お知らせ
東京教区ニュース第404号
2023年06月30日
目次
東京教区の動画配信
「聖体とシノドス」第三回から。教会のアイデンティティは「聖体を中心とした共同体性」であると断言する菊地大司教
東京教区では「カトリック東京大司教区Youtubeチャンネル」(以下、教区Youtubeチャンネル)でいくつかの動画シリーズを配信している。すでにご覧になっている方も多いと思われるが、そのうちのいくつかを改めてご紹介したい。これらの動画が皆様の信仰生活の支え、助けとなれば幸いである。
教会共同体には、病気や障害などで教会に行くことが難しく、PCやスマホで動画を観ることも不得手な方が少なくない。是非、そのような方々のお手伝いをしてくださる方が増えることも願う。
週刊大司教
毎週土曜日18:00から配信している、教区Youtubeチャンネルのメイン番組。2020年11月17日に第一回が配信され、今年の6月24日で第百三十回を数えた。元々はコロナ禍でミサの参加が制限される中、毎週の祈りや霊的聖体拝領の一助のために始められたが、教会に行くことが難しい方々はコロナとは関係なく大勢おられるので、今後も継続する。
百一回目からは内容がリニューアルされ、現在は菊地大司教による翌日の福音朗読、短いメッセージ、派遣の祝福という構成となっている。なお、福音朗読とメッセージの間の映像や、メッセージを語る大司教の横に置かれている小物は毎回変わっており、大司教が下げている十字架も一種類ではない。そのような細かい変化も楽しみながら視聴していただきたい。
第百回までの「週刊大司教」オープニング。撮影場所でもあった大司教館小聖堂の祭壇がバック
現在の「週刊大司教」オープニング。中央の聖書は古いウルガータである
第百二十八回の大司教メッセージから。ぬいぐるみは教皇フランシスコのタイ訪問記念に作られたものとのこと
対談「シノドスを語る」
教区シノドス担当者小西広志神父(瀬田教会主任司祭、フランシスコ会)と菊地大司教のシノドス対談シリーズ。今年の1月には第一弾として「シノドスを語る」全5回をお届けしたが、大好評につき6月にはテーマを聖体に絞った第二弾「聖体とシノドス」全4回を公開した。「カトリックの信仰は共同体の信仰である」という考えはシノドスの核心だが、その共同体の中心には、常に聖体に現存する主イエスがおられるということを、第二弾を観ながら再確認していただきたい。
さらに第三弾として、7月には小西神父とスペシャルゲストによる「分かち合い」をテーマとした対談シリーズを配信予定。自然豊かな某所にて撮影は完了しており、現在絶賛編集作業中。乞うご期待!
第一弾タイトル一覧
第1回「教会は共同体である」
第2回「第二バチカン公会議と教皇たち」
第3回「公会議からシノドスへ」
第4回「多様性における一致」
第5回「分かち合いへの招き」
第二弾タイトル一覧
第1回「共同体の中の聖体」
第2回「畏敬と交わり」
第3回「ミサと共同体性」
第4回「イエスの想い」
「シノドスを語る」第一回から。菊地大司教の子ども時代の秘話も!
ロザリオの祈りと季節の祈り
カトリック教会には季節や教会暦に応じた祈りの習慣があるが、教区Youtubeチャンネルでは、これまでにロザリオの祈りの動画を4本、十字架の道行きの動画を1本アップしている。ロザリオの祈りには毎回、多くの司祭・修道者の協力を頂いており、今年5月に公開した最新版は「東京で働く若手司祭」が中心となっている。動画は一連ごとに異なる場所で撮影。登場人物が生活している教会や修道院の聖堂でのロケを敢行した。自宅や電車の中にいながら、東京教区の様々な聖堂を訪れ、そこに生きる司祭・修道者と心を合わせて祈る体験ができる動画となっている。
ロザリオは5月と10月だけの祈りではなく、十字架の道行きも四旬節だけの習慣ではない。日々の祈りに是非お役立てください。
「ともに祈るロザリオの一時」2023年5月版。聖パウロ修道会四谷修道院にて。左から二人目は今年3月にカテドラルで叙階された大西德明神父
同じく2023年5月版から。赤羽教会にて。左は今年3月にカテドラルで叙階された外山祈神父(コンベンツアル会)
※この記事でご紹介した動画は全てこちらからご覧になれます。
わたしたちの教会はどのような教会か?
