お知らせ
東京教区ニュース第380号
2021年03月01日
目次
追悼 岡田武夫名誉大司教
前東京大司教、ペトロ岡田武夫名誉大司教は、昨年12月18日の午後に帰天された。
東京教区ニュースの2021年1・2月合併号には、締め切りの関係で、訃報だけしか載せることができなかった。
岡田名誉大司教と特に神学院生活を共にされた二人の方に思い出の文章を寄せてもらった。緊急事態宣言の再発出、さらなる延長で追悼ミサを行なえない日々が続いているが、岡田名誉大司教の姿を思い起こすことにつながれば幸いである。(編集部)
神学生時代のペトロ岡田武夫大司教
高松教区司教 諏訪榮治郎
ペトロ岡田武夫大司教さまの神学生時代に生活を共にした一人として、思いを馳せさせていただきます。第二バチカン公会議の終わったころ、私たちの神学院生活が始まりました。当時、東京カトリック神学院哲学科(神学生養成の前期4年間)は市ヶ谷の四番町にありました。高校卒業後直ちに神学院に入学する者、社会生活の中で司祭職召命を受けた者、同じ学年でも年齢はさまざまでした。長い伝統に生きた教会が公会議によっていよいよ生まれ変わるのだという期待(うわさ)の中で神学院生活が始まりましたが、当時の神学院では主日ミサはグレゴリアン聖歌の典礼で、また一番大切なことは伝統に裏打ちされた「規則を守る」ことに明け暮れました。
よってバチカン公会議の精神はなかなか神学院に届きませんでした。ある日岡田神学生が「これどう思う?」と「聖体・教会」についての思いを綴った文書を手渡してくれました。趣旨は、“聖体拝領は個人の信仰生活を確かなものとするが、むしろ聖体はキリストの教会共同体を築くためのものである。”との内容でした。(今では当然の理解ではありますが)当時(50余年前)個人主義のわたしに“目をさませ”との叱咤激励の文章でした。以後教会の刷新について事あるごとに話し合ったものです。
神学院生活の岡田神学生は華々しく目立った存在では決してなく、むしろ内に秘めた思いを、手を振りながら押し付けることなく、ニコニコと素朴に分ちあってくださる静かな方でした。それ以降の司祭、司教時代も謙遜なお姿は変わることがなかったと思います。司教同士としてわたしと話すとき(困難な問題が山積みになっているにもかかわらず)いつも懐かしい神学院時代の同級生の話でした。大司教を引退された後、帰天された同級生や司教様方へのお墓参りをされていました。ある日突然、高松教区の故溝部司教さまの墓前にたたずんでおられました。また岡田大司教さまにとって、高松教区の新居浜教会はご自身の司祭職召命を決断された時の教会であったようです。当時の教会のメンバーは若い岡田青年を次期信徒会会長と決めていたそうですが、すでに神学院入学を決心されていたとのことでした。新居浜教会を共に訪問し、当時の信徒の方々と思い出話の楽しいひと時をすごされました。その1年後、大司教様は帰天されました。お一人おひとりに神様の計画された道があります。人と人との出会いとつながりを心の中で大切にされておられた岡田大司教様をいま改めて追悼させていただきました。この方を私たちにお与えくださった神様に心より感謝いたします。
神学校時代の岡田大司教様の思い出など
奈良市富雄教会信徒 川渕 博
もう50年以上昔のことですが、私は市ヶ谷の神学校(哲学コース)時代、数年間当時の岡田神学生と生活を共にした一人です。彼は私より六歳年上の先輩でしたが、当時二十歳にも満たない私とも親しく付き合ってくださいました。
入学してきた頃の彼は、思慮深く、控えめで、物静かな感じの苦労人という印象をもったことを覚えています。会話のときはいつも両手でやさしくゼスチャーを交えながら笑みを浮かべてゆっくり話す人でした。岡田神学生とは同室で過ごした時期もあり、様々なことを教えていただいたり、こっちの悩みごとなども聞いてもらったりして、幾度も助けていただきました。
彼とはさまざまなことを語り合いましたが、その中でも記憶に残っているのは、彼がカトリック司祭を決心するまでの長い心の旅路です。
