お知らせ
東京教区ニュース第115号
1994年08月01日
目次
生涯学び続ける司祭の養成を目指して
養成プログラムの改革
東京カトリック神学院の最終学年の養成プログラムが95年4月から大きく変わることになった。 さる90年4月から神学院の教育方針が大幅に変更されて那須での初年度養成という新しい教育課程がすでに始められているが、 今回の最終学年の変更で神学院6年間の教育課程の改革がひと通り完了することになる。
最終学年の養成プログラムがどのように変わるのか、 またそのねらいについて、 寺西英夫院長とモデラトール (養成指導司祭) の幸田和生神父を神学院にお訪ねして、 いろいろとお話しを伺った。
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西武新宿線の武蔵関駅を降りて、 東へ7、 8分歩くと、 武蔵野の面影が色濃く残る閑静な住宅街の一画に、 鉄筋4階建てのどっしりした建物と広大なグランドを擁する東京カトリック神学院がある。 道路を隔ててイエズス会神学院があり、 ここ関町は司祭養成のメッカというにふさわしい。
さて、 取材という触れ込みで神学院を訪れたのだが、 当方には神学院に関する知識があまりないので、 まずその辺から……。
「東京カトリック神学院は、 教区司祭の養成をしています。 最初は日本中の教区司祭を養成していましたが、 昭和26年にサン・スルピス大神学院が福岡に設立されてからは、 9州・沖縄を除く11教区の司祭の養成をしています」
神学院の名称に 「東京」 と冠しているのは単に所在地を示していて、 ここには9州・沖縄を除く11教区の司祭を目指す若者が全国から集まっているわけだ。
-次に、 神学院の養成は、 何年間ですか?
「6年間です。 哲学課程2年、 神学課程4年です。 このうち、 最初の哲学課程1年目は、 栃木県那須の 『ガリラヤの家』 で合宿生活します。 また、 最後の神学課程4年目が助祭ということになります」
予備知識ができたところで、 いよいよ本題に入ろう。
今回の変更の経緯と骨子
-神学院のカリキュラムの改革は以前にもありましたよね。
「そう、 90年4月でしたね。 これからの時代の司祭養成に応えるために、 それまでは上智大学の神学部で一緒に授業を受けていたのが独自のコースを行うようになり、 また初年度養成といって、 入学した1年目は那須で合宿生活することを始めました。 実は、 この那須組の1期生が来年4月に最終学年を迎えるので、 それに合わせて、 かねて懸案だった最終学年の養成プログラムを今回改定することになったわけです」
なるほど、 90年に始まった養成プログラムの一連の改革がこれで完結するわけだ。
-どのように変わるのだろうか?
「最終学年はもう助祭ですから、 最後の1年間は宣教司牧に向けてのより具体的な準備に専念することになります。 つまり、 それまで知識として頭につめこんできたことをまとめなおすと同時に、 本当に自分のものにして、 それをもって宣教司牧の場に出ていけるように具体的に準備するのです。 だから、 成績とか試験とかありません……」
1年間のカリキュラム
-試験がないということは、 勉強しなくていい?
「単位制の勉強は2年から5年の間に全部終わらせてしまいます。 そして、 6年は本当に具体的に司祭になって働いていく準備に専念します……」
といって、 学年暦を渡された。
「基本的にはほかの学年の神学生と変わりませんけれども、 でも1年間の流れをみてみると、 まず最初にこの養成コースのねらいをはっきりと理解してもらうために、 およそ2週間かけて導入をします。 そして、 最後に司祭叙階前のまとめという流れで、 5月から12月くらいまでは、 いくつかのコースを平行してやっていくつもりです」
実習や研修中心のゆとり ある週間スケジュール
-具体的なカリキュラムはどうなってるのだろう?
週間スケジュール (別表) を見ると、 ふむふむ、 ずいぶんすっきりしているというか、 ゆとりがあるというか……。
「びっくりするくらい、 授業時間は少ないでしょ (笑い)。 月曜、 木曜は実習と研修で、 結局このコース自体があるのは、 火水金の午前中だけなんです。 それも基本的には少人数ですから、 ディスカッションとか発表とか、 ゼミのような感じになると思いますよ」
-実習とか研修は、 実際に何をするのだろう?
