お知らせ
東京教区ニュース第134号
1996年07月01日
目次
- ◇ 司教叙階30年を祝って 「健康ですよ、でもいそがしくってね…」 白柳枢機卿にインタビゥー
- ◇ 司祭も病気のときは一人の患者
- ◇ ずーむあっぷ 聖コロンバン会のレイミッショナリー アグネス・ヴィラタさん(AgnesVirata)
- ◇ 教区合同堅信式 堅信おめでとう
- ◇ 96年度宣司評への諮問課題決まる 「教区ブロック制度のあり方、総会のあり方、宣教司牧評議会のあり方」
- ◇ ニコラス神父講演 司祭との関わりにおける信徒の意識改革について(3)
- ◇ CTIC(東京国際通信センター)
- ◇ 東京教区生涯養成委員会主催 第2回小教区協同体奉仕者及び教会委員を対象とした研修会 ―小教区共同体における信徒・司祭・修道者・司教の共同責任の実現を目指して―
- ◇ 目黒星美学園 「文化の違いを超えて共に生きる」教育
- ◇ 教会・修道院巡り(48)『メリノール女子修道会』
- ◇ 教区委員会紹介 その4「地域福祉活動推進小委員会」
- ◇ シリーズ いじめへのメッセージ(2)〜主婦(母)の立場から〜
- ◇ 編集部から
司教叙階30年を祝って 「健康ですよ、でもいそがしくってね…」 白柳枢機卿にインタビゥー
白柳枢機卿が司教に叙階されて、去る5月8日で30周年をお迎えになった。東京教区ができて今年で15年、実にその3分の1に迫る歳月を、東京の教会の導き手として、先頭に立って来られたわけだ。さらに最近では、枢機卿そしてWCRPの理事長に就かれ、その任務はますます広くそして重くなっている。そこで、聖霊降臨の祝日、午後から合同堅信式があるというあわただしさだったが、司教館に枢機卿をお訪ねし、この機会にいろいろとお話しを伺った。「あんまり教区長のこと書くと読まれなくなるよ。会社の社内報ってのは、社長が書くと必ず読まなくなる」と笑わせながらも、話しは大いにはずみ、枢機卿になられた感想や最近の教区の歩み、地震のこと、そして2000年に向かっての展望などに話題は及んだ。
最近のカトリック界最大のニュースは、何といっても白柳枢機卿の誕生にとどめをさす。94年11月26日のバチカンでの叙任式で、緋色の法衣を着た白柳大司教が枢機卿の指輪を教皇から受ける様子を報じた教区ニュース一面のカラー写真をご記憶の方も、多いのではと思う。
「まあ、思ってもみなかったことが起きてしまったんで、私には非常にこの重荷の2年間でしたけれど、自分自身の能力とかそれから与えられた責任の大きさから、とっても重圧感を感じていますね。でも、もう神さまに信頼して、与えられた職務を果たすつもりで頑張っています」
枢機卿は当時、「私が選ばれたのでなく、日本という国が選ばれたのだ」と語っている。
「やはり教皇さまは、教会は結局、ひとつの国のものとかそういうものじゃなくて、全世界ほんとうにひとつの教会なんだということを表すために、枢機卿というのを世界の中からお選びになっていらっしゃるわけです。このカトリック信者の少ない日本の地から枢機卿をお選びになるということは、それだけ私たちに対して暖かい目をかけて下さっていることの表われだと思っていますね」
WCRPのこと
今年3月には、WCRP(世界宗教者平和会議)日本委員会の理事長に満場一致で推挙され、庭野日敬師(立正佼成会)の後を継いだ。
「これは、やはり第2バチカン公会議のひとつの方向性の実現なんですね。結局、ほかの宗教の中にある素晴らしいものも尊敬し、そして協力し合えることは協力し合っていくという、そのためにまあ私は初めからこれに参加していました。もう今から30年位経つんでしょうけどね。そういった関係で、今回、日本の委員会の理事長に選ばれたわけです。でも私は、日本の宗教者の集まりではやはり日本の宗教の方がリーダーとなったほうが世界とのつながりの中ではいいと思っているんですね。ですから、今回はつなぎの役目として引き受けていくつもりでして、また早く日本の宗教の方にやっていただき、私は外から協力するという形をとりたいと思っています」
大阪教区の取り組み
最近の教会の動きでは、阪神大地震で打撃を受けた大阪教区が打ち出した『新生計画』は大きな反響を呼んだ。
「ほんとに大変な出来事だったと思います。しかし、それをポジティブに受け入れて、『新生』という計画を作ったことは、ほんとうに素晴らしいですね。ややもすると、私たちは、外側のものでがんじがらめになって、内的なバイタリティを出せなくなってしまっている。それを打ち破るひとつのチャンスと捉らえているんですね。大阪教区のこの決断は、日本の教会に対して新しい道を探る示唆を与えてくれていると思います」
東京教区の歩みといま
東京教区の歩みに目を転じてみよう。この歩みの源は、遠くは第2バチカン公会議、最近では87年11月の京都、そして93年10月の長崎の2回のNICE(福音宣教推進全国会議)に発しているといえるだろう。
「教区長としては、日本の教会の歩みの中でね、2回のNICEというものが、どういうふうに東京教区に実現していくのか、そして私は、それが決して派手なものではないけれども、実際の真意をとらえて、着実に進んでいると思っています」
今年3月の教区総会は『意識改革』がテーマだった。
「これがまさに第2バチカン公会議のポイントだったわけですね。私たちはどうしても、外的なものにとらわれてしまってね、意識の変化、いちばん初めに求められている意識の変革というものになかなか気づかなかった。しかし今、信者の皆さん方がこれは必要であるというふうに感じられてもいたから、今回の総会を通じ、さらに強く皆さんひとりひとり感じられたんじゃないかと思います」
教区総会での話し合いのまとめが、宣教司牧評議会(宣司評)でいま最終段階に入っているが、その次のステップをにらんで、早くも新しい課題が出されているようだ。
「5月の宣司評で新しい諮問を出しました。ブロック制度と教区総会についてです。1970年を中心に東京教区では非常に大きな試みをやったわけです。2、3年の準備を重ねて、東京教区大会というのをやりました。それはそれなりに意味があったし、その当時の東京の教会に大きな活力となったわけです。その時にできあがったブロック制度というものも、それからいま25年、30年近く経つわけですね。そこで、それをもう一回見直して、実りあるものにしていきたいと思っているのです」
2000年に向かって
これからの歩みに移ろう。紀元2000年は、私たちキリスト者にとっては記念すべきキリスト生誕2000年である。この2000年をふさわしく祝うために各国で準備を始めるようにとの教皇からの呼びかけで、日本での準備の責任者に白柳枢機卿が就かれた。