彼は生来人生に思い悩む質であったようで、少年期から青年期にかけて、人生への不安や懐疑を感じ、人生に意味はないのではないかという厭世観に悩んでいたそうです。このような悩みを抱えていた高校時代、ある教師に聖書には人生の意味が書いてあると教えられ、そこからキリスト教との接触が始まったそうです。東大入学後にプロテスタント教会で受洗されたとのことですが、その後も信仰上の疑問は次々に湧きあがり、信仰と迷信の違い、信じる根拠は何か、人間に自由意志は本当にあるかなどの問に悩み続ける青年だったようです。
そのころカトリックの司祭に出会い、岩下壮一師の『信仰の遺産』などで理論的にはカトリックの信仰を理解したとのことですが、まだ心からの信仰の確信を得たわけではなく、探求はさらに続き、最終的には『復活の信仰』に辿り着いてやっと心が落ち着いたとのことです。
このような信仰の遍歴を経て、カトリックの信仰に確信を得た岡田青年でしたが、彼はさらに進んで、ある司祭の勧めもあり、司祭の道を目指すべく、神学校の門をたたくことになったとのことでした。東大法学部を卒業して、一流企業に職を得ながら、それもかなぐり捨てて、司祭への道を選んだ彼の決断に驚きと深い敬意を感じたことを鮮明に思い出します。
岡田神学生にこのような話をお聞きして、彼はまさに『求道の人』であり、尊敬の念を抱きました。それに引き換え自分の未熟さを恥じたものですが、彼には何かと相談に乗ってもらい、いろいろ励ましていただきました。
1973年の司祭叙階から約50年にわたった岡田大司教の生涯に深い敬意を表し、御冥福をお祈り致します。
生前に一度お会いして語り合いたかったのですが、できなかったことが心残りです。また天の国でゆっくり語り合いましょう。
フードパントリー開催!
「今日は、お腹いっぱい食べられるね。」
2020年12月26日(土)11:00~14:00。大田区のカトリック大森教会で開催された「フードパントリー」で子どもが母親に思わず発した一言です。
「涙が出そう。」
シングルマザーの方が沢山の食品を受け取った時に発した一言です。
「フードパントリー」ってなに? それは、一般家庭、農家、団体、企業から寄付される食品を無料でひとり親家庭や生活に困っている方々に直接配布する活動のことです。
大森教会で開催されたフードパントリーには、開始の11時になると次々と子ども連れのシングルマザーの方、その後もホームレスの方、外国の青年の方々、一人暮らしの方、合わせて20世帯の方が食品を受け取りに来られ喜んで笑顔で帰られました。
あるホームレスの方の話によると、今まではカップ麺をもらったらコンビニでお湯をもらって食べていたが、コロナになってそこのコンビニで買わないとお湯をもらえないようになったそうです。その方は、用意した袋の中からカップ麺以外の缶詰、レトルト食品、お菓子、ジュースなどすぐ食べられる物だけを選んで受け取りました。この寒さの中、唯一温かい食べ物だったのにそれさえ許されない、このコロナ禍にあって弱い立場の人は、益々弱くされている現状に悲しさともどかしさを覚えました。翌日、用意した食品の詰め合わせ20袋をホームレスの拠点に届けました。
私たちがこの活動を始めるきっかけは、日ごろから、大森教会として地域社会のために何もできていないということがコロナ禍になって浮き彫りにされ、それを主任司祭のビッフィ・マウリツィオ神父から指摘されたことでした。色々考えたり調べたりする過程で大田区社会福祉協議会に行きつき、まず、すぐにできる手作り雑巾と手作りマスクのプロジェクトに参加しました。これらは、大田区社会福祉協議会を通して福祉施設やひとり親家庭に届けられます。そして、地域の方々や隣接する大森聖マリア幼稚園にも協力を呼びかけ現在も継続して支援しています。その縁で今回のフードパントリーには、大田区社会福祉協議会のHPに食品の支援や開催の案内などを掲載していただき缶詰の寄付もしてくださいました。また、CTIC(カトリック東京国際センター)に以前から支援している関係から今回、支援してくださいました。他にも地域の方々、大森聖マリア幼稚園、大田宣教協力体である蒲田教会や他の小教区の信徒の方々の協力のおかげで開催できました。