「実習は、 何かのテーマについて、 例えば皆で中央協議会に行って委員会の人に話しを聞いてくるとか、 あるいは大司教館に行って何かを学んでくるとか、 滞日外国人の集まりに行って何かを学んでくるとか、 だいたいみんなで行って学んでくることを考えています」
「研修日のほうは、 学生それぞれが自分のテーマで自由に研修していきます」
これだけカリキュラムに余裕があると、 ふだんの日の午後あたりをうまく活用して、 さまざまな研修や体験ができそうだ。
「かなりの時間は空くわけですからね、 可能性はたくさんあると思っています。 小教区で入門講座を受け持つとか、 教会委員会があるとすると、 そこへ出かけて行ってこの教会ではこういう形で教会の運営をやっているんだなとか、 AA (アルコール依存リハビリ) のオープンミーティングなんかある時は事前にAAとはどういうものか習ってから参加してみる-そういうふうに、 体験にいろんな幅が出てくることを期待しています」
養成プログラムの改革に期待すること
今回の改革には当然ながら大きな期待が寄せられている。
「過去の教会の遺産を知識として獲得するだけではやっぱり足りなくて、 本当にそれをしっかり身につけながらも、 いま生きている人たちの現実の問題、 そして悲しみとか喜びとかいうものを敏感に感じながら、 本当にいまの人たちにどういう言葉で語ればキリストの救いが伝わっていくのか福音が伝わっていくのか、 そのようなクリエイティブな力を身につけていって欲しいと思います」
このような養成スタッフの神父様方のあつい情熱と、 私たち信徒のささやかな支えと祈りによって、 今回の改革が大きな実りとなり、 新しいカリキュラムで養成された新司祭が叙階される日を、 期待をもって待ち望みたいと思う。
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東京カトリック神学院の歴史
明治5年、 プティジャン司教の時代に、 千代田区番町に 「ラテン学校」 として設立。 築地、 関口と場所を移して、 昭和4年、 シャンボン大司教の時代に現在の地に 「聖フランシスコ・ザベリオ大神学校」 として確立される。 この時の校長が、 有名なカンドウ師。
昭和45年からは、 当初から運営の責任を負ったパリ外国宣教会、 終戦後から責任を受け継いだイエズス会の後を受けて、 日本カトリック司教団によって直接運営され、 9州・沖縄を除く11教区の司祭養成の神学校として現在に至る。 院長寺西英夫神父を含む5名の教区司祭が養成にたずさわっている。
神学生はいま何人いるの?
現在の神学生は37名。 学年別では、 初年度の那須組が6名、 哲学課程2年4名、 神学課程1年5名、 2年4名、 3年7名、 4年9名と院外研修生2名である。 このうち東京教区は8名で、 最上級生が神学3年なので、 東京教区の司祭叙階は早くて96年度以降ということになる。
神学院に入学するには?
5月の白柳大司教の教書にもある通り、 教会は司祭不足の悩みに直面している。 若人よ、 主の呼びかけに応えて、 司祭職をめざしてみないか!というわけで、 教区司祭になるには記事でおわかりのように神学院に入学する必要があるのだが、 その入学資格はというと、 高校卒か同程度以上の学力があって、 受洗3年以上経過している22歳以上の独身男性とのこと。 これなら難しくないよね。 要は、 教区司祭として生涯自分を捧げる強い決意があるかどうかだ。 その気になったら、 親しい神父さんにすぐに相談するといいと思うよ。 なお、 教区事務所に 「入学要綱」 があるとのこと。
中国天主教会訪問の旅
日本の26倍も広い中国で移動する事は大変な事です。 今回諸都市間の移動に航空機・船・バス・列車・寝台車等を利用しましたが、 その1つ1つを取り上げても印象の残る旅でした。
四川省の成都から万県に向うプロペラ機が成都飛行場を離陸した途端、 大音響と共にダブルタイヤの1つが爆発し、 ゴムの破片がブラブラしているのを見た時は一瞬緊張しました。 直ちに引き返し残る1つのタイヤで無事着陸した時、 思わず拍手が出た程でした。 (その時は知らなかったのですが、 名古屋空港での中華航空の大事故の翌朝の事でした)
それを始めとして、 ほとんど未舗装の道路の10時間に及ぶバス移動 (この時のホテル到着は午前2時過ぎでした) とか、 日本では当然廃車処分となっているであろう窓の開閉も困難な列車の旅、 鼠が枕許を走り廻る寝台車等々、 戦後間もなくの日本でもこうだった…と思い起こされました。 一部路線では日本同様の2階建て車輌が運行されている現在、 まだまだ全体的には発展途上と云える様です。
四川省へ
上海の後に訪れたのは四川省 (万県) でした。 中国の中でも政府の締めつけの厳しい地域の1つでもあります。 私共の訪れた時と同じ頃、 成都 (4川省省都) の神学校に政府が共産党の役人を院長に任命したと云う事で神学生たちが反発し、 その結果神学校が閉鎖となる事件が起った所でもあります。
