お知らせ
東京教区ニュース第108号
1993年12月01日
目次
第2回福音宣教推進全国会議(NICE・2)「家庭」を中心にしてきた教区にとってあの答申とは
-森司教に聞く-
Q 「展望-福音宣教する日本の教会の刷新のために-」というタイトルの答申がまとめられたそうですが、これは誰に対する答申なのですか。
森 答申の冒頭を見れば分かりますように、司教団に向けられたものです。
この会議では司教たちも分団の中に加わり、積極的に発言をしたと思いますが、それはあくまでも個人としての発言です。次の司教総会で、司教団としてどう受け止めていくか検討されると思います。
Q 答申のタイトルは、「福音宣教する日本の教会の刷新のために」とあって、そこに「家庭」の文字がみえませんが……
森 この全国会議は「家庭の現実から福音宣教のあり方を探る」でしたね。ところが、最終答申のタイトルから、なぜ「家庭」が消えてしまったのか、私も十分説明できません。
Q 家庭の現実がこの答申に反映されていない、という声が多くあったと聞いておりますが……
森 答申の中の「家庭」と小タイトルが付けられている項目の中身はさらっとしすぎていますね。
1992年の6月の司教総会の後で発表されたメッセージはこうなっておりました。
「(各教区から寄せられた)討議課題案から、現代の家族が、さまざまな痛みや悲しみを抱え、うめき、きしみ、切実な叫びをあげていると同時に、それらを乗り越えて生きようと懸命に努力している姿に改めて気づきました」
ところが、この答申からは家庭の痛み、うめき、叫び、家庭の現実が感じられませんね。答申は、「現代社会のただ中で生きる家庭を受入れ、支えることができるようになるためには、教会共同体の刷新が不可欠です。(中略)教会共同体が刷新されれば、教会はどのような人にとっても心温まる家庭となれることでしょう」といっておりますが、この表現は、家庭の複雑な現実の渦中にある人たちにとっては軽すぎますね。代表者の一人の主婦が「家庭の重さを切実に感じているのかしら」とつぶやいておりましたが、その通りですね。
家族計画のこと、離婚・再婚のこと、経済のこと、仕事のこと、教育のこと、高齢化社会のことなどなど、家族の絆で結ばれた一人ひとりが苦しみ、うめいている、そうした人々と教会がどのように生きようとしているのか、どのような光を与えようとするのか、この全国会議からはまったく出てきませんでしたね。
また家族計画、離婚・再婚のことに関する歴代教皇の指針に対して、それを日本の教会がどう理解し、それを日本社会にどのように伝えていこうとするのか、重要な課題も触れずじまいでしたね。
答申には「いろいろなことで悩んでいる家庭には、十字架を担っておられるキリストを、そしてゆるし合い支え合う家庭には、復活したキリストを見いだすことができるでしょう」とありますが、最終的な信仰姿勢はそうなるのでしょうが、具体論にまったく触れずに突然現れるこの部分は飛躍しすぎていますね。もう少していねいな議論があってよかったと思います。
家庭の事例研究を通して、かなり家庭の現実について深く踏み込んできた東京教区としては、この答申はまったく期待はずれでした。私自身、この2年間家庭をテーマにしたさまざまな会合にどのくらい参加していたのか手帳をくってみましたら、51回を越えていました。家庭を取り上げる全国会議に対する多くの人々の熱い期待を肌で感じていましたから、会議後、そうした人々にどのように説明してよいか、困惑しています。
Q 教会共同体刷新のために必要な優先課題として、答申は5項目にまとめられていますが
森 この5つの項目は、内容的には第1回全国会議で答申されたものばかりです。積極的に福音宣教を推進していくためには、教会共同体の刷新は不可欠なことですが、もし、「家庭の現実」にこたえるため、という視点からみるならば不十分ですね。
Q どうしてこのような答申になったのですか。この答申にはほとんどの参加者が賛成したと聞いておりますが……