「これは、ちょうど私たちがいま取り組んできた信徒の意識変革、これにほんとうにつながっている問題だと私は思います。教皇さまが2000年にあたって呼びかけていらっしゃるのは、まさに内的な回心なんですね。外側に派手なことをしなさいというんじゃなくて、この機会にほんとうにキリストのほうに立ち返って、我々がますます信仰を深めて、過去のことを反省しなさいということなんです。とくに教皇さまがおっしゃって非常に力強いと私が感じていることは、教皇さまが率先して教会が過去に犯した過ちというものをご自分から話し出されているわけですね。しなければならなかったのにそれをしなかった時代があった、やってはならないことをしてしまった、十字軍のような問題とかね。そういう過去の反省なしに2000年の扉をくぐるわけにはいかないと、彼は言うわけですよ。私たちの日本においても、例えば、戦争の時にそれに対する教会の対応の仕方とか、もちろん、あの当時の教育とか社会体制はそういう言葉を発することすらできなかった状況もあったに違いないけれども、しなかったこと、怠ったこと、現在もそうかもしれない。そういったことを深く反省して、新しいキリスト降誕2000年に向かって、教会がもう一回生まれ変わる。ですから、2000年というのは内的変革の時であると思いますね」
日本での取り組み
日本では、具体的にどのような方向で計画されていくのだろうか。
「ですから、日本の2000年の計画の進みかたも、内的なことを中心にしていきたいんですね。それを助ける意味で、たまたまこの期間にあるいろんな出来事も、中に取り入れていくと…。来年は、26聖人が殉教して400年目ですよね。それから1999年はザベリオがいらっしゃって450年目であると、まあ、いろいろ節目があるので、それはまた私たちに反省の機会になるんじゃないかと。東京教区でも、そういった意味で、各教会で内的刷新の機会としてもらいたいと、私は思っています。それに表現できるような形の表われである何かの行動をとれればいいと思っています」
健康状態はどうですか?
最後に、枢機卿の健康状態や近況をお聞きした。
「健康はいいんですけどね、とにかく仕事がほんとに忙しすぎてね。世界宗教者会議、あれがほんとになかなか忙しいですね。海外はそんなに行くことないですよ。全部で1か月ちょっと、遊びを入れてね(笑い)。忙しいですが、上手に時を使うようにしています。枢機卿になってほんとに窮屈、外国は行動範囲がせばめられて、なるべく身をかくしています(笑い)」
司祭も病気のときは一人の患者
司祭の患者は困り者?いいえ全然!
私たちのまわりで、司祭、修道者の召命の減少・高齢化現象が言われ始めてから久しい。司祭の人数が多いと言われている東京教区も例外ではない。召命の減少と高齢化の波だけではなく、働き盛りの司祭たちが病気に倒れることもある。
司祭や修道者たちが年をとったり病気になったり、入院したらわがままでどうしようもないのではないか、医者や看護婦泣かせなのではないかという心配が心に浮かぶ。そこで、司祭や修道者などのお世話をしたことのあるシスター、看護婦、医者に話しを聞いてみた。
いいえ、とんでもない
個別にたずねたにもかかわらず、例外なくすぐに返ってきた答えは、みな同じものだった。「いえいえ、とんでもない、そんなことありませんよ」と。
看護婦さんやお医者さんの話をまとめてみると……
「病気になって、病院に入ったら患者さんです。神父もシスターもありませんよ。ありのままの人間でいいんですよ」
「神父さんだから、いつも忍耐していなくちゃあいけないんだ、と思っていただくと、かえって治療ができないんです。ここが痛いとか、熱っぽいと言っていただかなくては、医者として大変困りますね」
パニックになるのは当たり前
「病気になるとどんな立派だと言われている人もパニックになるのが当たり前です。その点では、司祭も他の人も同じですし、同じでなければおかしいです」
「神父様方は、いつも4方8方から見られていらっしゃるので、病院に入院なさった時くらいは、安心してリラックスしていただきたいと思っています。だから、病院でもなるべくアットホームに感じていただけるように配慮しています」
信者のエゴ
「病気の時も、司祭にはこうあってほしいと望むのは勝手ですが、そう望ませているものは、かえって信者の側のエゴではないんですか」
「かえって、他の患者さんよりは神父さまの方が、単純に『今日は痛かったので、つらい1日だったよ』などと話してくださいますよ」
「お世話する看護婦よりも神父さまの方が大変ではないんですか。お見舞い客は大勢来られるし、病院の廊下を歩いていても信者に会ったりなさいますからね。片時も病人としてくつろぐことができないのではないですか。ほんとにお気の毒に感じることがあります」
司祭として生命を生きる
「司祭の方々をお世話してつくづく感じるのは、本当にこの方は司祭として生命を精一杯生きておられるという感動です。どんなにご自分では何もおできにならなくても、目のおだやかさと祈りの雰囲気を感じます」
病気の司祭や修道者たちは看護に当たる人々を困らせているのではないだろうか、との疑問への答えは、結局、この看護婦さんの、次の言葉に代表できるのではないだろうか。
「司祭が入院なさっていると、私たちも何となく心強く感じるんですよ。どこがどうと言うことはないのですが、ご病人で、患者さんの一人としていらっしゃるのですが、やはり、他の人と違う何かがあるのを感じます」
ずーむあっぷ 聖コロンバン会のレイミッショナリー アグネス・ヴィラタさん(AgnesVirata)
昨年3月、聖コロンバン会のレイミッショナリーとして来日。千葉市の都賀集会所を拠点として、千葉県に住む主にフィリピン人信徒のために働く。
仕事の内容は、生活で生じたトラブルの相談、解決や洗礼の準備、罪を犯し刑務所にいる人の面会とその家族への連絡等、休む暇もない。しかし持ち前の明るさと、人間が大好きな性格に、深い信仰が合わさって活き活きと活動している姿に好感がもてる。
丸顔で眼鏡をかけた小柄な容姿は、日本人と言っても通用しそうなフィリピン・マニラ生まれのアメリカ国籍。この忙しさの中で、少年院にいる少年達に英語を教えたいという望みも持っている。
教区合同堅信式 堅信おめでとう
5月26日、午後2時から東京カテドラル聖マリア大聖堂で、教区合同堅信式が行われ、155名が白柳枢機卿・森司教から堅信の秘跡を受けた。白柳枢機卿は受堅者に次のようなメッセージをおくった。