その万県教区には別にもう1つの問題が迫っていました。 これは長江 (揚子江) の三峡に建設されるダムのため教区内の5つの教会が水没する事となり、 移転しなければならないとの事態です。 立ち退き人口100万人と云われるこのダム建設は代替土地の斡旋はしてくれるものの、 立ち退き料は殆んど無いという日本では考えられない事であり中国ならでは……の問題であるかも知れません。
万県教区の司教は中国教会内で3人だけという愛国会設立以前のローマ教皇により任命された老司教です。 3年前中国東北部 (旧満州) を訪れるため北京空港に行った際、 偶然にお目にかかり、 その時ぜひ万県を訪問するよう要望され、 それが今回実現したという事でありました。
文化大革命の時、 教会に押し入った紅衛兵たちが斧を差し出し、 これで聖母像を破壊せよと司教に迫った時、 “先づこの斧で私の首を打ち落しなさい、 それから聖母像を破壊すればよいだろう”と答えられ、 その威厳に打たれた紅衛兵たちは何もせずに引き揚げたというエピソードが伝えられ、 信徒達から尊敬され、 信頼されている司教で、 体一杯の喜びで私共の訪問を歓迎して下さいました。
しかし省政府の役人たちが常にそばに居り、 私共が聖堂にてミサをささげた時も、 司教は祭壇脇にて参加されましたが、 他の司祭、 信徒たちは聖堂内に入る事は許されず入口の外からのぞき見るという状態で、 それが一部始終ビデオカメラに収められていました。 このビデオ撮影は後に行われた歓迎パーティの間も続きました。 表立った介入というわけではないでしょうが、 常に政府のコントロールの下にある事を印象づける光景でした。
この様な状況の下でも嬉しかった事は、 ここ数年の間に叙階された若い司祭たちが7名も老司教を助けて働いて居られ、 その元気一杯の姿は将来への希望を与えてくれるものでした。
殊に思わぬパンク事故の為2時間以上も遅れて到着した万県の飛行場まで私共を出迎えてくれた神父司祭は、 叙階2年という方でしたが、 1人で日本の関東地方にも相当する広い地域に散在する信徒たちを訪問し、 司牧、 伝道をされていると聞きました。 自家用車ではなく、 路線バス、 ヒッチハイク、 又は徒歩で歩かれているとの事で明治、 大正時代の日本における歩く宣教師の姿をほうふつさせてくれる様でした。
ずーむあっぷ
カトリック東京国際センタ (C・TIC) の3代目所長に選ばれた
大原 猛師
この度、 カトリック東京国際センタ (C・TIC) 所長の粕谷師の退任の後、 3代目所長として大原猛師が選ばれた。
昨年、 司祭叙階25周年を終えたばかり。
その大半は、 JOCの青年たちとの歩みであった。 弱い立場にある人々に対する感性は柔らかで鋭い。 その関わり方は誠実である。
潮見教会の主任になって4年。 地域の草の根レベルの市民団体からの信頼も篤い。
国際センターの新たな展開が期待される。
ある家庭
ベトナムから日本にきて
インターナショナルデー・分かち合いから
私はベトナムのグェン・トゥアン・ニャーと申します。 妻と子どもが2人いて、 現在はサラリーマンです。 結婚をして11年経ちました。
ふりかえってみると、 11年という年月はアッという間に、 過ぎたように思われます。
けれども、 あるときは時間の立つのが大変遅く感じられたこともありました
。
どんな感じのときでも自分の家庭での私には責任があります。 その責任を私は神様からいただきました。
幸福な家庭を築くためには、 いろいろなことや、 様々な要素が関係するでしょう。 そのなかで一番大切なことは夫婦関係の問題だと思います。 その次に大切なことが子どもの教育と子どもを育てることでしょう。
夫婦の協力で
私たちは自分の国を出て日本にまいりました。 それは特別な環境です。
全く予定していなかった状況ですので、 大変に恐れました。 全て何もわからなかったのです。
最初は日本の文化や習慣、 言葉は勿論のこと、 季節や天候なども自分の国と全然違うので何も分からず不安でした。 しかし、 この不安や問題のために、 私たちの夫婦関係がもっとよくなっていったと思います。 私たちは日本で暮らしていくうえでの、 いろいろな事をまだ知りませんでした。
ですから夫婦はお互いに助け合うことが必要だと思っていました。 夫婦以外は誰も知りませんでした。 友達はまだ1人もいませんでした。
夫婦で協力をしながらだんだんと、 少しずつ普通の生活に慣れてきました。
それからもいろいろな問題が出てきました。 例えば、 2人で働くので、 朝早く家を出て、 夜遅く家に帰ってくるので、 夫婦が会って話しをする時間が大変少なかったり、 また働いている仕事の中に困ることがある時など、 家に帰って2人が会っても話しをしたくなかったりすると、 お互いに2人で何もすることがなくなってしまったように感じたこともありました。 本当に怖いことでした。