教会という小さな枠を超え地域社会と関わることによって、少しでも人の役に立つことをすることが教会の使命でもあると思います。しかし、この活動を継続して行うためには、食品の確保が一番の課題です。もし、食品支援をしていただける方がいましたら是非、ご連絡ください。
助けを必要としている人に支援が届き、すべてのいのちが守られるようこの活動を続けていきたいです。
カトリック大森教会信徒
東京大司教区司祭人事(第1次)について
東京教区では、2021年度の司祭の人事異動を以下のように決定しましたので、お知らせします。
東京大司教
菊地 功
(4月1日付)赴任は復活祭後
任地 | 氏名 | 現任地 |
徳田教会主任司祭(兼任) | 稲川 保明師 | 徳田教会小教区管理者(兼任) |
本郷教会主任司祭(兼任) | 天本 昭好師 | 本郷教会小教区管理者(兼任) |
徳田教会助任司祭 | 福田 正範師 | 目黒教会協力 |
目黒教会協力司祭(大司教館居住) | 猪熊 太郎師 | 教区本部協力 |
町屋教会協力司祭(ペトロの家居住) | 古賀 正典師 | 療養 |
東京カトリック神学院霊的同伴 | マルコ・アントニオ師 (グアダルペ会) |
麻布教会協力 |
継続 | |
立川教会協力司祭(1年) | 髙田 裕和師(マリア会) |
中央協議会(3年) | 川口 薫師 |
教区委員会(4月1日付) | |
典礼委員会 | 委員長:小池 亮太師 委員:江部 純一師、髙田 裕和師(マリア会) |
生涯養成委員会 | 委員長:猪熊 太郎師 委員:高木 賢一師、森 一幸師 |
CTIC カトリック東京国際センター通信 第245号
多国籍の家族のための多国語による司牧
—母国語と日本語の両立—
わたしはCTICでラテンアメリカ関係の司牧(母国語でのミサや相談など)に携わっているが、母国語だけでは足りない。多国籍の家族に対する司牧では日本語と外国語の両方を使って関わる必要がある。
T教会で多国籍の結婚準備講座を依頼された。花嫁は英語、花婿は日本語。対訳の式次第を使って、自分で通訳をしながら準備した。本番は両国語。参加した友だちは新婚夫婦を「あなたたちは同意の言葉を、『Yes、Yes、はい、はい』と2回繰り返したから夫婦の絆が強い。」とからかった。
N教会でのポルトガル語のミサに初めて出たブラジル人はとまどった。
片言のポルトガル語をしゃべるスペイン人神父の話が通じにくい。実は日本語だったが、説教の後半はポルトガル語に切りかえた。「多国語のミサガイドの小冊子で助かった」と。
Y教会で前からスペイン語のミサに参加している信者は言った。「日本語が分かっても自分の言葉で祈れるのはありがたい」。神父は答えた、「でも、あなたの子どもはどう?」。子どもたちは日本で育ったし、教会に来ていないが……。
日本人の女性と結婚した外国人男性は小さな子を残して事故で亡くなった。その家族で彼だけがカトリック信徒で、彼の親戚が自国から来るので、葬儀をスペイン語でやってほしいと頼まれた。打ち合わせで分かったが、信者でない参加者が多く、日本語しか分らない方も少なくない。どうしようか。結局自分で通訳しながらやるしかない。分かりやすい式次第を作り、家族には慰め、信者でない人には福音宣教になるようにした。
T教会のスペイン語のミサでは、小さな子ども連れの3家族が同じ日に現れた。福音の後、子どもたちを祭壇の方に呼んで質問したが、その子たちは日本語で教育を受けていた。では日本語に切り替えようと、その日から私はスペイン語のミサでの説教を日本語とスペイン語でするようにした。
以上述べたケースは氷山の一角にすぎない。紙面の関係で省略するが、とにかく、ここで、「多国籍の家族のための多国語の司牧」の必要性を主張したい。
多国籍のミサと小教区との関係には4つの形式がある。
①外国人は日本語のミサに参加し、小教区の生活と活動の中で組み入れられている。