「刷新も新たに生まれ変わるのも、みんな聖霊の力なんですね。聖霊降臨が使徒たちをほんとうにあれだけ動かしめた、そして活力を与えたように、聖霊こそ私たちひとりひとりを変えて下さるし、そしてまた、教会全体をも変えて下さる。そして、それは堅信の秘跡を通して確かにいただけるんですね。ただ、それに私たちが心を開いて受け入れて、そしてその聖霊のすすめにしたがっていくという条件があるわけです。ですから、今日受ける方々も、すでに受けた方々も気づいて、もうい一回新たにされていくということ、これを望みたいと思います。」
96年度宣司評への諮問課題決まる 「教区ブロック制度のあり方、総会のあり方、宣教司牧評議会のあり方」
このたび宣教司牧評議会は、「教区ブロックのあり方、総会のあり方、宣教司牧評議会のあり方」について検討するよう、教区長白柳誠一枢機卿から諮問を受けました。
現行のブロック制度・総会・宣教司牧評議会の出発点は、1970年代の初めに開催された東京教区大会であり、20数年の歴史をもつもので、これらは教区発展の為にそれなりの重要な役割・使命を果たしてきました。それを我々は肯定的に評価しつつも、20数年の歳月が流れた今、これたのあり方について見直しの期間が訪れたと考えられます。まさに新たな時代の要請に応えるべく新しいものに脱皮させていかなければならないときを考えられます。
そして既に各小教区やブロックレベルにおいても、司祭間、信徒間、また司祭と信徒の間においても、これら制度の改廃、代替等につきそれぞれ議論がなされているのが現実で、議論の為の機が熟していることを実感します。
宣教司牧評議会は以上の歴史的流れと現実とを踏まえ、現在の教区全体を見渡しながら、教区の将来の発展を視野にいれ、この課題に取り組むことになります。
しかし問題はあくまでも教区全体としてその将来に関わることであり、ブロックや総会なども通じて多くの方々のご意見の拝聴と議論を経ることは当然必要と考えますので、この紙上を借りて教区の皆様にあらかじめお願いする次第です。
(宣教司牧評議会 今井康雄)
ニコラス神父講演 司祭との関わりにおける信徒の意識改革について(3)
(133号からの続き)
不安とフラストレーション
不安
新しいことを言われても、信仰生活は難しいのに、そのうえにまたこれもしなければならない、あれもしなければならない、新しい責任も与えられる、どうしてそうなっていくかわからない、そこから不安が出てきます。
教会はこれからどうなるのか、自分はどう参加すればよいのか、積極的に参加すると司祭に叱られる、ではどうすればよいのかという別の不安が出てきたわけです。あるいはちゃんとした準備段階がなくて急に責任が与えられた時、特に司祭が変わる時、不安が出てきます。そういうことがよくあります。新しく来た司祭は対話をしないうちに自分の計画をたてて、「では、これからこうします」と言い、信徒はどうすればよいかわからなくなるわけです。この不安は信徒だけではなくて司祭にもあります。
しかし、それよりももっと大事なのは、私たちの教会には、信徒の皆さんにフラストレーションが多いということです。
フラストレーション
意識改革の大切なきっかけになるので、それをはっきり申し上げるつもりです。ひとつのフラストレーションは、信徒と司祭の関係にバランスが欠けているように思うのです。
タレントのある(才能のある)信徒が時々子ども扱いをされている、そして大神学校を出たばかりの若い神父にいろいろな責任が与えられている、というようにバランスが欠けています。
私が司祭になった時、いちばん難しかったことは、仕事ではなくて、自分より経験のある信徒の方に告解場でアドバイスをすることでした。正直なところ、私はこの人にアドバイスをする資格がない、福音を読むことはできる、キリストの言葉を思い出すことはできる、しかし、29歳の私が50いくつのこの立派な人に、ただ弱さを分かち合うことはできても、なにかアドバイスすることはできない、あれはつらかったです。
でもこれは小さな体験でしたけれども、教会の中にはこのような関係があり、バランスが取れていないわけです。
多くの信徒の方が本当によく我慢してくださると思います。それにもかかわらず、司祭を支えて協力してくださることは本当に信仰が深い一つのしるしだと思いますけれど、全体としてこれは望ましくないと思います。ですから、フラストレーションの原因となります。
多くのところでは変わってきましたけれども、まだあるところでは、ほとんどの活動が、全部聖職者のコントロールのもとにあります。これもフラストレーションになります。自分がいちばん知っていて、司祭が知らないのに「ああしろ」「こうしろ」と言うことに従わなければならない、あるいは昔のイメージで、説教のときもいろいろな話のときにも、「司祭は羊飼いで、皆さんは羊である」と言う。羊飼いはキリストで他の人にあてはまりません。これは現在の私たちには痛いところですが、司祭の弱さが昔より見えてきました。時々つまずく程の弱さもあります。これが見えるときは司祭と信徒の関係が変わります。
いちばん深いフラストレーションは、信徒の皆さんが私たち司祭から神へ歩むために十分に奉仕されていないところにあると思います。
信徒の皆さんにみことばが深く入って、神と交わって元気に社会のなかで生きるための指導が弱い、すなわち私たちが聖書を読むために十分に指導されていない、助けをもらわない、あるいは典礼は神との交わりの喜びを生かす場であるはずなのに、その典礼が準備されていない、説教がピンとこない、言葉がいつも同じマンネリ化されたパターン、何があっても同じパターンで心が動かない、そういう経験が多いと思います。
アメリカの家庭で
アメリカの家庭での経験を聞いたことがあります。信者の家庭の子どもたち、息子2人と娘2人が教会に行かなくなった。「どうして行かないのか」と聞くと、「教会は典礼はつまらないし、説教はピンとこないし、だから行かない」と言います。親たちは少なくとも義務だから教会に行くのですけれど、若い人たちは行きません。
ある典礼の専門家がおっしゃったように、「典礼の現代の敵は世俗化ではなくて退屈」です。現代人は刺激の多い社会にいるので、教会に行って深いところから喜びが湧いてくるような体験とか、神のことばの刺激を受けなければ心が動かない、心が動かなければ自分が変わらない、変わらなければ教会に行っても行かなくてもいい、これが単純な普通の人の考えです。そこにフラストレーションが重なってくるのです。
「自分の本音を感じなければ、癒すことはできない」という文章をさっき電車の中で読みました。本当にその通りだと思います。私たちは正直にお互いに話し合うことができなければ、お互いに成長できなくなると思います。だから痛くても現実を見る必要があります。
