お知らせ
東京教区ニュース第397号
2022年11月07日
目次
典礼式文の豊かさを味わうために
11月27日(待降節第一主日)から、新しい「ミサ式次第と第一~第四奉献文」によるミサが実施される。変更まで一ヶ月を切り、色々な不安を抱えている方も多いと思われる。東京教区ニュースでは、この度の典礼式文翻訳にも深く携わった日本カトリック典礼委員会委員の宮越俊光さんを訪ね、典礼員会に寄せられている意見や、変更点の中で特に注意すべき点などについてお話をうかがった。
新しい「ミサ式次第と第一~第四奉献文」が発表されてから、何か質問や心配事が寄せられていますか?
宮越 六〇年前にミサで使われる言葉がラテン語から日本語に改められた時、ミサが全く違う儀式になったと感じた方が多かったように、今回もミサが全く新しいものに変えられるのではないかという不安、慣れ親しんだ祈りが変わることへの不安を感じている方はいらっしゃるようです。また、今回はミサの賛歌(ミサ曲)が文語から口語に変更されますが、歌は身体で覚えているようなところがあるので、最初は戸惑う方も多いでしょう。この不安はしばらく続くと思いますが、まずは「慣れてください」とお願いしたいと思います。
また、カトリック学校や高齢者施設では、信者ではない職員や学生、利用者の方も多く、一度に全て移行するのは難しいのではないか、移行期間を設けた方がよいのではないかという声も寄せられました。この点に関して司教総会や典礼委員会で検討しましたが、移行期間を設けることによる混乱も懸念されるので、小教区と同様に、今年の11月27日からの切り替えをお願いしています。
結婚式や葬儀など、ミサ以外の儀式書に関するお問い合わせも頂いています。これに関しては新しいミサの式次第に即して読み替えをお願いしています(「また司祭とともに」→「またあなたとともに」など)。すぐに改訂版を発行することはできませんが、できれば読み替えるためのリストを発表できればと考えています。ただし、それぞれの儀式書によって対応は違ってくると思います。
そのような質問にどのように対応なさっていますか?
宮越 個別に対応するほかに、日本カトリック典礼委員会の委員が各教区で行われる研修会や月修を訪問したりオンラインで参加したりして説明しています。
変更箇所の中で、特に気をつけるべき箇所はありますか?
宮越 例えば、奉献文冒頭の叙唱前の対話句は
司「心をこめて、神を仰ぎ、」
会「賛美と感謝をささげましょう。」
から
司「心をこめて、」
会「神を仰ぎ、」
司「賛美と感謝をささげましょう。」
会「それはとうとい大切な務め(です)。」
に変更されます。このように司祭も会衆も暗記して唱えているような部分の変更は、意識しないとお互いにこれまでのことばで唱えてしまう可能性があります。
また、第一、第二朗読の後に誰が何と唱えるかは、これまで混乱や不一致がみられました。今後はラテン語規範版に従い、朗読者が「神のみことば」と唱え、会衆が「神に感謝」と唱える形に統一されます。そしてその後に沈黙の時間をとることを忘れないでほしいと思います。
さらに、今回の変更ではいくつかの式文から選択する部分があります。例えば奉献文の中で司祭の「信仰の神秘」に続く会衆の応答は、三つの式文の中から選ぶことになります。また、拝領前の信仰告白は現在唱えているペトロの信仰告白に基づく式文と、百人隊長のことばに基づく規範版通りの式文のいずれかを選ぶことになります。これらは各共同体で工夫して、事前に決めて伝達しておくようにしてください。ミサの途中で「今日はこれを唱えます」という形にはならないほうがよいと思います。このような選択できる部分は一つだけに決めてしまうのではなく、典礼暦や週によって使い分けるなどの形で、典礼式文の豊かさを味わってほしいと思います。
今回式文を翻訳するにあたって、特に印象に残っているエピソードはありますか?