森 おっしゃる通り、賛成172、反対4で圧倒的多数で採択されたものです。それはそれでよいと思いますが、カトリック新聞や教区ニュースなどの報告からも分かりますように、時間的な余裕もなくその内容を十分に全体で議論され討議されたものではありませんでした。最終的にはさまざまな発言を添えて司教団に答申するという了承の上で採択されたものだったのです。ですから、この答申を補っていく上でも、今後もいろいろな立場から発言があり、議論されてもよいと思います。
Q 司教団はこの答申をどのように受け止め、どのように応えるでしょうか。
森 分かりません。司教さま方の思いもそれぞれではないかと思うのです。
そもそも「家庭の現実から福音宣教のあり方を探る」というテーマを掲げながら、全国会議の答申がこのような内容になったことの背景に、司教をはじめとする各教区、司祭、信徒、修道者の受け止め方にずれがあったのではないかと私は考えています。このテーマの核になるものが何かという詰めが曖昧なまま会議の準備が進んでしまったということもあったと思うのです。今から思えば、ある者は家庭に、ある者は福音宣教推進に、ある者は教会共同体の刷新に主眼を置き、それぞれの思惑と期待のずれを埋めないまま全国会議が行われてしまったということ、そこに問題があったのでしょうね。
また、会議そのものも、「各教区がどのように取り組んできたか」という設問に対する各教区の報告とそれを受けた分団会の分かち合いから出発したため、司祭の理解が少なかったとか、分かち合いが難しかったなどという各教区つまり教会共同体の実態に話しの中心がいってしまい、答申の中心も教会共同体の刷新になってしまったのではないかとも考えられます。
もし、「家族の絆で結ばれている人々が、どのようなことで苦しみ、悩んでいるか、具体的に報告し、話し合ってください。そのために教会はどうしたらよいのでしょうか」という問いで出発していたならば、事情は変わっていたかもしれませんね。
いずれにしろ、テーマの焦点を絞らないままにすませてしまった私たち司教に責任があるのではないかと私は思っております。
12月の司教総会で司教さま方が、この答申をどう受け止め、どのように生かしていくのか、とことん話し合ってくださることを期待したいです。
Q 東京教区として今後、どうしていくつもりですか。
森 次の司教総会で出てくるものを大事にしたいと思いますが、大司教さまともお話ししたのですが、教区としてはせっかく事例研究まで始めたのですから、もう少し家庭のことを続け深めていくということになると思います。
Q 第3回全国会議があるでしょうか。
森 分かりませんね。今回そのような話題は出ませんでしたね。ただ、全国の信徒、司祭、修道者、司教が一緒になって話し合うという機会は貴重なことですから、テーマはどうあれ、何らかの集まりがあってよいと思うのですが……
NICE・2をいろいろな角度から考える
稲川保明神父にインタビュー
司教団に「展望」として答申された結びの中の「この会議がめざした共感・共有は、体験の領域に属するものでことばによる表現をこえるもの…」とされている箇所は、確かにと受け止められるが、それにしても会議に参加していない者の声として、NICE・2のテーマ「家庭」は、十分に分かち合われたのだろうか、それとも「家庭としての教会」がテーマだったのだろうかという問いが聞こえてくる。
そこで会議に参加した稲川保明神父に伺った。
「展望」を読んで見ますと、NICE・1のときに出たことを再確認したという性質のものがほとんどであったと思います。
その意味で、私の個人的見解でいえば、今回の会議は2回目というより、1、5回目と表現しています。
なぜ、こういう結果になったかについて私は次のように思っています。
(1)刷新運動と会議の関係
1984年に出された「基本方針と優先課題」からふりかえってみると、その時から日本の教会は刷新をめざしてスタートしたのに、NICEといえば全国会議という印象が強くなり、会議があるのでなにかをしなくてはという発想につながっていったことは否定できないと思います。たとえで言えば、結婚で大切なのは、一生涯続く生活の方なのに、一瞬の結婚式や披露宴の方に気をとられている人々と同じような状態に陥っていなかったでしょうか。
