お知らせ

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東京教区ニュース第130号

1996年03月01日

CTIC 彼の目から涙が・・・ 植物状態の韓国人男性無事帰国

1996年1月25日、定刻より10分遅れて大韓航空703便はソウルの金浦空港へ向けて1人の韓国人重症患者を乗せて飛び立った。彼は10か月振りの帰国で、病床に伏して5か月目の事である。

初めての韓国人からの医療相談

暮れも押し迫った昨年11月末、「葛飾区の病院に韓国人が入院しているので相談にのってほしい。」と、神奈川シティーユニオンで、長年韓国人のために働いてきた平間正子さんから連絡が入った。事務所からさほど遠くなかったので、早速、東亜日報の記者で慶応大学に留学中の李英伊さんに通訳をお願いして病院へ出かけた。

もう3か月以上も病院に寝泊まりして看病にあたっている患者の妻Mさん(42歳)から話を聞いた。

患者である夫のFさん(41歳、韓国は夫婦別姓)は8月末に自転車に乗っていて転倒し、頭部を強打して意識不明の重態、自力呼吸こそできるものの、いわゆる植物人間状態であるという。

その知らせを受けたMさんが急遽韓国から来日して看病にあたった。異国の地で、言葉も分からず、病院の計らいで病室で寝泊まりし、食事も満足にせずに、そのほとんどの時間を、夫の看病に当てていた。

私たちが面会に行った時はMさんの疲労が極致に達しているように見えた。

まずは、奥さんを

Mさんによると、看病の合間に毎日往復3時間バスに乗って、夫が世話になっていた友人宅に夫の衣類を洗濯しに行っているという。これが疲労の1つの要因のようだ。

教会所在地を広げて、葛飾区のカトリック教会関係施設を探すが適当な所が見あたらない。何気なく、地図を広げて、病院の位置を確認する。地図を何回も何回も見直していくうちに、アシジの聖フランシスコ宣教修道女会の本部修道院が隣の足立区ながら病院からわずか1キロの距離にあるのを発見。早速、事情を話したところ、快い返事をいただき、奥さんへの食事の世話、洗濯場の提供、仮眠室の提供をいただいた。

目白第3病院へ

Fさんが入院していたのは葛飾区の救急指定の民間病院、目白第3病院である。

Mさんの希望によると、1日も早く、夫を韓国へ移送したいとのことだが、気になるのは医療費の支払い。今まで1000万円近くかかっているという。ビザの有効期限が切れて、オーバースティの状態で事故にあったFさんには日本の現在の法制度上、何の社会的保障も得られず、全額自費扱いになる。

病院側と率直な話し合いを持つことにした。病院側の返答は意外であった。

「人道上の見地から、現在まで治療を続けてきたが、治療費に関しては本人の支払能力の問題もあるので、請求を全額放棄する用意がある、病状は安定しており、できれば患者や付き添いの奥さんの希望もあって早く韓国へ移送したいが協力してもらえないか」との看護部長の話。

病院側から何度か、在日韓国大使館へ移送先の確保を依頼したが、けんもほろろの対応で困り果てていたようだ。

在日韓国大使館領事部へ

ダメもとと思いながら、大使館との交渉を始めることになった。

1994年度の外国人登録者数は過去最高の135万人を突破した。これは日本の全人口の1%を超える。そのうち韓国・朝鮮籍が50%を占める。超過滞在者数(オーバースティ)は昨年5月現在で約28万6000人、そのうち韓国・朝鮮籍がタイ、フィリピンよりも多く全体の16%を占める。

総領事を始め、2名の領事が応対してくれた。しかし、交渉は思うように進まない。重症患者を航空機で移送するためには、6名分の座席を撤去し、ベッドのスペースを確保しなければならない。それには数10万円かかる。