この経験のあと、 私は妻と1日の中でどんなことがあっても、 2人で一緒に話しをして、 交流をしようと決心しました。
実際、 2人で考えれば、 どんな困ることでも、 良い解決の方法がありました。 苦しいときに1人で黙っていると、 もっと苦しくなると思います。
家庭の目標を定めて
人間だから一人ひとりの性格は違います。 夫婦の場合も例外ではありません。 それで、 良いところもよくないところも両方を受けとらなければなりません。 難しい問題でしょう。
日本の伝統の中に”辛抱することの大切さ”がよく言われ、 日本人の辛抱強さは有名です。 いつか”辛抱することは幸せ”という言葉を聞いたことがあります。 私も辛抱することをもっと勉強したいと思います。
自分の家庭の目標をはっきり見付け定めて、 どんな方法でやっていったらよいのかと夫婦で一緒に相談をし、 決めてやって行きます。
私たちは”愛すると、 ひとつの同じ方向を一緒に見ることができる”という言葉をいつも大切にしています。
家庭にはいろいろと細かい仕事があります。 それで私たちは家庭内での仕事を一緒にする約束をしています。 けれどもこの約束をよく破ってしまいます。 怠けたり、 自分のためばかり思っているときです。
自分の家庭の社会的地位は現在どのへんか、 ということもしっかりと認識をしています。 そのため、 精神的にも落ち着いています。 いつも高い地位とか、 お金持ちになりたいとか、 有名人になりたいとかと考えていたら、 幸せでなくなると思います。
私たち2人は戦争時に生まれたので、 不幸、 苦しみ、 そして貧乏という事がどういうことであるかよくわかります。 幸せでない人がまだいっぱいいます。
私たちの生活は少し良くなったので不幸な人をできるだけ助けます。 彼らには物も、 精神的な援助も必要です。 もし皆が神様の子どもだと考えれば、 助けることは当り前ですし義務でもあるでしょう。
カトリック信者としてベトナム国内の教会を援助しました。 難民の私たちは、 いろいろ難民キャンプに本と衣服、 それにお金を送って助けました。 特に苦しんでいる難民の人々を神様におゆだねして祈ります。
子どもは神の贈り物
子どもは神様からのプレゼントを、 私たちがいただいたのだと思っています。 そこで私たち夫婦は、 このプレゼントを神様の目的にそっていい人になるように育てなければなりません。
子どもたちはまだ小さいので、 大きな問題はまだでて来ていません。 けれどもこれから難しい問題が出てくるかもしれません。
日本の教育制度はとてもよく、 特に小学校の場合に私たちは安心をしていられます。 子どもは毎日夕ごはんの後で1時間ぐらい勉強をしますが、 その時私たちは静かに落ち着く時間をもてます。
子どもたちがまだ小さいので、 父と母の行動がとても影響を与えると思いますので、 この点を私たちはいつも大切にしたいと心がけています。 私たちの義務だと思っています。
子どもの信仰教育に悩む
子どもは学校で日本語を使うので、 自分の国の言葉がありません。 それなのに親である私たちは日本語にまだ不自由なので困っています。 特に子どもを教育するときの言葉に困ってしまいました。
ある時子どもが”神様は天にいるの、 地にいるの、 それから地獄にもいるの?”と質問をしました。 私は日本語で説明をしましたが、 とても言葉が不十分でした。 もし、 ベトナム語で説明したら、 子どもは分かりません。
子どもにカトリック要理を理解させる方法はどうしたらよいのでしょうか。 神様にゆだねるしかないと思っています。
結婚式のとき、 神様の前で私たちは子どもをよいカトリック信者になるよう育てますと誓いました。 この誓いをいつも忘れません。
寝る前に10分くらい夫婦と子ども2人で集まって、 神様に感謝してまたいろいろのことを神様にゆだねて祈ります。
日曜日に教会に行きごミサに参加して、 とても幸せです。 心の安定と幸せは神様のところにいてこそ得られるものだと信じています。
第31回イエズス探求会
「弟子としての鍛錬」
祈りと分かち合いによって、 信仰の相互教育を心がけてきた 「イエズス探求会」 は、 第311回を迎え、 5月13日 (金) から15日 (日) まで、 日野ラサール研修所で行われた。 今回のテーマは、 「弟子としての鍛錬」。
キリストの弟子となった私たちを、”家庭””職場””地域社会””小教区”などの生活の場の中で、 主はどのように鍛えようとなさっているのか。
24名の参加者”互いの経験””気付き”を分かち合い、 励ましあいながら、 3日間を共にすごした。