(2)「家庭」というテーマ
「家庭」というテーマの取扱いが少しずつ、ズレていった印象があります。家庭のことは扱わないのだとすれば、なぜ家庭というテーマを掲げる必要があったのか、そのへんに無理があったと思います。その結果、各教区の取り組みに違いが現れ、全国会議にも視点の違いがでてきたと思います。
(3)全国会議のあり方
全国会議というタイトルからすれば、会議なのですが、プログラムを見ると交流会・錬成会・研修会的要素が多く入っており、参加していた代表者にとっては活気を感じたかもしれませんが、肝心の論議の時間が少なかったと思います。3〜4年かけてきたことをすべて、この間にまとめる運営方法にも無理があったと思います。
最後に一言
今回の会議が日本の教会の現状を正直に確認したのだとすれば、足りない0、5の分はこれから各教区の取り組みの中で補って行くのが本来のNICE運動の意味だと思います。
東京教区の代表者に聞く
稲留敦子さん
皆さんとふれあえたこと、特に他府県の信徒、司祭、神学生と同じテーブルで話し合えたことは、日々新たな喜びとして感じています。この私の体験した喜びをどんな風に小教区の人々に伝えるかが課題です。「展望」という言葉はむずかしいので、レポートとか報告書とかの方がわかりやすいと思います。文章面でも、わかりやすい表現-分かち合いは例えば心をわって話し合いましょうとか-参加している人だけがわかる表現ではなく、誰でもがわかる表現、また言葉の遊び、うわすべりにならないような表現にしたほうがよいと思います。また、ごミサと祈りと会議が一体であることも体験できました。
織田智恵さん
長崎教区、また全国の方々からの有形、無形の支えが会場の隅々に感じられ嬉しかった。また全国レベルで1つのことに取り組む時に表面化してくる日本の教会の多様性を、今までは頭では分かっていたつもりでいたが、実際に体験してみて強く感じた。全体の実りはこれからとしても、私個人としては得るところの多い4日間だった。
Sr.佐久間陽子
現状分析あってこその刷新ゆえ、全国レベルで信徒、司教、司祭、修道者がまさしく火花を散らして語り合えたことは、大きな収穫だったと思うし、実生活(宣教)への大きな励みとなりました。特に地味な働きの中で、宣教への熱意に燃えておられる各地の多くの司祭の存在を知らされ、勇気づけられました。
Sr.成瀬 環
「○○司教様でなくて○○さんで行きましょう」と司教様ご自身から言われて分団会は、旧来の知巳のように札幌から那覇まで共感したり、とてつもなく激しいディベートもしたのですが、さすがキリストで結ばれている代表者たちでした。このように進行していく会議のプロセスそのものが回心で、また回心のプロセスそれ自体をNICE・2にした参加者全員の誠意と信仰を生涯最高の体験として受け取れたことはすばらしい恵みでした。その上、教会の次元と修道会のそれがよりいっそう統合されれば、申し分ないNICE・2になると確信いたしました。
外国人宣教師が見たNICE・1以降の日本の教会
A神父
NICE・1、2のおかげで全日本の教会が一致してきたと思う。神さまが教会に何を呼びかけているか、教会全体として一致して取り組んでいる。聖霊の導きだと思う。司教団も一致できたのでは。公会議以降、世界のあちらこちらで教会が生き生きしてきたという報告を見かけるが、本だけという印象が強い。でも、日本はNICEをきっかけに本当に生き生きしてきたと思う。現代世界憲章などに書かれていることを日本の教会全体としてやろうという意識を感じます。
B神父
日本の教会はこの10年で、閉じこもった教会から開かれた教会へと変わりつつある。信徒も分かち合いによって自信がついてきたし育てられてきたと思うし、分かち合いにもなれてきたようだ。NICE以前にもそのような動きはあったと思うが、ここで大きく変えないとダメという意識のだんだんの高まりがNICEを開くことになったと思う。そのようなNICEがきっかけになって動き出した日本の教会に将来性がある。