—シノドス「討議要綱」を読んで—
教区シノドス担当者 瀬田教会主任司祭 小西 広志神父
シノドス 世界代表司教会議 第16回通常総会の「討議要綱」(インストルメントゥム・ラボーリス)が発表されました。2021年より始まった今回の世界代表司教会議は、各教区のステージ(段階)、大陸別のステージを経て、今年(2023年)の10月と来年の10月の二回に分けて討議がローマで行われます。今回発表された「討議要綱」は50ページに及ぶ大きな文書です。ごくごく簡単に内容をご紹介します。括弧内の数字は本文の段落を表します。
通常総会は、世界各地から集まった司教と司祭、信徒たちによって討議が行われます。その際に、この文書は討議のための「実践的な手助け」(10)となるものです。ですから、これは「教会の教導職の⽂書でも、社会学的調査の報告書でもありません。また、会議の運営上の指針、⽬標、目的を定めた文章を提供するものでもありません。さらに神学的ビジョンを完成した形で表したものでもありません」(10)と、大陸ステージのための作業文書の一文を引用しながら「討議要綱」の基本的特徴を説明しています。
文書の全体を眺めてみますと昨年の夏から今年の春にかけて実施された大陸別のステージからの影響があるように思われます。今回のシノドスのテーマは「ともに歩む教会のため―交わり、参加、そして宣教」ですが、世界各地でなされた祈り、話し合い、分かち合いで得られた貴重な意見と実りが「討議要綱」には反映されています。
さらに、これまでの世界代表司教会議では「討議要綱」は、総会後に発表される最終文書の原案のような体裁をとっていましたが、今回は「最終文書の草案を意図していない」(10)とはっきりと記されています。ですから、この文書は総会の参加者一人ひとりに向けて何よりも宛てられたものなのです(10)。
「討議要綱」はAとBの二つに部分に分けられています。
「シノドス的教会のために」と表題がついているセクションAでは、これまでの「シノドス的教会」に向けての歩みをもう一度検証しています。こうして「シノドス的な教会の基本的な特徴と、はっきりとしたしるし」(14)を抽出するのがまず何よりも必要となります。それは、シノドス的な教会の姿をさらにはっきりさせるためなのです。総会は「再検証をして得られた実りを、さらに明確にし、さらに純粋なものに精製するようにと求められているのです」(14)。
この目的のために「討議要綱」はシノドス的な教会を特徴づけるものをいくつか提示しています。まず、洗礼の秘跡から得られるすばらしさに注目しています。教会は「洗礼の秘跡によってもたらされた共通の尊厳を認めることにその基礎を置いているのです」(20)。また教会は「耳を傾け、聞く」(22)ものです。教会は「謙遜であろうとねがい求める」(23)ものです。ですから、教会は「ゆるしを請うことを、そして学ぶべき多くのものがあることをよく知っています」(23)。さらにシノドス的教会は「出会いと対話」(24)の教会です。ですから、教会は、多様性があることに恐れを抱いていませんし、無理やり一つにまとめようとはせずに、自らの価値を強調することができるのです(24)。そして、何よりもシノドス的教会は、「わたし」から「わたしたち」へと移ろい行くことを促進します(25)。そして、教会は「すべての人を受け入れ、すべての人を抱き締めるようにと開かれているのです(26)。
「交わり、宣教(ミッション)、参加」と題されたセクションBは、各大陸の取り組みから浮かび上がってきた次の三つの主要な優先課題についての設問を扱っています。
1.四方八方へと広がっていく交わり
2.宣教における担い手
3.参加、責任と権威に課せられた課題
この三つの優先課題のもとにいくつかの具体的な設問が設けられています。そして、設問の解説、識別のための問いかけ、祈りとふり返りの要点が記されています。
多岐にわたる設問の中で特に次の三つは重要となると考えられます。
●シノドス的教会の交わりのなかで育まれた愛の奉仕、正義の実行、ともに生きる家(である地球)へのケアをどのように実行していくか。
●「いつくしみとまことはめぐりあう」(詩編85章11節)という約束をシノドス的教会はどのように信じていくのか。
●福音の光のもとに、それぞれの文化の豊かさをどのように認め、受け入れていくのか。そして、他宗教との対話をどのように推進していくのか。
