お知らせ

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東京教区ニュース第166号

1999年09月01日

特集 夏のキャンプ 今昔物語 食事から見たキャンプ事情

今年の夏もたくさんの思い出を残して終わった。毎年、教会学校のキャンプを特集しているが、今年は、キャンプの要(かなめ)ともいうべき食事に焦点をあててみることにした。特に、昔と今の比較という点にスポットをあてて全教会にアンケートをしてみた。急ぎのお願いにもかかわらず、約50%の、回答率であった。

昔はみんな自分たちで作って食べたもんだ

キャンプの食事を今と昔で比較してわかることは、食事の作り手が、お母さんやリーダーから、専門の業者の手に移ったことである。もちろん、現在でも母親やリーダーが作っている教会も多い。しかし、一般的に、宿舎で出されるものや業者が作った弁当を、食事にあてる教会がふえている。その一因は、宿舎の食事がとても良くなっていることにある。参加人数が少ないので、無理に自分たちで作るより、宿舎で出される食事や、仕出し弁当がずっと出来がよく費用もさほど変わらないということである。

「昔は?」という質問に対し、「昔は、今よりもっともっと豪華だったらしい」という回答が複数あった。人数が多かったのと、キャンプや練成会の大きな楽しみであったため、作る側のお母さんやリーダーも、相当の準備と苦労を覚悟で臨んだようである。「昔は、好き嫌いを言わせず、なんとか勢いで食べさせたものです」という返答もあった。キャンプで、嫌いなものをなんとか食べられるようになったりしたケースも、昔はあったようである。その点で、今は、先ず、子どもの好みをはじめに聞いておいて、好みの中で献立を考える教会もいくつかあった。宿舎に対しても、あらかじめ子どもが食べやすい内容、好きなメニューを出して作らせた教会もある。業者も、せっかく作って残されるより、喜んで全部食べてもらうほうがよいので、こちらの要望を充分にきいてくれる傾向にある。

「昔は、大きな釜に薪を焚(た)いて作ったものです。スコップのようなしゃもじを使ったのをおぼえています」という声も記されている。「好き嫌いはわがままなことで、せっかくお母さんたちが汗を流して作ってくださったのだから、がまんして食べなさい。食べてるうちに食べられるようになります」といった言い方が一般に通用していたのだろう。「今の子は、平気で残しますし、嫌いなものには始めから箸をつけません」という記入もあった。「ファミリーレストランで、子どもたちが上手に自分の好みをメニューから選んで注文しているのをみて、時代が変わったなと思いました。」とある教会のお母さんが書いておられた。好き嫌いは普遍的なものだが、その受けとめ方は時代とともに進む。身体にいいものを充分に食べて育ってほしいという点では今も昔も変りないが、子どもの側の気持ちを汲むという点では、昔より一歩も二歩も進んでいることがよくわかる。

食後に薬をのむ子が増えています

ある教会では、食後に薬をのむ子が何人かいて、リーダーは、きちんとのませるように配慮しなければならなかった。それに関連して、子どものもつ食べ物アレルギーには特に気をつけたケースがいくつか報告されている。アレルギーに対する認識は意外と低い。最悪の場合は生命にかかわる。教会によっては、アレルギーをもっている子どもを事前に調査し、皆が一緒に食べられるような食事を用意したところもある。報告は簡単だが、実際には大変なことであっただろう。

一方、ある教会では、アレルギーの子向きの食事を作れず、アレルギーをもった子はほとんど何も食べられなかったことが書かれていた。例えば、卵黄アレルギーの子がいたら、食事はおろか、おやつの菓子にも細かく神経を光らせなければならない。卵をつかっていないお菓子を探すことは至難の業である。日常の日曜学校では、その子が食べ物アレルギーをもっていることを知らないでも支障を感じないですむ。しかし、キャンプや練成会で何日間か共同生活をするとなるとそうはいかない。意外な食べ物アレルギーがわかって、その子に対する認識がグッと深まるということは望外な収穫である。ましてや、その子に不自由を感じさせないように三度の食事を用意してゆくことは、想像を絶する苦労があるだろう。しかし、そういうことへの配慮こそ、教会学校のもつ意義の大きな部分である。

O-157の後遺症

3年前、関西を中心にO-157が猛威を振って死者を出す程の事件が発生した。昨年、今年と、特にO-157にかかわる事件はなく、過去のものとなりつつある。しかし、教会学校のキャンプや練成会には大きな影響を与え続けている。先ず、O-157を恐れるばかりに自炊をとりやめて、宿舎で出される食事を選ぶという選択をした教会がいくつかあった。食事を業者に委ねるということはしなくても、食事に対して、作る時も食べる時も衛生面に細心の注意を払うという点では、どの教会も共通していた。料理をする時も「生もの」を避けて、よくよく火を通すようにしたという報告もO-157の影響であろう。バーベキューをする時も、ついよく焼けてないものを口に運んでしまいがちだが、リーダーが見ていて、しっかり火を通して口に運ばせたとの回答もあった。楽しいバーベキューもリーダーにとっては気がもめる時間となったようだ。当然の事ながら、食材や食器の管理にも充分注意が払われたようだ。慣れない環境、で見えないO-157につけ入らせない気の使い方に敬意を払いたい。「衛生面のことを考えると、昔は随分おおらかだったと思います」との書き入れがあった。昔は昔なりに気を遣っていたのであろうが、今と比べると「おおらか」という言い方になるのだろう。

無駄を少なくする努力と工夫

キャンプではつい多めに作ってしまう傾向がある。大勢で食べること、いつもの生活からすると相当に身体を動かしていることからすると、相当に食べることが予想されるからだ。足りないより余るほうがよいという気持ちが働く。ご飯でも惣菜でも結果的に大量に余ることがある。省エネ、倹約時代にあって、なるべく無駄を省きたいという心情は、余ったものを有効に使う方法を考えさせる。前日の残りものが、翌日姿を変えて出て来る、子どもたちを楽しませた報告がいくつか出ていた。余り物でもちょっと手を入れて味をつけると子どもたちはペロリと平らげるとのことである。
「見た眼に美しいことも食べてもらう大きな要素です」とあった。たくさん作るために、つい見た眼を犠牲にしてしまいがちだ。元来、食べものは、最初に眼で食べるものである。お子様ランチなどを見れば、それなりの工夫が施されていることがわかる。見た眼に楽しい。しかし、キャンプや練成会、見た眼に美しいものや楽しいものを作ることは至難の業である。しかし、教会によっては、その点で工夫をして、前日の残りものを喜んで食べさせたところがある。それだけではない。つい多めに買ってしまう食材を使いきる努力を払い、全てを使って残りのないようにもっていった教会もある。更に、ゴミを出さない努力も多くの教会が払ったようである。省エネ時代にそった努力である。

今も昔もメニューの定番はカレー

メニューについての質問に、約95%の教会が、カレーと答えてきた。何故カレーなのかという質問はなかったので人気の秘密は不明だが、それぞれの教会がそれぞれ工夫をこらしたカレーを作っているのは確かだ。その工夫もよく見ると、カレーの世界の広さを感じさせられる。カレーとは名ばかりで、中味は、野菜・肉・シーフード、それにそれぞれのかくし味と、いくらでも創意をこらすことができる総合食といえる。ある教会は、カレーアラカルトと称して、スペシャルカレー、シーフードカレー、キーマカレーと3種のカレーを作り、子どもたちに食べ比べをさせたりしたとの報告である。また、ある教会は、「前日の残りをうまくカレーに組みこんで、まるでそのために用意したかのように作り、子どもを喜ばせた」と書かれてあった。玉ネギ20個を何時間もかけて狐色になるまで炒め、それをベースに牛肉をたっぷり入れて作ったカレーに、カレー慣れしている子どもが「おいしい、おいしい」といって何杯もおかわりしてくれたとの報告もあった。

カレーに関しての昔の話もいくつかあった。例にもれず、大きな釜で何十人分のものを半日がかりで作った話である。カレー粉とメリケン粉をホーロクでゆっくり炒め、ルーを作るところから始まる。それに、ありあわせの野菜を使って作る訳である。カボチャの寄付が多ければカボチャカレーになるし、薩摩芋が多ければサツマカレーになるといった具合であったらしい。

カレーの次はバーベキュー

カレーについでキャンプの人気メニューはバーベキューである。バーベキューは、子どもが作るところから参加出来、食材がそのまま見えているという利点がある。よく火が通るように気をつけながら焼いて食べるという指導も、同時に行うことができる。このバーベキューにも、それぞれの教会の特徴が出ている。最近は冷凍食品も良くできていて、そのまま網の上において焼くとおいしく食べられるので、いくつかの教会で使われたようだ。冷凍食品のハンバーグ等は、子どもの人気食品に定着しつつあるらしい。