イエズス探求会の特色は、 この全員による分かち合いにある。 3日間、 参加者全員が朝食、 聖書奉読、 祈り、 黙想、 講話、 ミサの時を共にしながら、 一人ひとりの苦しみや悩みを、 共に苦しみ、 自分が受けたたまものを人々とともに分かち合うことができた。
第2回福音宣教推進全国会議の 「展望」 は、 分かち合いにはまず同じ人間としての深い共感と共有がなければならないとし、 その模範となったのが、 人となられたイエズス・キリスト自身であると述べている。
今回の探求会では、 キリストが現実の困難な生活の状況の中で、 特にキリストに従って真剣に生きようと努力している人々とともにおられることを強く感じさせられた。
指導司祭は山根克則神父 (福生教会主任司祭)リーダーは青木氏、 山形氏、 林氏。 さらに小林氏、 浅野氏、 飯利氏および星氏が協力した。 総合司会は、 間野氏であった。
「弟子としての鍛錬」 という題で講話をした福川氏は、 Y運輸会社の会長でカトリック信者の方の若き日のキリストとの出会いの体験と山谷のプロテスタント教会の牧師の妻の例をとって話した。
「神は困難の中でも真剣に生きていけば、 必ずそのまま見ていてくださる。」 と感動的に語った。
またたとえどんな困難の中にあっても、 能力や財力に恵まれていなくても、 その生活の場でなにか自分にとってできることを探し求めて、 祈りによって、 振る舞いによって行動しているうちに次第に、 アル中の夫が立ち直っていった婦人の分かち合い、 はかりしれない大きな力に支えられていたように感じられた。
私たちがともに重荷を担いながら、 キリストを中心にして集まり、 心を開いて語り合うとき、 キリストの声は力強く響くと感じる。 日々の生活のなかで、 現実にぶつかり大きな困難に直面している時、 そこに希望の光が差し込んでくるように感じられる。
指導司祭と参加者一同は、 主に感謝を捧げながら、 心を新たに一人ひとりの生活の場に戻っていった。
(櫻井清)
青年ネットワーク事務局だより
一泊交流会に早くも反響
東京教区のみなさんこんにちは。 東京教区青年ネットワークです。
6月24、 25に5日市教会で行われた一泊交流会は、 盛り沢山のプログラムを無事こなし、 5名のプロテスタント信者を含む40名程の参加者の温かい交流の中、 盛況のうちに幕を閉じました。
参加者の中には、 早速FAXで冷めやらぬ感動を送ってくれた人もいたりして、 うれしいかぎりです。 この有難い皆さんの反響があるからこそ、 毎年もう10回も続けられたんですね!
考えてみれば、 そもそも青年ネットワークは、 この一泊交流会の参加者の中から生まれたんですから、 一人ひとりの出会いの中には、 限りない可能性が秘められている大切なことなんだなーなんて思ったりする今日このごろです。
9月25日 (日) 午後2時
第2回スピリットソングフェスティバル開祭間近!
去年たくさんの話題と共に、 10数曲のオリジナル聖歌を世に送り出したスピリットソングフェスティバルの季節がまたやって来ました。
第2回目の今年は、 9月25日 (日) 午後2時より関町の東京カトリック神学院で開祭されます。
23日からの連休を利用した出演者の合宿は、 日本全国から集まった、 音楽による福音宣教を夢見る青年の交流を深めながらフェスティバル当日に向けて開花します。
今回は、 フェスティバル色をさらに濃くし、 フリーマーケットやスピリットソング・ミサの準備も進行中。
パワーアップした第2回スピリットソングフェスティバルで、 過酷な第1次審査を通過した10組のオリジナル聖歌の誕生の瞬間を、 ぜひ、 皆さんの目に焼き付けて下さい。
チケット購入は中央出版社、 女子パウロ会売店、 または東京教区青年ネットワーク内スピリットソングフェスティバル実行委員会へ。 当日券の用意もあります。
また、 第1回当初から一貫して青年のボランティアスタッフにより自主運営されてきたこのフェスティバルに、 資金面でのご協力をいただいた方々にご挨拶申し上げると共に、 引き続き各方面でのご協力を皆様にお願い申し上げます。
なお、 資金援助の一環として、’94 Spirit Song FestivalのTシャツを販売しています。 皆さんもう顔なじみの 『歌うくじら』 のTシャツです。 94年版は背中にラッパを吹く天使をあしらった洒落たデザインになりました。 色はデザインの異なる黄色とグレーの2色。 サイズはそれぞれMとLがあります。 93年のスピリットソングフェスティバル当日の全国の青年の熱演を収めたビデオも引き続き販売しています。
第5回カトリック障害者連絡協議会
どなたでも参加できます。
1982年結成されたカトリック障害者連絡協議会 (カ障連 山田昭義会長) の第5回大会が、 本年9月、 東京で開催される。
(既報113号)
日時 9月10日(土)・11日(日)
テーマ 社会の福音化をめざして-宣教者としての障害者
会場 日本青年館
参加者 200名 (宿泊 140名)