②外国語だけのミサの共同体が小教区と別に存在する。
③外国人の多い共同体では外国語でミサや秘跡の授与などが行われるが、小教区とのつながりを密接に保っている。
④多国籍の家族が参加する共同体で、ミサと司牧活動が母国語と日本語で行われるが、これは「他国籍家族のための多国語の司牧」と言えよう。
この4番目の形式を活かすためには、邦人と外国人の司牧者(司祭と男女の信徒奉仕者)がチームで関わるのが望ましい。これこそ多様性と一致が育つ道の一つではなかろうか。
J.マシア(CTIC・ Latin Pastoral Team)
CTVC カトリック東京ボランティアセンター No.90
被災地支援と「出向いていく教会」
~CTVCの10年間の活動に、ご支援をありがとうございました!~
今年の3月11日で、東日本大震災からちょうど10年となります。
これまで被災地支援活動を行ってきた私たちCTVCも、3月末日をもってその役割を終えます。これまで10年間の長きに亘り、東京教区の皆様にはたくさんの温かいご支援をいただき、またボランティアとして被災地での支援活動や東京でのイベントにご参加いただきました。
心より感謝申し上げます。
さて、私たちの活動のパートナーは主に、被災地または被災地に近い地元の教会のグループでした。自らが被災者でありながら、まわりにいる被災者・避難者の方々のために主体的に支援活動を行っていたグループです。こうしたグループは、普段は首都圏にいる私たちが被災者の方々とつながるために、とても大切で無くてはならない存在でした。被災者・避難者の方々にとっても、日常的に関わることができるグループが身近にあることは、きっと心強かったのではないでしょうか。
しかし、こうしたグループは、震災を機に突然現れたグループではありませんでした。平時には、近隣の方々に向けた茶の湯を開催していたり、傾聴を学んでいたり、生活困窮者のための炊き出しや福祉の活動に取り組んでいたりしたグループなどです。こうしたグループを後方から支援する、東京教区をはじめ全国のグループもまた、普段から様々な社会活動に取り組んできた方々の集まりでした。つまり、災害が起こる前から、地域社会の課題に目が開かれ、向き合い、具体的に取り組むという「出向いていく教会」の姿がすでにあり、それが震災を機につながったのだと思います。
さらに言うと、東北の支援活動で出会った方々やグループとのつながりは、その後の熊本地震での被災地支援活動や、海外ボランティアへの参加、コロナ禍における生活困窮者支援など、まわりの人々のさらなるニーズに向けて、様々なかたちで広がっていきました。この10年間には、東北支援のみならず、このつながりを通して今後ダイナミックに展開されていくミッションに、一人ひとりが招かれているという意味もあるのではないかと思います。これからも、私たちはひとつの「出向いていく教会」として、ともに歩んでいけますように。
ありがとうございました!
CTVC事務局長
漆原比呂志
カリタスの家だより 連載 第130回
ボランティア開発養成室から
世の中はコロナの話題に溢れていますが、教区ニュース読者の皆さまはご無事にお過ごしでしょうか。今日の感染者、重症者何名と聞いているだけで恐ろしくなります。特に入院も叶わず、孤独のうちに闘病しておられる方々のためには、日々祈らずにいられません。
そんな中でも、重荷を負った方々はカリタスの家に悩みを打ち明けにいらっしゃいます。お話を聞き、ボランティアさんを紹介して、カリタスの家・ボランティアさん・相談者さんの三人四脚で重荷を分け合い、ともに歩んでいく……。カリタスの家の活動は、コロナの世でも変わりなく続いています。地味な活動ですが、これが創立当初から50年受け継いできたカリタスの家の伝統なのです。
現在、ボランティア開発養成室がいささか前のめりにとりかかっているのは、この伝統の後に続いてくれる同志の発掘です。阪神大震災の頃に一時的に盛り上がったこの国のボランティア熱は、徐々に醒めていきました。この数年、新しくボランティアを始めようという方が徐々に減ってきていることは肌で感じていました。その上コロナ禍によって、毎年行われてきたボランティア養成講座が開けなくなりました。教会を訪問してカリタスの家の紹介をする教会キャラバンの機会も失われました。