一つの食卓を囲むことこれこそキャンプの意味

近年、家庭で家族が一緒に食卓を囲んで食事をとるということが少なくなっている。生活形態が多様化し、家族が同時に何かをするということができなくなった。キャンプや練成会は、ほんの2日か3日にすぎないが、家族を再現させ、一緒に食卓を囲む喜びを味わわせてくれるよい機会である。
食事の作り手が、母親やリーダーから宿舎の業者に移りつつあるが、でも食卓を囲むという点では、今も昔も変わりない。「今時の子どもはさっぱり食べてくれません」という嘆きの声もあったが、やはりおなかが空けば食卓に集って来るのが自然である。子どもの人数が少なすぎて練成会を開くまでにいかない教会が出てきているし、2、3の教会が合同してやっとキャンプを実行しているケースも出てきている。

時代の流れと共にキャンプや練成会の形も変ってくるだろう。しかし、同じ食卓を囲んで食事を共にする喜びは時代を越えて続いていくものだろう。食事を作っていく苦労をむしろ喜びと感じているお母さん方の報告を読んでいて、そう思った。
(西川哲彌神父)

第26回 平和祈願祭 平和は可能 -白柳枢機卿ミサで説く

平和旬間中の8月7日(土)午後5時30分から、千鳥ケ淵戦没者墓苑において、東京大司教区の平和祈願祭が、平和旬間委員会の企画で執り行われた。第一部は白柳枢機卿を主司式者とする共同司式ミサが捧げられ、各小教区の信徒、修道者、約七百人と共に祈った。引き続き第二部の献花・光の行列では、祭壇の火から参加者全員のローソクに点火され、一同聖母賛歌を歌いつつ、墓苑を一巡りし平和を願った。

<白柳誠一枢機卿の説教>

8月という月は、私たち日本人にとって、またカトリック者としての私たちにとって、特別な月です。かつて核兵器、大量殺人兵器が広島、長崎に初めて使われた月です。また、敗戦を味わった月でもあります。そして平和の君イエス・キリストの御母、平和の元后である聖母マリアの月でもあります。この時に当たって私たちが平和について考え、平和への決意をあらたにし、平和のために亡くなったすべての人のことを思い出して祈ること、それはたいへん意義深いことだと思います。

平和それは秩序の静けさ

ところでみなさん、平和とは、一体何を意味するのでしょうか。戦争がないことだけでしょうか。戦争がないこと、これはもちろん平和のたいへん重要な要素ですが、決してそれだけを指すものではありません。昔の人は、「平和とは秩序の静けさである」と銘打ちました。世界のすべての事柄が秩序正しく動く時、人が味わう心の平安があるといったのです。

秩序の静けさと言いますと、何か、人が何にもしないでも自然に訪れてくれるというような響きがありますが、それは決して自然にやってくるものではなく、人間の大きなエネルギーを必要とし、そしてたいへんダイナミック、動的な概念です。他の言葉で表現するならば、人間が秩序の静けさである平和の喜びを得るためには、戦争がないだけではなく、すべての人間が人間にふさわしく、人間らしく生きられる状態、すなわち、物質的にも環境的にも、生存を維持し、精神的には、差別されることなく大切にされ、愛され、あらゆる束縛から解放され、自由のうちに人間のすべての精神的能力を伸ばしていける状態を作り出していくということでしょう。

平和を訴え続ける使命と責任

ところで、そのような平和というのは実際可能なのでしょうか。過去の歴史を顧みる時、私たちは悲観的になります。国と国、民族と民族との殺し合い、戦争、憎しみ合い、今世紀だけでも世界を巻き込むような世界的戦争が2回もあり、多くの尊い生命を失いました。そして、今だにその愚かさは繰り返されています。

他方、経済的発展の影に環境破壊は急激に進み、その日の食べ物にも事欠き、教育を受けることもできず、初歩的医療の恩恵にもあずかれないで死んでいく、たくさんの人がいます。世界は、秩序の静けさはおろか、多くの矛盾、混乱、無秩序に満ちています。人々が、それを見て将来への希望、喜びを失い、悲観的になるのも当然かもしれません。でも私は、ここで強調したいのです。声を大きくして、平和は可能であると、叫びたいのです。なぜなら、平和を乱し、破壊しているのはほかならぬ人間であり、戦争を始めようとすることは人間のしわざであるからです。もし、人間が立ち返って、このような人間のしわざをやめるなら、平和は可能です。従って私たちは、決して自信を失ってはならないし、悲観主義に陥ることなく、平和を訴え続け、平和のために働かなければならないと思います。

他方、人間は精神的にも肉体的にも限界があるだけではなく、たいへん弱い存在です。自分の利益追求だけを求めて、他の人を蹴落としたり、無視したりします。一時的喜び、楽しみを求めて、将来への責任を忘れがちです。そこで私たちは、人間の力を超越する私たちの信じる神の助けを必要とし、それを絶えず祈り求めるのです。平和は、私たちが作り出すものであるとともに、神の賜物です。

今、私たちは、第3の1000年期という大きな節目を前にして、私たちの使命、責任は、ほんとうに大きなものであることを感じ、強く世界に訴えかけたいと思います。平和は可能である。そのためには、心を変え、平和を求め、それに反する一切のことを避けること、人間の弱さを謙虚に認め、神の助けを求めること。

国連は、第3の1000年期のはじまりである来年2000年を、ジュビリー2000と呼ぶことにしました。そして来年九月の国連総会には、各国の首脳が集まり、21世紀中にはすべての人が人間らしく生きることができる世界にしようとの決意を表明する、としています。これは、人間の側からの荘厳な平和への決意といえるでしょう。この決意が実行され、豊かな実りがもたらされるよう、ご一緒に神様の恵みを願いたいと思います。

平和を脅かすものの廃絶を

最後にちょっと気になることを、よけいなことかも知れませんけれど、一言申し上げたい。国連の安全保障理事会というのがあります。この安全保障理事会は、確かに争いを未然に防ぎ、あるいは争いを調停したようなことがたくさんありました。でもその安全保障理事会の拒否権も持っている五大国、世界の安全を保障し、そのために働こうとするこの大きな国々は、今だに毎年新しい武器を製造し、古い武器を諸国に売りつけている。大きな矛盾を皆さん感じないでしょうか。私たち一人ひとりが変わることはもちろん、ですけれども、ほんとうにこのすべての国が変わっていくことが必要です。

ほんとうに平和を望むならば、平和を破壊する、平和を脅かすものすべてを捨てる覚悟が必要です。神様の聖なる霊は、私たちを変えることができます。聖母マリアがあのお告げを受けた時、恐れを感じていました。でも聖母の心を変えました。多くの聖人たちもほんとうに弱い人たちでした。それを生命をかけてまで、キリストに従う人にしたのも神の聖なる霊です。聖なる霊が私たち一人ひとりを変えてくださるように。

また聖霊は、決してキリスト者だけに働くのではありません。多くの人の上に働きます。そして多くの出来事の中に神様の霊が力強く働いて、私たちが一緒になって神様を讃えることができるような世界が到来するように、皆さんご一緒に努力し、その恵みをお願いいたしましょう。

CTIC 東京国際センター通信

私から日本を見て

10年前、 日本に来ました。来る前「ことばわからなくてもだいじょうぶです。みんな日本人親切だから、心配しないで」と言われた。でも、日本人の厳しいルールを守らなければならないことは教えてくれなかった。日本で、姑、私達、子どもの六人の生活が始まりました。生活の中で「掃除しながら音楽聞いたらいけない。踊ったらいけない。大きな声で話したらいけない。みんなの前で泣いたらいけない。みんなの前で喜んだらいけない……」
そんな風に子どもを育ててほしい。全部いけない、いけない………。どうして、みんな大きな声出さない。私達はよくしゃべる。よく笑う。泣きたい時泣いたらいいじゃない。しかし、私はだまって言われた通りにしました。だけど、私は時々守れない。だから国に帰った方がよいと思い、夫に話すと「帰ると、これで終わりよ」と言われびっくりしました。その時から不安なことが始まりました。もし私が帰れば、大切な家族がバラバラになってしまってはいけないことだと思い、頑張らなければと思いました。でも、さびしいね………。だけど、一番上の娘は、8ケ月間一緒に生活したが、日本にいるのが、絶対に嫌と言ってボリビアに帰り、家族がはなればなれになりました。

やっと、次女が小学校へ行きました。学校からの連絡帳、お知らせをいっぱい持って帰る。見てもわからない。夫が仕事から帰るのを待って、内容を教えてもらった。ある日、夫から「毎日教えんなんあかんのか、自分で勉強しなさい」と怒られた。勉強しなければと思い自分でしたが、頭に入らない。どうする。マンションの人達が、いつも外で子どもを遊ばせている。そこで聞ければと思い、辞書を持って子どもを連れて遊びに行くと、親達が子どもと一緒に家に入ってしまう。悲しいね………。

お知らせが来る。わからない。夫に聞く。怒られる。他の人はさける。嫌な夫だと思った。こんな繰り返し。2年間続いた。学校に、「お知らせをひらがなで書いてもらえませんか」とお願いした。夜間中学校を紹介され行くようになった。子どもも一緒に一生懸命ひらがなから勉強した。3年たった時、初めて学校の懇談会に行きました。先生が「あのね、子どものことちょっと問題あります。考え方が違うかもしれない。違う習慣。友達と合わない。はっきり言うからけんかになります。そのことみんなに嫌われる」と言われました。