宮越 典礼式文の翻訳は教皇庁の典礼秘跡省の認証を受ける必要があります。今回の改訂は正式には2000年から始まりましたが、バチカンからの回答を待っている期間が長く続きました。ところが2021年5月初めに突然、典礼秘跡省から日本カトリック典礼委員会の委員長である白浜司教に直接連絡がありました。指示があったところを直せばすぐに認証するとのことで、急いで修正を加えて再提出し、5月23日の聖霊降臨の祭日付で認証を受けることができました。このこと自体は朗報ですが、典礼委員会としては全く予想外のことでしたのでたいへん驚き、慌てました。変更箇所を説明する冊子を作ったり、日本中に告知をしたり、新しい旋律を確定したりと、やらなければならないことが沢山ありますから……。
今回急に認証された背景には、認証のプロセスが変わってきたことがあると思います。かつては、典礼式文はラテン語規範版に忠実な翻訳でなければ認めないという方針でした。けれども、2015年の司教団によるアド・リミナ訪問の際に教皇に式文の翻訳の難しさを直接伝えたことや、2017年9月に教皇フランシスコが発表した自発教令『マニュム・プリンチピウム Magnum Principium』によって、式文のふさわしい翻訳を準備し認可する各司教団の責務が強調されたことなどが影響したのかもしれません。
今回のミサ式次第の変更や、現在取り組んでいるシノドスの歩みにおいて、教会の一致や協力が求められていると感じています。そのためには何が必要でしょうか?
宮越 今回のシノドスのサブタイトルは「交わり、参加、そして宣教」です。これらは全てミサ、典礼と関連づけて考えることができます。シノドス準備文書には「探求すべき10のテーマ」が挙げられていますが、その4番目は「祝うこと」で、ミサと典礼に関して取り組むべきことが示されています。
「交わり」に関して言えば、ミサそのものが神と神の民、そしてわたしたち相互の交わりであり、聖体による一致・交わりが実現します。
また、第二バチカン公会議の後に「行動的参加」ということばが使われ始めたことを思い出します。司祭に従うだけではなく、一人ひとりができることを通して互いに奉仕し合ってミサに参加することが期待されています。
そして、わたしたちはそれぞれの生活の場で、ことばと行いを通して宣教するためにミサから派遣されていきます。そのためにミサの中で、神のことばとキリストのからだで強められるのです。
このような観点から来年のシノドスとのつながりを考えることも大切ではないでしょうか。
最後に一言メッセージをお願いします。
宮越 新しい式次第を使い始めると多くの戸惑いが生じると思いますが、少しずつ慣れていってください。そして、今回の変更を通じて、ミサと式文の意味や歴史的背景を学び直すきっかけにしてください。それはシノドスが掲げるテーマとも重なっていくことだと思います。
カリタスの家だより 連載 第147回
地域活動支援センター・みんなの部屋の近況
東京カリタスの家「地域活動支援センター・みんなの部屋」では現在も感染症対策を継続し制限された創作活動を続けています。そんな大変な時期ではありますが、この春に新人として新たに活動に加わってくださった方が2名いらっしゃいました。今回はその期待の新人さんのおひとりに、新鮮な視点を通して見たみんなの部屋の活動と現在の状況をまとめていただきましたのでお伝えいたします。
「みんなの部屋の日常 ~音楽とともに~」
みんなの部屋は、今年2月まで通っていた都立精神保健福祉センターのスタッフさんに紹介していただいて知りました。
初めて見学に行った時、アトリエから家庭的な印象を受けたのを覚えています。説明を担当してくれたスタッフさんの、優しく安定感のある雰囲気に安心しました。
体験利用では、「デコパージュ」をやりました。固形石けんの片面に模様の描かれたペーパーナプキンを貼りつけ、かわいい石けんにする作業です。ハケでのりを塗る際、ペーパーがしわにならないように気をつけました。
正式に利用登録して最初にやらせてもらったのが、「焼かない陶器」のバッジ作りです。まず、粘土状の陶器の素を水で練って柔らかくします。次に、薄めに伸ばしてハートや猫などの形をした型で抜きます。乾かしてヤスリをかけたら絵の具で色をつけ、ビーズやスパンコールでデコレーションし、ピンを付ければバッジの完成です。ヤスリで表面を滑らかにする作業は根気の要るものでしたが、その分完成時の達成感はひとしおです。
