お知らせ

お知らせ

東京教区ニュース第400号

2023年03月06日

菊地大司教四旬節メッセージ

皆、キリスト・イエスにおいて一つ 
—すべての人が受け入れられる共同体に向かって—

◉四旬節のはじめに

2023年の四旬節が、灰の水曜日のミサで「人々の回心をお望みになる神よ」という集会祈願の祈りによって始まりました。四旬節は主イエス・キリストの受難と死を記念しながら、主の復活のめぐみのために準備する期間であります。いつくしみ深い神は、人間がめぐみに近づくために日々の生活の見直しとしての回心と悔い改めの実践を望んでおられます。4月9日の主の復活のお祝いに向けて、ともに歩んでいきましょう。

◉救いは神のあわれみのわざ

救いは、人間の側の立派な行為のゆえに与えられるのではありません。どんなによい行いをしても、神はめぐみとしてわたしたちに救いを与えてくださいます。救いとは父なる神と一つになることです。めぐみによって父なる神はわたしたちをご自分のもとに引き寄せます。そして、ご自分の霊である聖霊を注ぎ、御独り子である主イエスと同じようにわたしたちをご自分の子にしてくださいます。こうして、わたしたちを新しく創造された者へと変えてくださり(2コリ5章17節参照)、わたしたちが日々の生活をもって神の無限の愛にこたえられるようにしてくださるのです。

◉先行する神の愛

神のめぐみは、あらゆるものに先行します。すべてに先駆けて、神の人間への愛があったのです。そして、創造の時に神が最初に言葉を発したように、神がイニシアチブを取って、被造物をご自分の方へと呼び集めるのです。それは個人的な神との関わり合いでありません。神は、わたしたちを人間の団体として、すなわち、共同体として呼び集めるのです。つまり、救いとは個人の救いと言うよりは共同体の救いなのです。

◉教会の協力

教会は御父の救いのデザインの中で、御子のこの世への派遣を通じて、聖霊の働きによって成立しました。教会の中には、父と子と聖霊の三位の神が一体として存在しておられます。教会は三位一体の神の交わりを写し出しています。それゆえに、教会の中には豊かな「交わり」があります。人と神との「交わり」、そして人と人との「交わり」も豊かにあるのです。さらに、教会は御子イエス・キリストから、神の救いを与える秘跡としてこの世へと派遣されました。教会は神のめぐみの道具として協力し、福音宣教の務めを果たします。

◉救いはすべての人のため

教会が神と協力して告げ知らせ、そして実行する救いは、すべての人々のためのものであります。神は人間を民として呼び集めることを選ばれました。したがって、ある特定の個人だけが救われることはありません。自分の力だけで救われることもありえません。

◉複雑な人間関係の中でこそ

人間関係は複雑です。しかし、複雑な人間関係の中でこそ、救いは実現していくのです。人間関係の中で迷い、苦しむわたしたちは、共同体として救われていくことへの前ぶれを体験しているのではないでしょうか。この共同体から排除される人があってはなりません。誰一人として、教会から排除される人があってはならないのです。

◉弟子たちの共同体

イエスは、弟子たちに、排他的な団体を作るようにと命じてはいません。「あなたがたは行って、すべての民をわたしの弟子にしなさい」(マタ28章19節)という復活のイエスの命令は、わたしたちの教会が多くの人に開かれていなければならないことの理由であります。年齢、性別、民族、言語、文化、学歴、職業の違いを超えて、すべての人がイエスの弟子になるようにと招かれているのです。聖パウロが言うように「あなたがたは皆、キリスト・イエスにおいて一つ」(ガラ3章28節)なのです。

◉兄弟姉妹を招きましょう

教会から遠く離れていると感じている人がいることでしょう。教会という共同体に恐れのようなものを感じている人もいることでしょう。教会にはまったく無関心に我が道を歩んでいる人もいることでしょう。あるいは、教会とは一度結ばれたものの、共同体の人間関係に傷つき、苦しみ、主の祭壇に遠のいている人もいることでしょう。父なる神はそんな人々を神の家である教会へと招いておられます。尊敬の念と愛の心で招いておられるのです。ですから、復活祭には多くの人を信仰の共同体に招き入れましょう。

◉教会はいのちを得る場

教皇フランシスコは、シノドス第13回通常総会後の使徒的勧告『福音の喜び』の中で「教会は無償のあわれみの場でなければなりません」と訴えています(『福音の喜び』114)。教会ではすべての人が受け入れられ、大切にされ、ゆるしへと招かれなければなりません。社会の少数者を排除することは決してあってはなりません。むしろ、貧しさと悲しみを背負った人々が主イエス・キリストの福音に従うような生き方をできるようにと、教会はその人たちを力づけ、励まさなければならないのです。

◉祈り

父である神は、わたしも含めて罪人を教会へと招いてくださいました。そして洗礼の秘跡によって、御子主イエス・キリストの兄弟姉妹としてくださいました。こうしてわたしたちは、欠けた者であるにもかかわらず聖霊のめぐみのうちに毎日を精一杯生きることができるのです。このような大きな賜物をくださった神に感謝します。今年の四旬節を多くの人々とともに歩める時にしてくださいますように。偏った見方、誤った考え方から解放されて、タボル山で弟子たちが栄光の主の姿を仰ぎ見ることができたように、復活の主日にいのちに輝く主にさらに一歩近づいていけますように。

菊地 功 大司教 × 小西 広志 神父 対談動画シリーズ「シノドスを語る」公開!