もちろん、活動中のボランティアさんの熱意でこの緊急事態を乗り切っていくことは可能です。リモート会議を取り入れるなどの工夫もしています。けれども将来を見据えるなら、今はより大きな改革に取り組むときだと考えています。毎年数名ずつ迎えてきた新しいボランティアさんが減ることは、カリタスの家に新しい風が入って来にくいということなのです。新しい人は新しい考えをもたらしてくれます。伝統は大切ですが、時代に即した新しい考えはカリタスの家をフレッシュにしてくれます。
東京カリタスの家が呱々の声をあげた半世紀前と今とで明らかに違うのは、女性の就業率です。これまで、カリタスの家の活動はおもに時間を自分で自由にアレンジできる専業主婦や退職者中心に行われてきました。新規の相談ケースを検討する会議もウィークデイに開かれます。開発養成室の月例ミーティングも聖書勉強会も同様です。2018年の15歳~65歳の女性の就業率は70パーセントに迫っています。数年前に亡くなられた犬養道子さんによれば、ヨーロッパのキリスト教国では、職があろうとなかろうと、時間を見つけてボランティアをするのが普通のことだそうです。忙しいあなたが週に2時間見つけた空き時間を使って、どんなことができるでしょう。病院での本の読み聞かせ、児童の見守りや送迎、図書館の補助、教会でのコンピュター入力、視覚障害者のガイド、収監中の受刑者との文通、悩み事の傾聴などなど。温かい手を待っている人は大勢います。気軽に始めて息長く続けるボランティア。そういうボランティアのあり方を受け入れる素地を社会に根づかせたいと思います。
カリタスの家の信念は変わりません。いつの時代にも悩む人、苦しむ人に寄り添っていくことは変わらず必要とされています。でもその方法は時代によって柔軟に変えていくことが可能です。この春、東京カリタスの家は新しい方法を手探りしています。これを読んでおられるあなたにも、参加していただけたら嬉しいのですが……。
ボランティア開発養成室
酒井育子
コロナ禍の今、教会(わたしたち)のミッション 第2回開催!
2月6日(土)13時30分より、東京大司教区災害対応チーム主催によるオンラインパネルディスカッション「コロナ禍の今、教会(わたしたち)のミッション」第2回が開催された。
害対応チームでは、コロナ禍において、多くの教会活動を制限せざるを得ない中、コロナ禍においても活動を継続している小教区やグループの取り組みを紹介し、一人ひとりが「教会(わたしたち)にできること」を考えるきっかけを提供したいと考え、昨年の11月14日にオンラインパネルディスカッションの第1回を開催した。今回はその2回目となる。
この日紹介されたのは、「福音家族」(パネラー:晴佐久昌英神父)、「四ツ谷おにぎり仲間」(パネラー:高橋早苗さん)、「聖イグナチオ・カレーの会」(パネラー:岩田鐵夫さん)の3団体。いずれも路上生活者の方々と交わりを大切にしている活動である。
晴佐久神父はキリストの名のもとに「血縁を超えた福音的家族づくり」を目指し、月に一度は「一緒ごはん」をするという「福音家族」を作る取り組みを続けている。現在「福音家族」は24あるが、その一つに路上生活者と一緒ごはんをする「うぐいす食堂」という「家族」があり、今回は「福音家族」の精神と「うぐいす食堂」の活動を中心に報告が行われた。
「四ツ谷おにぎり仲間」は麹町教会を拠点として、20年前から毎週土曜日に路上生活者におにぎりを配る活動を続けているが、食事を提供することだけではなく「路上生活の方と共に生きる」ことを目指している。パネラーの高橋さんは「社会環境の変化、影響を一番受けるのは、社会で最も弱い立場の方々です」と語った。