そして、最近取り組んでいるのが、クリスマスカード作りです。「エンボス」という作業が肝です。紙にクリスマスブーツのスタンプを押し、乾かないうちにエンボス用のキラキラした粉を振りかけて粘着させ、ドライヤーで熱を加えると、色が変わってぷっくりとします。このように、絵柄を浮き上がらせる加工を「エンボス加工」といいます。カードの台紙にエンボス加工したクリスマスブーツを貼り、「Merry Christmas」のスタンプと小さなリボンで飾ると完成です。この間は、パーツの色選びを任せてもらいました。ボランティアの方達に好評だったと聞いて、嬉しかったです。
これから作ってみたいのは、レジンのアクセサリーです。他の利用者さんが作っている所を見せてもらったのですが、透明感が綺麗なヘアピンに仕上がっていました。 他の利用者さんといえば、とある利用者さんが、アニメ「呪術廻戦」の呪霊のぬいぐるみを自作して持ってきたことがありました。アニメに出てくるシュールな雰囲気そのままで、和みました。
また、6~7月には、作業外活動の「オープンスペース」が行われました。私が特に楽しいと感じたのは「音カフェ」の回です。一人一曲ずつ好きな曲を持ちよってみんなで聴き、語らいました。普段全く聴かない音楽に触れられたので、良い刺激になりました。私が紹介したのはZABADAKというアーティストの『遠い音楽』という曲です。普段私が聞く音楽はマニアックなところがあるのですが、『遠い音楽』は、初めて聞いたときに懐かしくて心の琴線に触れるような感じを受けたから選びました。女性ボーカルの声は美しさと心地よさがあり、この世にはこんなに綺麗なものがあると皆さんにも知ってほしかったのです。参加者から「こういう感じ私好き!」「心が洗われるような感じがする」等の感想をもらい、自分の好きな曲を紹介できた、仲間に聞いてもらえたということが、言葉にはできない自分の価値観などを伝えられたという気がしました。
他には、好きな本の紹介をしたり、最近興味のあることについて語ったりする回もありました。 音楽や料理の活動を行っているというのもみんなの部屋に惹かれた理由の一つなので、また活動できる日が来ることを祈っています。
(みんなの部屋メンバー・M.K)
クリスマスカード
福島の地からカリタス南相馬 第16回
東星学園中学校・高等学校教頭 長谷部 準子
被災地ボランティア~東星学園高等学校~
今年の夏休み、カリタス南相馬を拠点とした「被災地ボランティア」を3年ぶりに実施することができました。
東星学園高等学校では、2014年の夏に被災地ボランティアを始めました。これは、個人でCTVC(カトリック東京ボランティアセンター)の活動に参加していくうちに、学校でも何かできないかという思いが生じたことによります。思い切って、こんな活動をしたいと発言したところ、教職員の賛同も得られ、とんとん拍子に話を進めていくことができました。参加者募集の段階では、保護者の方の賛同が得られるのかとの不安が生じました。しかし、そんな心配もないほどに多数の生徒が参加希望してくれました。こうして、2014年8月から被災地ボランティア活動をスタートすることができました。残念な事に、新型コロナウイルス感染症の拡大によって、2020年からの活動は中止となっていました。今年になって、カリタス南相馬が、定員の半数を受け入れてくださることになり再開しました。久しぶりの活動であったので、希望者がいるのか不安でしたが、定員以上の希望者が出て嬉しい悲鳴をあげました。
東日本大震災は広範囲に亘って、大きな被害をもたらしました。そして、福島は他の県と異なり、地震と津波に加えて東京電力福島第一原子力発電所事故による被害もあります。そのため、現地視察では、2022年の今でも、2011年のままの場所があります。この様子は、震災の時には幼稚園児であった生徒達にとっては衝撃的な事柄でした。また、コロナ禍以前は、社協の活動に参加したり、幼稚園の見守りのお手伝いをしたりと様々な活動を行うことができましたが、今回は地元の方々と直接関わることはできませんでした。そのような中で、出会った方に「高校生の笑い声が聞けるだけで嬉しいよ」と言っていただき、生徒たちは自分たちがこの活動からたくさんのものを頂いていることに気づいたのではないでしょうか。数少ない出会いを通して多くを学ぶことが出来る旅が出来たことに感謝しています。