教区ニュース第399号(1・2月号)で告知したとおり、菊地功大司教と小西広志神父(教区シノドス担当者)の対談動画「シノドスを語る」が東京教区YouTubeチャンネルで公開されている。

対談は2022年の年の瀬、大司教館の一室で行われた。広報担当者は「編集して15分くらいになる動画が撮れれば」という気持ちで撮影に臨んだのだが、対談は菊地大司教の子ども時代から始まり、二人の出身教会の思い出にも花が咲く(菊地大司教は岩手県宮古市、小西神父は青森県八戸市出身。東北人同士である)。

公会議や二人の教会論にいたるまで熱い(時には笑いありの)トークが繰り広げられ、今回のメインテーマであるシノドスや分かち合いにも触れて対談が終了した時には動画は一時間を超えていた……。

タイパ(タイムパフォーマンス)が流行語になる昨今、1時間ぶっ通しの対談では視聴回数が危うい。カットや編集を重ねながら、対談動画は急遽、5回シリーズでお届けすることとなった。

シノドスについてだけではなく、小西神父の巧みな誘導によって菊地大司教がその半生やモットーである「多様性における一致」についてまで語っている貴重な対談は5回分全て公開中。是非ご覧ください!

各回タイトル一覧

第1回「教会は共同体である」
第2回「第二バチカン公会議と教皇たち」
第3回「公会議からシノドスへ」
第4回「多様性における一致」
第5回「分かち合いへの招き」

※菊地功大司教×小西広志神父 対談動画シリーズ「シノドスを語る」はこちらからご覧になれます。

名誉教皇ベネディクト16世帰天

追悼ミサを司式する司教団

名誉教皇ベネディクト16世の逝去にあたって
カトリック東京大司教区 大司教 菊地功

去る12月31日、名誉教皇ベネディクト16世が、95年にわたる人生を終え、帰天されました。長年にわたる教会への奉仕と導きに感謝しながら、御父の御許において永遠の安息があるように祈ります。

ベネディクト16世は、すでに第二バチカン公会議の時代に、新進気鋭の神学者として注目され、その後はミュンヘンの大司教を経て教皇庁の教理省長官に任命され、長きにわたって現代社会を旅する教会の神学的支柱として大きな影響を与えました。

教皇に就任された2005年、すでに78歳と高齢でしたので、限られた時間の制約の中で優先順位を明確にして普遍教会の司牧にあたられました。

世俗化が激しく進み教会離れが顕著な欧米のキリスト教国における信仰の見直しは、ベネディクト16世にとって最重要課題であったと思います。しかしそれをひとり欧米の課題にとどめることなく、普遍教会全体の課題として取り上げられ、「新福音宣教」を掲げてシノドスを開催し評議会を設立されました。2013年2月28日の退位は、歴史に残る決断でした。聖霊の導きに全幅の信頼を置く信仰者としての決断の模範を、明確にあかしされる行動でありました。

教皇就任以前に教理省長官として活躍された印象が強く残っていますが、わたしにとっては、「愛(カリタス)」を語る教皇でありました。それは、最初の回勅が「神は愛」であることに象徴されますが、ベネディクト16世は、教会における愛(カリタス)の業を重要視され、それが単に人間の優しさに基づくのではなく、信仰者にとって不可欠な行動であり、教会を形作る重要な要素の一つであることを明確にされました。当時、国際カリタスの理事会に関わっていたわたしにとっては、ベネディクト16世が、この分野に大きな関心を寄せられ発言されたことから、力強い励ましをいただきました。わたしはベネディクト16世は後代の歴史家から、「愛(カリタス)の教皇」と呼ばれるのではないかと期待しています。

2011年の東日本大震災の折りには被災された方々へ心を寄せ、被災地にサラ枢機卿をご自分の特使として派遣されました。その年の5月にローマでの国際カリタス総会の際に謁見があり、帰り際にわたしの席へ歩み寄ってくださり、被災者への慰めの言葉をいただいたことは忘れません。流布されるイメージとは異なり、優しさに満ちあふれた「愛(カリタス)」の教皇でありました。

名誉教皇ベネディクト16世の逝去にあたり、これまでの長年にわたる教会への貢献と牧者としての導きに感謝し、御父の懐にあって豊かな報いをうけられますように、永遠の安息を共にお祈りいたしましょう。

名誉教皇ベネディクト16世
(ヨーゼフ・アロイジウス・ラッツィンガー)略歴

1927年 4月16日 ドイツバイエルン州に生まれる
1951年 6月29日 司祭叙階
1977年 5月28日 司教叙階
1977年 6月27日 パウロ6世により枢機卿親任
1981年11月25日 教皇ヨハネ・パウロ2世により教皇庁教理省長官、聖書委員会・国際神学委員会委員長に任命される
2002年11月30日 首席枢機卿となる
2005年 4月19日 第265代教皇に選出され、ベネディクト16世を名乗る
ドイツ人の教皇選出は、ヴィクトル二世(在位1055〜1057年)以来950年ぶり
2013年 2月28日 教皇退位
2022年12月31日 帰天

名誉教皇ベネディクト十六世追悼ミサ

世界各地で名誉教皇ベネディクト16世への追悼が献げられる中、日本においても1月10日、東京カテドラル聖マリア大聖堂において、日本カトリック司教協議会とローマ教皇庁主催による追悼ミサが献げられた。司式の菊地功大司教、駐日ローマ教皇庁大使のレオ・ボッカルディ大司教をはじめ、日本の多くの司教も共同司式として参加した。新型コロナウイルス感染防止のため、人数制限下で行われたミサではあったが、各小教区、修道会の代表者約100名が参列し、他宗教からも立正佼成会の代表者が訪れた。

ミサの説教で菊地大司教は「教皇就任以前に、長らく教理省長官として活躍されたため、その印象が強く残り、頑固で厳しい保守的な人物だとか頭脳明晰な神学者というイメージが先行しましたが、実際には、慈愛に満ちたベネディクト16世は『愛(カリタス)』を語る教皇でありました。ベネディクト16世は、教会における愛(カリタス)の業を重要視され、それが単に人間の優しさに基づくのではなく、信仰者にとって不可欠な行動であり、教会を形作る重要な要素の一つであることを明確にされました。」と、何よりも「愛(カリタス)」を大切にする名誉教皇の慈愛に満ちた一面を強調した。