実行委員長 金沢恂
事務局長 J・スロイテル師
事務局次長 穂坂由喜男
カ障連からのお願い
●参加者を集めて下さい
組織に加わっていない障害信徒に話しかけ、 参加を促してください。
●各種の機関紙・広報等に本大会の記事を載せてください。
●ボランテイアとしてご協力ください。
何ができるか、 何をしたいか、 お問い合せください。
●募金、 テレホンカード等物品販売も行っています。 どんなことでもお問い合せください。
●障害をもたない信徒の方も1人の参加者として関わってくださることを強く望んでいます。
その際は、 参加費 (1万円) を負担していただくことになります。
連絡先 J・スロイテル神父
TEL03-3394-5700
FAX03-3314-3982
(橋本宗明)
カ障連とは
カトリック障害者連絡協議会は、 1982年結成され、 司教団の認可を得ている。 会長は山田昭義 (車椅子障害者、 愛知県押切教会) 社会法人AJU自立の家常務理事。 事務局長は、 J・スロイテル育英高専教授 (サレジオ会司祭)
障害を持った信徒の宣教と社会的活動に関わる運動体であり、 会員2000人。 3年に1回大会をもってきた。 (京都、 大阪、 横浜、 仙台)
新しい賛美の歌
東京フェスティバル2-われら地球家族-
国際家族年とNICE・2の心で
6月19日 (日)、 東京カテドラル聖マリア大聖堂で、 日本カトリック研修センター主催、カトリック東京大司教区後援の 「新しい賛美の歌東京フェスティバル2」 が開催された。 会場には、 約800人の聴衆が詰め掛け、 「結婚・家庭」 をテーマに作られた入選歌の数々を、 大きな感動とともに熱心に聴いていた。
入選者の1人 (奨励賞) の橋口孝志さんは、 「作詞のきっかけは、 昨年日本カトリック研修センターの研修に参加し、 『信仰の中心は復活されたイエスにある』 と気づいた事で、その思いをそのまま歌にした。」 と語った。 氏の作詞した 「復活された主に出会い」 は、 作詞者、 新垣壬敏氏、 町田治氏の三氏により作曲され、 宮崎カリタス修道女会のシスターたちによって歌われた。
ヨーロッパ諸国に見る教会運営について
教会委員連合会6月26日
6月26日 (日) 午後1時30分から、 カテドラル構内で、 教区教会委員連合会総会が教区内70小教区、 170余名の参加のもと開催された。 当番教会は木更津教会。 第1部では、 白柳大司教の挨拶の後、 「ヨーロッパ諸国に見る教会運営について」 -ヨーロッパの現状から、 我が国の将来を考える-をテーマに、 ドイツ・フランス視察報告がなされた。
カトリック・センターホールでの第2部は、 白柳大司教、 森司教の霊名の祝日祝賀会が催され、 両司教を囲み、 小教区を越え一同親睦を深め合った。
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ドイツ・フランス視察報告
「制度を考えるチーム」 (代表森司教) の呼び掛けで、 今年の1月に10教区、 19人の司祭たちが、 ケルン教区とフランスの教会の視察研修旅行を行った。 (関連 東京教区ニュース111号) 召命の減少、 司祭の高齢化に伴う小教区の教会の現状、 新しい試みがどの様になされているのかを、 同じような現実に直面しつつある日本の教会の為の参考となる光を求めての研修だったが、 この旅行に参加した岸忠雄神父 (清瀬教会)、 宮下良平神父 (立川教会)、 藤岡和滋神父 (松戸教会) がそれぞれの立場で報告を行った。
最後に、 森司教は、 「カトリック教会が現代社会に意味のある存在であるためには、 教会は今までのようなシステムでよいのか」 と問題提起し、 「人々に魅力のある教会共同体に育つためには、 司祭と信徒のチームワークが必要である」 と結んだ。
両司教霊名の祝日祝賀会
カトリック・センターホールで、 教区信徒代表から霊名の祝いを受けた後、 白柳大司教は、 小教区の教会委員としての各々の働きを労った後、 「今年の9月16-19日にかけて、バチカン福音宣教省のトムコ枢機卿が来日される、 またケルン教区との姉妹関係40周年を記念してマイスナー枢機卿が来年1月に来日される」 と述べた。
さらに、 森司教は今年の教区の働きについて次のように述べた。
1、 宣教司牧評議会の今年度のテーマは、 「これからの小教区と信徒の役割」 と決定した。
2、 教区総会を受けて、 プロジェクトチームのたたき台を現在作成中である。 (教区ニュース114号既報)
3、 プロジェクトが実働しはじめると、 スタッフとして働いていただく方をお願いすることになるが、 その時はご協力をお願いしたい。
4、 現在、 東京教区ニュースは7千部発行されている。 全世帯に一部づつ配付している小教区もあるが、 より多くの信徒が読んでくれるように願っている。