C神父
司教から信徒までよく話し合い、分かち合う精神が高まってきた。外国に比べて日本は、NICEのように組織化がうまい。信徒の積極性がアメリカなどに比べて高い。外国では聖堂を建てたりするのに、行政などに頼ることが多い。一方で、教会の中で個人のカリスマが小さい。グループ性にかき消されて、個人のタレントが見失われがちだ。
D神父
公会議後、教会が協力して目標を定めて足をそろえて行こうとしていると思う。NICE・1からNICE・2への歩みの中で、行くべき道がはっきりしてきた。共同責任が高まり、海外援助に見られるように視野が広くなり、島国根性の要素を乗り越えている。
ある分団の参加者から
各メンバーの参加者の教区での準備状況が違うので話し合いをまとめるのが難しい。司教が自分の描く家庭の理想型を打ち出しそれに皆が合わせるように主張するので話が進まない。それに議長がいらいらしているようである。
それでもNICE・1の時よりも準備ができていてよいと思う。前回の時の分団会は、何か待ちかまえたように、参加者が不満を爆発させていたような印象があったが、今回は話し合っていこうという姿勢がみられる。
こういうことの積み重ねの中で大きな流れのようなものが出てくれば、それに基づいて将来具体的なものが出てくると思う。
青年たちはどう感じたか?
浦上教会聖堂に集うおよそ2千人の深い祈りと、熱い視線を受けて、2人の青年が中央通路を進む。
祭壇の前には日本カトリック司教協議会会長の島本大司教が待ち受けている。
ほどなく、第2回福音宣教推進全国会議で採択された「展望」がその青年によって朗読され、司教団への答申として島本大司教に手渡された。こうして、閉会ミサが終わり、各地の代表はそれぞれの場に派遣された。
10月21日から24日にかけての4日間、長崎大司教館を主会場にして第2回福音宣教推進全国会議が開催されました。
殉教地長崎を象徴する浦上天主堂での開会ミサに始まったNICE・2。
長崎教区の方々の献身的なホスピタリテイーに支えられ、全国から寄せられたたくさんの霊的花束に見守られながら試行錯誤を繰り返しながらも、真剣に討議を重ね、全国的な視野で日本の教会を眺めつつ答申をまとめていきました。また、分団会や親睦会、宿舎などでの出会いと交流は今後の歩みの糧となるでしょう。
今回、私は瀬田教会に隣接する聖アントニオ神学院から神学生代表としてNICE・2に参加しました。
前会のNICEでは20代はわずか13人でしたが、今回は私たち神学生3人も含めて213人の青年(20代)が代表として参加していました。
私たちは、3日目の公式プログラムが終了してから、宿舎となっていたホテルの一室を借りて、「我こそは青年!」交流会を開きました。
そこで、今回のNICEに対するお互いの感想などを分かち合い、翌日の最終日に、青年としての「要望」を全参加者にアピールすることになりました。
というのも、代表団の青年層の人数は、前回よりも増えたけれども、NICE・2に青年の声が反映してはいないと感じた人が少なくなかったからです。
ここで、青年たちのアピールの内容のいくつかを紹介してみます。
「聖職者が多すぎるのではないか。青年層の代表者がいない教区がある」など教区代表の配分の問題、「家庭というテーマを夫婦の問題に限定してはいないか。一人暮らしや家庭を持てない人ももっと念頭においてほしい」というもの、「NICE・1からNICE・2まで6年というのは青年にとっては長すぎる」といった期間の問題、「分団会で青年の意見が尊重されない」といった印象から、「代表の全青年が集う機会を会議の期間中に設定してほしい」というようなものでした。
NICEは、今後とも継続していく運動ですから、会議の運営面の改善や工夫がなされていくことが期待できます。