追悼ミサの司祭団

福島の地からカリタス南相馬 第19回

高橋美加子
(株)北洋舎クリーニング取締役会長

核災12年

あの日、2011年3月11日東日本大震災発生、それにより福島第一原子力発電所にて原子炉熔融。地震、津波、原発事故は三重苦となって福島、特に原発地元の浜通りの地に大きな苦しみと悲しみをもたらしました。水蒸気爆発によって飛び散った放射性物質は広範囲に拡散し、豊かな美しい自然に囲まれ、昨日今日明日と時の流れが続いていくことに何の疑いも持たずに暮らしていた私たちは突然、自分の住むところから立ち去らなければならなくなりました。その苦しみと悲しみは、12年経った今も、様々な形で続いています。

私は、2010年の春から南相馬短歌会「あんだんて」に入会し短歌を始めていました。年一回の合同歌集が2011年の3月締め切りで発行されることになっていましたが、震災の混乱でこの年の発行は7月になり、初めての歌集が私の原発詠のスタートになりました。

ここに、震災直後3月15日に避難し、22日に戻って以来、南相馬市に住み続けてきた私の揺れ動く心の変遷を表した歌を上げてみました。

2011年/重ねられる言葉の隙間に闇みえて逢魔が時の空燃え立ちぬ

2012年/ふるさとに居ても原発難民のこころのままに夕日をながむ
    新しく美しいまち創らんと若者ら歌う心つなぎて

2013年/20キロ彼方の原発かなしかり骸のままに時巡りゆく
    被爆地と呼ばれるまちにわれら住む未来の扉開かんとして

2014年/ふるさとを返せと叫びたくなりて外に出ずれば満天の星
    幼子の瞳はひたすら輝きて大人の歎き怒りを超える

2015年/故郷とは離れた人のいう言葉と聞きしもわれら住みつつ偲ぶ
    朝ごとに新しき光生まれくる美し地球のわれら一粒

2016年/粛々と除染は続く20キロ圏フレコンバックの山を連ねて
    農地除染終えし田んぼに早苗ゆれ空の光を映し広がる

2017年/放射能は鵺のごとくに潜みいる耕作放棄と人よ責むるな
    「ひとやまも、ふたやまも越えて来たわよ」と媼は天を仰いで笑う

2018年:書けなくなり1年間休会

2019年/何度でも言います原発いらないと荒地をゆする風に巻かれて
    くちびるをきゅっと結んでスタスタと歩く逢魔が時の真中を

2020年/朝ごとに光生まれるふるさとの海に真っ直ぐ虹立ち上がる

2021年/逝きし母の口癖われに懲りたり「みんなしあわせになりますように」

2022年/わたくしの身体創りしその力なにをせよとて世に降り給う

振り返ってみると、原発事故は、核災害としてこの地に絶望をもたらしましたが、その絶望の中からも生きようと立ち上がって動き続けた人がいて、空白地帯にはなりませんでした。その結果、12年という歳月を経て「浜通り」は新しい価値観を求める人たちの実験的生き方のフィールドワークの場となって、様々なコト、モノが生まれ始めています。

2021年から、世界はコロナの時代に入りました。コロナウィルスという目に見えない存在は、感染する恐れと、感染させる恐れの両面から人の心に不安をもたらし、12年前の原発事故の時とよく似た社会現象が起きていると感じてなりません。「フクシマ」という括りで片付けようとされた私たちの体験は、これからの社会にとって「すでに起こった未来」となったようです。

今は、文明の脱皮の時ではないでしょうか。動き続ける社会の不条理を、先取りして味わった私たちは、嘆きの感情に溺れず、未来を担う子どもたちのために、生きる力を生み出す先達として頭をあげ、風を受けて歩んでいく姿を見せるという大きな役割をもらったのではないかと気持ちを引き締めています。

これが、2023年2月16日、75歳になった私の心境です。

カリタスの家だより 連載 第150回

府中療育ボランティアを愉しむの記

こんなに愉しいボランティアがあるでしょうか。生後3ヶ月ぐらいから満1歳までの男女の赤ちゃんを抱っこしたり、一緒に遊んだり、寝かせたり。時には小さなお口におやつを入れてあげたりもします。どの赤ちゃんも可愛くて、抱っこが大好き。ぐずって泣いても、そこがまた可愛い。3時間があっという間です。

ここ東京都立府中療育センターには、障がいを持った子どもたちの療育の場があります。お母様と一緒に療育を受けますから、そのあいだ弟くんや妹ちゃんを見ている人が必要です。東京カリタスの家は長年このボランティアをしてきました。ところが、何しろ府中はとてもとても遠いのです。私も往復3時間はかかります。高齢化傾向にあるカリタスのボランティアにとって、これは軽視できないことです。担当コーディネーター(そのボランティア案件をまとめる役のボランティアスタッフ)は自らローテーションに入り、穴を開けまいと頑張っていました。身を削る努力でした。

そんな時、救世主のように名乗り出てくださったのが、カトリック府中教会と多摩教会の皆さんです。府中教会と多摩教会のボランティアさん合わせて約10名。保育士の資格を持つ方を中心に、素晴らしいチームワークで活動を満たしてくださいました。どうやらボランティアに理解のある主任神父さまが背中を押してくださっているようです。本当にありがたく、神さまのお力を思う出来事でした。

東京カリタスの家のボランティア活動は無償です。その日の活動が終わるときのお母さんの「ありがとう」だけが報酬です。ところがこのボランティアに限っては、赤ちゃんのニッコリやつかまり立ちのドヤ顔など、毎回素晴らしいボーナスがもらえます。こんなに喜びに満たされて良いのかしらと思います。