私の心の中、なんで思うことを言うたらいけない。なんで子ども違う。人間いっしょじゃないか。どこの国の子どもも思うことを言う。でも、ここで思い出しました。『あのルール』守らなくちゃいけない。反対でも守りました。心の中で悩み、だらか(誰か)聞いてほしい。夫に聞いてもらう。でも同じ返事。「ここは日本です。ボリビアじゃないよ」。どこ違う。人間いっしょよ。文化だけ違う。いつも夫の同じ答は嫌。どうしても、だらか(誰か)友達になってくれる人をいつも願っていた。

ある日、素晴らしい友ができました。ずっと何時間でも聞いてくれた。2年分しゃべっていても何も言わずに聞くだけだが、やっと全部心の中を出しました。ほっとして、その日どんなにうれしかった。私、友達できた。私の宝物。こんなこと変に思う人おるかもしれない。でも私のためによいことでした。それから全部、お知らせ、手紙でも友達に世話になり教えてもらいました。さらに、この人からだんだん友達が増えてきた。

やっと子どもが卒業です。子どもにも多くの友達ができた。5年間に友達できてから、いい勉強になりました。言葉が変でも話せるようになりました。夫に感謝したいます。厳しくしてくれたから頑張れました。やっぱり、あのルールを守らなくても、みんな心を広げたら、友達一杯一杯できる。生活も楽になる。ほんと人間違う所あっても気持ちが連る。
(日本在住ボリビア人女性)
*原文(手書き日本語)のまま

東京大司教区大聖年記念行事「大聖年祈りと詩」17作品決まる

1998年4月より募集してきました「大聖年祈りと詩」は、多くのかたがたよりご応募いただき、心から感謝申し上げます。主の生誕2000年を迎えるにふさわしく、主を讃美し、主に励まされ、また自然界への心濃やかな眼差し、更に生活の中からの呻きと喜びの声等々、いずれの作品もその内容は豊かなものばかりでした。早速、委員会により左記の通り、内17作品を選作させていただきましたので、発表(順不同)致します。尚、既報の通りすべての募集作品の著作権は主催者に属します。
(主催者 東京大司教区大聖年特別準備委員会)

「大聖年祈りと詩」選定作品

滝沢 共栄 「主キリストをかこんで」
鳥切 和美 「おめでとう大聖年」
安原三一子 「幸せ」
Sr.藤原 康子 「分かち合ういのち大切」
桜井 正江 「苦しき祈り」
御正登喜子 「聴く」
下河邊宣子 「森も人も神によって生きている」
内村 睦子 「友人へ」
大西 香織 「無題」
東 美佐子 「羊飼い」
林 幸三郎 「愛するお父様」
三溝 真季 「無題」
渡辺 正恵 「共に」 「新たな祈り」
福井トシ子 「そこまで春が…」
福井 英夫 「神様に乾杯」 (私の一日)
大島 順子 「ほほえみの中に」

入選作品 17作
(応募作品合計 58作)
入 選 者 16名
(応 募 者 総 数 39名)

主キリストをかこんで
主のみ心が
こだまのように響きあう
愛の教会
主キリストをかこんで
信じる心を捧げていこう

み言葉の恵みが
泉のように満ちている
実りの教会
主キリストをかこんで
感謝の心を捧げていこう

喜びの福音が
翼のように広がっている
聖なる教会
主キリストをかこんで
讃美の心を捧げていこう
(滝沢 共栄)

分かち合ういのち大切
一条の光
やさしく
天上の声聴く
時更に見つめて

母は子に
子は母に委ね
謙虚に学びて
時は成る

日常を識り
心に課題受けとめしも
なお時のむずかしく
分かち合ういのち大切を知る

軍服縫う手
銃を握る手ゆるみ
あまねく新世代に響かせたい
平和のオーケストラ

2000年も続くキリストの祭
残されたもの
あまりに大きく
大切に生きよう分かち合ういのち
母とともに
(Sr.藤原 康子)

おめでとう大聖年
小さな町に生まれた私が
大都会で育ったあなたと手を繋なぐ
遠い異国に暮らす彼らが
遥か向こうの家族に思いを馳せる
ふるさと地球の大地に立って
平和な世界 21世紀を夢みながら……
みんなで迎える2000年 おめでとう大聖年

東の国で歌う人が、
西の国で踊る人にVサイン
南で空を見上げる人が
北で海を見つめる人と憂いを交わす
ふるさと地球の大地に根づいて
愛の世界 21世紀を目指しながら……
みんなで称える大聖年 おめでとう2000年
(鳥切 和美)

苦しき祈り
主よ
祈れないのです
あまりにも心重く
愛せないのです
あまりにも心悲しく
見えないのです
あなたの光が
私の閉ざされた心
いつの日にか泉が湧くのでしょうか
いつの日にか目が開くのでしょうか
いつの日にか癒されるのでしょうか
いまはじっと
あなたのみ前に
黙する事しか出来ないのです
(桜井 正江)

幸せ
私は生まれながら病を持った子供を得て幸せです
現代医学の恩恵に浴し
同じ病を持つ家族との連携が出来ましたから

私は戦争を体験して幸せです
戦争の悲惨さと平和の尊さを知りましたから

私は災害に出会って幸せです
何と多くの善意の方たちに支えられていたかを
知りましたから

私に死が訪れた時
主よ私の傍らに顕って下さい
その時私は喜びに満ちあふれ
あなたを讃美しながら旅立つことが出来るでしょう
(安原 三一子)

聴く
冬の冷たい空に 除夜の鐘の音
日本の各地から 響き渡る
その音色を 人はそれぞれの
想いで 聴いて います
鳥の さえずりを 聴くと
人の 心は なごみます
心に 響く音
聴く心を 持つ人になりたい
自分を からっぽにして
聴く ことによって
心が… 社会が…
豊かに なります
(御正 登喜子)

友人へ
朝日が昇ります
いつもと変わらない日です
ひとりで つまらない 退屈 さみしい?
いいえ とんでもない
私には 聞くもの 見るもの 読むものがたくさんあるのです
窓の外の雀か鳩 からすの鳴き声
いつも聞く金管奏者の黄金の音色
私が心細い時 元気づけてくれる本か映画
そのどれ一つを取っても 私にとって大切な友人ばかり
でも本当は 誰かが彼等に引き合わせてくれているのです
私が知りたいこと 理解したいと願うことに
良い友人を選んで下さるのはあなたですか
今 私は確かにそれがあなただと信じます
全てを理解できなくても それによって私の小さな器に
一滴一滴水が満たされて行くと信じます
私は それがあなたの言葉であり あなたの言葉に支えられひとりでは ないと信じます
朝日が昇ります
(内村 睦子)

森も人も神によって生きている
森の木々は あの堅い姿で立っているが
それぞれ根を広げ 水を吸い上げて生きている
高い空に向って 生きている
人と人のつらい生活も 生命に触れる事によって
生き返る様に

森の木々は あの堅い姿で立っているが
それぞれ枝を広げ 生い繁り生きている
互いに触れ合い 風にゆらぎ
森の美しさを作っている
人と人の単調な生活も 心に触れる事によって
美しい和を保って生きていく様に

森の木々は あの堅い姿で立っているが
鳥が舞い降りて巣を作り 互いに喜びをもって生きている
木の静寂と鳥のさえずりは互いに調和して生きている
人と人の生活も祈る事と語る事の
バランスで生きていく様に

森の木々は あの堅い姿で立っているが
青い空のさんさんと輝く太陽の光によって生きている
又しっとりと心ゆく迄降り注ぐ雨によって生きている
人と人の生活も神の慈愛と
ゆるしの救いの中で生きていく様に
(下河邊 宣子)

そこまで春が……
「あっ蜂だわ〜」
我が家のベランダの花に1匹の蜂が、 三色すみれ・カランコエ・福寿草の蜜を求めて飛んでいるのを見つけました。
暖かな風の時には、 小鳥のさえずりが美しいハーモニーになって青空いっぱいに広がり、 部屋の中に入ってきます。
「先ほどの蜂かしら?」
白梅・紅梅・椿の木々の中を、 風に揺られながら蜂が飛びまわっています。
ベランダにあるプランターの、 すずらん・スイセン・雪割草が、 冬の寒さに耐えながら小さい芽を出しています。
「おはよう〜、 よくこの寒い冬を頑張ったね。 もうすぐ春になるからね」
虫・小鳥・動物・草花……。 人も、 み〜んな春を待っています。
今、 リストラで仕事もなく生活に苦しんでいる大勢の人々が毎日の生活と戦っています。 一日も早く希望の春がくるように神さまお願いします。
神さまは人間の苦しみを天国から見ておられます。
私達が苦しみ悩んでいるのは、 神からの愛の鞭でしょうか?
2000年を迎える私達に、 神の愛の針でチクリと刺して、 春の信仰の息吹きを与えてください。
(福井 トシ子)

新たな 祈り
ないもの ばかり 望んで
持っている ものを なくし
できないこと ばかり 悔やんで
できることを しないでいました

主よ!
あまりにも 愛した 故に
あなたは 人に なられました
苦悩と 裏切りの中でも
人を 友として
あなたの すべてを 見せてくれました

いつまでも 闇の中で 渦巻き
知恵の目は 見えず
最後の 命まで 渡した
あなたの 真意は 知りませんでした

主よ!
苦悩の中に 隠された
あなたの あつい愛を
わたしたちに 倣わせてください
新たなる 喜びの中で
2000年を 迎えさせてください
(渡辺 正恵)

共に
主よ!
人が 生きるのは 何故でしょうか
眠れない この夜
こんなに 苦しんでいます

生と言う 激しい 戦争の中で
いつまでも 争わねばならないのでしょうか

こみ上がる 悲しい怒りに
胸は 裂かれ
無言の 涙は流れ出します

こういう ときは どうやって祈るのでしょうか
教えて下さい 主よ!