「討議要綱」で示されたこれらの設問は、これまで教皇庁シノドス事務局の作業チームが取り扱った以下にあげる教会が直面する五つの課題に対応するものだと思います。
1.同性愛者への司牧について、2.ハラスメントについて、3.既婚者の司祭職への許可について、4.女性の助祭職への許可について。5.教会によって傷つけられた人々との関わりについてです。
以上、簡単ですがシノドス世界代表司教会議 第16回通常総会の「討議要綱」について説明しました。効果や結果を求めることに教会は急がないというのがこの世の組織との違いです。そして、多数決ではなく、対話を重ねるなかで行くべき道を探しもとめるのがシノドス的な教会のあり方です。
10月からの総会には日本からは菊地大司教が出席します。また、お一人の信徒の方が運営スタッフとして関わります。また、総会に先立ってすべての出席者は9月末にローマでの黙想会に参加することになっています。祈りの中で総会は開催されるのです。
シノドス世界代表司教会議 第16回通常総会は、教会の未来を決めるものです。祈りを通して、聖霊の導きを願いながら、わたしたちも「参加」いたしましょう。
教区合同堅信式
ミサは、受堅者の所属教会の司祭を初め、多くの司祭による共同司式で行われた
聖霊降臨の祭日に当たる5月28日午後、東京カテドラル聖マリア大聖堂にて、東京教区合同堅信式ミサが行われ、109名の方々が堅信の秘跡を受けた。
毎年、聖霊降臨の祭日に行われてきた合同堅信式だが、2020年、2021年は新型コロナウイルス感染症拡大防止のために中止。昨年は3年ぶりに行われたものの、菊地大司教自身が新型コロナに感染したために稲川保明司教総代理の司式で行われた。したがって、菊地大司教にとっては4年ぶりの合同堅信式司式となった。
ミサの説教で菊地大司教は「わたしたちの信仰は、徹底的に共同体的でありながら、同時に徹底的に個人的でもあります。わたしたちはキリストの体の一部分として共同体の中で信仰を生き、信仰をあかしします。しかしその信仰は、わたしと主との個人的出会いの中で実現していきます。共同体として集まり、ミサの中でこの朗読台から聖書が朗読される。その神のみことばの中に、主は現存される。ここで語られるのは、昔、書かれた古文書を読み上げているだけではないのです。いまここに、ことばで語られることによって、声に出して語られることによって、そこに主は現存されている、と教えています」 と述べ、カトリック信仰の共同体性と個人性に触れつつ、「堅信の秘跡を受けられる皆さん、教会共同体と歩みをともにしてください。一緒になって主から与えられた務めを果たしていきましょう。ともにミサに与り、御言葉のうちに、御聖体のうちに現存される主との個人的出会いの場をいただきましょう。共同体のただ中にともにおられる主に信頼しましょう。一緒になって、信仰をあかしする者であり続けましょう。聖霊がその努力を後押ししてくださいます」と、受堅者たちが聖霊の後押しによって共同体の中で歩んで行けるよう励ました。
菊地大司教による塗油
歴代教区長追悼ミサ
遺影の前で祈りを献げる菊地大司教
6月18日午前、築地教会にて、菊地大司教司式による歴代教区長追悼ミサが行われた。
キリシタン禁制の高札が撤去された翌年の1874年(明治7年)11月に献堂式が行われた築地教会は東京で最初のカトリック教会であり、1920年(大正9年)に関口教会に司教座が移動するまでは東京教区のカテドラルであった。そのような歴史的背景にちなんで、毎年夏の前に築地教会で歴代教区長追悼ミサが行われている。
初代の築地教会聖堂は1923年(大正12年)9月1日の関東大震災で焼失したが、現在の聖堂も1927年(昭和2年)に再建された後、太平洋戦争の戦火を免れた歴史的な建築である。
東京教区の歴代教区長は下記の通り。
初代◉ピエール・マリー・オズーフ大司教(パリ外国宣教会)1891年 – 1906年
2代◉ピエール・ザヴィエ・ミュガビュール大司教(同)1906年 – 1910年
3代◉フランソワ・ボンヌ大司教(同)1910年 – 1912年
4代◉ジャン・ピエール・レイ大司教(同)1912年 – 1927年
5代◉ジャン・アレキシス・シャンボン大司教(同)1927年 – 1937年
6代◉ペトロ 土井辰雄枢機卿 1937年 – 1970年
7代◉ペトロ 白柳誠一枢機卿 1970年 – 2000年