その航空券代と韓国側の受け入れ病院を探すことをどうにかお願いした。確約はいただけなかったが、善処する旨の返事をいただいた。

CTICとしても、白柳枢機卿をはじめ韓人教会の崔チェ神父を通して韓国の教会へ受入先の照会をしていただいた。

12月も押し迫った頃、韓国のカリタス・ソウルからソウル市にあるカトリック系の聖家福祉病院が理事会で全額無償で受け入れることを了解した旨の返事をいただいた。そして、大使館からも航空券代を支払うと連絡が入った。

Fさんの来日の理由

日本に来ている外国人の相談をしていると、皆それぞれ重い事情を抱えて、来日しているのがよく分かる。Fさんの場合もそうであった。

Fさんは、長年地道に左官として韓国で働いていた。人望も厚く、高校2年の息子と今度大学受験を控えている娘がいる。しかし、10数年かかって、家を購入するために、夫婦で蓄えたお金を詐欺にあって、全財産を騙し取られてしまった。日本円で約1000万円。家族共々、途方に暮れた。騙した人はカトリック信者だったそうだ。同じ頃、日本へ働きに行かないかとの話を友人から持ちかけられ、それに飛びついた。

来日すると、日本は不況のどん底、約束の仕事はなく、月に2〜3回程度のアルバイトで食いつないでいた。いよいよ、念願の仕事が見つかり、仲間と祝杯をあげ、その帰りに事故にあった。

いよいよ韓国へ

ようやく、受け入れ病院も決まり、航空券代も確保できた。いよいよ、移送の具体的な内容に入っていく。大使館との交渉に加えて、今度は大韓航空とのやりとりも出てきた。

様々な書類を用意して入国管理局の手続きも終え、最終的に、大韓航空から搭乗の許可を貰えたのは出発の前日であった。ヤレヤレである。

韓国の教会への橋渡しとして平間さんに同行してもらうことにした。

出発の朝、病院に行くと、奥さんが泣いている。感慨深いのかと思いきや、今まで何の反応もなかった、患者の目から涙が流れているという。母国へ帰れるのが分かるのだろうか。

数日後、韓国のMさんから連絡があった。

「主人はみるみる顔色も良くなり、こちらが話しかける言葉に反応するようになってきました。ずっと、付き添ってきた私が一番驚いています。

私は私たち家族を騙した人を殺したいくらい憎んでいました。詐欺に合わなければ主人は日本に働きにいく必要もなく、事故にも遭わなかったでしょう。騙した彼女はカトリック信者でした。病院で皆さんにお会いした時、カトリックと聞いて警戒しました。また、騙されるかも知れないと思ったからです。

今思うと、神さまは私たち家族に試練を与えて下さったと思っています。私は詐欺にあった頃、お金のことしか考えていませんでした。主人に日本での仕事の話があった時、私はお金のために積極的に賛成しました。神様はきっと、お金の事しか考えていなかった私たちに罰を与えたのでしょうね。

皆さんの私たちに対する献身的な働きに感謝しています。そのお陰で、主人も無事帰国できました。そして、いつの間にか騙した人に対する憎しみも薄らいできました。

看病の合間に教会へ行ってみようと思っています。というのは、皆さんの働きを通して神の存在を感じるようになったからです。できれば、洗礼も受けたいと思っています。本当に本当にありがとうございました。」

最後の言葉がとても嬉しかった。

CTICこれから

亀戸に相談センターを移して2年目。相談も300件を超えた。国籍、人種、宗教を問わず、様々な人々が相談に訪れる。これからも、皆さんの助けを借りながら1人ひとりの悩み、苦しみに触れ、それを共に解決していく手伝いができればと願っている。
(カトリック東京国際センター有川憲治)