傷ついた ことの ない人は
癒されたいと 望む人の
切実な想いが 判らないのです

失望 溜め息のこの世にも
小さな 希望抱いて
一生懸命 生きている人がいます

口だけで 語る 愛ではなく
心と心で 共に 分かち合う
あなたの 真の愛を
主よ! 判らせてください
(渡辺正恵)

無 題
5つのパンと 2ひきの魚
あなたの手で さかれ
あなたとともに わけられ
うけた人は みな
やしなわれ みたされ ひとつになる

わたしも そのひとかけら
それでも
だれのくちにも はいらず
風にとばされ
地面におちて
見むきもされず くずになる

あなたは それを あつめさせ
じぶんのもとに あつめさせ
くずにせず
また ひとつにしてくださる

あなたの手で さかれたものは
とるにたりない ひとかけらでも
かならず
また あなたのもとに あつめてくださる

だから
わたしは いこう
おそれずに

けっして ちりぢりに
くだけさることは ないのだから
(三溝 真季)

羊 飼 い
生後3週間の小羊を抱いた彼の顔は、 優しさで輝いていました。
ガイドさんが、 捕まえて抱いたときの、 小羊の
悲しそうな顔。
でも羊飼いの彼が、 抱き
変えると、
小羊は本当に穏やかに安心した顔に
なり、 ゆったりと彼に体を預けていました。
友人達は皆、 小羊の頭を体を撫でました。
羊飼いの青年は、 200頭の羊達の顔を全部
見分けることが出来るそうです。
雨後のトルコのミレトスの遺跡のそばの、
草原の夕暮れは静かでした。
2000年前のイエス様のお話しが体験出来た
思いで、 皆とても幸せに包まれました。
(東 美佐子)

無 題
荒れ狂う行き場のない気持ちを静めてください
正しい道がみえるように
泣き叫ぶ気持ちを癒して下さい
他人を許せるように
間違った行動を取ろうとしている時に
良心の微かな疼きに気づかせて下さい
再び後悔しないように
頑固で冷たい気持ちを溶かして下さい
人も自分も愛せるように
そして日々の小さな幸せを喜べますように
少しでも成長して神の恵みを人と分かちあえるように
(大西 香織)

神様に乾杯 (私の一日)
リストラで仕事が変り、 その日暮らしの毎日です

朝 2時30分起床
温かいお茶を水筒に入れて
梅干し入りのおにぎり1コ おしんこ3切れアルミホイルに包む
これが私の朝食メニュー

イエズス様 マリア様 ヨゼフ様
今日も一日無事に帰れますように―。
お祈りして我が家を出る

仕事終え疲れた体で 我が家での昼食午後2時頃
美味しい おいしい オイシイ 何を食べても旨い
350MLのビール一缶 一気にゴクン ゴクン

日曜日のミサは仕事で授かれない
土曜日夜のミサにいこうと心に決めているのに
疲れが体の中を走って……。
月に2回は何とかしてミサに行こうと頑張っているのですが…。

夕食はいち日の最後の楽しみ
好きな魚料理と日本酒があれば ゴキゲン ゴキゲン
日本酒は一日の疲れを取ってくれる
話しがはずむ
お金はないけど 笑いと話題は大盛り

今日もいち日無事で何ごともなく 終わることができました
これもみんな神さまのお恵みです
明日も頑張って仕事に行きます

神さまはお酒が好きですか
私は大好きです
毎晩 楽しんで飲んでいます
神さまに 乾杯!
(福井 英夫)

愛するお父様
2000年前、 あなたが人類に送ってくださった大いなる光に
集い 「神の国」 のためにすべてを捧げた多くの先人たちと
心を合わせて祈ります。

この2000年間、 私たちは数え切れないほどの 「内戦」 を
繰り返し、 たくさんの命があなたのために捧げられました。

今もこの地上では、 戦争、 飢餓、 貧困、 差別、 物質主義、
無神論や憎しみ、 妬み、 情欲など、
あなたを悲しませることばかりが溢れ、
これから、 人類が神の民として歩んでいけるかどうか試練のときを迎えています。

この2000年の間に 「神の国」 を待ち望み、
すべてをささげた多くの先輩たちが気高く推し進めた、
その未完の事業を引き継いで、 その身を捧げるべきは、
むしろいま生きている者たちであることを
わたしたちは知っています。

多くの先人たちが、 生涯を捧げた大義に、
より一層この身を捧げることを、
わたしたちは新たに決意します。
愛と生命と理想に満ちた世界は、
永遠にこの地上から滅びることがないからです。

どうかこの私たちの願いをこの地上に実現していくために
あなたのご加護とお力と愛をお与えください。
父と子と聖霊のみ名によって アーメン
(林 幸三郎)

ほほえみの中に
わたしの静かなほほえみの その裏側には
嵐が吹いているのを あなたはご存知です
今にも爆発しそうなマグマのように
激しくドロドロとたえまなく
人を裁く気持ち 人を赦せない気持ちが
煮えたぎっているのを あなたはご存知です

この苦しみは あなたからの試練でしょうか
わたしに 本当のやさしさをくださいと
お願いしたことへのお答えでしょうか

わたしのほほえみが
ひとつひとつのことばが おこないのすべてが
愛であふれるようになりますように
あなたを愛するように
人を愛することが できますように
(大島 順子)

神学生合宿「明日の教会の司祭職」をテキストに意見交換を行う

8月25日(水)〜27日(金)の3日間、山梨県山中湖村にある東京星美ホーム・林間寮で、東京教区神学生夏合宿が行われました。当日は天候にも恵まれ、豊かな自然の中、夏の疲れをいやし、互いに交流する貴重な時間となりました。参加者は森司教、大原、吉池、立花、浦野の養成担当司祭四師、東京教区全12名の神学生でした。

25日は18時に東京星美ホームに集合。オリエンテーション、晩の祈りの後、夕食・親睦会が行われましたが、久しぶりに顔を合わせる神学生同士、夏の間のキャンプ、合宿の報告、様々な情報交換に深夜まで話の花を咲かせていました。また、この間に哲学科一年生と養成担当者の個別面接も行われました。

2日目は朝の祈り、立花師司式によるミサで始まり、午前中は紅葉台へのハイキング、「鳴沢氷穴」見学で楽しみました。雲が多く富士山は顔を見せませんでしたが、ススキの咲く高原は秋色に染まり、気持ちのいい散歩となりました。午後は「紅富士の湯」で汗を流し、星美ホーム帰着後は、トマス・ローシュの「明日の教会の司祭職」をテキストに意見交換会が行われました。司祭数の減少、外国人信徒の増大等、教会が抱える様々な問題の中で、司祭としてどのような働きが求められるのかについて、各自が自身の問題として受け止め、活発な意見交換が行われました。司祭同士の、あるいは司祭と信徒の協働のあり方、司祭の果たしていく指導力、神と人々との関わり等、ひとつひとつが切実な課題として全員に迫ってくるようでした。最後に森司教から、「教区司祭として、全ての人、特に弱っている人、傷ついている人々に対する関心を持ち続けなければいけない」というお言葉をいただき、貴重な分かち合いの時間を締めくくりました。晩の祈り、夕食後は親睦会パート2となりましたが、皆すっかりリラックスし、お酒も入ってヒートアップ。「ウルトラマンの原型は新約聖書にあり!」「ウルトラキリスト論」も飛び出して、洞察に満ちた、一夜となりました。最終日、合宿は森司教司式によるミサで終了し、朝食後、各自散会となりました。

短い期間でしたが、東京教区の全神学生が一堂に会し、互いに交流する機会を持てたことは、大変有意義なことだったと思います。最後に合宿を準備してくださった方々、食事のお世話をしていただいた扶助者聖母会の関係者の皆様に心からお礼を申し上げます。
(哲学科一年 川口 薫)

シリーズ 揺れる司祭像(11)祈る司祭 川村昕司神父(梅田教会 主任司祭)