コロナが広まった頃、療育センターの方針でしばらくボランティアできない時期がありました。赤ちゃんたちはカリタスのボランティアのことを忘れてしまったようで、発育的にも「人見知り」の時期が重なり、活動再開にあたっては泣いたり、騒いだりの時もありました。けれどもどのボランティアもうろたえることはありませんでした。「人見知り」はいずれ終わると子育て経験が教えてくれましたし、心を込めて抱っこしていればそのうち気持ちは通じると信じていましたから。

もう一つ、いつも思うのは、療育センターに通うお母様たちの表情が何と明るいのだろうということです。障がいのある子どもを育てるのは、多くのエネルギーを必要とします。その上、小さい赤ちゃんの育児。いくら可愛くても、お母様の負担は大きいはずです。でも、この療育センターに通うお母様たちは、朝早いのに赤ちゃんの持ち物は愛情込めて万全の準備。笑顔を絶やさず、ちょっとお洒落もしていらっしゃいます。センターの職員さんが手厚いせいもあるでしょうが、それだけとは思えません。叙勲の季節にニュースを見ながら、あのお母様たちにこそ勲章を贈りたいと思いました。

去年の暮れ、満1歳になってカリタスの手を離れ、保育園に行くことになった坊やのお母様が、担当コーディネーターにくださった言葉です。「カリタスのボランティアさんからはいつも愛を感じていました」。

ボランティアは愛のやりとり。寒い冬ですが、お母様、センターの職員さんの輪にカリタスの家のボランティアさんも加わって、赤ちゃんたちを愛ですっぽりくるみましょう。

家族福祉相談室
ボランティア 酒井育子

司祭叙階式のお知らせ

主の平和

いつも司祭召命のため、神学生のために祈りと献金をささげてくださっていることに感謝申し上げます。このたび東京教区で司祭叙階式を行うこととなりましたので、お知らせします。なお当日は、コンベンツアル聖フランシスコ修道会(2名)、聖パウロ修道会(1名)、レデンプトール会(1名)の司祭叙階も行われます。

受階者

東京教区

フランシスコ・アシジ 熊坂 直樹(くまさか なおき)助祭
フランシスコ・アシジ 冨田 聡(とみた さとし)助祭

コンベンツアル聖フランシスコ修道会

大天使ミカエル 外山 祈(とやま あきら)助祭
テモテ・マリア 中野里 晃祐(なかのり こうすけ)助祭

聖パウロ修道会

レオ 大西 德明(おおにし とくあき)助祭

レデンプトール会

フランシスコ・アシジ 下瀬 智久(しもせ ともひさ)助祭

日時:2023年3月21日(火・祝)14:00~
場所:東京カテドラル聖マリア大聖堂
司式:タルチシオ 菊地 功 大司教

※共同司式をしてくださる司祭はアルバとストラ(白)をご持参ください。
※式は、親族、関係者、司祭団のみで行います。一般の方の参列はご遠慮ください。
※叙階式ミサはYouTubeでライブ配信いたします。

CTIC カトリック東京国際センター通信 第265号

共に生きるために

祖国で日本語を勉強し、来日後は観光地のホテルで外国人観光客の通訳をしながら接客や清掃をしているAさんから「もうすぐ妊娠4カ月になるのですが、いつまで仕事は続けられますか」との問い合わせがありました。会社の同僚からは「妊娠した人は皆退職している」と聞いて心配になったそうです。産休・育休制度について説明し、辞める必要がないことを伝えたのですが、会社に迷惑がかかることを心配し、「しばらく考える」と言ったところでメッセージのやり取りが途切れてしまいました。Aさんから再度メッセージが送られてきたのは妊娠7カ月が間近な時期でした。「産休・育休を取得し、育児がひと段落した時点で職場復帰したい」と願いながらも制度の利用について逡巡は続いていました。いよいよ妊娠8カ月が近づいた時、「『出産後も仕事を続けたいのですが、産休・育休の手続きをお願いします』という希望を日本語で書いたLINE画面を会社の方に見せて意思を伝える」と決め実行したところ、数日後に問題なく手続きを進めてもらえたとのことでした。

Aさんと同じ時期に同じ国籍のBさんからも育休に関する相談がありました。「出産直後に夫が転勤で引っ越したため、元の職場に復帰する可能性も意志も失くしてしまっている。会社には伝えられないままに数か月が経過しており、このまま育休を継続し、給付金を受け取っていたいけども可能だろうか」という内容でした。彼女の家庭の経済状況が楽ではないことを知っていたため、給付金や社会保険料の免除を継続させてあげたいという思いが一瞬頭をよぎりましたが、「育児休業制度は復職して働きたい方のための制度」であること、この制度が今のようなものになるために多くの方が努力してきたこと、このままにしておくと返金を求められる可能性があることを説明し、職場復帰しないことが確定しているのであれば、早くそのことを会社に伝え、しかるべき手続きを進めてもらうようアドバイスしました。

日本社会の超少子高齢化とそれに伴う生産年齢人口の減少の解決策として、積極的に受け入れを進めている外国人労働者の数は、2022年10月末の時点で182万人を超え、過去最高を更新しました。今後も更新を続けて行くことでしょう。この外国人労働者の多くは20代の若者です。祖国の親元で社会性を身に着ける時期に来日し、働いているのです。その日本で、祖国になかった社会制度、あるいはあったとしても利用する機会のなかった制度を適切に利用することは簡単なことではありません。遠慮して権利を放棄し、自分の生活を困難なものにしてしまったり、悪意がないままに「ずるい人たち」「不正利用」と批判されたり、時には処罰の対象にもなってしまいます。若者たちからの相談を日々受けながら、彼らを大切に思い、文化の違いを乗り越えて共生するためには、社会の様々な制度について機会あるごとに丁寧に説明し、その権利と義務を正しく行使できるよう導くことが大切だと感じています。日本社会においても、日本のカトリック教会においても、もはや彼らは「お客さん」ではなく、私たちの次世代なのですから。