異例の研修会報告会 ブロック制度について考える1月の司祭月例集会

1月の司祭月例集会で、昨年の司祭研修会の報告が行われた。司祭研修会の報告が、月例集会を使って報告されるということは、今まで例のないことである。

司祭研修会については、すでに教区ニュース(昨年12月号8面参照)で報告されたのでご記憶のことと思うが、テーマは、「ブロック制度について考える」であった。

司祭の立場から、現行のブロック制度について忌憚のないところを話し合い、司教に聞いていただこうというのが、その主旨であった。

司祭評議会の研修会係の行届いた準備もあってか、参加した数10名の司祭は、それぞれ対面している現実を見つめ、本音に近い意見を出し合って話し合うことができた。

意外な収穫 ブロック制度への提言

研修会の収穫は、真剣な話し合いのほかに、意外なところにもあった。それは、「ブロック制度への提言」であった。これは、話し合いの場では言えない本音を無記名で書いていただこうという提案から生まれたものであった。

ほんの一部の参加者だけが書いてくださるだろうという予想を裏切って、参加したほとんどの司祭が『提言』用紙にその本音を書き連ねてくださったのであった。

提言の内容 教区の制度改革への提案

提言は当然ながら司教及び教区本部に対してなされたものである。「司教様へ」という言葉で書き始められた提言もいくつかあったようである。

研修会の最終日、閉会のプログラムのなかで、参加者の代表が提言の束を枢機卿に渡し、枢機卿が「確かに受け取りました」と答える場が設定され、教区として、司祭の心を無にしないという決意が表明された。

司祭の心を司祭が読む 司祭が司祭の本音にふれる

司教は、早速、司祭評議会に、提言の読み込みと分析を命じられ、司祭評議会で検討された。その結果、とりあえずその内容をそのまま司祭集会で報告して知ってもらおうということになった。1月の司祭月例集会で、司祭研修会の報告がなされたのは、そのようないきさつからのことだった。研修会に参加した司祭も参加しなかった司祭も、一緒にまとめられた提言に目を通した。まず最初に出てきたのは、ブロック制度の行きづまりをどの司祭もが感じているということである。

ブロック制度の誕生 試行錯誤の時代

ブロック制度が25年前の東京教区大会で生まれた背景には第2バチカン公会議があり、信徒も聖職者も同じテーブルに着いて、教区の運営に知恵を出し合って行こうという主旨であった。ひとつの教会ではできないことを、いくつかの教会が一緒にやればできるというメリットも入っていた。

教会が、聖職者を仲介者とした、信徒と神の交わりの場から、信徒同士の交わりと信徒の教会行政への参与の場へと変わっていき始めた頃であった。

今では何でもないことだが、当時は何もかもが初めてのことであり、信徒も教区本部も試行錯誤の連続だった。多くの祈りと底知れない忍耐に支えられて少しずつ道が拓ひらかれていった。

そんな中で、公会議の意図していたことが徐々に形に現れていき、新感覚の信徒が育っていった。

司教・司祭と信徒、信徒と信徒の間の対話がぎこちなく繰り返され、教会の役割と使命が何度となく話し合われた。

教会のあるべき姿と信徒・司祭・修道者の役割について全国規模で話し合われた第1回、第2回ナイスは、その延長上にあったといってよい。

ブロック制度が背負った過重な役割と責任

教区本部から直接に方針や課題が信徒・司祭・修道者に伝えられ、討議され、議決されて、その結果が本部に返されていき、検討をされて再度信徒に返されていくというこのシステムは、過重な期待を背負って出発した。