毎年1月の第2か第3日曜日に、足立区梅田周辺のキリスト教・約10教会が合同祈祷会をしている。互いの教会員とその活動に祝福を祈り合った後、交流の一時を過ごす。自己紹介の時に「カトリック梅田教会の司祭、川村です」と名乗ると、必ず「神父さんじゃないんですか」とか「司祭と神父とは役割が違うんですか」と問われる。そのようなとき、「信徒の方々は司祭たちを、敬愛の心をこめ精神的お父さんという意味で神父と呼んでくれますが、礼拝祭儀の司式は何とか務められても、とうていお父さんらしくはできません」としか答えられないのが残念だ。

8年前の秋の夜、教会に戻って来ると、門前に数名の男がたむろしている。勇を鼓舞して近寄ると、「ここはカトリック?」「そうですよ」「じゃ、名前があるでしょ?」かれらはフィリピン人らしい。「サン・ホセ」と答えると安心したらしい。「日曜のマスは何時?」「朝九時から……」「ボクたち朝まで仕事ネ、だから、昼2時くらいのマスないかな」「では、次の日曜から、午後2時に英語のミサをしよう」いとも簡単に、毎日曜午後の英語ミサが始まり、参集者も次第に増えた。

フィリピンに約3年いたので、英語でミサ文を朗唱できる。しかし苦労して準備した説教は通じない。フィリピンの神父様からタガログ語の説教をFAXしてもらい、朗読奉仕者に読んでもらう。このように日曜ミサの司祭は果たしている?しかし彼らの相談相手には殆どなれない。ゆるしの秘跡もごくまれで、せっかくイエス様が教会に託してくださった、ゆるしといやしの恵みを充分に伝えてはいない。

どのようにしたら、神なる父の慈しみを、祈りとことばと業と存在をもって伝えるような「神父」になれるのか。同じ思いを信徒にもいだいている。

お知らせ

バスと電車で巡る江戸切支丹殉教ゆかりの地(A2版十字折り カラー印刷  一部 300円)

このリーフレットは1991年、大司教区創立百周年記念事業の一環として発行された、教区内の殉教遺跡巡りの便利な案内書です。既に公式販売は終わっていますが、少し残りがありますので、カテドラル構内スペースセントポールで販売しています。どうぞご利用ください。なお郵送はご容赦ください。(発行責任者)

神学院ザビエル祭中止のお知らせ

このたび、私ども、東京カトリック神学院では、新築のための工事が行われることになりました。そのため、本年度のザビエル祭を中止することになりました。毎年、ザビエル祭を楽しみにしておられる方々には申し訳ありませんが、事情をお察しの上、ご了承くださいますよう、お願いいたします。

1999年度東京カトリック神学院学生会執行部
会長 川邨 裕明

教会・修道院巡り(71)『 板橋教会 』

池袋駅から東武東上線各駅停車に乗り3つ目の大山駅で下車、歩いて、5、6分の川越街道を渡った閑静な住宅街に、あまり目立たないようにあります。ガラス張りの玄関ロビーを挟んで左手の聖堂は木造平屋建てで、通りに面した壁面は、聖霊を表わしたステンドグラスになっています。信徒席には12本の一本丸木の柱が並んでおり、障子窓とともに外部の喧噪と一線を画し、都会のオアシスとでもいえるような、本当に静かな祈りの場です。マリア像が建立されている中庭を隔てて4階建ての信徒会館が建っています。

板橋教会は、46年前にフランシスコ会ドイツ・フルダ管区が、北海道宣教に向かう宣教師たちのための日本語研修所として、日本家屋を購入したのが始まりです。戦後の板橋区に初めて教会が建てられ、歴代の主任司祭を始め先達たちの尽力により、二つの教会と一つの幼稚園が分離独立しました。

板橋教会で好印象と評される中に、祈りと典礼の雰囲気がよく、とても家庭的ですとあります。おもはゆい思いですが、確かにミサ中も皆はよく祈りよく歌います。また子どもたちもとっても仲がよいですし、自由で元気です。また教会の運営についても、ある程度教会組織も充実して予定通り実行されているようです。でもこれらは急に成立したものではありません。聖霊の働きとそれに応えた人々のおかげと感謝します。

板橋教会の保護の聖人は、ハンガリーの聖エリザベトです。波乱に満ちた彼女の生涯を通して、愛と奉仕に生きた聖人として有名です。私たちもこの聖人の取り次ぎを願い、長い間、信徒活動のスローガンに「私たちは兄弟である」を掲げて活動してきました。『あなたがたによく言っておく。これらの私の兄弟、しかも最も小さいものの一人にしたのは、わたしにしたのである』(マタイ25章)。

こうして何十年もの間、病人訪問、老人訪問、子供たちへの教え、来訪者へのささやかなもてなし、みんなで楽しむコーヒーコーナーやうどん会などを続けています。本当に多くの皆さんの熱意に支えられているところです。

さて板橋教会はまもなく、やっと50年を迎えようとしています。一つの区切りとして現在までの歩みをもう少し多方面から精査してみる時期です。私たちの教会の大切なものを伝えていきたい。大切なものとは何ですか?行事に追われ、内向きの活動になってはいないか。本当の隣人とは。貧しいもの、最も小さき人々は、一人ひとりにとって、教会にとって誰なのでしょうか。よい便りの喜びは、この小さな教会の建物の中だけのドラマでしょうか。宣教師たちは、この地に生きるすべての人たちを、主の食卓に招きたいと願ったのだと思います。現在の板橋区の人口は約50万人で、板橋教会の信徒数は約700名です。

私たちは小さな群れで、東京の田舎者と自称し、苦労もありブツブツもありますが、それ以上に明るく楽しい人たちの集まりです。主任司祭はことのほか楽しくお元気で、喜んで皆さんをお迎えします。ぜひ一度来てください。

生涯養成委員会主催一泊交流会へのお誘い

信仰生活の導き手である神父。しかし神学校への入学者は年々減少の一途をたどっています。もし教会に司祭がいなくなったら、 私たち信徒はどうすればよいのでしょうか。森司教の貴重なお話を指針に、私たち自身がこの問題に立ち向かい、体験や意見を分かち合ううちに明日の教会が見えてくるかも知れません。多くの方々のご参加をお待ちしています。

講話とミサと分かち合い「明日の教会をめざして」〜教会から神父が消える日?〜

講師 森一弘司教
日時 12月4日13時〜12月5日12時迄
場所 サンピア多摩 東京都多摩市落合2―31―1
募集人員 45名(定員になり次第締め切らせていただきます。)
申込締切日 10月31日
参加費 13000円(会場費・一泊夕・朝食付)
◆宿泊不要の方は5000円 (会場費・夕食代)
申込方法 (1)申込書を郵送又はファックスで左記までお送り下さい。
〒112-0014 文京区関口3-16-15 東京教区事務局 生涯養成委員会一泊交流会宛
FAX 03-3944-6677(電話での申し込み受付はいたしません)
(2)参加費 13000円をお振り込み下さい。
郵便口座 00140-6-769130
宗教法人・東京教区生涯養成委員会
入金が確認された時点で申込受理・完了とさせていただきます。
お問い合わせ・ご連絡は
電話 03-3943-2277
FAX 03-3944-6677
(教区事務所)

わが輩はペトロである(10) O神父 さようならペトロ

私がペトロと出会ったのは、この教会に赴任した頃だから、かれこれ7年程前になる。 少年の頃、飼っていた2匹の犬が次々と病死してから、私は動物を飼うことに強い抵抗感を抱いていたこともあって、教会の庭にペトロが住み着いているのを知っても、まったく関心がなかった。

私がペトロを固有の存在として意識するようになったのは、悪戯心からにせよ、彼に「ペトロ」という名前を付けてからだった。ペトロが司祭館南側の庭から、北側の聖堂入り口付近で生活するようになったのは、7月中旬頃からだったろうか。人から触れられるのを極端に出入りの多い聖堂を選んだのか私には分からないが、多分梅雨と強い夏の陽射しを避けるためだったのだろう。しかし私には、痛々しいまでに痩せ細り、日毎に衰弱していったペトロが、自分の生の終わりを聖堂の傍らで過ごしたいと望んだように思えてならなかった。おなかが空くと食堂の前庭に餌をもらいに嫌がったペトロが、何故人の来ることはあっても、南側の庭で生活することはなかった。「猫は自分の死期を悟ると、人目につかない場所を選んで死ぬ」という話を聞いたことがあるが、ペトロも死に場所を探して姿を消したことがあったようだ。ペトロの衰弱を気にしていたMさん(No.4掲載)は、ペトロが姿を消したのに気づき、大人の背丈ほど生い茂った草むらの中に横たわっていたペトロを探し出した。2度ほどそんなことがあってから、ペトロは聖堂入り口で身を横たえるようになった。