では、そのなかで第4のポイントですが、司祭との関わりにおいてどういう意識変化が可能なのか、あるいはどうすればあいまいさ、フラストレーションを乗り越えられるかについてお話ししましょう。
(次号に続く)
CTIC(東京国際通信センター)
あるフィリピン人女性から相談があった。日本人男性との間に生まれた子供と一緒に日本で生活したいのでビザの取得を手伝ってほしいとのことだ。
彼女は4年前の19歳の時、家族を支えるために、友人の紹介で日本に来た。夕方6時から朝4時まで、時給1800円でホステスとして働いた。そこで、20歳年上の、日本人男性と知り合う。「彼は最初、とても優しかったの。毎日お店に来てくれたの」という。6ヵ月の契約が切れるとフィリピンまで一緒に帰り、すぐ結婚。その後、日本に帰国したその男とは連絡がとれなくなった。
まもなく、フィリピンで第一子が誕生。その男と相変わらず連絡が取れず、子供を母親に預けて、再度来日、やっとの事で彼と連絡が取れ、結婚を前提に一緒に生活を始める。しかし、第二子の誕生の後から、殴る蹴るの暴力が激しくなった。度々、家を追い出されて、近くの公園で寝泊まりしたこともあるという。その都度、子供のためと我慢してきた。
ある日、「パチンコの金がないので、指輪を質に入れる」と男が言い出した。とても大切にしていた指輪がパチンコ代にされてはかなわないと彼女は必死に抵抗した。すると、近くにあった灰皿を投げつけられ、それが目に当たった。彼女はそこで、彼との生活に限界を感じ、子供と身近な荷物をまとめて友人宅に逃れた。しかし、すぐに生活に困窮し、児童相談所に相談した結果、子供は乳児院へ、母親は夜のパブで働くことになった。
入管に問い合わせたところ、彼女のケースでビザを発給することは、難しいとの返答であった。彼女は平日は働き、週末に子供を自分のアパートに外泊させ面倒を見る生活を、入管からの摘発を恐れながら続けている。
彼女のように日本人の親が子供の扶養を拒んでいるケースは日ごとに増えている。日本人の父親から見捨てられた子(JFC(ジャパン・フィリピーノ・チルドレン)」は5万人とも6万人とも言われているが、現在のところ、彼ら彼女らの親が日本人であるにも関わらず何の補償も受けられないまま放置されている。
フィリピン大使館の調べによると、フィリピン人と日本人との結婚は年間6000組あまり、その約7割は早晩離婚するという。正式に結婚していないカップルも入れるとどれくらいになるのだろうか。
彼女らの中には「離婚」したゆえに教会に行きたくても行けない人が多い。最も神の赦しを求めている彼女らを暖かく迎えることができる教会に日本の教会はなることができるだろうか。
(CTICスタッフ有川憲治)
東京教区生涯養成委員会主催 第2回小教区協同体奉仕者及び教会委員を対象とした研修会 ―小教区共同体における信徒・司祭・修道者・司教の共同責任の実現を目指して―
昨年5月〜6月にかけて、小教区共同体に奉仕する人々(注)を対象に、教区生涯養成委員会が開催した研修会は、2ヵ月という長期にもかかわらず90余名が参加し、継続を希望する声が数多く寄せられた。同委員会では、これに応えて今年も5月11日〜6月29日にかけて全8回、16講座を東京教区関口会館ケルンホールで開催した。(講座の内容と講師は別掲)今月号と次号で、昨年掲載しなかった講座内容をお伝えする。
(注)小教区共同体奉仕者とは、小教区共同体の運営・管理や司牧宣教等の働きの中心的な担い手として奉仕している人(教会委員、典礼奉仕者、財務担当者等)をいう。
講座内容と講師
日時 | 第1講座 | 第2講座 |
5月11日 |
東京教区の歴史 |
教区・小教区の財政及び建設支援制度について 教区事務所 |
5月18日 |
第二バチカン公会議以降の日本の教会 |
東京教区の組織を小教区との関係 |
5月25日 |
教会法によるキリスト者 |
教会法における小教区 |
6月1日 |
聖と俗 |
信仰と社会 |
6月8日 |
教会典礼の基礎知識 |
信徒の典礼奉仕 |
6月15日 |
小教区共同体の地域への奉仕 |
社会における小教区 |
6月22日 |
外国人と共に生きる |
外国人信徒の司牧の問題点 |
6月29日 |
司祭が考える小教区運営 |
信徒が支える小教区運営 |
5月18日第2講座 東京教区の組織を小教区との関係 森一弘司教
カトリック東京大司教区(地域:東京都、千葉県全域)は、小教区75(東京60、千葉15)、分教会7(東京6、千葉1)、男子修道院(宣教会)54(東京53、千葉1)、女子修道院160(東京150、千葉10)、神学校、大・中・小・幼・保・各種学校、病院、各種施設全体を含んで成り立っている。
教区は小教区の教会、修道会、カトリック学校等を含んだ一種の総合体で、全体をまとめる役割を持ち、教区内の宣教司牧の責任を担うと同時に、東京・千葉の対外的なかかわりの窓口となる。
修道会・宣教会と教区との関係
≪修道会の場合≫
●修道会には固有の目的があり、独自の財政・人事権がある。大司教もそれに直接干渉・関与することはできない。
●修道会が会の固有の目的に沿って、使徒職あるいは事業を展開する。事業の企画、運営、維持、拡大等の決定権は修道会にある。
●但し教区内においては、教区長の認可を求め、教区内の宣教司牧方針を尊重しなければならない。
●教区内に小教区の教会を担当するときには、修道会によって異なるが、教区長の許可のもとに、原則として一つの小教区を永久修道会(ecclesiarelisiosaperpetua)とすることが許される。但し小教区としての運営、維持、管理、司牧宣教活動は、教区の方針にそって行わなければならない。
≪宣教会の場合≫
●教区長から委託を受けて、小教区の宣教司牧を担当する。
●教区とある特定の地区内の宣教司牧を担当するという契約と、教区に何名の司祭を派遣するという契約とがある。
●宣教会が小教区のために獲得したりする土地や建築する建物の名義は、多くの場合、教区名義である。
カトリック学校・福祉施設等と教区との関係
カトリック学校、福祉施設等も、設立が認可されると公的法人、公的施設となり、公的援助を受けて、文部省等の所轄官庁指導のもとで、日本の地域社会の中で公に役割を果たしている。
カトリックの社会に向けたメッセージを理解して、それを教育の中に反映させてほしいということはできるが、事業の展開においては教会は干渉できないというネックがある。