大迫こずえ

シノドス 大陸ステージに向けて その2

教区シノドス担当者 瀬田教会主任司祭 小西 広志神父

一昨年、2021年10月より開催されたシノドス(世界代表司教会議)第16回通常総会は、教区のステージ、司教協議会のステージを終えて、大陸別のステージに移りました。今年、2023年11月の本会議に向けて、意見の集約と議題づくりがなされていきます。それに先立ち教皇庁シノドス事務局は大陸ステージのための作業文書「あなたの天幕に場所を広く取りなさい」を発表しました(2022年10月24日)。

『イザヤ書』の一節(54章2節)を表題とするこの作業文書は、各教区と司教協議会から寄せられた意見を反映したものです。五つの点が強調されています。

1.耳を傾ける。
2.宣教へと向かう推進力は対話であり、ケアである。
3.宣教のスタイルは参加である。それは洗礼の尊厳から生まれる。
4.生きた霊性による養成が必要である。こうして教会の中に生きた交わり、参加、宣教が構築される。
5.典礼は信仰の共同体を一つにまとめ、交わりを具体化してくれる。

これらの強調点のいくつかについて簡単な説明を加えてみたいと思います。今月は「ケア」についてお話ししましょう。

日本の司教団が大陸別ステージのための意見として提出したレポートに次のような一節があります。

ある教区では司祭評議会において「ケア」という具体的な宣教の可能性が示唆されていることを、「作業文書」11(2)をテキストに分かちあいました。福音を告げ知らせることが福音宣教であるのは確かですが、具体的にいつ、どのような形で福音を告げ知らせるかを考えてみると、日常生活の中で多くの人々が行っている関わりと交わりとしての「ケア」があるという「作業文書」の指摘は、人をモノのように扱い、利益のみを追求しようとする現代社会にあって新しい宣教の可能性を示しているという分かちあいがなされました。そして、「自分のいのちをささげるまでにケアする」(11、(2))神の姿を人々に伝えることで、真のケア、真の人間関係を教会が提示できるのではないだろうかという提案もありました。

「ケア」を真に霊的な体験へと変えていくことが福音宣教と結びつくという「作業文書」の意見は、さらに深められ、実践されるべきであると分かちあいました。

少し解説を加えてみましょう。作業文書の11では、何かが生まれ出てくる緊張状態が五つあるとします。その(2)で、宣教へと外に向かって出かけて行くのを駆り立てるものが語られています。それによれば、

①他の信仰告白をする[キリストにおける]兄弟姉妹と共に実行する必要性、
②他の宗教の信者と対話、
③人間が行うケアを真に霊的な体験へと変化させていくことの三つがあるとします。

その真に霊的な体験とは、わたしたちがいのちを十二分に得るようになるために、自らのいのちを与え尽くすまでにケアをされた神の顔を告げ知らせることなのです。

ここで注目したいのは、第一に「宣教がキリスト教諸派と共に行い」、第二に、「他宗教の人々との対話でなされ」、そして第三に「いわゆる「ケア」を霊的な次元へと変化させることだ」という指摘です。

特に「ケア」について見逃してはならないと思います。「ケア」とは簡単に言えば、より立場の弱い人の世話をすること、配慮すること、関わること全般を指す言葉です。最近では「ケアの倫理」などという表現をよく聞くようになりました。教皇フランシスコも2020年以降、「ケア」という表現をよく使っています。

宣教論などには疎いわたしですが、宣教が「ケア」であるとする指摘は興味深いと考えます。「福音を宣べ伝える」のが福音宣教ですが、それをより具体的に「ケア」という人との関わり合いでなされるという指摘は新しいもののように聞こえてきます。しかも、「ケア」の見本が自らのいのちを与え尽くした主イエス・キリストにあるという指摘はキリスト論的な考察と言えると思います。

作業文書の41には「教会の使命は、みことばを読み、秘跡を祝い、傷ついた人や苦しんでいる人をケアするすべての行動を通して、キリストを民のただ中に現存させることです」とあります。その直前に「わたしたちは周縁部やもっとも辺ぴな場所にいる貧しい人々に、手を差し伸べることができなかったことを悲しんでいます」という南米のある司教協議会の反省の発言が記されています。教会にはいのちが満ちています。そのいのちは自分たちのために使うのではなく、悲しむ人、痛みを担う人、貧しい人のために与え尽くしたときにさらに輝きを増すのです。なぜなら、それはキリストのいのちだからです。

ケアという福音宣教の新しい可能性を皆さんと一緒に探究していきたいものです。

※大陸ステージのための作業文書「あなたの天幕に場所を広く取りなさい」はこちら(カトリック中央協議会ウェブサイト内)からお読みになれます。

東京大司教区司祭人事

東京教区では、2023年度の司祭の人事異動を以下のように決定しましたので、お知らせします。
東京大司教 菊地 功

東京大司教区司祭人事(第1次)について (2023年1月30日)

(4月10日付)