過重な期待が寄せられたのは、意思疎通のルートがこれしかなかったからであり、このシステムに頼らざるを得なかったからである。

公会議の実りは、徐々に教会に浸透して、教会に大きな変化をもたらした。

それは、いろいろなチャンネルを通して、信徒が多くのことを学び、自分の意見を述べ、教会の運営に参加するようになったということである。

いわば、ブロック制度が目指していたことが達成されていき、あちこちにミニ・ブロックのようなものが生まれていったといっていいだろう。

過重な期待を担って出発したブロック制度は、大きな橋渡しの役割を終えて、今、休息の時を迎えようとしているのである。

生きてるブロック 形だけのブロック

ひとつの教会ではできないことを、いくつかの教会が協力するとすばらしいことが可能になるということは、これまで、いくつかのブロックが証明してきた。

現在も、千葉ブロックではブロックでこそ行われる活動を展開し、大きな成果を上げつつある。

反面、2か月に1回だけ開催されるブロック会議だけでも重荷になっているにもかかわらず、会議のための会議を開いているというのも否めない事実である。

会議のための会議になっているということは、幾人かの司祭が指摘しているところでもある。

いわば、生きているブロックと、形だけになっているブロックが両在しているのが、東京教区の現実である。それがまた、議論をやたらと混乱させ、解決の道を妨げる遠因になっているようである。

ブロック制度の見直しと制度全体の見直し

「提言」のなかで司祭の何人かは、見直しがブロック制度だけにとどまることの無意味さを指摘している。

ブロック制度が形骸化している原因は、ただその制度に原因があるだけではなく、小教区そのものにも問題があるからだという主張である。

ひとつの教会に必ず1人の司祭がいて、なにもかにもこなしていくという時代ではなくなっているし、信徒も「自分の教会」だけにしばられるということではなくなっている。つまり、小教区も時代の流れに合わなくなっている部分を抱えているのが現状で、司祭たちはそれをいやというほど感じているのである。

公会議で教会が時代の流れに合わせるための大手術を試みたように、教区全体が見直しを迫られているといってもいい時に来ていることを、提言が示唆しているように見える。

制度を見直すためのプロジェクトチームを

司教には、司祭評議会と宣教司牧評議会という諮問機関が、両腕のようについていて、その働きを支えている。

しかし、いずれも1ヶ月か2ヶ月に1回の会合であるために、当面の問題をこなしていくだけで精一杯というのが現状である。

制度をじっくり考え、資料を集めていくためには、そのためだけのチームが必要である。

この点は、提言の中に同様の主張がいくつか見られた。

ブロック制度を見直すに当たって、現状をよく調べ、多くの意見を聞き、他の制度との兼ね合いを見ていくには、それ相当の時間と人材が不可欠である。

司祭評議会に資料を送り続け、宣教司牧評議会に問題提起し続けるプロジェクトチームの結成が必要だし、その結成は、早ければ早いほど良い時期に来ている。

先月の司祭月例集会で、司教は、近々、チームを作ることへの前向きの姿勢を示された。

昨年の司祭研修会で、代表から提言の束を受け取られた時、枢機卿は「確かに受け取りました。真剣かつ前向きに検討していきます」と約束された。

(西川哲弥神父)

池長潤師(イエスズ会)大阪大司教区協働大司教に任命

1995年12月21日(ローマ時間正午)、教皇ヨハネ・パウロ2世は、大阪大司教区のため、池長潤師(イエズス会)を協働大司教(注)として任命する旨、発表した。(前イエズス会管区長、現麹町教会助任司祭)

なお、司教祝聖式は、3月20日(水)正午から大阪カテドラルで行われる。

安田久雄大司教は「震災後、教区が一丸となって新生計画を進めているなかで、教皇様が協働大司教をお与えくださいましたことを、大変感謝しております。

神戸で生まれ育った新大司教様が、力となってくださることを期待しております。」と述べている。

池長潤被選協働大司教について

親しい友人たちが話す池長司教の人柄は、「物静かな人柄であるが、しっかりした判断力と識別力をもつ人」 「精神的にも人間全体としてもバランスのとれた人柄で、いろいろな角度から物事を眺めじっくりと人の話を聴く姿勢があり、身体的にも健康である」「大阪の協働大司教になられることを期待している。大阪教区の新生計画を教区内の信徒や司祭と一緒に実行していくことだろう」六甲中学・高校では体操部のキャプテンを務めていた。