5、 教区生涯養成委員会は、 きちんとしたプログラムに基づいてシステム化をすることとなった。
新司祭里帰り
練馬にある東京カトリック神学院の出身で今年叙階した司祭は3教区7名。
東京教区の猪熊太郎神父、 油谷弘幸神父。 横浜教区の河野淳神父、 ファン・デイン・ソン神父、 千葉俊一神父、 石川裕之神父。 那覇教区の田中哲矢神父である。
一同は、 教会の激務の間隙をぬって集まり、 6月15日、 長年に渡って生活し、 司祭養成を受けてきた神学院を訪れ、 院長、 モデラトール、 シスターたちに叙階の報告と、 これまでのお礼を述べ、 かたがた、 この間まで共に生活をしていた後輩たちと久々の挨拶を交わし、 翌朝初ミサを捧げた。 (田中神父主司式、 石川神父説教)
新院長の寺西英夫神父は、 一同の神学生時代、 霊的指導、 黙想指導等により、 関わりが深く、 その来訪を喜んでくださった。
残念なことに猪熊神父は急に体調をくずし (水ぼうそう) 欠席となった。
前日の14日には、 自分たちの養成期間中は暮らすことのなかった、 那須 「ガリラヤの家」 を訪ねて、 新入生6名にねぎらいと励ましを送った。
梅雨の間にもかかわらず、 一同が会した4日間は快晴に恵まれ、 叙階後の慌ただしい日々を経た6名にひさかたのくつろぎを与えた。
忙しい司祭生活、 このように一同が会することも将来なかなか困難であるが、 いずれの日にかの再会を期して、 17日の朝、 それぞれの任地にもどっていった。
(油谷弘幸神父)
教会・修道院めぐり(35)
『お告げのフランシスコ姉妹会』
「お告げのフランシスコ姉妹会」 の創立者ガブリエル・マリア・ジュセロ・デュセネ師は、1987年カナダのケベックに生まれ、 1919年フランシスコ会に入会した。
教皇ベネディクト15世の 『宣教に関する回勅』 の呼びかけと、 宣教地から帰国した宣教師の話に心をうたれた彼は、 自分も宣教師になることを希望した。 1923年司祭に叙階されたのち、 1925年日本に宣教師として派遣され、 奄美大島・鹿児島で宣教に従事した。
当時の日本は不況と不作の影響が至る所に見られ、 鹿児島でも町に捨て子が続出し、 市の養育院でも収容しきれないありさまであった。 ガブリエル師はこれを見過ごすことができず、 孤児救済に手をのべた。
彼と共に子供たちを助けようと集まったフランシスコ第3会の姉妹たちの協力を得て、 1933年3月25日、 聖母のお告げの祝日に 「ナザレトの家」 を創立した。 この人々が現在の 「お告げのフランシスコ姉妹会」 の萌芽となった。 神父は日毎に増加する孤児の世話をしながら、 邦人修道会の創立をめざし、 フラシンスコ第3会の姉妹たちの霊的指導にあたった。
1935年、 アジアの聖フランシスコ律修第3会に属する修道会として、 この会の設立許可をローマに申請しその許可を得た。
鹿児島にいたフランシスコ会の神父たちは、 東京に本部を移転する事になった。 フランシスコ第3会の姉妹たちも共に上京し、 大田区久ヶ原に住まいを定めた。
遂に1938年、 東京大司教区長土井辰男大司教より、 教区直轄の邦人修道会 「お告げのフランシスコ姉妹会」 として正式な許可を得た。
戦争中にも多くの子供たちの世話を続け、 困難を乗り越えた。
戦後は 「ナザレトの家」 を養護施設 「聖フランシスコ子供寮」 と改め、 戦災孤児の救済にあたり、 時代と地域の要望に応えて幼稚園、 保育園を開設した。
創立者のガブリエル師は、 1978年帰天した。 彼は自分が養成した修道女たちが、 マリアのように 『お言葉どおりになりますように』 の精神と、 聖フランシスコの回心に学ぶ姉妹として生きることを望んで 「お告げのマリア」 と 「フランシスコ」 を会の名称とした。 会員はこれを会の霊性を表す遺産として大切に守り継いでいる。
本部修道院
〒146 大田区久が原4-2-1
もっと相手に向かう姿勢を
東京教区広報の日の集い
高嶋哲夫氏講演
1981年に教皇がこられる時に、 80年の終わりごろから、 4ッ谷の中央協議会に通い、 いろいろお手伝いをさせていただきました。 信者ではありませんが、 それ依頼ファンの1人として広報のお手伝いをときどきさせていただいています。
私は広告代理店で働いています。
広告は物を買って貰う為の手段で、 媒体者の持っている広告枠を買ってきて、 そこにスポンサーが売りたい商品のメッセージを折り込む、 広告の表現によって生活者がよしとした場合はそれを買うでしょうし、 そうでない場合は売れない、 非常にはっきりしたメディアです。
広告の仕事は、 おおざっぱいうとまず枠を取ってこれるか (媒体の作業)、 取った枠できちっとものが言えるか (製作)、 そういう仕事を持ってこれるか (営業) 成り立っているのですが、 「Buy me」 私を買って下さいというメッセージを送ることです。