9月初旬の日曜日、ペトロはミルクも水も受け付けなくなっていた。動けるような状態でなかったにもかかわらず、私を見かけるとよろめきながら立ち上がり側に来ようとした。その日の夜、ある宣教会のP神学生と夕食をとっていると、P神学生が「神父さん、ペトロが挨拶にきているよ」と言った。庭の暗闇の中にペトロが座ってこちらを見ているのが薄ぼんやりと見えた。ペトロが食堂前に姿を見せなくなってから2週間ほど経っていたので、P神学生が言うように別れを告げにきたのかもしれない。歩けるほどの体力はなかったはずなのに、健気にも歩いてきたのだ。私は初めてペトロを抱いた。ペトロが心からいとおしかった。次の日の早朝、ペトロは聖堂横で眠るように息を引き取った。

2週間後、チーちゃん(No.9掲載)のお母さんから手紙が届いた。「同封のつたない字で書いてある手紙はチユキがペトロに宛てた手紙です。今月初めにペトロが天国にいったことを知ったチユキは『チユキも死にたかった』と言って泣き出しました。チユキは泣きじゃくりながら、ペトロに出すのだと言って手紙を書きました。子どもの気持ちですので、神父様にお届けします」同封されたチーちゃんの手紙には次のように書かれてあった。「ペトロちゃんへ。ちゆきもペトロちゃんといっしょにいってあげたかったよ。ちゆき」

ペトロのお墓は花壇に囲まれた庭の片隅にある。奇麗に除草されているお墓には小さな墓石が建てられていて、墓石の上には、子どもが作ったと思われるロザリオがかけられている。ペトロの声が聞こえてくるようだ。「さよならO神父。そしてありがとう」
(完)

ー予告ー 新しい千年期の教会作りに向けてのアンケート

宣教司牧評議会という名称の組織をご存じでしょうか。「知っています。私の教会にもありますから」という方もいらっしゃるかもしれません。東京教区には、白柳枢機卿を議長とする宣教司牧評議会(以下「宣司評」)という組織があります。この宣司評は、信徒、修道者、司祭、司教によって構成され、東京教区の宣教活動のために知恵と時間と労力を提供する集まりです。

今月より前期の宣司評の宿題を引き継いで、新しいメンバーの宣司評が活動を始めます。その宿題が「新しい1000年期の教会作りに向けてのアンケート」です。今年7月で2年間の任期を終えた前期の宣司評の議論の中心は、東京教区内の小教区の統廃合と共同宣教司牧の可能性についてでした。2年間現状を分析し、議論を重ね、将来を見据え、たどり着いたのが今回予定されているアンケートです。前期の宣司評がアンケートにたどり着くまでに、いくつかのステップを通っていったように、このアンケートに回答していただく方にもお願いがあります。

まず前期の宣司評がアンケート回答のために準備した「諮問議題の背景と問題点」を読んでほしいということです。この「諮問議題の背景と問題点」は、各教会に準備されます。同時に次号の教区ニュースにも掲載されます。次に、読んだ内容をしっかり受け止め、思い巡らすことです。(聖母マリアのように)その後で、初めてアンケート用紙と向き合ってください。11月の末がアンケートの締切になっています。思い巡らすための時間が足りないかもしれませんが、順を追ってご協力くださるよう、お願いいたします。

訃報

W・A・グロータス神父(淳心会。 言語地理学者)

8月9日帰天、 88歳
1911年ベルギー生まれ
38年司祭叙階
55年から98年まで松原教会
葬儀ミサは、 8月29日松原教会で捧げられた。
同師の略歴等は、 東京教区ニュース163号マタタ神父のインタビュー参照

アジア・ユース・デー(アジア青年大会) に参加して

“Rejoice…the Lord is with you (喜びなさい、主は共におられます)”というテーマの下、8月7〜12日までタイのホアヒンで開催されたFABC(アジア司教会議)信徒局主催の第1回AsianYouthDay(A.Y.D.:アジア青年大会)に参加してきました。約700人の青年たちが、国境を越えて21ケ国から集い、日本からは7名(東京4名、横浜、大阪各1名、京都の神父様1名)が参加しました。

私にとっては各国から集まった青年たちのパワーに圧倒されっぱなしのあっという間の6日間でしたが、その中でも毎日のミサがとても印象に残っています。ドラムを含めた賑やかな演奏の中、100人近い司教・司祭団の共同司式のミサ。英語のミサについていくのは大変で、歌の歌詞も分からなかったのですが、色々な国からの青年たちと様々な壁を越えて一致できるところはやはりミサなのだと鳥肌の立つほど実感し、タイという地で各国の多くの青年たちとミサにあずかれたことが素直に嬉しかったです。夕暮れ時の海岸で行われたミサでは、波の音をバックに水平線を見ながら、本当に世界は一つなんだと感じました。

期間中は様々なプログラムが組まれていましたが、特に心に残ったのは「イエズス様を再発見しよう」というものでした。これは数名ずつの班に分かれてグループワ―クをしていくもので、粘土で「自分が神様を感じること」をシンボルにして作ってみたり、グループで目隠しをして手をつないで歩いてみたりしました。これらのグループワークや班ごとの分かち合いをしていく中で、イエズス様は本当に身近におられるということに気づきました。そして、メンバーを信頼するということが、近くにいて下さるイエズス様の存在を信頼することにもなるのだと分かりました。また、最終日の各国紹介のステージでは、日本は「上を向いて歩こう」と、「アーメン・ハレルヤ」を歌い、大ハッスルしてきました。各国の青年達と交流を深めることができましたが、特に韓国のメンバーと一層仲良くなれたことが大きな宝となりました。

短かった6日間の中で、大会のテーマであった”Rejoice…the Lord is with you (喜びなさい。主は共におられます)”という言葉の意味を体全体で理解できました。私たちをタイに集めて下さったことに神様を感じ、感謝の気持ちで一杯になりました。そしてまた、多くの司教様や神父様方、シスター方も我々青年たちと一緒に6日間を過ごし、気さくに話し掛けて下さったり、食事を共にしたりすることができたことも、良い刺激になりました。これから大人と青年たちが本音で素直に話し合える時間が増えるといいな、と思いました。

最後に、次回の台湾でのA.Y.D.(2001年開催)まで、各々の国がある一国のために特別に祈りを捧げようということでくじ引きが行われ、日本の相手国は「ラオス」に決まりました。幸運にもラオスも「日本」をひきました。皆さん、どうぞラオスの為にお祈り下さい。ラオスでは教会は自由に活動することが困難な状況にあるそうですが、幅広い交流ができたらと思っています。今回のA.Y.D.で培われたアジアの強く深い関係がどんどん活かされることを祈っています。
(麹町教会 坂上千恵)

ホスチア焼成の変更についてのお知らせ

東京女子カルメル会より

長い間、ホスチア焼成の仕事をさせていただけましたことは、私共にとり、喜びと感謝の源でしたが、この度、事情によりホスチア焼成を続けていくことが困難となり、白柳枢機卿様のご配慮によって、師イエズス修道女会に引き継いでいただくことになりました。この貴く大切なご奉仕を打ち切らなければならないことは、まことに残念で心苦しい次第ですが、師イエズス修道女会という確かな手の中に引き継いでいただけますことは、教会のために計り知れない恵みであると感謝しております。つきましては、10月より師イエズス修道女会からの製造・発送となります。長年にわたるご援助をありがとうございました。どうぞこれからも私たち同様に、師イエズス修道女会へのご協力を、よろしくお願いします。

師イエズス修道女会より

この度、白柳枢機卿様のご要請を受け、東京女子カルメル会よりホスチア焼成を当会が引き継ぐことになりました。聖体・司祭職・典礼に奉仕する使命を受けている私たち、師イエズス修道女会にとり、日本の教会の中で、この使徒職を果たせますことを心から喜んでおります。今後、より一層の精進を重ねてまいりたいと思いますので、どうぞよろしくお願い申し上げます。

連絡先
〒192-0004
八王子市戸吹町1490
師イエズス修道女会
電話 0426-91-3236
FAX 0426-91-3260

女性と教会委員会主催講演会シリーズ モデルのない現代の新しい男性像と女性像 「教会を救うのは男か?女か?」 

日時 11月6日13時30分〜16時30分
場所  関口会館 2F大会議室(教区スペース)
講師 マーフィ神父(千葉寺教会主任司祭)
Sr.石川治子(聖心侍女修道会)
長島世津子氏(白百合女子大学教授)

五日市霊園をご利用される皆様へ

五日市霊園の玄関より休憩所にいたる坂道は、現在カトリックあきる野教会建築のために、一方通行の片側通行となっています。また、当面は工事用の大型車両が、頻繁に通行しておりますので、ご注意下さい。ご不便をおかけしますが、しばらくの間のご協力をお願いいたします。工事期間2000年4月初旬迄の予定です。(休、祝日は工事は休みとなります)
カトリックあきる野教会建築委員会