イエズス会会員の養成の責任である修練長やイエズス会の日本管区の責任者である管区長を務めた。

すでに故人であるが、父・孟(はじめ)氏は南蛮美術の収集家として有名であり、神戸市南蛮美術館は、池長孟氏のコレクション約4500点が、1951年(昭和26年)、美術館とともに神戸市に寄贈されたもの。

〔狩野内膳筆『南蛮屏風』(重要文化財)、『泰西王候騎馬図屏風』(重要文化財)、『4都市図・世界地図屏風』(重要文化財)、『聖フランシスコ・ザヴィエル像』などが特に有名なものである〕

(注)協働司教は、教区のすべての統治に関して教区司教を助け、継承権を有します。従って司教座が空位になった時、直ちに当該司教区の司教となります。

(参考 教会法典 第403条〜411条:協働司教、補佐司教第705条〜707条:司教職にあげられた修道者)

ずーむあっぷ 今年度東京区新神学生 パウロ福島一基さん

今年度の東京教区の新神学生は、パウロ福島一基さん。1968年7月20日生まれで幼児洗礼。ご家族6人全員が船橋教会所属。小さい頃から両親、姉弟と教会に行っていた福島さんにとって、司祭の存在は大きいものが会ったという。

「出あった司祭一人一人が個性的でいい人ばかりでした。全部足して割ったら、イエズス様にでも、神様にでもなっちゃいそうな・・・。そのような、司祭を目標に自分も長所を生かしながら、何においても努力していきたい」と語る。

趣味は、野球を見るのが大好きで、「東京教区なので、言いたくなかったんですが、阪神タイガースファンです。ハハハ。」と明るい。

「最近、会社をやめて自由な時間を頂いたんですけど、特に単純なことでも神に感謝と、こういうことっていうのはすごくいいことだと思う。朝が来て、陽がさして暖かいというようなことでも、ご飯をたべておいしいとか。

今までの生活で挫折とか、成功とかあったんですけど、振り返ってみると、そういう中で神様がいてくださって、神様のみ業だったんだなと気づかされる。」

神学生初年度の那須での生活は、3月30日から仙台教区2人、浦和教区1人、横浜教区1人、大阪教区2人の新神学生と共に始まる。

東京大司教区人事移動

1996年2月8日付で、東京大司教区人事異動が発表された。尚実際の異動は復活祭の後に行われる。

[教区司祭関係](弓括弧内は旧任地等)

岸忠 雄師 小岩井教会主任 (清瀬教会主任)
吉池好高師 麻布教会主任 (教会主任新潟)
大倉一美師 清瀬教会主任 (町田教会主任)
関根英雄氏 町田教会主任 (木更津教会主任)
小林敬三師 木更津教会主任 (麻布教会主任)
平原陽一師 *田無教会主任 (立川教会協力司祭)
板倉恵二師 あきる野教会主任司祭(注) (喜多見教会主任)
福島健一師 泉町教会主任 (町田教会主任)
油谷弘幸師 清瀬教会主任 (洗足教会主任)
山根克則師 新潟教区出向 (福生教会主任)
佐藤淳俊師 大司教館付  (病気療養)
満留功次師 フィリピン出向 (サバティカル)

*の方の異動は6月中

(注)あきる野教会新設について枢機卿が新人事発表と同時に次のようなメッセ―ジを発表した。

あきる野教会新設について

今般、諸般の事情により、福生教会と5日市教会を閉鎖し、新たに「あきる野教会」を新設することにしました。当分の間、カトリック5日市墓地の境内にある既存の建物を使用します。したがって前記教会所属の方は親切の教会または交通の便によって最寄の教会を選ぶことが出来ます。なお、閉鎖までは新任の「あきる野教会」主任司祭が前記両教会の司牧にあたります。なお、秋川荘は教区研修所として残ります。皆さまのご理解とご協力を切にお願いいたします。