ところで私は、 この会社にいましていまだかつて、 広告の仕事をしたことはありません。
私の仕事は、 企業の広報セクションを得意先として、 その企業が 「企業市民」 として社会に対して何かメッセージを伝えたいというときに、 そのためのアイディアや手法を商品にしています。
「Buy me」 にたいして、 「Love me」 のメッセージを送る作業を仕事にしているわけです。 (中略)
広報活動とは
広報活動とは、 自分の立場を人に分からせると同時に、 分からせる相手のことをよく知っていなければならない、 広報と公聽の側面―知らせると知る―があるわけです。 その上で、 「皆さん、 おもしろがらせたがりになって下さい」 と言いたいのです。 上から言われた事だけを下に伝えるだけであったら、 機械でもできる訳ですけれども、 そこにメッセージの送り手となる人間が介在しますと、 若干変質してきます。 そこで、 私たちは企画をアレンジしてもっと分かりやすくしようとか、 もっとおもしろがらせようとか、 相手の立場によって、 工夫して共感を掴み取るのです。
広報担当者は
広報をやる人はお節介な人のほうがいいでしょう。 おもしろがりたがりは誰でもなれますが、 ひとりよがりのことが多いので、 もう一歩お節介になって、 おもしろがらせたがりになると気持ちのいい広報活動ができると思います。 おもしろがらせたがりが、 広報活動を行う者にとって重要な事です。
カトリック教会の広報の要は
カトリック教会の広報のかなめは、 カトリック新聞だと思います。 4-5年前の広報担当者全国会議で見た時よりもいくらかましになっているなと思います。 それでもキリスト新聞と比べると面白くありません。 面白がらせてほしいと、 つくづく思うのです。
キリスト新聞には、 一般社会で問題になっている事をどんどん取入れて行く姿勢があります。 例えば、 この間、 「週間プロレス」 にもでていましたが、 メキシコかどこかの 「覆面プロレスラー」 の神父さんを、 ちゃんと人欄でインタビューをしているんです。 1面でNICEを取上げるかと思えば、 今韓国でどんな言論弾圧が行われているかも、 最初カトリック新聞かと思ったら、 キリスト新聞でした。 外国のニュースも、 卑近な記事もいかに読者をおもしろがらせようかという姿勢で書いていることがわかります。
カトリック新聞も、 4、5年前に比べると、 海外の記事が増え、 山谷の話があったり、 部落問題があったり、 従軍慰安婦の問題など社会的なテーマの問題は、 きっちり取上げています。 そこに読者がもう一歩つっこんで知りたいと思うニュースの掘り下げ方が、 足りないような表面的に事務連絡をしているような記事が目立って、 もったいないなあと思いました。 たとえば、 ここで代理店の発想を入れれば、 ここでテーマを掘り下げ新聞社主催でシンポジウムをやってみるとか、 しばらくこの件について読者の賛否両論の意見をFaxか手紙で闘わせるとおしろいのではないかと思います。
生活者の立場で
広告担当者は、 ジャーナリストの視点をもって、 社会と新鮮な気持ちで対峙する必要があります。 その上で自分が日常もっとも関心を持っていることを、 仕事に反映させて行かなければならないと思います。
そして、 自分のターゲットにわかって貰うためにはどうしたらよいのかを、 お節介なくらい一生懸命になるということが必要なんだと思います。 (中略)
対立意見はアンケートで処理
たとえば、 広報紙をつくる場合、 編集部の中でも意見が分かれるような場合は、 自分は中立の立場でアンケート等で、 賛否両論をできれば数的裏付を入れて載せれば、 かどもたたないと思います。 この他、 いろいろこまかい事例も知っていますので、 なにかありましたらご相談にのれると思います。
編集部から
●今年も暑い夏がやってきました。でも冷たい夏よりいいですね。
暑いときには暑いときにしか出来ないことを思いっきりやる。その時、そのときにやれること、すべきことに全力投球する。
そんな生き方は魅力的ですね?
●東京カトリック神学院最終学年の養成プログラム改革についてのインタビゥーは如何でしたか?神学院入学要綱を始めてご覧になる方もおおいでしょう。東京教区にも新しい神学生が誕生するよう期待しています。私たちひとり一人主に祈っていきましょう。
●久しぶりに神学院に行ってきました。最盛期には100人を超える学生たちでにぎわっていた校舎も、今は30名と少ない。おかげで、風呂をたくのがもったいないとシャワーのみで、近所の「松の湯」通いが日課の学生がいるとか。神学院に風呂を復活させる為に、神学生たちは新入生がウン問い増えるのを心待ちにしているに違いない。
●次号は九・10月合併号です。夏休み中の教会学校サマーキャンプ、教会目総会等、写真と共にエピソードを広報委員会までお寄せいただきたいと思います。
紀元は8月末日、13字詰め、50行以内。