VIVID

個人指導の黙想会

◇テーマ修道召命を考える ◇日時:11/12 (金) 20:00〜11/14 (日) 16:00まで ◇対象:20代〜30代未婚の女性信徒 ◇ヘルパー:Sr. シュラッツ、 Sr. 柴田 ◇場所:調布修道院 (〒182-0034 東京都調布市下石原3-55) 京王線調布駅より 徒歩15分 ◇参加費:¥4,000 (宿泊費、 食事代等) ◇持参品:聖書、 筆記用具、 洗面具等 ◇申込み:11月10日 (水) までに下記へ 〒182-0034 調布市下石原3-55 コングレガシオン・ド・ノートルダム Tel 0424-82-2012Fax 0424-82-2163 シスター秋山

VMIカトリック高齢者会主催の講座

秋の一日黙想会

◇日時:10/21 (木) 11:00〜15:00 ◇場所:カトリック麹町教会 ◇指導司祭 澤田和夫師◇テーマ:「心をあげよう」 ◇会費:¥1,500 (当日)(昼食代、 会場費、 講師謝礼)

10月の勉強会

■◇日時:10/12 (火) ◇会場:事務所 ◇指導:塚本伊和男師 ■◇日時:10/15 (金) ◇会場:高輪教会 ◇指導:泉富士男師 ■◇日時:10/19 (火) ◇会場:三軒茶屋教会 ◇指導:泉富士男師 ■日時:10/26 (火) ◇会場:吉祥寺教会 ◇指導:塚本伊和男師 ◇時間:各会場共通 13:30〜15:00 ◇会費及び申込:不要

10月の散策会

(F. ザベリオ来日450年記念第2回) ◇日時:10/13 (水) 10:30 JR中央線 「西荻窪駅」北口改札集合 ◇行先:善福寺公園、 カトリック神学院 (聖フランシスコ像) 訪問 ◇解散予定:14:00 西武線 「武蔵関駅」 で。

カトリック山口教会 (F.ザビエル教会) 他巡礼 (F.ザビエル来日450年記念第3回)

◇日時:11/9 (火) 羽田 ― 宇部空港 (貸切バス) ―宇部教会ミサ (貸切バス) ― 山口市内観光 (貸切バス) ― ホテル (泊) 11/10 (水) 山口教会ミサ ― ザビエル資料館 ― 温田温泉11/11 (木) (貸切バス) 津和野 ― 津和野教会ミサ ― 乙女峠殉教地 ― 鴎外旧居 ― 宇部空港 ― 羽田 ◇参加費用、 集合時刻、 集合場所等詳細は別途 ■以上いずれも、 ◇申込・問合せ先:荒川区西日暮里1-61-23 リレント西日暮里102 VMI東京支部事務所
Tel/Fax 03-3806-9877

グレゴリオ聖歌による荘厳司教ミサ(白柳枢機卿がラテン語で司式)

◇日時:10/16 (土) 15:00〜16:30 (ミサ開始前14:40から15:00 聖母連願など) ◇場所東京カテドラル聖マリア大聖堂 ◇主司式:白柳誠一枢機卿 共同司式:教区・修道会の司祭数名 ◇対象: 参加自由〈参加者には、 受付で、ラテン語・日本語・英語を併記した楽譜付のミサ典礼冊子を配布しますが、 献金などよろしくご協力願います) ◇主催:カトリック・アクション同志会 ◇問合せ先:小田部胤明 (同会副会長) 〒151-0053 渋谷区代々木2-23-1-532 小田部法律事務所 Tel 03-3379-7161/Fax 03-3379-6550

第22回 「聖フランシスコ・ザビエル友ゆうクラブ俳句会」

◇句会日時:11/26 (金) 11:30〜15:30 ◇場所:カトリック神田教会信徒会館 ◇投句:ハガキで ◇兼題:「秋」 雑詠 3句以内 ◇投句先:住所・氏名・電話番号・所属教会・出欠 (投句のみは欠席) を明記の上、 〒101-0065 千代田区西神田1-1-12 カトリック神田教会内 「聖フランシスコ・ザビエル友ゆうクラブ俳句会」、または下記係宛 ◇締切り:11/18必着 ◇参加資格:年齢不問 ◇当日会費:¥1,000 ◇年会費¥1,500 ◇持参するもの:天景 (¥500以下の品物)・筆記用具 ◇運営方法:互選 (準備済)・食事 (当番準備済)・互評 (気軽に輪番で自由に)・散会 (結果は作品集を全会員宛に郵送)◇問合せ先:木田英也(世話人) 〒279-0011 千葉県浦安市美浜1-6-611 Tel/Fax 047-355-7478

モーセ五書・詩篇・新約聖書リレー通読会

◇日時:11/21(日)11:30〜11/23(火)20:00◇場所:カトリック小金井教会◇2000年には、1995年と同じように旧約・新約聖書全巻朗読を予定していますが、今年はカトリック聖書週間に約30分に区分し、区分されたそれぞれの箇所を二人一組で読みつなぎます。参加希望者はお申込ください。◇問合せ先:カトリック小金井教会〒184-0005小金井市桜町1-2-20Tel 0423-84-5793 Fax 042-384-6592

若い人々の黙想会

◇テーマ:私は本音で話したいー生きがい、 愛、 孤独、 選びー ◇日時:11/6 (土) 夕〜11/7 (日) 夕◇場所:汚れなきマリア修道会 町田祈りの家 ◇対象:青年男女 ◇指導:清水一男師 (マリア会) ◇参加費:¥4,000 ◇申込:10/31 (日) までに、 電話、 Faxで下記へ 〒194-0032町田市本町田3050-1 Tel 042-391-4952、 Fax042-395-2092 汚れなきマリア修道会 Sr.小林

神学生育成資金援助のための講演会

◇テーマ: 『40年を共に歩いて』 ◇講師:矢代和子氏 (故矢代静一氏夫人) ◇日時:10/15 (金) 13:30〜15:30 ◇会場:麹町教会 (聖イグナチオ教会) ヨセフホール ◇入場券:¥1,000◇主催:東京カトリック女性同志会 ◇問合せ:森脇 (03-3447-2231)、 滝口 (03-3844-7066)、武藤 (042-378-9377)

トルコ大地震の被災者のためのチャリティー

吉田文&トウルガイ・ヒルミ デユオ・リサイタル オルガン&ホルン/アルプホルン
◇日時:11/3 (水・祝) 15:00開演 ◇場所:カトリック麹町 (聖イグナチオ) 教会主聖堂 ◇主催:日本カトリック看護協会・東京教区カトリック女性同志会 ◇問合せ:東京公演実行委員会 森脇(03-3447-2231)、 本野(0474-33-5617)、 清水(03-5995-0058)

キリスト教精神に基づいた生涯学習シリーズ講座

総合テーマ〈人間について考える〉
[聖書の光の中で]
◆ペトロの手紙1
◇日時:9/13、 9/27、 10/25、 11/8、 11/29、12/13の各月曜13:30〜15:00 ◇講師:石川康輔師 (サレジオ神学院) ◇費用:¥5,000 (6回)
◆祈りへの道―ミサとみことば―
◇日時:9/22、 10/20、 12/15の各水曜13:30〜15:00 ◇講師:関根英雄師 (町田教会司祭) ◇費用:次の特別講座を含めて ¥3,300 (4回)
◆特別講座 『聖歌で祈る―みことばを息にのせて』
◇日時:11/17 (水) 13:30〜15:00 ◇講師:塩田泉師 (浦和教区司祭) ◇費用:¥1,000 (1回)
◆救いの歴史 (旧約) 第4部
◇日時:9/18、 9/25、 10/2、 10/9、 10/23、 10/30、 11/6、 11/13 の各土曜 10:30〜12:00 ◇講師:マグダレナ T.A.(三位一体会) ◇費用:¥6,600 (8回)
◆『出会い』 を求めて―キリスト前後―第13部
◇日時:9/18、 10/9、 10/16、 10/30、 11/6、12/4、12/11の各土曜10:30〜12:00 ◇講師:粕谷甲一師 (東京教区司祭) ◇費用:¥5,800 (7回)
◆キリスト教入門を教える人のために (第4期) 第4部
◇日時:10/2、 10/9、 10/16、 10/23、 10/30、11/6の各土曜10:30〜12:00 ◇講師:森一弘師 (東京教区補佐司教) ◇費用:¥5,000 (6回)
◆2000年の教会の歴史
◇講師 M. クリスチャン師 (淳心会) ◇日程第1部 9/28、 10/5、 10/12、 10/19、 10/26、 11/2、 11/9、 11/16、 11/30、 12/7 (10回) ◇内容 「初代教会から中世前半まで」 ◇受講料 10回 ¥5,000 ◇第2部 2000年1月〜3月 (10回) 「中世後半からフランス革命まで」 ◇第3部 2000年4月〜7月 (10回) 「カトリック教会の宣教師・フランス革命から現代まで」 ◇時間 火曜日14:00〜16:00 (講義は15時30分まで)
[人と人との絆の中で]
◆教会の中の司教・司祭・信徒
■◇日時:10/9 (土) 13:30〜15:30 ◇司祭:幸田和生師 (西千葉教会司祭)、 市川嘉男師 (田無教会司祭) ■◇日時:10/16 (土)13:30〜15:30 ◇信徒:中村智子 (東京教区カトリック女性同志会前会長)、 矢吹貞人 (浦和教区宣教司牧評議会前会長) ■◇日時:10/23 (土) 13:30〜15:30 ◇司教:野村純一師 (名古屋教区司教)、 森一弘師 (東京大司教区補佐司教) ■◇日時:10/30 (土) 13:30〜15:30◇まとめ:中川明師 (大阪教区司祭) ◇費用¥4,000 (4回)