1996年2月8日
東京大司教 白柳誠一

[修道会・宣教会関係]

森山勝文師 吉祥寺教会主任(神言会前管区長)
後藤文雄師 吉祥寺教会助任(吉祥寺教会主任)
ノベルト・ナハク師 吉祥寺教会助任(神言回新任)
尻枝 毅師 調布教会主任(下井草教会主任)
ガエタノ・コンプリ師 下井草教会主任(大分教区より)
大槙義弘師 足立教会主任(調布教会主任)
ルイス・カンガス師 麹町教会主任(転任予定から再任へ)
エドワード・デイキン師 喜多見教会主任(鴨川教会主任)
バルトロメオ・マックホン師 六本木外国人共同体(英語)(伊勢崎)
チェン・マン・ニュイン師 豊島教会助任 (コロンバン会新任)
カリッシモ・ロンデロ師 田園調布教会主任(アントニオ神学院)
小高 毅師 瀬田分教会担当(兼アントニオ神学院院長)

[東京教区から他教区への転任]

ジョフリー・マルシャン師 パリ外国人宣教会本部へ
宮崎保司師 ローマ近郊ネミで研修
若林智樹師 札幌教区へ

以上

◎第15期司祭評議会メンバー(1996年1月〜1997年12月)

[教区司祭]

市川 裕師 (小平教会)
小川拓郎師 (松戸教会)
大原 猛師 (潮見教会)
石橋純一師 (立川教会)
辻  茂師 (船橋教会)
立花昌和師 (成田教会)

[修道会・宣教会司祭]

後藤文雄師 (吉祥寺教会)
マイケル・ヒルデン師 (葛西教会)
湯沢民雄師 (田園調布教会)

*この他、若干名が教区長によって任命されます。

96年教区教会委員連合会 「新年の集い」〜1月7日〜

1月7日(日)午後2時からカテドラル構内で、東京教区教会委員連合会「1996年新年の集い」が当番教会の東金教会、茂原教会の進行で開催された。

各小教区から参加した170余名の教会委員たちは、相互に親睦を深めるとともに、ニコラス師(イエズス会管区長)の講演「司祭との関わりにおける信徒の意識改革について」を聞き、真剣に学んだ。(ニコラス師の講演は、次号から連載する)

開会にあたって、白柳誠一枢機卿は次のように述べた。なお、次回当番教会は松原教会。

白柳枢機卿のあいさつ

昨年一年は、大変な年でした。人間の一番大切な生命が脅かされ、人間そのものが脅かされる時代が来てしまいました。

過去一世紀の間、日本は心の問題をなおざりにし、経済第一主義、いいものをたくさん持とうというところに価値観をおいて走り続けた結果が今現れているのではないかと思います。

教皇さまは、紀元2000年を特別に聖なる年とお定めになって、新しい決意をもって、この2000年を迎えるようにと呼びかけられました。

聖年を機会に、本当にもう一度福音に立ち返って、福音こそこのような時代を救う秘訣であることを高らかに宣言したいわけです。

97年(おん子イエス・キリスト)、98年(聖霊)99年(おん父)を特別な考えのもとに進め、2000年(三位一体の愛の神)を迎えようと考えておられ、ローマでも、聖地でも、世界各地においてもそれにふさわしい事をするようにとのお達しがきています。日本の教会も、まもなくその準備を始めることになっております。

この程、オウムの事件をきっかけに宗教法人法が改正されました。過去の歴史を顧みますと、国家が宗教の内容に入ってきて、宗教を統制するとか、指導するとかになると大変なことです。

しかし、今の時代はかつての戦争の時代とは違い、なにかあれば私たちも声を出して、わたしたちの意志を伝えることができる時代になりました。従って私たちは敏感な精神をもって事を見守り、いったん事があれば、政府に対しても勇気をもって語りかける姿勢を貫かなければならないと思います。