しかし、年間30万人以上がカトリック学校に入学することを考えると、協力関係の見直しが必要と考えられ、現在司教団レベルで話し合われている。
東京教区の組織
★司祭評議会
●教区内の宣教司牧の推進のために教区長を助ける、司祭団を代表する司祭の集まり。教区長の諮問機関。
●司祭仲間から選出され、教区長が任命する。任期2年、連続4年を越えることは不可。選挙権・被選挙権:全教区司祭、小教区、分教会またはこれに準ずる場所で働く修道会、宣教会司祭。
★宣教司牧評議会
●宣教司牧の具体化について、教区長を助ける。
●・教区長の諮問事項に答申する。
・教区長の指示、承認のもとに宣教司牧活動の具体策を決定・立案し、ブロック等に勧奨あるいは要請を行う。
・ブロック会議等からの妥当と思える提言等を教区長に具申する。
・総会の準備を行う。
●各ブロック会議より推薦されたものを教区長が任命する。任期2年。
★ブロック会議
●地域の宣教司牧推進のため、大司教区を8ブロックに分ける。
●・ブロック内の宣教活動推進、具体化のために務める。
・構成団体またはブロック会議委員の提言のうち、妥当と思われるものを宣教司牧評議会に伝達する。
・教区本部または宣教司牧評議会からの要請に協力する。
★東京教区総会
教区民がそれぞれの立場において、より積極的に福音の宣教に務めるため、大司教を中心に会して、互いに啓発し、本教区全体に対する認識を深め、宣教司牧の基本理念、方針への理解を深めることを目的とする。
★財政評議会
●教区内の財政に関して、教区長の諮問に答申する。
●教区長の任命による。
東京教区の諸委員会
≪教区本部担当≫
●儀式係:教区儀式の担当
●典礼委員会
●広報委員会:教区ニュースの編集
≪司祭養成関係≫
●神学生養成担当者会
●司祭志願者担当者会
●一粒会
≪宣教司牧関係≫
●生涯養成委員会
●教会学校委員会
●青少年委員会
●女性と教会委員会
●ナイス2家庭プロジェクト
●イエズス探求会
≪社会的テーマに対応≫
●正義と平和委員会
●部落問題委員会
●靖国問題委員会
●平和旬間委員会
≪滞日・在日外国人等に対応≫
●CTIC(東京国際センター)
●難民定住推進委員会
●ミャンマー委員会
●インターナショナルデー委員会
≪福祉関係≫
●福祉委員会
・地域福祉活動推進小委員会
・障害者問題小委員会
・高齢者問題小委員会
●聴覚障害者の会
●高齢司祭問題委員会
≪その他≫
●エキュメニズム委員会
●移動信徒連絡事務所
≪教区が財団法人として関わっている団体≫
●真生会館
●東京カリタスの家
■6月1日第1講座 聖と俗
高木賢一神父
山谷えり子氏
「聖職者・平信徒と呼び合ってきた意識が、信徒・司祭・修道者・司教の協力のあり方にどのような影を与えているか」を探るために、司祭の立場から高木賢一神父(荻窪教会)、信徒の立場から山谷えり子氏(サンケイリビング編集長)がそれぞれ話した後、質疑応答も含め、参加者が「信仰と社会」というテーマで活発な意見交換を行った。
聖と俗について 高木賢一神父
「私は基本的には、『聖と俗』という分け方は成り立たない、そして『聖と俗』という分け方をするならそれを人間の世界には持ちこまない、『聖』は神だけだということを皆さんにお話ししたいのです」と前置きをし、聖という言葉は本来「神の力強い働きの様を表す言葉」であること、現代の人間観との関連、私たちの信仰の出発点などにふれ、「教会という言葉は、組織・制度といった固定化された側面だけを指し示すのではなく、社会のなかで、旅を続けるいわゆる運動体とでもいうべき側面を指し示している。そしてこの側面に教会という言葉の意味がある」と述べ、以上を踏まえたうえで次のような考察をした。
教会の伝統的な、あるいは一般的な解釈と考えられる「聖と俗」理解
「聖と俗」という言葉に関して「清い/清くない」「汚れている/汚れていない」という構図でしか考えられてこなかったといっても過言ではない。
また、「教会の外に救いなし」という教義、そして教会の内側は「聖」であり、教会の外側は「俗」であるという教会観、どちらの考えが先であったかは分からないが、この2つがあいまって、汚れているかどうかは別にして、教会の外側は「清くない」という感情があった、あるいはいまだにあることも事実。
このような「聖と俗」理解から生まれたもの
「組織・制度」としての教会だけが真理を伝える「場」であるという理解から生まれた一般的な傾向から独善的、排他的な内側だけしか見ようとしない組織を作りあげた。
教会組織の一員として、所属するということだけに、力点がおかれるだけで、何のためにキリスト者になるのかというと問いかけが稀薄であった。
また、「自分が教会でどのような役割を担い、何をしているか」ということを「キリスト者として信仰深い」ということと結びつける傾向があり、キリストを中心に置かないで、人間を中心に置く傾向がある。
さらに、「教会共同体が生き生きしている」という時、組織を維持するための様々な活動が盛んであるというのと、同じ意味で考えられ、それで満足している。
「組織・制度」としての教会だけが唯一、真理をもっているという理解、またそれを伝えることが出来るのは、「組織・制度」としての教会だけであるという理解が、司祭・修道者の生き方こそ、キリスト者としての唯一の生き方、模範であるという神話を生み出した。
聖職者という言葉にまつわる神話
1、教会共同体全体は、神によって呼び集められ、役割を担ったキリスト者一人ひとりの「集まり」である。
2、その「集まり」は聖霊によって支えられている、神の「業」そのものであり、「聖」である、特に、主日の典礼、ミサはその典型的な出来事である。
3、司祭はそのような聖霊の「業」による教会共同体における役職・役割のひとつである。
4、ミサの中で聖霊を請い求める祈りは、奉献文中2ヵ所ある。ひとつは「聖変化」と呼ばれる箇所と、現時点では司祭が唱えているけれども、拝領によって、ミサに参加したキリスト者全員が同じくキリストのからだと血に結ばれているということを思い起こさせる祈願文「キリストのおん体とおん血にともに与かる私たちが聖霊によってひとつに結ばれますように」の2カ所である。司祭一人だけが、いわゆる「聖変化」を可能にするのではなく、その場に集まったキリスト者全員の祈りと「キリスト」を拝領するという行いを通して始めて、いわゆる「聖変化」は成就する。
以上のような視点で司祭職を考えてこなかったために、司祭や修道者がキリスト者として、特別な存在であるという神話が生まれた。
自分たちの教会のあり方に対する相対化の作業の欠如