子どもたちが活動してきた現場を教職員にも見てほしくて、春休みには教職員向けにボランティア活動をするようにしました。JR常磐線が上野から仙台まで再開した2020年3月には、常磐線特急ひたちで南相馬を訪れる活動を予定していましたが、これも中止となりました。今年度は生徒の活動に併せて再開できればと考えています。
震災発生から11年以上が過ぎ、これからの生徒たちにとっては報道などでだけ知る震災ですが、自然災害は他人事ではありません。この活動を通して、防災の大切さも学んでほしいと思っています。そして、原発事故による被害についてもしっかりと学ぶことで、こうした問題を、身近な問題として考えることが出来るようになってほしいです。これからも、この活動を続けていきます。
CTIC カトリック東京国際センター通信 第262号
ナイト・オブ・プレイヤー(祈りの夜)
カトリック教会では、信者たちはそれぞれ、色々な形で自分の信仰生活を送ることができます。日曜日のミサに参加する務めを果たすことで満足する人もいるでしょうし、毎日ミサに参加したい人もいます。さらにほかの何かを求めている人もいます。こうした方々は、共同のロザリオ、祈りの集い、ノヴェナ、要理講座、聖書の勉強会などに参加します。こうした集いに複数参加している方も少なくありません。他にも様々な集まりがあるでしょうが、こうした集まりは教会で人々が互いに知り合う場となるとともに、うまく機能するなら、今まであまり教会活動に積極的ではなかった人たちが小教区につながるのを助ける窓口になってくれるでしょう。
伝統的なカトリック教会では、祈りの集いといえば一緒にロザリオをすることが多かったですが、80年代に聖霊刷新運動が盛んになった時には、多くのカトリック信者が、1時間から2時間以上も続く祈りの集いに参加するようになりました。また、近年誕生した比較的新しいグループは、それぞれ独自の仕方で集まりを行っています。多くのカトリック信者がこうした信仰の活動を求めている、ということは認めざるを得ません。これらの活動は参加者にとって自分の信仰を表す場となると同時に、受け入れられたい、愛されたい、配慮されたい、認められたい、誰かと一緒にいたい、といった心理的・感情的なニーズに応えてもいるのです。
目黒教会と五井教会で行われているナイト・オブ・プレイヤー(祈りの夜)では一般的なカトリック信者にとってそれほど馴染みがないかもしれない、カトリック教会の祈りの実践を体験することができます。その一つは晩課(夕の祈り)です。これは司祭、修道者に義務付けられている聖務日課(教会の祈り)の一部で夕方に行われるもので、15分ほどかかります。ナイト・オブ・プレイヤーでは、皆でこの夕の祈りを行い、その後短い講話があり、最後に30分間の聖体礼拝と賛美式(ベネディクション)と続きます。全部で1時間ほどの集いですが、3つの体験ができるというわけです。この集いに必ず参加する人たちに聞くと、すでにナイト・オブ・プレイヤーが自分の信仰生活の一部になっていると言います。集いから霊的成長の糧を受けて、ますます祈りたいとの望みが強くなり、やって来るのです。
ナイト・オブ・プレイヤーは第4火曜日(五井教会)と第4金曜日(目黒教会)の午後7時30分からです。
司式と講話:エドウィン・クォロス神父(英語とタガログ語で行われます)
お問合せはCTIC電話03-5759-1061まで
エドウィン・クォロス(CTIC副所長、スカラブリニ宣教会)
ケルン教区訪問団来訪
歓迎ミサ後の記念撮影
9月29日から10月5日までの約一週間、グィド・アスマン師(ケルン教区司教総代理)を団長としたケルン教区からの代表団が東京教区を訪問した。代表団のメンバー6名のうち、聖職者はアスマン師のみで、他の5名は国際支援担当、青少年担当、教育部門担当を担う信徒の方々。