8代◉ペトロ 岡田武夫大司教 2000年 – 2017年
9代◉タルチシオ 菊地功大司教(神言修道会) 2017年 –
祭壇前に飾られた歴代教区長の遺影
2022年 決算報告
2022年決算は、東京教区ニュース第404号(紙面版)にて報告しております。各小教区に配布しておりますので、そちらをご覧ください。
CTIC カトリック東京国際センター通信 第269号
聖スカラブリーニの記念日
世界中で移住移動者のために働く聖カルロ・ボロメオ宣教会(通称スカラブリニ会)の創立者であるジョン・バプティスト・スカラブリーニは昨年10月9日に教皇フランシスコによって列聖されました。今年の6月1日は移住者の父と呼ばれる聖スカラブリーニの列聖後最初の記念日にあたり、スカラブリニ会員が働く世界各地で記念日が祝われました。日本では3人の会員が東京教区とさいたま教区で働いており、毎週多くの外国からの信者が集まっている目黒教会で聖人の記念日のミサが英語で捧げられました。
聖スカラブリーニは1839年にイタリア北部コモ県のフィーノ・モルナスコに生まれました。司祭に叙階された後、神学校の教授、小教区の主任司祭を経て1876年に37歳の若さで教皇ピオ9世によってピアチェンツァの司教に任命されました。司教として人々への愛徳に燃え、特に貧しい人や助けを必要としている人のために熱心に活動し、いくつかの組織を立ち上げました。また信者の信仰教育にも力を注ぎ、このため要理教育の使徒とも呼ばれています。司教として教区内の教会を訪問しているうちに、スカラブリーニは教会から信徒たちが姿を消していることに気づきます。その人たちがなぜ教会からいなくなったのかを調べるうちに、多くの信徒たちがミラノ駅に押し寄せ、そこから汽車でジェノバ港まで行き、ジェノバから船に乗っていることを知りました。貧しい人たちが、よりよい生活を夢見てアメリカ大陸へと渡っているのでした。国を去って行くその人たちが新しい地で、自分たちの信仰や文化を失ってしまうことを憂えたスカラブリーニは1887年に、移住して行く人たちの信仰や道徳における司牧、また生活や法律面での援助を目的として、カルロ・ボロメオ宣教会を設立しました。
スカラブリーニによって設立された会はやがて、アメリカ大陸だけではなく、オーストラリア、アジア、アフリカへと活動の場を広げ、移住者、難民、船員、移動者のための奉仕を会の主な活動としています。
聖スカラブリーニの聖遺物
ところで、今回の記念日のミサでは、ローマにある会の本部から日本の会員のために贈られた聖スカラブリーニの聖遺物が顕示されました。ミサの参加者はしばらく遺物の前で祈り、聖人の取次を願いました。スカラブリーニの司教としてのモットーは「私をすべての人にとってすべてのものにしてください。すべての人をキリストへと勝ち得るために。」でしたが、その志を継ぐ会員たちも、それぞれの場での活動によって、創立者の後に続きたいと思います。日本で活動する会員は3人ですが、日本社会には今後も多くの海外からの移住者がやって来ることが予想される中、スカラブリニ会もこの地でより一層働くことができればと希望しています。
エドウィン・コロス
CTIC副所長・スカラブリニ会
ミサ後の記念撮影
カリタスの家だより 連載 第154回
子ども達と共に
私がボランティアとしてお手伝いをさせてもらうようになったのは、現在の放課後等デイサービスの前身の東京カリタスの家子ども相談室の時2009年頃からでした。大学で心理学を学んでいましたが、在学中に体調を崩し、中退。それでも心理の現場にできる形で関わりたい思いや、カリタスの家でスーパーバイザーを務めておられる荻野美佐子先生から学生時に頂いた恩返しがしたい気持ちで子ども相談室の戸を叩きました。学生時、うつ状態に陥ってろくに通学も出来なくなってしまった時に荻野先生から頂いた「あなたのその苦しみは誰かに理解してもらうことは難しいかもしれない。けれどもその辛さや困難さはあなたの人生にとってかけがえのない宝物になるかもしれません。どうかその宝物を大切に生きていかれますように。」そのような内容のメッセージでしたが、今でも時々何かの折にふと懐から取り出すように思い出しては自分の原点に立ち返らせてもらっています。