教会組織の独善的、排他的、内面しか見ようとしないあり方は、そのまま組織のメンタリティーに反映し、自分たちのあり方、関わり方を相対化して見つめ直すことを稀薄にした。その結果、自分と異質と思う他のキリスト者としての行いには、無関心あるいは否定的な態度を取る。社会との関わりについても同様である。
「神の救いのみ業」が普遍的なのであって、そのことを証しする「器」は時代とともに変わってきている。したがって、その時代の「背景・流れ」の変化に関心を寄せる視点が大切である。
しかし、教会を運動体という側面ではなく、「組織・制度」という側面に力点をおいて理解しているために、教会の「組織・制度」をその時代に対応してシステムに変えていくという意識が稀薄であるばかりか、そういった動きに否定的になり、ノスタルジックな意見にのみ終始しがちである。
聖と俗について
山谷えり子氏
主婦向けの生活情報紙「サンケイリビング」(発行部数750万部)編集長である山谷さんは、「小・中学校とプロテスタントの日曜学校に通い、大学はカトリックの学校で育ち人生の選択肢のひとつに修道女を考えた。いざ洗礼を受けようとしたとき、4年間も迷った。教会、あるいは信者になるということは、非常に聖なることで、私のようなものはとてもなれないのだとつき飛ばされたような気がしていた」「入るからには完ぺきに聖書を理解して、もっと今よりは上等の人間になって初めて入門許可証、通行証を渡されるのであって今の私ではとてもだめだと勝手に思っていた」と受洗を逡巡した気持ちを語った。
ところが、「私がお世話になっていた神父さまが、『いつも喜んでいなさい、いつも感謝しなさい、いつも祈りなさい、あなたはそういう生活がしたいですか』とおっしゃったとき、『はい』『それでいいのだ』と言われ、聖なるものの考え方が変わったのです」どう変わったかというと「静かにお祈りをして間違ったことは犯さない、いつも気分が安定していて、なにかホーリーなイメージがして私にはとても出来ないと思い込んでいたんです。そうか、私のような人間はいつも喜んでいなさい、あ、これが聖なることなんだ、すうーと受けることができました、家族もいっしょにお恵みをいただきました。その時、すべての人がそれぞれ聖なるものなんだ」と。
「それから、聖と俗はヒエラルキーではないということがわかったような気がして、それからは教会に行ったときに重圧感はありませんでした」
さらに、山谷さんはアメリカ聖公会牧師と義父の話、電車のなかでの若者の会話、お子さんの受験体験、密室育児等、様々なエピソードを通して教育に宗教観が必要なこと、愛(ご大切)の重要性を強調した。
■同 第2講座 信仰と社会 全体討議
意見、感想、質疑応答が続出したがその一部を紹介する。
■公会議前は教皇、司教、司祭はえらい人という教育をされたと思います。しかし、今、私たちは新しい教会法あるいは教会憲章、現代世界憲章等によって神の民としての信徒の役割がはっきりしました。「聖と俗」と区別するのではなく、これからの信者としての私たちの生きかたがこれまでの講座を通して分かってきたような気がします。
■「聖体拝領」という言葉ですが、キリスト教は外国から入った宗教ですから、用語の翻訳の問題だと思います。フランス語でお祈りなんかは、神に対して親しみを込めて、「tu」(チュ)という言葉を使っています。やはり日本人の神様像とか「聖と俗」に対する考え方が翻訳されているわけですから、本来のキリスト教の「交わり」と「聖体拝領」という言葉は別だと思いますので、用語の見直しも必要になってくると思います。
■聖なるものは聖なんですよ、神父さんだってあまり信徒の中に分け入っちゃってね、俗っぽくなられると私困るんですよ(爆笑)。パンをキリストの体に変えられることに出来るのは司祭しかいないんですから。我々いくら頑張ったって出来ないんですよ。だから、神父さんは聖であるべきだと思うんですよ。
高木師
教会の信仰の大切なところは「聖霊の業を信じます」です。私が「聖」とかそういうことではなく、「私を道具として聖霊が働く」のだということを考えていれば、司祭個人を強調する必要はあまりないと思います。
聖霊を呼び集めた人の集まりが「教会」で、そしてミサもそうなんだから、神父しか聖変化出来ないという言い方はちょっとという気がします。さっきも言いましたが、聖霊を請い願う箇所は、「聖変化」の箇所と「世界に広がるあなたの教会」の前なのです。ということは本来ならば、会衆が唱えて拝領することで聖体は聖体になった。「受肉」ということを考えれば、へりくだって私たちの中に下りてきてくださったキリストの業を思い起こすように仕え合いなさいということで、それを思い起こすのが「聖体拝領」なのです。
■教会の伝統的なあるいは一般的な「聖と俗」理解・・・という言葉を使った背景をご説明いただければ・・・
高木師
私がこの生涯養成委員会のスタッフですが、昨年の研修会が終わった後の反省会で、「教会は変わったということをいっても意味がないのではないか、どうして変わったかという背景を説明したほうがいいのではないか」という意見を出しました。
私は「平信徒」という言葉は差別用語だと思いますが、どうしても聖職者と信徒とは別なんだという考え方が根強いなと感じていました。それで、その典型的な考え方として、聖書では「聖」はどう言っているのか、そんなことを言った覚えがあるのです。それで「聖と俗」というタイトルになりました。
目黒星美学園 「文化の違いを超えて共に生きる」教育
目黒星美学園(校長=シスター野中康子・扶助者聖母会)の高校3年生およそ60名が、6月1日(土)の半日を使って韓国人留学生を招き、交流の機会を持った。キリスト教の精神に基づき、今年は「共に生きる」をテーマとして、身体障害者授産施設「泉の家」訪問と並行して行った活動である。
協力したのは、韓人教会(主任司祭=崔周浩神父)青年会の11名で、初めに「日本での体験」として、一人ずつエピソードを紹介。お碗を持たずには飲めないスープを箸しかなくてあきらめたこと(韓国ではお碗などを持って食べるのは大変下品とされる)、バスなどでのお金の払い方の違い、タクシーに乗るとき反対側のドアから乗ろうとして怒られたこと、銭湯(韓国にも多い)で男の人が入り口(番台)にいてびっくりしたこと、高校生の服装や生活(韓国のほうが受験勉強が厳しい)など。
『サランヘ(愛してます)』を一緒に練習して歌った後は、場所を移動して、「一緒に体を動かす」料理の時間。グループに分かれて、韓国料理のパジョン(お好み焼き)とチゲ(鍋)を作った。焦がしたり生焼けを作ったりしながらも、1時間半後には奮闘の成果を味わうことができた。各グループから「からーい」の声が連発されたこの頃、初めに見られた緊張感はもうなく、「えー、日本にきてまだ2か月でー」と言いながらも、お姉さん格の韓国人たちを質問ぜめにしていた。