新任地 氏 名 旧任地
町田教会主任司祭 田中 隆弘師 豊島教会主任
神田教会主任司祭 立花 昌和師 豊四季教会主任
八王子教会主任司祭 髙木 賢一師 神田教会主任
茂原・西千葉・千葉寺教会主任司祭 福島 一基師 西千葉・千葉寺教会主任
茂原・西千葉・千葉寺教会助任司祭 古市 匡史師 西千葉・千葉寺教会助任
市川・松戸教会主任司祭 伊藤 淳師 松戸教会主任
豊島・北町教会主任司祭 田中 昇師 北町教会主任
青梅・あきる野教会小教区管理者 マウリッツィオ・ビッフィ師 大森教会主任
大森教会主任司祭 フィリップ・ボニファチオ師 市川教会主任
築地・潮見教会主任司祭 レオ・シューマカ師 築地教会主任・潮見教会管理者
高幡教会主任司祭 ホルヘ・ラミレス師 高幡教会管理者・八王子教会協力
関口教会協力司祭 金 泌中師 ソウル教区司祭(韓国)
目黒教会協力司祭 韓 昇勳師 大邱教区司祭(韓国)
潮見教会助任司祭 眞境名 良和師 茂原教会主任司祭
豊四季教会小教区管理者 石脇 秀俊師 青梅・あきる野教会管理者
教区本部協力司祭 辻 茂師 八王子教会主任
東京カトリック神学院養成者 林 正人師 町田教会主任
教区本部事務局次長 小田 武直師 町田教会助任

注:林正人師の任命(東京カトリック神学院養成者)は、4月1日付け。

東京大司教区司祭人事(第2次)について( 2023年2月20日)

新任地 名 前 旧任地
 レデンプトール会(4月10日付)    
初台教会主任司祭  ジラール・ジャン・レイモン師 舞鶴修道院
鹿児島教区へ 盛 克志師 初台教会主任司祭
 イエズス会(4月10日付)    
麹町教会主任司祭 高祖 敏明師 聖心女子大学学長
麹町教会助任司祭 サトルニノ・オチョア師 麹町教会主任司祭
 神言修道会(4月1日付)    
吉祥寺教会助任司祭 森 智宏師 南山教会助任司祭
吉祥寺教会助任司祭 Tran Nam Phong[フォン]師 南山教会助任司祭
教区外へ 金 一[オディロン]師 大司教秘書
教区外へ 荒田 啓示師 吉祥寺教会助任司祭
教区外へ Adrianus Fani[ファニ]師 吉祥寺教会助任司祭

注:金 一師以外の異動は復活祭後
注:吉祥寺教会主任司祭が兼務していた荻窪教会小教区管理者は、復活祭をもって終了し、復活祭後の小教区管理は教区本部が担当する

以上

訃 報 パウロ 安次嶺 晴実神父 

東京教区司祭、パウロ安次嶺晴実神父が2月4日(土)午後3時46分、閉塞性胆管炎のため、豊島中央病院にて帰天されました。享年73歳でした。どうぞお祈りください。

2月8日午後、東京カテドラル聖マリア大聖堂で葬儀が行われました。後日、カトリック府中墓地にある教区司祭共同納骨墓へ納骨いたしますが、その日程は追ってお知らせいたします。

【略歴】

1949年 9月24日 東京都文京区に生まれる
1987年 3月15日 司祭叙階(東京カテドラル)
1987年 4月~1990年 3月 八王子教会助任
1990年 4月~1992年 3月 新潟教区出向
1992年 4月~1998年 3月 館山教会主任
1998年 4月~2002年 3月 青梅教会主任
2002年 4月~2003年 3月 司祭の家
2003年 4月~2005年 3月 小金井教会教会協力
2005年 4月~2006年 3月 慈生会チャプレン(清瀬)
2006年 4月~2008年 3月 喜多見教会管理者
2008年 4月~2013年 3月 喜多見教会主任
2013年 4月~2014年3月 千葉寺教会協力
2014年 4月~2019年10月 茂原教会主任
2019年10月~ ペトロの家
2023年 2月 4日 帰天

訃 報 ヨハネ 満留 功次神父

フィリピン在住の東京教区司祭、ヨハネ満留功次神父が2月5日(日)夜、入院先の病院にて帰天されました。享年78歳でした。どうぞお祈りください。

現地で火葬され葬儀ミサがすでに執り行われました。ご遺骨は東京で引き取り、後日、府中墓地に埋葬するのに合わせて追悼ミサを行います。

【略歴】

1944年 9月 9日 鹿児島県に生まれる
1973年 8月 1日 司祭叙階(レデンプトール会)
1990年 2月 レデンプトール会より東京教区に移籍
1989年~1992年 日本カトリックセンター企画推進部長
1992年 4月~1995年 3月 多摩教会主任
1996年~2006年 Our Lady Peace College Seminary
          (Tarlac教区、フィリピン)
2011年 6月~ ペトロの家
2015年 12月~ フィリピン在住
2023年 2月 5日 帰天(フィリピン)

2023年 カトリックスカウト東京大司教区支部 合同B-P祭ミサ開催

「B-Pが教えてくれた神さまのお話 ~神を愛し、隣人を愛する~」

キリスト教章受章・顕彰者 ©Naohiko Takasaki

2月11日、晴天に恵まれた東京カテドラル聖マリア大聖堂にて日本カトリックスカウト協議会(JCCS)東京大司教区支部B-P祭(ボーイスカウト運動の創始者であるベーデン・パウエル卿と、その妻でありガールスカウト運動を委ねられたオレブの生誕を記念する集い)が開催されました。今年のテーマは「B-Pが教えてくれた神さまのお話~神を愛し、隣人を愛する~」でした。B-Pとその妻オレブを通して与えられたお恵みを神様に感謝するために捧げられたミサの中で、菊地大司教様は、「私たちは互いに助け合うものとして命を与えられている…この集まりで、スカウトの仲間と出会い、互いに支え合って、世界中の人々と歩いて行くという思いを新たにしましょう」と、お話してくださいました。