「聖イグナチオ・カレーの会」も麹町教会を拠点として、路上に出かけていくのではなく教会に路上生活者を招いて、カレーを中心に温かい食事を提供している。現在は教会入り口で密を避け、でウォーキングスルー方式で食事を提供し続けている。パネラーの岩田さんの報告では「以前は平均150名ほどだった来訪者が、コロナ禍以降は200人を超える日が多く、練馬区や江戸川区などの遠方から来る人もいる」という。
パネルディスカッションの総評の中で菊地大司教は「何か特別なことをするというよりは、誰かが心をかけている、誰かが思いを馳せているということを目に見える形で表していくことはとても大切なことだと思う」と述べた。
災害対応チームではオンラインパネルディスカッションをシリーズ化していく予定。自分たちの活動や取り組み、「コロナ禍のミッション」を分かち合いたい小教区や団体は、災害対応チームメールアドレスまでご連絡いただきたい。
※パネルディスカッションの動画はこちらから視聴可能です。
司祭叙階式のお知らせ
†主の平和
いつも司祭召命のため、神学生のために祈りと献金をささげてくださっていることに感謝申し上げます。このたび東京教区で司祭叙階式を行うこととなりましたので、お知らせします。
受階者
フランシスコ・アシジ 小田 武直(おだ たけなお) 助祭
ヨハネ・マリア・ミカエル 古市 匡史 (ふるいち ただし)助祭
日時◉2021年4月29日(木・祝)14:00~
場所◉東京カテドラル聖マリア大聖堂
4月時点での新型コロナウイルス感染症の状況がまだ見通せないため、どのような形で式を行うかに関しては追って発表いたします。
ヨセフ年
「受けとめるヨゼフ」像
カテドラルのルルドの横に立つヨセフ像をご存じだろうか。白柳誠一枢機卿によって「受けとめるヨゼフ」と名付けられたこの像は、彫刻家の関谷光生(せきや みつお)氏の手によって1999年に完成した。銘板の文字も白柳枢機卿の筆によるものである。
カトリック信者ではない関谷氏は、ヨセフ像を制作するにあたり、アトリエで森一弘司教や稲川保明神父から説明を受けたり、森司教と一緒に宇治のカルメル会のヨセフ像を見学しに行ったりするなどして、聖ヨセフへの理解を深めたという。
また、このヨセフ像の設置には、当時司教館で奉仕していた大阪聖ヨゼフ宣教修道女会のシスターたちへの感謝も込められており、大阪ヨゼフ会の本部修道院(大阪府箕面市)にも関谷氏の手によるヨセフ像が置かれている。
カテドラルの正面扉から外に出ると、ルルドのマリア像と受けとめるヨセフ像の両方が目に入る。今年はヨセフ年。カテドラルにお越しの際には、ルルドだけではなく、是非ヨセフ像の前にも足を運び、主イエスの養父である聖ヨセフに祈りを捧げていただければ幸いである。
白柳枢機卿の筆による銘板
聖ヨセフ教会から「ヨセフ年」について一言
「教皇フランシスコは12月8日、聖ヨセフがカトリック教会の保護者として宣言されてから150年を迎えるにあたって、2020年12月8日から2021年12月8日を「ヨセフ年」とすることを宣言しました。」(カトリック中央協議会)
150年前に発表されたバチカンの宣言のすぐ後に、東京に迫害後初めてのカテドラルが建てられました。おそらくバチカンの宣言のためもあったのでしょう。そのカテドラルは聖ヨセフを守護聖人と仰ぎました。東京教区の歴史を聖ヨセフは見守っていてくださったことになります。
下の絵は築地教会に飾られている聖ヨセフ像です。当教会の信徒近藤啓二画伯の筆になります(画伯は従軍され、絵日記も残されています)。
この絵でもそうですが、聖ヨセフはいつも大工道具を持っています。真面目に静かに働いている者として、労働者の守護聖人としても仰がれています。
東京教区では四つの教会が聖ヨセフを守護聖人としています。マリア様の次に人気があります。志村、梅田、五井、築地。今は巡礼出来ませんが、いつかいらっしゃるのを待っています。
ある意味で聖ヨセフは今年の年男です。牛年の人は忍耐強く、よく我慢できるので、困難に負けずに努力する性格だといわれています。困難な時期ですが、私たちも聖ヨセフに倣い祈りつつゆっくりと進んでいきたいと思います。
レオ・シューマカ神父と田中洋子
ヨセフ像の写真募集します!