韓国人たちは、韓国の学校や先生と生徒との関係などの違いに驚いたようであるが、生徒たち同様、皆「とてもよい体験だった」「楽しかった」と感想を述べていた。
初めての試みであったが「自分たちと異なった文化、体験を持って生きる同年代の韓国人学生と、人間として共感し合う喜びを体験する」という学校の目標は、達せられたといえよう。
教会・修道院巡り(48)『メリノール女子修道会』
主の霊がわたしたちの上におられる。貧しい人に福音を告げ知らせるために、主がわたしに油を注がれたからである。
主がわたしを遣わされたのは、捕らわれている人に解放を、目の見えない人に視力の回復を告げ、圧迫されている人を自由にし、主の恵みの年を告げるためである。(ルカ4・18-19)
メリノール女子修道会の創立者マザー・メリー・ジョゼフは、1907年スミス大学在学時代に、メリノール男子海外宣教会の創立理念に賛同し、その宣教活動と直接結びついた研究会を作り、神の民としての福音活動の第一歩を踏み出していた。卒業後1912年までの5年間、数人の女性有志と信仰弘布会の仕事に携わる一方、フィールド アファーFieldAfar(地の果てまで)と呼ばれるメリノール宣教会独自の出版業に協力し、創立者ジェームズ・ウォルシュ神父を深く知る機会を得た。そのころウォルシュ神父らは北米カトリック教会の海外宣教意識高揚に日夜専心し、努力を重ねていたのである。
それを知った彼女は早速その仕事に参与したが、月日とともに海外宣教に、より適応できる女子修道会の必要性を強く感じた。ウォルシュ神父にその事を告げると、神父は彼女たちの趣旨に同意し、それが実現されるため無2の協力者として貴重な助言を惜しまなかった。
しかし当時は海外宣教を目的とした女子修道会会員養成の前例がなく、教会当局は時期尚早として許可に難色を示した。だがニューヨークのフェアレイ枢機卿の理解と合意を得て会は発足し、この最初の女性有志の中から後の創立者マザー・メリー・ジョゼフがグループリーダーに選ばれた。
新しい女子修道会の根本的特性の識別にあたり、『観想を源泉とした宣教活動を目指すドミニコ会の精神』に則って、メリノール女子修道会を形成することが決定された。1920年ローマ聖省はこの女子修道会を認可した。
ローマ聖省より許可が下りるまでの多難の8年間はいわばミッション・パイオニア生活(開拓者生活)を体験した貴重な年月であった。メリノール女子修道会のスピリットはその間に自然に成長し、その特色を顕していった。
第2バチカン公会議後、今日のこの世界に福音を告げるため、メリノール女子修道会会員はアメリカ、アフリカ、アジアの約20カ国の呼びかけに応え、日本では各種人権問題に関わってきた。教理教育、福祉、他宗教との対話を通して教会内外の人びと共に福音に生きるよう努力している。
メリノール女子修道会
〒180 武蔵野市吉祥寺東町2-24-9
TEL0422(22)4423
教区委員会紹介 その4「地域福祉活動推進小委員会」
地域福祉活動推進小委員会は「共に喜んで生きよう」というナイスの提案を受けて地域の人びととともに生きる福祉活動を目指して教区福祉委員会の下に設置されました。ともすれば個人的、上向きになりがちだった教会の福祉活動が連帯して社会の奉仕する外向きの活動に変わっていく為には、地域の社会福祉協議会との協力、地域の福祉活動への参加が必要とに認識から小教区のなかにボランティア・リーダーを養成し、小教区の福祉活動グループを活性化することが発足時の課題でした。そして10年のときを経て多くの小教区で地域の人びとのニーズに沿った活動が活発に行われるようになった現在では、それぞれの小教区の限界を補い合って働けるように小教区を超えた福祉ネットワーク作りが目標となっています。
委員会の具体的な活動は次の通りです。
(1)福祉の集い…東京教区の全教会から、福祉に関心のある信徒たちが集い、共にミサに預かり、祈り、学ぶ、年1回の機会です。(本年の集いは10月24日(木)、カテドラル地下聖堂でのミサの後、午後からケルン・ホールで講演会を行います。テーマは「福祉活動を通しての宣教」皆さまもご参加をお待ちしています)
(2)ブロック内交流会…地域での活動として各ブロック内で交流会を持ち、その地域の各教会で福祉に関わっている人々が集まり情報を交換し、親睦を深める会をもちます。
(3)教区福祉委員会の行事への参加
(4)活動報告「地域小委だより」の発行。年1回
委員会は各ブロックの教会から推薦または選出された委員17名で構成され、それぞれが上記の活動内容に沿って仕事を分担して活動しています。全体例会は年4回開きます。
(牧野早苗)
シリーズ いじめへのメッセージ(2)〜主婦(母)の立場から〜
いじめについて体験から考えたこと 佐原教会 林節子
わが家の4人の子はどの子もいじめられっ子でした。2人の娘は中学生の時登校拒否もやりました。
テレビや新聞などでいじめについて見聞きしていた時は客観的に考えられていた事が、自分の子どもの上に起こった時、私はあわて、自分の子育てが間違っていたのかと考えたり、自分を責めたり、父親として夫にももっと協力して欲しいと迫ったり、学校の先生は一体何をしているのかと批判的に考えたりしました。
成績なんかどうでもよいから、とにかくふつうに学校へ行って欲しいと思い、あの手この手で学校へ行かせようとしましたが、全く効果はなく苦しい日々をすごしました。
夫は教師で、私もかつて教職にありましたので世間体もとても気になりました。しかし、苦しみ悩みを抱えている子どもを目の前にして親が自己嫌悪に落ち入っても何も解決することはできないと気をとり直して夫と話し合い、この際一切の体面は捨てて児童相談所へ行って相談してみようということに決心しました。
最初2回ほど夫と2人で行き、カウンセリングを受けました。少しずつ子どもにも話し、子どもも連れて行ってカウンセリングを受けました。そして、カウンセラーからいじめの原因は周囲との家庭環境のちがいにあると言われ、私は頭をかかえてしまいました。
家庭の中で培った物の考え方や行動がクラスの友人関係の中でつまずきとなってしまったとは―。私は子どもの回復力を信じながらただ祈るばかりでした。
そんな中でも子どもは教会の行事にはよく参加し、夏休みや冬休みに西千葉教会で行われる練成会に出かけて行きました。リーダーの神学生の方に悩みを打ち明けてご指導を受けていたようです。
そして何回もカウンセリングに通ううちに現実を受けとめる力を得たのか1年余りで登校拒否は終わりました。