残念ながらスケジュールの関係上、今回は代表団と一般信徒の方々が交流する機会を設けることはできなかったが、教区ニュース紙面で代表団の方々の視察と交流の様子を紹介する。姉妹教区であるケルン教区と東京教区の絆の一端を感じていただきたい。
聖グレゴリオの家のパイプオルガン前で
司祭評議会のメンバーとの意見交換会
シスターたちと記念撮影(イエスのカリタス修道女会)
ケルン教区からロウソクのプレゼント(イエスのカリタス修道女会)
アスマン師による祝福(ケルン・東京・ミャンマー三姉妹教会祈りの集い in 築地教会)
1979年の「ケルン週間」のために来日したヨセフ・ヘフナー枢機卿は築地教会を訪れている。
左から東京教区ドイツ語共同体のミルコ・クイント師、グィド・アスマン師、菊地功大司教(歓迎ミサ)
ケルン教区から菊地大司教にミトラのプレゼント
アスマン師による説教(ドイツ語共同体ミサ)
修道院内のロウソク工房にて(調布カルメル会修道院)
工房で作られた復活のロウソク(調布カルメル会修道院)
帰国の朝、羽田空港にて
シノドス的教会をめざして
教区シノドス担当者
瀬田教会主任司祭
小西 広志神父
壊れた教会を 建てなおしなさい
我田引水で申し訳ありませんが、アシジの聖フランシスコは「わたしの教会を建てなおしなさい」という主イエス・キリストからの呼びかけを耳にして、朽ち果てたサン・ダミアノ教会を自らの手で建てなおしました。わたしたちも力を合わせて壊れかけた教会を建てなおしましょう。
2020年から始まった新型コロナウイルス感染症のおかげで、わたしたちの信仰の共同体(小教区共同体と信者が集う小共同体)は大きな犠牲と痛手を受けました。いえ、2000年代の初め頃から少しずつ教会は力を失いつつあったのかもしれません。高齢化、少子化、貧困の広がりなどといった社会現象に大きく影響を受けてきたのではないでしょうか。そこに、いわゆるコロナ禍によって信仰の共同体の中にあった豊かな人間関係、対話といったものが薄らいでしまった感があります。
教会に行けば人と人のつながりがあると多くの方々に思っていただけるように、信仰の共同体、とりわけ小教区共同体を活性化する必要はあると思います。
どんな小教区共同体に?
どの司祭も小教区共同体の運営についてのノウハウを特別に学んだわけではありません。司祭叙階され、小教区に派遣され、そこから手探りのような関わりが生まれていきました。経験を重ねながら、時には失敗もしながら、主イエス・キリストから委ねられた司牧と宣教の使命を実行しています。その中で多くの人々が共感してくださり、協力してくださいます。そして、これからも司祭は信者であれ、そうでない方であれ、多くの人々との「交わり」の中で生きていくのです。
それぞれの司祭には夢があります。小教区の共同体に対する夢です。人との関わりについての夢です。未来への展望、ビジョンと言いかえてもよいでしょう。これは、多くの人々の「参加」をうながします。なぜなら、司祭が単独ではビジョンを実現することはできないからです。そして、小教区の信徒たちとの対話、分かち合い、すなわち互いに「聞く」ことを通じてこの夢は育まれます。小教区共同体の未来の姿は、祈りの中で「識別」がなされていきます。こうして「ともに歩む」教会は実現していくのです。
上から目線
第二バチカン公会議後の日本の教会の歩みを見直してみると、一生懸命、着実に歩んできたのがよく分かります。とりわけ80年代と90年代の取り組みはすばらしいものがあります。しかし、当時の様子をよく眺めてみると、少し「上から目線」の意識が教会の中にあったように思えます。かつての『布教』から『福音宣教』という言葉が広く知られるようになった70年代後半から80年代にかけては、しきりと「社会の福音化」が提唱されていたように記憶しています。「個人の福音化」よりも「社会の福音化」に比重を置こうとするのは、ある意味で「上から目線」だったのではないでしょうか。「わたしたちは大丈夫。でも社会にはこんなにたくさんの問題があって……」という意識です。また、第1回福音宣教推進会議(NICE-1)が開催された80年代後半は「ともに喜びをもって生きよう」(ともよろ)というスローガンが広まりました。しかし、すぐに「ともに、だれと?」という疑問が生まれていったのは、まだまだわたしたちが周囲の人々にとっての隣人となっていない「上から目線」の現れだったように思えます。善きサマリア人の物語に登場する律法の専門家のひと言「では、わたしの隣人とはだれですか」を思い起こさせます(ルカ10章29節)。また、小教区共同体のリーダー養成に力を注いだ頃もありました。ですが、あまり実りがなかったように思えます。