深みある生き方のために―私を生かしたキリストとの出会い、人との出会い―

■◇日時:12/4 (土) 13:30〜15:30 ◇講師:星野正道師 (男子カルメル修道会司祭) ■◇日時:12/11 (土) 13:30〜15:30 ◇講師:金子尚志師 (アントニオ神学院教授) ◇費用¥2,000 (2回) ■いずれの講座も、 場所は 「真生会館学習センター」 (JR信濃町駅前) ◇申込み方法・問合せ先:電話、 または、 ハガキ・申込み用紙に 住所・氏名・講座番号・講座名を記入して下記まで
「真生会館学習センター」 〒160-0016 新宿区信濃町33 Tel 03-3351-7123■
◆テイヤール研究読書会
◇テーマ:テイヤール・ド・シャルダンの 『神の場』 ◇日時:10/5、 10/19、 11/2、 11/16、 12/7、 12/21 (第1、 第3火曜日) 19:00〜20:00 (但12/21は、 18:00から19:00) ◇会場:カトリック松原教会 (世田谷区松原2-28-5
Tel 03-3321-0941 京王線・井之頭線 明大前駅下車徒歩4分) ◇指導:美田稔 ◇教材:本会で用意します ◇受講料:無料 ◇問合せ先:美田稔 Tel 0425-35-3046、 竹田誠二 Tel&Fax03-3332-8866

三位一体の聖体宣教女会 『祈りの家』 講座

◆聖書で祈る
◇指導:雨宮慧師 (東京教区司祭) ◇日時:■10/23 (土) 17:30〜10/24 (日) 16:00 ■2/26 (土) 17:30〜2/27 (日) 16:00 ◇対象:女性信徒
◆召命を考える祈りの集い
◇指導:星野正道師 ◇日時:■11/28 (日)10:00〜17:00 ■2/11(金) 10:00〜17:00◇対象:女子青年
◆聖書研究会―雅歌を読む―
◇講師:Sr.マグダレナ (三位一体会) ◇日時:11/8 (月) 10:00〜15:00 ◇対象:一般信徒(お弁当持参)
◆聖書に親しむ集い
◇講師:Sr.マグダレナ(三位一体会) ◇テーマ:2000年に向けて、 御父、 御子、 聖霊 ◇日時:11月までの最終木曜日 14:00〜15:00
◆キリスト教講座
◇毎週木曜日10:00〜11:00
◆十字架の使徒職 (司祭のために祈る集い)
◇対象:信徒・求道者 ◇指導:本会会員 ◇期日:第1グループ:毎月 第2金曜日 14:00〜15:30第2グループ:毎月 第1木曜日 14:00〜15:30
◆年の黙想
◇指導:星野正道師(カルメル会) ◇対象:修道女 ◇日時:12/26 (日) 〜2000年1/4 (火) ■上記講座のいずれも、 場所・問合せは下記まで、 〒189-0003 東村山市久米川町1-17-5
Tel 042-393-3181 Fax042-393-2407 三位一体の聖体宣教女会まで■

第31回研究会『私の招かれている道は?』自分固有の召命に気付く(結婚、 修道召命、 独身)

◇指導:澤田豊成師(聖パウロ修道会) ◇日時:10/9 (土) 17:30〜10/11(月) 15:00 ◇場所:御聖体の宣教クララ修道会 軽井沢修道院◇対象:35歳までの未婚女性信徒 ◇費用:¥10,000 (当日払い) ◇申込:10/7(木) までに下記へ 〒154-0015 世田谷区桜新町1-27-7
御聖体の宣教クララ修道会 Tel 03-3429-4823Fax 03-3420-0394 担当:Sr.鴨井/Sr.小崎

混声合唱団コーロ・ソフィア第4回演奏会

◇日時:11/6 (土) 18:00開演 ◇場所:中野ZERO大ホール ◇入場料:¥2,000 ◇主催:混声合唱団コーロ・ソフィア (代表 川原一夫)

女性のための黙想会

◇テーマ:21世紀をむかえる教会と信徒の使命◇指導:小平正寿師 (フランシスコ会) ◇日時:11/1(月) 18:00〜11/3(水) 14:00 ◇場所:御聖体の宣教クララ修道会 軽井沢修道院◇対象:一般女性信徒 ◇費用:¥12,000 (当日払い) ◇申込:10/29(金) までに下記へ〒154-0015 世田谷区桜新町1-27-7 御聖体の宣教クララ修道会 Tel 03-3429-4823 Fax 03-3420-0394 担当:Sr.鴨井/Sr.小崎

黙想会

◇テーマ: 『福音再確認』 ―大聖年を迎えるためにー ◇日時:11/6(土) 16:45 (受付開始16時) 〜11/7 (日) 16時 〔尚、 11/5(金) からの2泊のプログラムもあります。 夕食を済ませて20時集合〕 ◇場所:カルメル会上野毛聖テレジア修道院 (黙想) (東急大井町線上野毛駅より徒歩5分) ◇対象:高校生以上の青年男女(35歳まで) ◇指導:カルメル会士 ◇費用:一泊¥5,000、 二泊¥9,000 ◇問合せ・申込先:参加御希望の方は、 住所、 氏名、 年齢、 電話番号、 宿泊数を記入の上、 ハガキかFaxで10/18(月) (必着)までに、 下記までお申し込みください。折り返し、 こちらからご連絡させていただきます。 〒158-0093 世田谷区上野毛2-14-25 カルメル修道会 東京青年黙想係 Tel 03-3704-2171Fax 03-3704-1764

Jesus2000聖霊による刷新全国大会

―大聖年をともに喜ぼう―
◇テーマ:主の栄光への招き ◇日時:2000年2/11(金) 13:00〜2/13 (日) 15:00 〔12日(土) には白柳枢機卿司式のミサがあります〕◇場所:東京ホテル浦島(晴海) ◇定員:600名◇会費:下記にお問い合わせください ◇対象:どなたでもどうぞ(部分参加も可) ◇申込締切:11/12(金) ◇問合せ:〒160-0002 新宿区坂町5SKハイム103 聖霊による刷新事務所(ヒスロ) Tel 03-3357-8138 Fax 03-3357-9504

歩きはじめたベトナム市民―JAPA VIETNAM’99ベトナムツア―報告会・総会

◇日時:10/23(土)14:00〜16:00 ◇場所:幼きイエス会 (JR/地下鉄四ツ谷駅徒歩3分)◇内容:’99ベトナムツアーのあらまし(スライド) と参加者の報告、 ’99年度活動、 会計報告と2000年度活動計画 ◇会費:¥500 ◇主催:JAPA VIETNAM (ジャパ・ベトナム)Tel 03-3359-7655 担当 柴田

召命黙想会

◇テーマ:あなたは、 私の目に貴い ◇日時:11/26(金) 17:30受付〜11/28 (日) 15:00◇場所:イエズス会黙想の家 東京都練馬区石神井4-32-11 ◇指導者:デイアス師(イエズス会) ◇対象:未婚の女性信徒 ◇定員:10名◇費用:¥8,800 ◇持参品:聖書、 洗面用具(タオル)、 筆記用具 ◇申込締切:11/15 (月)◇ 問合せ・申込先:聖ウルスラ修道会東京修道院 〒180-0004 武蔵野市吉祥寺4-27-18Tel 0422-56-9889

カトリック下井草教会50周年記念

ソプラノとオルガンによるバロック音楽のコンサート
◇日時:10/10 (日) 15時 ◇場所:カトリック下井草教会聖堂 ◇出演:ソプラノ クリステイーナ・ミアテッロ、 オルガン ウンベルト・フォルニ ◇入場料:¥3,000(前売り¥2,700)◇取扱い・問合せ:カトリック下井草教会事務室(担当:前田) Tel 03-3396-0305

旧約聖書を読む会

◇講師:前島誠氏 ◇日時:原則 毎月第2月曜日 (10/4・11/8・12/13) 10:30〜12:00◇場所:真生会館 ◇費用1回 ¥500 ◇主催:CWC (キリスト者婦人の集い ◇問い合わせ先:0427-41-0089 柴崎良子まで

聖書を通して人生を考える会

◇講師:後藤文雄師 (吉祥寺教会助任司祭)◇日時:火曜日10:30〜12:00 (10/26・11/30・12/14) ◇場所:真生会館 ◇費用:1回¥500 ◇主催:CWC (キリスト者婦人の集い) ◇問い合わせ先:03-3642-5629 神藤政子まで