ボランティアとしてお世話になった同じ頃、都内のある教会に週一回程通いながら、洗礼を頂く準備を始めていました。自分自身のそれまでの歩みを振り返り、整理して人生の意味や、これからの生き方を考え直す必要を強く感じていましたし、そうするためのヒントが何か頂けるかもしれない、中高、大学がカトリックの学校で学生時代は寧ろ拒んで、自力で人生を何とかしようとしていた私が自分から赴いて、何かに吸い寄せられるかのように学ぼうと進んでいる姿は我ながら今でも不思議に感じております。3・11のあった2011年に洗礼を頂いて、現在はお休み中ですが所属の教会共同体で聖歌隊のお手伝いも併せつつ、細々とではありますがお手伝いを続けております。
東北での大震災、新型コロナウィルスによるパンデミック、その間にも障害者総合福祉法への法体制の移行があり、一ボランティアとしてではありますが、多くの気づきを頂いてきました。発達に困難さを抱える人達についての啓発はメディアを通して一時期多かったように記憶していますが、日本においては異質なもの、マイノリティへの忌避感や差別は今も払拭されていない場面を日常のどこかで毎日の様に垣間見せられています。それは交通機関での移動中に何気ない人の会話を傍で耳にした時等、小さな出来事ではありますが、私には寧ろ社会は弱い立場の人達をスポイルしながら回っている様に思えて悲しく、怒りを覚える瞬間でもあります。私の大学の先輩でもあり、現在はカリタス翼の職員として支えてくださっている向井さんがボランティアとして東京カリタスの家で活動されていた頃、常務理事を務めていらした故三好神父様から振り返りか何かの折に頂いた言葉ですが、「この子達の存在の意味を社会に問う。」というもので、今でも思い出す毎に胸を抉られるような、強く促される気持ちにさせられます。
カリタス翼に通って来るお子さんは一人ひとりがユニークで、感じ方や考え方、興味のある物事がその人にしか表れないものばかりで、そんな人達と一緒に過ごしていると、瞬間毎を命に率直で、存在が丸ごと輝いているのがたまにうらやましい気持ちになってしまうし、自分自身の「こうあるべき」という思い込みが絶えず揺さぶられてフラットな心の有り様、考え方をいつも教わっている様に感じています。一緒に生きていくことはお互いに大変ですが、その人達が社会でより活躍することで、彼らの持ち味や輝きが、今の日本に何となく漂っている閉塞感から抜け出していく大きなきっかけになると私自身が学ばせてもらいました。それをボランティアとしての体験を通して確信しています。
最後にみ言葉を分かち合って締めくくりとさせていただきます。
「これはわたしの愛する子、わたしの心に適う者」(マタイによる福音書3.17)
「わたしがあなたがたを愛したように、互いに愛し合いなさい。」(ヨハネによる福音書15・12)
カリタス翼 ボランティア 三宅 浩之
福島の地からカリタス南相馬 第23回
日本基督教団 小高伝道所・浪江伝道所 牧師 飯島 信
キリストに導かれて
震災翌年の2012年8月から2017年8月までの5年間、日本基督教団東日本大震災救援対策本部担当幹事として被災地復興の仕事が与えられていました。釜石、仙台、石巻には私たちのボランティアセンターが置かれ、大学生を中心に全国各地から数多くの人々が訪れていました。彼らは被災した人々と心の交わりを続けながら黙々と働いていました。酷暑の中、タオルを首に巻いて汗を拭きながら田畑に座り込み、津波に襲われたため鉄や木片、ガラスなどが入り混じった土を一掴みつつ掬い上げては夾雑物を取り除き、土を元に返している姿を忘れることができません。
一方、被災した教会再建のために、国内外から多額の献金が寄せられました。しかし、教会は再建したものの、牧師が召されたため無牧となっている教会を知りました。日本基督教団での働きは終わっていましたが、2021年夏、南相馬のその教会を訪れ、何も書かれていない看板を目にした時、この地に来ることを決めました。
昨年4月から、原発事故による放射能災害のため全町民に避難指示が出された双葉郡の浪江伝道所と南相馬市の小高伝道所の牧師として赴任しています。浪江では再び礼拝の灯りを灯し、小高では礼拝の灯りを絶やすことのないようにと祈る日々です。
浪江伝道所