残念に思うのは2000年代の初めに策定され、実施された「宣教協力体」です。その目的を「…教会がより豊かに福音的使命を生きる姿勢を作る…信徒が参加できる教会をつくっていく」としています。「信徒が参加できる教会」という言い回しに聖職者の「上から目線」がにじみ出ています。さらには『宣教協力体のための指針』では、小教区共同体の「教会活動」よりも宣教協力体の「意志決定」のみに焦点をあてています。宣教協力体の枠組みばかりが取り扱われ、小教区共同体のあり方にはあまり触れられていません。これでは「ともに歩む」教会から少し離れてしまっているように思います。
こういった「上から目線」というものは無意識のうちにある聖職者の優位性、信徒の社会での安定性などに基づくものでしょう。これはバブル経済という日本社会の好景気とも関連するのかもしれません。あるいは「ともに歩む」の意識はありながらも、適切な表現を見いだせなかったのかもしれません。時代の限界だったのでしょう。しかし、2000年代以降、社会は大きく変化しました。教会に集う人々は困難と貧困、哀しみを抱えています。わたしたちが「上から目線」から解放されないかぎり、「ともに歩む」教会は実現しないと思います。
「上から目線」からの脱却は、言い換えると「罪人」であることの自覚だと思います。教会の奉仕者に対して厳しいまなざしを注ぎ、批判を繰り返す人々が教区内にいることは確かです。理不尽な批判にさらされたとき、「罪人のわたしをあわれんでください」とわたしたち司祭が心から思えたら、真に「上から目線」から解放されていくでしょう。長い道のりです。
ハンドブック
最後に、東京教区シノドスチームでは「10の設問」をもとに東京教区に適応した設問を用意して、分かち合いのためのハンドブックを作成しました。少し幼稚な質問のようなものも記載しましたが、誰でも答えられるようにと工夫してのことです。個人で一読なさって日々の黙想の材料としていただきたいです。また、勉強会や集いの中で小グループの集いで分かち合いのようにしていただいてもけっこうです。信仰のあり方、教会のあり方、小教区共同体のあり方を見つめ直しながら、「ともに歩む」教会を築いてまいりましょう。
※分かち合いのハンドブックに関しては、次号で詳しくご紹介いたします。
訃報 フランシスコ・ザビエル寺西 英夫神父
東京教区司祭、フランシスコ・ザビエル寺西英夫神父が9月26日(月)午前7時1分、心不全のためペトロの家にて帰天されました。享年93歳でした。どうぞお祈りください。
【略歴】
小教区司牧だけでなく、司教団の「典礼委員会」の顧問、各種団体の理事、監事、評議員などを引き受け、その職務を誠実に果たされました。
寺パパ、おぼえていますか
晴佐久 昌英神父(浅草・上野教会主任司祭)
寺パパ、おぼえていますか。私の父が亡くなったとき、多摩教会の教会報に「晴佐久さん、おぼえていますか」と題した追悼文を書いてくれたことを。その文章は、当時21歳の私にとっては衝撃でした。あれから43年。そのときの感謝をこめて、同じかたちで追悼文を書かせていただきます。
「寺パパ」。若い仲間たちがそう呼んでいたのは、まさにあなたがパパだったからです。多摩地区の教会が協力し合って青少年の信仰育成を始めた時、その中心的役割を果たしたのが、あなたでした。いつもみんなのまんなかにいて、本当の父親のように見守り、優しく諭し、生きたことばで導いてくれたおかげで、そのころ十代だったぼくたちはひとつの家族のように結ばれて、成長していったのです。そんな仲間たちを、私の父である「晴パパ」も家族同然に迎え入れたので、わが家は青少年の合宿所の様相を呈していましたが、そこはあなたにとっても心安らぐ家庭であり、安心して酔いつぶれることのできる定宿でした。同い年の「寺パパ」と「晴パパ」は、教会の未来を語り合う同志であり、深夜まで二人で無邪気にサイコロ遊びをする友達でもありました。