教皇フランシスコは昨年12月8日、聖ヨセフがカトリック教会の保護者として宣言されてから150年を迎えるにあたり、2020年12月8日から2021年12月8日を「ヨセフ年」と定めました。この「ヨセフ年」を記念して、東京教区の教会や修道院にあるヨセフ像の写真を募集いたします。その像が制作、設置された由来や、像にまつわるエピソードの文章を添えて、教区本部事務局広報部宛に、郵送かEメールで写真をお寄せください。お送りいただいた写真と文章は教区ニュースと教区ウェブサイトでご紹介いたします。沢山のご応募お待ちしています!
送付先
郵送:〒112-0014
東京都文京区関口3-16-15
カトリック東京教区事務局広報部
E-mail
※メール添付の場合、ファイル形式は問いませんが、できる限りサイズの大きな写真を添付してください。
知っていますか?私たちの「信仰」を? 「共に歩む信仰の旅─同伴者イエスと共に─」
生涯養成委員会
「教区カテキスタ養成講座」からのお知らせ
コロナ・ワクチンの接種が始まりました。終息に向けて、ようやく希望の光が見えてきた感じです。
しかし、「教区カテキスタ養成講座」の第三期生たちは、本格的に講座が始まったタイミングで、緊急事態宣言の発出を体験することになりました。講座のために集まる施設も閉鎖され、複数の人間が集まり続けること自体、避けなければならなくなりました。
このため、苦しい決断でしたが、「教区カテキスタ養成講座」(第三期)は、一旦、休止とし、九月から始まる予定の「教区カテキスタ養成講座」(第四期)と合同で、再開することにしました。
私たちは、本来、一年という時間をかけて、全25回の講座を隔週ごとに行うよう、プログラムを組んでいます。これは、
①一つひとつの学びの項目について、まず、理解を深める必要がある(聖書本文や教義の内容などを、まず、自ら調べてみることが求められます)
②その結果、聖書を通して与えられ、受け取った「メッセージ」を、あるいは、教義の核心的な部分を、自分の人生(体験)に照らしてみる
③最終的に、それらを人々に伝えていくために、自らの言葉にして語る準備をする
このような段階を経るために、多くの時間が必要となるからです。
どこか空いている時間を見つけて講座を無理やり詰め込み、上記のような作業を、しかも、短期間に集中して続けることになると、受講生たちは、確実に消化不良となり、その結果、急ぎ、認定・任命を受けたとしても、将来的に、カテキスタとしては、一人で立つことが難しくなることが、今から予想されたためです。
幸いなことに、第三期生たちは、九月からの講座再開と、第四期との合同開催に同意してくれました。そして、九月からの再開のために、既に、自分なりの準備を始めてくれています。
皆様、どうか、第三期生たちのためにお祈りをお願いします。
また、今回、第四期の講座に応募しようと思っている皆さん!
皆さんは、第三期生と共に、講座に参加していくことになります。事務的な便宜上、第三期・第四期と分けてはいますが、同じ志をもった仲間たちが、既に待っています。どうか臆することなく、新たなチャレンジをして下さい。応募をお待ちしています。
編集後記
日一日と日脚が延びていく。少し前まで夜だった時間が、夕方になり、昼になっていく。
今、梅が咲き誇っている。「梅は百花の魁」という。梅に先取られて、オオイヌノフグリもそろそろ顔を見せてくれるだろうか。
まだまだ夜の方が長いし、朝晩は冷える。桜が開くのももう少し先のこと。それでも、世界に光と彩りが甦っていく。
春は必ず訪れる。約束された喜びを待つ日々は楽しい。春の一歩手前の今は、そんな「待つ喜び」を味わう季節なのかもしれない。
「信仰と、希望と、愛、この三つは、いつまでも残る。その中で最も大いなるものは、愛である。」 (一コリ13.13)とパウロは言う。信じるからこそ待つことが、すなわち、希望することができるのだ。
神の救いを信じて、そこに希望を置くことができるなら、愛することも、「最も大いなる」愛に生きることもできるに違いない。春を待ち望む私たちの希望が、愛を生むことができますように。(Y)