ミサで先唱を務めたスカウトは、「菊地大司教様を始め各教会の司祭、またユース(高校生~25歳の世代のスカウト)の仲間と共に一緒にミサを作り上げるという貴重な経験ができました。B-P祭の喜びに与ることができたことを嬉しく思います」との感想を、また、別のスカウトは「ミサのお手伝いは初めてでしたが、今までの活動とはまた違った人と関わることができました。これからも今回のような活動に積極的に関わっていきたい」との感想を寄せてくれました。また、新型コロナ感染症の対策で、歌わない、唱えないミサとなりましたが、閉祭のアーメンハレルヤ♪では、会場にいるみんながユーススカウトを中心に手話で心を合わせて祈ることができました。これについて奉仕してくれたスカウトは、「ごミサでは声こそ出せませんでしたが、最後の手話では一丸となって同じ動きをしたことでコロナ前のようにカトリックスカウトとしての一体感を感じることができた」と感想を述べてくれています。

今年のB-P祭では、ミサの先唱以外にも全体の司会進行、ミサ前に行われたB-Pの紹介やB-Pのことばの紹介、場内誘導などを多くのユース世代のスカウトが奉仕で支えてくれました。B-Pのことばの紹介では、スカウト活動そのものが神さまの教えを実践していくことになることがユーススカウトの声で紹介されました。

奉仕してくれたユーススカウトの声を紹介します。

「準備段階から他団のスカウトと話すことで自団の活動だけでは経験できない面白さを体験出来た」「今回、総合司会を務めました。このような機会を与えてくださりありがとうございます。今後も世の中に柔軟に対応していきながらスカウト活動がもっと広まってくれるといいなと思いました」「すごくエネルギーをもらえました。また、普段は会わないガールのスカウトの方とも話ができて新鮮でした!」「当日は仲間と協力して最後までしっかりやりきれたと思います。また機会があれば携わりたいです!」「他の団のユース世代の人々と一緒に活動して改めてカトリックスカウトの良さを感じた」

ユーススカウトの前向きな姿勢が今後の希望となり、困難な中でも神さまのお導きによって東京カテドラル聖マリア大聖堂に集えた良き一日でした。神に感謝。

閉祭アーメンハレルヤ ©Naohiko Takasaki

2023年ケルンデー

東京教区では、姉妹教区であるケルン教区を思い、毎年1月の第4日曜日を「ケルンデー」と定めている。同様に、ケルン教区でも1月の最終日曜日を「東京デー」としている。例年は同じ日になるのだが、今年の1月は第5日曜日まであったので、東京教区のケルンデーは1月22日、ケルン教区の東京デーは1月29日となった。

1月22日(年間第3主日)のカテドラル10時のミサは、菊地大司教司式、ミルコ・クイント神父(ドイツ語共同体担当司祭)共同司式で献げられた。また、ミサにはドイツ語共同体、そしてケルン教区と共に支援を続けているミャンマー共同体の信徒も参加し、共に祈りを献げた。
カテドラル内には東方の三博士の聖遺物が安置されている。これは2014年9月、ライナー・マリア・ヴェルキ枢機卿のケルン大司教着座式に岡田武夫大司教が出席した折、「東京とケルンのさらなる友好のため、ケルン教区の大切な宝である三博士の聖遺物の一部を、自分が東京を訪問する際に寄贈したい」というヴェルキ枢機卿からの申し出があり、2016年3月に実現したヴェルキ枢機卿のカテドラル訪問の際に、その約束通り安置されたものである。

普段はガラスケースに収められている聖遺物だが、この日のミサではケースから出されて祭壇の前に置かれた。ミサの最後には、ミルコ神父が聖遺物を掲げ、歌と共に会衆を祝福した。

なお、1月29日に行われたケルン教区の東京デーミサには、東京教区を代表してレオ・シューマカ神父が出席。教区ニュース4月号には、レオ神父のケルンレポートを掲載する予定である。

※菊地大司教司式による年間第3主日ミサの動画はこちらからご覧になれます。

ミルコ神父による三博士の聖遺物をもっての祝福

2023年 キリスト教一致祈祷週間 東京集会

エキュメニカルオンライン礼拝

世界のキリスト教諸教会は、毎年1月18日~25日を「キリスト教一致祈祷週間」と定めている。東京では毎年この時期に、日本キリスト教協議会(NCC)とカトリック東京大司教区の共催で「キリスト教一致祈祷週間 東京集会」が行われている。今年のテーマは「善を行い、正義を追い求めなさい」(イザヤ1・17 参照)。今年も昨年に引き続き、新型コロナ感染防止のため、事前録画した礼拝映像を視聴する形での礼拝となった。

礼拝の収録は動画配信開始日である1月18日の一週間前、1月10日夕方(名誉教皇ベネディクト16世追悼ミサと同日である)にカテドラル地下聖堂で行われた。司式の吉髙叶牧師(NCC議長)、説教担当の菊地大司教の他、東京教区エキュメニズム委員会担当司祭の油谷弘幸神父をはじめ、各教派から祈願や朗読の奉仕者が集まった。

事前録画という形ではあるが、途中「ストップ」をかけることはない一発撮り。会場には通常の礼拝と変わらない、厳かな祈りの空気が満ちていた。

撮影直前の奉仕者たち

説教の中で菊地大司教は、「異質な存在を排除することを良しとする傾きは、わたしたちの教会の中にも入り込んでいます。言い返すことのできないような正論を並べ立て、教会の教えを忠実に守るかのように見せかけながら、その実、自らとは異質な存在への攻撃的な言動をする人たちが、神の愛を証ししているとは思えません。教会は一部の選ばれた人たちだけのものではなく、神が創造されたすべてのいのちを抱合する共同体です。選別し排除するのではなく、皆とともに歩もうとする共同体です。他者を攻撃し、排除する価値観を、それも多様性の一つだからと主張して、承認させようとする考え方には同調することはできません」と述べ、カトリックだけに留まらない、キリスト教共同体のあり方について訴えかけた。