宗教法人法の改正に伴い、各小教区も大きな影響を受けます。経済的な部分についての報告が大変厳しく求められるからです。

東京大司教区という一つの宗教法人ですので、小教区の経理の状況が、本部に伝えられ、本部はそれを集計して東京大司教区の経理の報告をするわけです。従いまして、各小教区が正確を期してやっていただかないと全体が不正確になりますので、これからもご協力をお願いいたします。

教会・修道院巡り(46)『援助修道会』

援助修道会は正式名を「煉獄援助修道会」という。

1856年、ウージェニ・スメット(後に「福者み摂理のマリア」となる)によってパリで創立された。

彼女が神から受けた直観は「この世に現存する教会のため、あらゆる必要に応える修道会はあっても、熱意と愛徳の業を実践することによって苦しみの教会、すなわち、死後きよめの道を歩んでいる兄弟・姉妹のために捧げられた修道会は1つも存在しない」という考えであった。「すべての人が創造された目的に達するよう、死を超えた世界まで手伝うこと」。この考えに従い、彼女は煉獄援助修道会を創立した。

「見える世界と見えない世界の、すべての兄弟の救いを実現しておられるキリストの贖あがないの業に参与して、日々の祈り、苦しみ、働きを捧げる」。この思いを抱いて今日、援助修道会は世界のいたるところに広がり、社会のさまざまな分野で、多様な使徒的活動を果たしている。

時代により、場所によって働きの形は違うが、その時代に、そこで必要とすること、キリストが招いておられることに注意し、できるだけ応えていくよう努めながら、会員は現在カナダ、アメリカ、メキシコ、コロンビア、ニカラグア、イギリス、ベルギー、フランス、オランダ、オーストラリア、スイス、イタリア、スペイン、チャド、ルワンダ、香港、台湾、中国大陸、日本、エクアドル、ブラジル、ハイチなどで、医療、福祉、教育、また特に身体的な苦しみを持つ人びと、人間の尊厳を傷つけられている人びと、福音の告知を待っている人びとの必要に応えようとしている。

修道会が極東に開かれたのは、1867年の中国への宣教であった。その働きは、創立早々の会として予期していない招きであったが、会は中国大陸で大いに発展した。日本における創立は、1935年広島においてである。

日本の社会の中で、さまざまな分野への派遣や使徒的社会事業へ協労者として派遣されることなどを通し、奉仕生活を生きている。

現在は「援助在俗修道会」が日本にも創立され、社会の中でパン種として、人びとにキリストの福音を浸透させていく使命を、共に果たしている。

千葉ブロック司祭研修会 総会テーマ「信徒の意識改革を」を司祭の立場から・・・

1月21日〜22日、行川アイランドを会場にして、千葉ブロックの司祭たちが研修会を行った。

テーマは、今年度の総会テーマとなる「小教区共同体における信徒の役割、そのための信徒の意識改革」を司祭の立場からどうとらえるか、いったのもであった。

参加者は両司教を含めて13名。病気静養中の久富師の代わりに鴨川教会の留守を守るデイキンし、酒井師がサバティカル中で留守の西千葉教会を手伝う三戸師も参加した。

安次嶺師の発題を立花師のコメントの後、真剣な意見交換を行った。

第2バチカン公会議やナイスがもとめた「世界に開かれた教会として成長していくこと」を阻むものが、まだまだ信徒の中にも司祭の中にもまるという具体的な指摘と、それを克服していくために「生涯学習」「本年で分かち合う」「相互の交流」の企画と実践が必要であると強調された。

2日目には、千葉ブロック前他の宣教司牧に関する具体的ないくつかの事項(レイミッショナリーの支援、青少年の司牧、ブロック大会等)について討議した。

’96教区総会課題『意識改革』のねらい

1994年5月、教区長から宣教司牧評議会(以下宣司評)への諮問として、第2回NICE後の教区の新しい課題に「これからの小教区共同体と信徒の役割」が示された。

宣司評では、まず教区信徒対象のアンケートを実施し、これを出発点として推進することとした。

94年11月、全小教区に対してこれを実施、12月26日号の教区ニュースで、95年春の教区総会は、前記の教区長諮問課題をテーマとし、その準備としてアンケートを実施したことを紹介した。