現在、一人は大学院で勉強中、もう一人は会社員として生活しております。
この事で書いてみて娘と当時をふり返って話をしてみました。
私 いじめについて今はどう思っているか
娘 子どもの世界だけでなく先生たちの間にもいじめはあった。今だって職場の中にもある、誰の心の中にも他人をいじめたいと思う気持ちがあるのではないか、その弱さを認めどうしたらそれに打ち克つことができるかを考えることによっていじめは無くなると思う。
私 キリスト信者として育てられたことについて(あまりきちんと育てたわけではありませんが)どう思うか。
娘 小さい頃は友だちと話してみて考え方のちがいにびっくりしたり、衝突したりいろいろあったけれども、いろいろな物の考え方があるものだということを知ることができたし、子どもなりに試行錯誤をくり返しながら生活の中で自分の考えを実現していく方法を何とか見つけることができるようになった。
あの時から10年余りが過ぎましたが、今もまだいじめの問題が大きく取り上げられています。
今回のテーマは子どもたちへのメッセージですが、私は親へもメッセージが必要なのではないかと自分の経験から考えます。
いじめられている子がサインを出しているのに周りのおとなが気がつかないで大事に至ってしまう事に心が痛みます。
サインをキャッチした人が教師であれ親であれサークルのリーダーであっても誰でも真剣に受けとめてやってほしいです。
また、子どもをとりまく環境が複雑になったとはいえ、親子のつながりは単純に、いつも初心にかえって考えてみたいと思います。テーマからははずれていますが、何か参考になりましたらと思って書きました。
ジャーナリストとして母として 田園調布教会 山谷えり子
20代の人から、いじめられた体験を寄せてもらったことがあります。”後遺症で今も体が不自由です””人が怖く、仕事につけません”など心身ともに長期間立ってもキズがいえない方たちの声がたくさん集まりました。
5月26日発表された法務省人権擁護局の「小学生の生活に関するアンケート」では、奨学5,6年生の割以上がいじめられた体験があり、被害児童の3割がいじめられも我慢していると答えています。
私が中学1年のときに福井から上京し、なまりがひどくていじめられました。授業中、正しい答えを言っても教室中大笑いになるのです。ある先生は、私がいじめられているのを見て「きれいなバラにはとげがある。君にも悪いところがあるのでしょう。」と、クールに言われました。その先生はスピード出世で校長先生となられました。
ところが、別の先生は、私のことを気にかけ、しばらくの間登下校につきそってくださいました。待ち伏せしているいじめっ子たちを徹底的に叱る為です。この先生はスピード出世はなさいませんでしたが、私たちは慕い続け、今も何かあると先生を囲んでいます。
戦後の民主教育は、よい面もありましたが、子供の人権美名のもとにやりたい放題がまかり通ったり、価値観の多様化という言葉の元に善悪の区別があいまいになったりしました。また、先生や親も生身の人間であることを強調し、するべき義務や使命を忘れがちになりました。
「子供110番」という電話相談室を取材したとき、”お母さんにバカと言ったら、いくら謝っても許してくれず、もう3日間も口をきいてくれない”(小4・女)”離婚することが決まったら、子供を押し付けあうのはやめてほしい。暴れたくなる。”(中1・男)といった声がありました。親が子を深く包み込む存在ではなくなりつつあるようです。最近のテレビを見ても、親が薄っぺらな自己中心的人間として描かれている場面が増えているのが気になります。我が子の友人たちの中にも、不倫で家出した母親やサラ金で蒸発した父親を持つ子らがいます。
400年前、異国から日本にきたキリシタン宣教師たちは”愛”という言葉を”ご大切”として翻訳して伝えましたが、現代は自分だけかわいい直情型人間がふえ、子供たちは学校でも家庭でも”超ムカツク”状態。自然や子供らしい感動体験も減り、安らぎの空間が得にくくなっています。互いを許し、思いやり、笑顔とやさしい言葉を交わすことがなんと少なくなったことでしょう。
人権とは一人ひとりの中に神がおられるという宗教的情操に支えられてこそ深い輝きを持つもの。今、先生たちはいじめをなくす研修に大忙しです。素晴らしい先生もたくさおられます。そうした先生たちが忙しすぎたり、管理されすぎる姿を見て、気の毒に思うこともしばしばです。
私たちは、学校、家庭、地域が愛の空気で満たされるよう祈りつつも、いじめに気づいたなら抽象的キレイゴトを言ってないで、やりたい放題はさせず、必要な対策を具体的になすことが、”ご大切”を大切にすることと思います。
編集部から
早くも今年1年の半分が過ぎ去ろうとしています。思えば、私にとっていろいろなことがあった半年です。神学院卒業、叙階式、引越、教会への赴任、新しい生活のスタートなどなど。こちらがどうであろうと、確実に時は過ぎていくものです。ということは、確実に夏休みも近づいているということです。
(浦野)
御復活を迎えて以来、大きなお祝い日が続きました。それも、「キリストの聖体」でやっと、一段落。毎週、説教を準備する立場からすると…まったく、司祭泣かせの季節なのであります。一方、この季節は、他にも教会行事が目白押し。洗礼・堅信式がある。バザーの準備をどうしよう?次から次に、頭を切り換えていかなければなりません。これまた、司祭泣かせの季節なのです。そんなこんなで、でも、6月は、割りと、何もないんですネ。ホッと一息ついています。さぁ、次なる季節に向けて、エネルギーを蓄えるゾ!う〜ん、とりあえずは、焼き肉にビールかな?
(熊1)
教会のサマーキャンプと、サッカーの合宿と、スイミングスクールと、塾の集中講座…。今の子供たちは、やることが一杯です。でも、全部は選ぶことは出来ません。そうなると影響力を持つのは、「親のひとこと」。サマーキャンプよりも、サッカーが選ばれるのも、「ご時世」なのでしょう。でもネ、子供たち全員がサッカー選手になる必要はないのです。ここら辺で再考の要あり、と私は思うのですが…。
(熊2)
ウワッ、「バチカン」と打ったら「罰館」と出てきた。さすが「先進国日本のワープロソフト!」口と論理の先行する日本のカトリック教会をよく分析して作られている!ニコラス師が言うように、「すべてのレベル」で体験的にキリスト教を伝えることが求められている今、目黒星美のチャレンジはいかがでしょうか? 「信仰教育熱心」な母親たちの期待とわがままな声、ミッションスクールの苦悩と努力、双方に言い分があるようですが……
(Rio)