その晴パパが50歳で召された時の追悼文の中で、あなたは、入院した晴パパを見舞った折、病室の枕もとで妻の晴ママが聖書を朗読しているのを目撃したことに触れた上で、こう書いたのです。「晴佐久さん、やっぱり、神の国は、わたしたちの中にもう、来ているんですよね。あなたは今、御父のふところで、『ほんとうだ、ほんとうだ、ほんとうだ』と歌っておられるに違いない」
まだ死のことなどまともに考えたこともなく、突然の死別に呆然としていた息子にとって、わが父が天で「ほんとうだ、ほんとうだ、ほんとうだ」と歌っているというそのことばは、天啓でした。神の国はすでに現実なんだ、父は生きているんだと、まっすぐに信じられたのです。半年後、私は神学校に入りました。
神学生時代、一番苦しかったときに心の闇を打ち明けた唯一の相手もあなたでしたし、その後あなたの助任司祭だったとき、人生の危機から全面的に守ってくれたのもあなたです。あなたがいなかったら、晴佐久神父も存在しません。
寺パパ、やっぱり、神の国は、わたしたちの中にもう、来ているんですよね。
あなたは今、御父のふところで、「ほんとうだ、ほんとうだ、ほんとうだ」と歌っておられるに違いありません。再会した同志と、声をひとつにして。
京葉宣教協力体 中高生の集い
10月1日(土)の午後から夜にかけて、カトリック潮見教会にて京葉宣教協力体(市川、葛西、小岩、潮見)による中高生の集いが行われた。コロナ禍以降、この集いが行われるのは初めて。そのため、他の小教区の信徒と出会ったことがない中高生も多く、どれほどの参加者が集まるかの不安もあったが、10名の中高生と6名の元・中高生(青年)が参加した。
初めに、簡単な自己紹介の後、アイスブレーキングのゲームが行われた。言葉を発しないで全員が誕生日順に並ぶゲームや、「野球場」「ギター」など、様々なものになりきって自己紹介をする「妄想自己紹介ゲーム」等、短時間で互いが打ち解けられる内容が工夫されていた。
次のプログラムは葛西教会で若者と関わっているSr.岸里実さん(聖心のウルスラ宣教女修道会)による、「出会い」をテーマとしたお話と分かち合い。お話は「コロナ禍で人と会うことが少なくなっている中で、『出会う』と『会う』はどのように違うのだろうか」という問いかけから始まり、人間同士の出会い、ヨハネ福音書1章を引用しながらのイエスと使徒たちの出会い、そしてわたしたちとイエスとの出会いについて語られた。「本当の意味で出会うためには自分の心のドアを開けなければならない」、「イエスとの出会いは自分だけに終わらない」と、穏やかに、しかし力強く語るSr.岸の言葉に中高生たちも聞き入っていた。
日が暮れ始めた頃からは会場を屋外に移してのバーベキュー。屋外とはいえ密にならないよう、十分なゆとりを持ってテーブルを設置するなど感染症対策には十分な配慮がなされていた。分かち合いまでは緊張の色も見られた中高生たちも、リーダーたちの手による美味しいバーベキューを囲みながら、一気に打ち解けていった様子。他の小教区の同世代はもちろんのこと、リーダーとして参加した青年や大人たちとの交わりもまた、中高生たちにとって、信仰生活を歩む上での恵みとなったことだろう。
なお、この集いは、会場となった潮見教会だけでなく、宣教協力体会議での丁寧な話し合いによって企画されている。京葉宣教協力体の協力体会議は9月で第百回を迎え、4つの小教区が一つの共同体として互いの近況や課題を分かち合う体制が形作られている。長い時間をかけて共同体を築き上げてきているからこそ、ともに若者たちを育て、見守るという意識も育まれていることが感じられた。
分かち合い風景
Sr.岸の手による分かち合いのためのイラスト
編集後記
分かり合うことは難しい。よく分かっているという驕りが、ますます互いを分からなくさせる。分からないことで傷つけ、分かられないことで傷つく。
でもその痛みは、分かり合いたいという道半ばにこそ生まれるのだ。傷つけてしまう距離は、癒やすことができる距離でもある。交わりがなければ痛みは生まれない。けれども、愛も生まれない。
人となられた神の子は、人と交わり、苦しんで苦しみ抜いた。愛して愛し抜いた。残ったのが愛であることを、わたしたちは知っている。
分かり合いたいと願い続ける、愛し続ける勇気が与えられますように。(Y)