくる生活上の相談に、西川神父様は持ち前の行動力でなんとか応えようとされたのだと思います。しかし西川神父様がこのCTIC担当時代のことを話すのを聞いたことがある方はあまりいないのではないでしょうか。神父様が自分の手と足でなんとかしようとされていた時の苦労を、センターとして形が整った後になって、CTICがうまくいっていなかった頃などと簡単に片づけられても、じっと沈黙を守るつもりでおられたのだと感じています。ただ、私がCTIC担当になってから、神父様のご経験をあまりしつこく尋ねるので、建設現場で怪我をしたが病院代を雇い主は出してくれないという相談を受けて、神父様が自分で親方に頼みに行ったこと、カトリック教会から来たと言っても相手には通じないので、インターナショナル・センターという名前を使うことにしたこと、結局お金は足りないので、神父様自身が出したことなど、ぽつりぽつりと話してくれたことがありました。
 
森司教様が運営委員長を退かれる時にCTICスタッフに向けた言葉がニュースレターに残っています。「『まずあなた自身が燃えなさい。そうすれば周りも燃えていく』アビラの聖テレサの言葉。そういう彼女も、苦しみ叫ぶ人々の叫びに応えようとしたキリストの真っ赤に燃える炎にふれて焚きつけられた女性です。愛の炎の連鎖が、これからのCTICを更に支え育てて行ってくれることを願います」(2003年4月)。
 
森司教様も西川神父様もそれぞれの仕方で自分自身が燃えた方だったなあと思います。お二人のことを思いながら、燃えてくれる誰かを捜してばかりいる自分の心の姿勢を反省します。
 
森司教様、西川神父様どうか私たちのためにお祈りください。
 
 
CTIC所長 高木健次
 

カリタスの家だより 連載 第156回

ボランティア養成講座が始まります

教区ニュース読者の皆さま、灼熱地獄に加え、いまだ消えないコロナの恐怖、どちらさまも散々な夏を乗り切られたことと思います。お見舞い申し上げます。東京カリタスの家でも、面談や会議予定のあるボランティアさん、受付担当のボランティアさんが汗を拭きふき、ふぅふぅ言いながらカリタスの家にたどり着いておりました。
 
さて、待望の秋になりました。東京カリタスの家では10月21日(土)から、3週連続の土曜日にボランティア養成講座の後期を開催します。東京教区の各教会、カリタスの家の登録ボランティアさん、前期の受講者さんにはすでにお知らせが届いていますが、前期に参加なさらなかった方でも安心してお聞きいただける内容としております。教区ニュースの読者の皆さまにぜひご参加いただきたく、期日が迫っていますが紙面をお借りしてお知らせ申し上げます。
 
今年度のテーマは「傾聴」です。前期には傾聴の精神、心構えなどを講師に語っていただきましたが、後期はより具体的に、「女性をめぐる問題の傾聴」と「心の病に苦しむ方の傾聴」を取り上げます。そして最終回には、今年度のまとめとして、傾聴は何のために必要なのか、傾聴の向こう側にあるものについて真生会館理事長であるアンドレア神父さまに講じていただく予定です。
 
東京カリタスの家は、常に苦しむ方、悩みを抱える方たちのお話を聞き、寄り添っていくことを通して、無私のキリスト教精神を実現していくのを半世紀の活動としてきました。いただいた生命、能力も時間も自分だけのものではありません。キリスト教精神によるボランティアは、与えられたものを他者に返すつもりで行われてきました。相談者さんの話を、全身全霊をもって聴く傾聴こそ、すべての始まりなのです。
 
秋の深まりとともに、カリタスの家のある東京カテドラル前の並木道に植えられた銀杏の葉が美しく色づいてまいります。お誘い合わせの上、東京カリタスの家のボランティア養成講座にお出かけください。
 
また、皆さまの周りでお悩みの渦中にある方がいらっしゃいましたら、東京カリタスの家へのご相談をお勧めくださるようお願い申し上げます。こ相談者さんのプライバシーは厳守いたします。
 
講座のスケジュールは次の通りです。お申し込みは下記の電話で受け付けております。皆さまのご参加を実行委員一同心からお待ち申し上げます。
 
2023年度ボランティア養成講座実行委員会
 
「女性の悩み、取りまく問題とは?」
日時=10/21(土) 13時~16時
場所=カトリックセンター センターホール
講師=河西ひとみ氏(女性ネットSaya-saya)
 
「心の傾聴」
日時=10/28(土) 13時~16時
場所=カトリックセンター センターホール
場所=菊池健医師(井の頭病院 理事長)
 
「傾聴の向こう側」
日時=11/ 4(土) 13時~16時
場所=カトリックセンター センターホール 
講師=アンドレア・レンボ被選司教(真生会館 理事長)
 
【連絡先】
東京カリタスの家受付 03-3943-1726
受付時間 月曜~土曜 10時から~14時
 
 
 

福島の地からカリタス南相馬 第25回

東星学園中学校・高等学校 
教頭 長谷部準子

2023年度被災地ボランティア活動報告

今年度の被災地ボランティアで特記すべき事柄は、秋田市での活動です。
 
本校で実施している被災地ボランティアの活動は、福島県のカリタス南相馬を利用することで、福島とつながり続けることを主としています。
 
毎年の活動は、その時その時に必要とされることのお手伝いと現地視察です。「福島の今」を自分の目で観て空気を感じて、それぞれが得たものを持ち帰り、周りに伝えていくようにしています。先輩の報告を聞くことで、興味関心を持った後輩たちが翌年以降の活動に参加してくれています。東日本大震災から12年が過ぎ、それでも福島に行くのかと思う人もいるのではないでしょうか。しかし、実際に訪れて現地視察をすることで、まだまだ必要とされることがあることを実感しています。
 
この12年の間には、日本国内だけでも多くの災害が起きました。特にここ数年、水害が多く起きています。今年の7月に秋田県でも大きな水害が起きました。この水害で秋田市にある聖霊女子短期大学付属高等学校、幼稚園・保育園、聖霊会修道院は大きな被害を受けました。より緊急性のある所での活動をしませんかという、カリタス南相馬のスタッフさんからのお声掛けを頂き、秋田市まで出かけていくことになったわけです。
 
 
わずか1日の活動でしたが、先生方や生徒そして卒業生の方々と一緒に活動させていただきました。その際に、大変な状況でありながらも前向きに頑張っていらっしゃる姿に生徒たちは感動していました。また、お忙しい中、校長先生が被災当日の様子について、校内を案内しながら教えてくださいました。水害の恐ろしさについても学ぶことができました。
 
先に南相馬入りをした男子生徒たちは、相馬野馬追祭りのお手伝いをさせていただきました。この祭りは一千年以上も前から続く、福島県相馬で行われる祭りです。2017年に大震災後初めて小高神社からの出陣が出来たときにもお手伝いをさせていただきましたので、久しぶりのお手伝いでした。例年以上に暑い日でしたが、2日間にわたって頑張って活動することができました。
これからも、活動と祈りを続けながら、福島に寄り添いつづけていきたいと思います。
 
 
 

編集後記

信じ続けること、希望を持ち続けることは難しい。疑うこと、不安に負けることの方がはるかに簡単だ。
 
使徒たちでさえ信じられなかった。イエスの復活を信じた人は誰もいなかった。それでもイエスは復活した。復活して、使徒たちの前に現れた。
 
信じられない弱さ、希望を見失う弱さなど、イエスは全てお見通しだ。ならば弱いそのままで、ただただイエスにすがってもいいのではないだろうか。(Y)