わたしたちの兄弟であるプロテスタント教会の礼拝に、実際に参加したことがあるカトリック信者は決して多くないかもしれない。この一致祈祷礼拝を視聴して、キリスト教一致の豊かさを少しでも体験していただきたい。そして、来年こそは、諸教派の兄弟が実際に集まって礼拝を献げることができるようお祈りください。

司式の吉髙叶師

※礼拝映像の視聴はこちら(NCC YouTubeチャンネル内)

カリタス東京通信 第2回

世界病者の日ミサと教区内活動団体の集い報告
事務局 田所 功

2月11日(土・祝日)世界病者の日に、東京カテドラル聖マリア大聖堂で世界病者の日のミサと、関口会館ケルンホールで愛の奉仕に取組む団体・グループの集いを開催しました。東京教区内では、カトリックの理念に基づき大小さまざまな団体・グループが活動を行っています。医療機関、高齢者福祉、児童福祉、障がい者福祉、ホームレス支援などの法人格を持つ団体、任意団体、小教区内の様々な活動グループ(生活困窮者支援、外国人支援など)、カトリック学校での奉仕グループなどです。昨年4月にカリタス東京が設立されて以来、諸団体の方々とお会いして活動状況やご意見を伺う機会をもってきましたが、これまで約半年の間に情報を提供いただいた団体・グループの方に案内状をお送りし約50団体120名の方々にご参加いただきました。

ミサの中で、菊地功大司教からお話がありました。お話の要旨は次のとおりです。

◉それぞれの教区で、カリタスの業(愛の奉仕)を行う組織が必要であることを強調されたのは、先日亡くなられた教皇ベネディクト16世だった。愛の奉仕という言葉は、社会の中で神のいつくしみと愛を証している業すべてを指し、正義と平和や滞日外国人支援などありとあらゆることを含んでいる。
◉教皇ベネディクト16世の回勅『神は愛』では、教会の本質は3つの務めで表されている。
①神のことばを告げ知らせること
②秘跡を祝うこと
③愛の奉仕を行うこと。
この3つが十分に存在しているところに、教会が十分な形で表されるのだということを強調されている。また、自分の教区の中に、教会共同体が全体として愛の奉仕の業に励んでいくように整えるため、教区のカリタスを立ち上げることが、司教にとっての一つの使命であるということが回勅で示された。
◉東京教区では、宣教司牧方針に「愛の奉仕のネットワーク化」と「教区カリタスの創設」を掲げ、取組んできている。これからも、時間をかけて、さまざまな活動をしている人の声を聞きお互いの理解を深めながら、教区全体として教会の本質的な務めである愛の奉仕の活動に関わっていきたい。

また、カリタス東京常任委員会委員長の天本昭好神父から「私達が目指すもの、それは『カリタス』。目に見えないはずのものが、目に見える私たちを通して表されていく、それが愛の業だと考えるなら、今日こうしてともに祈り、ともに時を同じくしている、それがこれからの東京教区の社会司牧の礎になる」そして「わたしたち東京教区の教会が心を一つにするのと同時に、この社会にあって地の塩、世の光として輝けるよう、皆さんとともに様々なことを目にしながら、ともにどうすればわたしたちのこの社会に福音を響き渡らせることができるかを、ともに歩みながら考えていきたい」と挨拶がありました。

ミサ後、関口会館ケルンホールに移動して、約1時間、参加団体の「集い」(交流会茶話会)を行いました。ウィズコロナの世の中ですので感染に注意しながら実施し、ようやく関係者が対面で交流できたことはとても貴重なことでした。この度の「集い」はカリタス東京として第一回目の開催でしたが、今後も継続して開催していきたいと考えています。今回参加がかなわなかった方々にも、次回以降に参加いただければ幸いです。今回はすべての活動団体の方々が一堂に会するスタイルで開催しましたが、今後は開催のスタイルも変化させていきたいと考えています。活動分野ごとの集いの開催も考えられると思いますし、近隣の団体・活動グループの集いも考えられると思います。是非そのような交流の場を創っていきたいと考えています。

ご意見やご要望など

カリタス東京事務局
電話:03-6420-0606
メール

までお寄せください。よろしくお願いいたします。

東京教区ニュース第400号を迎えて

1972年(昭和47年)8月に第1号が発行された東京教区ニュースも、今月で400号を数えることになりました。50年以上の長きにわたってご愛読くださっている皆様に心より感謝申し上げます。

表裏の2面立てでスタートした教区ニュースも現在は原則8面立て(今号は記事が多いので10面立てになっています)、ウェブ版も発行するようになりました(教区ウェブサイトでは第1号から全ての号を読むことができます!)。

しかし、第1号の紙面に目を移しますと話題とされているのはブロック会議のこと。現在の東京教区も、『宣教司牧方針』の三つの柱の一つ「宣教する共同体をめざして」 の取り組みとして「宣教司牧評議会の活性化」や「宣教協力体の再編成」が掲げられています。教会が課題としているテーマは、いつの時代もそんなに変わらないのかもしれません。

とはいえ、聖霊の息吹を感じながら、今の時代ならではの時のしるしを読み解き、かつ、皆様に楽しみにしていただける教区ニュースを目指していきたいと思います。これからもよろしくお願いいたします。まずは来月の第401号を、そして、未来の第500号を想いながら。

編集後記

2月は不思議な季節だ。寒さは真っ盛りだし、時には雪だって降る。でも、日は少しずつ長くなって、光の色も少しずつ春めいてくる。

冬と春が交差する季節。それが二月なのかもしれない。

ものごとは何でも交差する。苦しみと喜びも、痛みと癒やしも交差してそこにある。

でも、満開の春が毎年必ずやってくるように満開の喜び、満開の癒やしの日も必ずやって来るはずだ。

十字架の道行きの先にあったのは絶望の先の希望むごたらしい死の先の喜びの復活だったのだから。(Y)