そのアンケート調査の結果は次の通りであった。(95年2月27日号)。

質問
・小教区がこれから目指す方向は
回答
・信仰の生涯教育の徹底
・信徒の積極性の掘り起し
・召命、青少年対策の見直し
(上位3回答、以下同じ)

質問
・信徒の役割でこれから期待されることは
回答
・信徒の責任の意識改革
・日常生活の福音化
・青少年の育成

質問
・信徒の力をもっと引き出すには
回答
・信徒の意識改革と教育
・一人一役全員参加運動
・様々なネットワーク作り

これを受けた95年3月の教区総会での討議の結果、次の4点を中心に推進していくこととなった。

・信徒の意識改革
・典礼の充実
・地域社会への奉仕
・青少年

95年度宣司評は、これら4点を念頭に置きながらも、このうち特にアンケート結果と教区総会において圧倒的に関心の強かった課題「信徒の意識改革」にテーマを絞り、これまで議論を重ねてきた。このテーマを深める過程で、必然的に他の3点にも触れざるを得ないことは勿論であるが、「意識改革」を目ざしての宣司評の中間報告をたたき台として、実り多い議論が教区総会にて行われることが期待される。
(宣教司牧評議会今井康雄)

カトリック東京教区障害養成委員会 主催 連続一泊交流会96年度第1回

『人生を安らかに終えるために――ホスピスの現場から』

一泊交流会の今年度第1回のテーマは、一昨年から続けている「家庭、人生を考えるシリーズ」の締めくくりとして「人生を安らかに終えるために」を取り上げることにしました。

わたしたち誰もがいつか必ず直面する人生の終わりの時。

家族、友人、知人そして自分自身が、その時を恐れることなく、安らかに豊かな気持ちで迎えることのできる手掛かりとなれば、と考えています。

講師には、医師として一般の患者や末期ガンの患者を長く診みてこられ、またカトリック関係の病院として初めてホスピスの開設に当たられた戸塚元吉先生(聖ヨハネ会・桜町病院名誉院長)にお願いしました。

暖かい春の陽射しの中で、心豊かに、先生のお話をもとにした分かち合いを通して、明日への力を養いませんか。若い方からお年寄りまで、幅広い層のみなさまのご参加をお待ちしています。

・日時:4月20日(土曜日) 午後1時30分より
21日(日曜日)正午まで
・会場:東京都多摩市落合2-31-1 財団法人・厚生年金事業振 興団「サンピア多摩」
・参加費:11、000円 (夕朝2食、宿泊費込み。 申し込み金3000円含む)
・締切:3月20日(定員40人に達し次第、締め切ります)
・お申し込みは、東京教区事務局生涯養成委員会一泊交流会係(〒112 東京都文京区関口3-16-15、FAX3944-6677)まで、郵送かファクスでお願いします。お問い合わせも、同係(TEL3943-2277)にどうぞ。

・あわせて宿舎の予約のため、申し込み金3000円を、郵便口座(宗教法人・東京教区生涯養成委員会/00140-6-769130)にお振り込みください。残金は現地で徴収します。

申し込み後、参加を中止される場合は、申し込み金をキャンセル料に充当させていただきます。

編集部から

春は、学校も、職場も、そして、教会でも、多くの人が異動することになります。各々の人が、さまざまな思いを抱えて新天地への、第一歩を踏み出すわけです。でもね………、時には、その一歩を踏み出すのが嫌で嫌で仕方のないこともある。それが現実!!そうしてみると、やっぱり、マリア様は偉かったんだ!!「仰せの如く、我になれかし」だもの。