南相馬に住み始めて1年、神社・仏閣によって1000年にわたって培われて来た精神風土を思います。浪江の大聖寺、小高の相馬藩の菩提寺でもある同慶寺の存在が、この地に生きる人々にとってどれほど大きなものであるのかを知らされています。避難指示解除となると共に荒廃した地で生活の場を再開し、帰還した人々の心の拠り所となり続けているそれぞれの住職たちの生きる姿は、私に深い学びを与えています。宣教とは、じっとそこに住むことから始まるという学びです。
95年の歴史を持つ浪江伝道所に教会員はいません。120年を迎えた小高伝道所の教会員は、いわきに避難している1名です。しかし、浪江でも小高でも、どれほど豊かな交わりが与えられているかを思います。援助マリア修道会との出会いも、カリタス南相馬との出会いも、キリストがすでに準備してくださっていました。教派を超え、時には宗派を超え、浪江でも小高でもささやかな働きは支えられています。
私の前任の教会で、ここに赴任する直前、青年たちとの読書会を通してある言葉が与えられました。
「教会は、他のための存在である時にのみ教会である。」
「教会の言葉は、概念によらず、『模範』によって、重みと力を得る。」
ナチス・ドイツに抵抗して戦い、捕らえられ、処刑された神学者Dietrich Bonhoffeの言葉です。彼の語る言葉が、私の心に響き続けています。
カリタス東京通信 第6回
平和旬間2023
事務局 田所 功
今年も平和旬間が巡ってきました。1981年の教皇ヨハネ・パウロ二世の広島での「平和アピール」に応えて、日本のカトリック教会は8月6日から15日までを平和旬間として定め、平和について学び、祈り、行動するよう呼びかけています。
1 教皇ヨハネ・パウロ二世「広島平和アピール」
教皇としては歴史上初めて来日された教皇ヨハネ・パウロ二世は、1981年2月25日、広島平和記念公園で「戦争は人間の仕業です。戦争は人間の生命の破壊です。戦争は死です」と訴えられました。小雪の舞い散る寒い日でしたが、教皇は世界の各層に向けて約8分間力強く話され、最後に祈りをもって結ばれました。教皇はアピールの中で「わたしがこの広島平和記念公園への訪問を希望したのは、過去をふり返ることは将来に対する責任を担うことだ、という強い確信を持っているからです」と述べています。私たち将来に対する責任を担う者として、平和アピールに耳を傾け平和について考え行動していきましょう。
アピールの日本語版ならびに音源は、カリタス東京のホームページでご覧いただけます。
2 教皇ヨハネ二十三世 回勅 パーチェム・イン・テリス ―地上の平和―
今年は、教皇ヨハネ二十三世の回勅『パーチェム・イン・テリス ―地上の平和―』*が発布されて60年になります。当時は、東西冷戦の中で米国とソビエトの平和共存が崩れる恐れが生じ、双方とも核兵器使用に踏みきるのではないかという危惧を世界中が抱いた時期でした。1962年キューバに設置されたソビエトのミサイルがきっかけとなり、米国とソビエトの対立は核戦争勃発寸前にまで至りました(キューバ危機)。それに対し、教皇ヨハネ二十三世は平和のアピールを行い危機回避に大きな役割を果たしました。この翌年に発布されたのがこの回勅です。「軍備の均衡が平和の条件であるという理解を、真の平和は相互の信頼の上にしか構築できないという原則に置き換える必要があります」(61)と記されているように、自分とは異なる立場の人と対立するのではなく、尊重と協力で結ばれる世界の構築を呼びかけています。60年後の現在、私たちは再び核兵器の脅威に見舞われています。すべての人が平和について今まで以上に考え行動する時がきているのではないでしょうか。
*『回勅 パーチェム・イン・テリス ―地上の平和―』カトリック中央協議会発行ペトロ文庫
平和旬間2023 平和を実現する人々は幸い
8月12日(土)
◉11:00~ 平和を願うミサ 主司式:菊地功大司教
場所:東京カテドラル聖マリア大聖堂
◉13:30~14:30 トークライブ 松元ヒロさん
場所:関口会館 ケルンホール(当日、先着制200名限定)
◉15:00~17:00 講演会 講師:宮台真司さん
場所:東京カテドラル聖マリア大聖堂
*要約筆記・手話通訳対応予定です
編集後記
待つ時間はもどかしく、苦しい
それは待ち人が愛しいからだ
苦しみの大きさは、愛しさの大きさでもある
イスラエルの民は救い主を待ち望んだ
キリシタンはパードレが来る日を待ち望んだ
わたしたちの信仰は待ち望む信仰でもある
愛しんだり苦しんだりしながら
待つ人と共にイエスはおられ
持ち人と共にイエスは来られる(Y)