NICE・2に参加した青年のうちには連帯感が生まれ、全国16教区レベルでの青年ネットワークを作っていこうとする動きができたことに、大きな成果が感じられます。今後の彼らの歩みを注目し、熱い声援を送りましょう。
(松本 巌)
一記者のつぶやき NICE・2をゆっくり見つめて
11月号ではNICE・2のさまざまな模様を大急ぎでお伝えしたが、本号では落ち着いて、取材班として参加し、一信徒として戸惑いを感じたことを、2つばかりお伝えしたい。
パイプ詰まり
第1に感じたことは、2日目、3日目のプログラムに気分的に乗れなかったことである。この2日間は最終日の「展望のまとめと採択」にいたる重要な過程なのに…。同じような声は他教区の取材者からも聞かれた。
2日目のプログラムから分団会が組み込まれたが、今回取材班は傍聴が止められ、まずは気が抜けた感じ。
この日は、朝から司会者が、分団会の進め方の説明のとき頻繁に「課題の要素1・共感と共有を求めて家庭の現状を見つめる」「課題の要素2・一人ひとりを大切にしておられるキリストとの出会いを深め、愛の共同体を育てる」「課題の要素3・すべての家庭にキリストを伝え、キリストをあかしする信仰共同体をめざす」といった言葉を口にする。
これは、司教団が昨年6月、第2回全国会議では何を取り上げ、何を話し合っていくべきかを協議し発表した「家庭の現実から福音宣教のあり方を探る」-神のみ旨に基づく家庭を育てるために-という標題の課題書に掲げられた3つの内容だ。したがって、会議がこれを軸に進められるのは当然のことなのだが、しかし課題書には、ただ1・2・3とあるものを要素1・要素2・要素3と呼ぶものだから、何か他のものかと錯覚してしまう。
ともかく、全国会議前の過程を東京教区の例で見ると、昨1992年の春、「社会とともに歩む家庭」に始まる42の課題について、教区民の関心度を探るアンケートを実施、続く教区総会での分団会ではこの42の課題について分かち合い、さらに今年の教区総会では課題を8つに絞り、ある夫婦の事例として分かち合ってきた。この間、とくに先の課題書の3つの要素にしたがって、“分かち合え”と勧められた覚えがない。
そのような比較的気ままな流れから、急に課題書に基づいた「〜共有と共感を求め〜」とか「〜キリストとの出会いを深め〜」「〜信仰共同体〜」など小難しい言葉の流れに乗り替えるのは容易でない。つまり、それぞれの教区民が取り組んで来た流れと、司教団が意図した全国会議の流れがうまくつながらない、どこかにパイプの詰まりがあったのではないだろうか。教区内で、もっとこの課題書がなじまれ、理解されていなくてはならなかったと思う。
筆者自身反省しながら、そのあたりが審議過程の2日間、気分に乗れなかった原因と、ようやくわかってきた。
「知っている」人は「知らない」人のことを忘れがち、せいぜい「知らないのは自分が悪い」と思うだけなのだ。
かたちの違い
次に感じたのは、第1回全国会議と第2回全国会議とのかたちの違いである。
筆者は第1回に出席していないので文書に残された部分でしか比較できないし、また形式が異なったからといって別に悪いわけはない。
まず、第1回全国会議の課題「開かれた教会をめざして」と第2回の課題「家庭の現実から福音宣教のあり方を探る」への継続性は司教団によって充分説明されていると思う。しかし気になるのは、参加者を見ると司教団を除いて、第2回会議を企画運営するスタッフ、教区代表者の9割以上が新しくなっている。代表者の間からもその声は聞こえていた。
さて、多くの読者にとって第1回全国会議の答申書の形式はまだ記憶に新しいと思う。標題は率直に「答申」、柱がⅠ・Ⅱ・Ⅲの3部構成で、それぞれに提案1・提案2…が囲み書きされ、また提案ごとに「提案理由」がつくかたち。ページ数は多いが、分かりやすく具体的と感じていたと思う。
けれども今回の答申(既報)は、まずその名を「展望」-福音宣教する日本の教会の刷新のために-と命名した理由の説明は聞かれず、「福音宣教する…」の副題に「家庭の文字が見られないのは残念」といった発言をはじめ、本文もいくつかの字句修正することを条件に、時間ギリギリで可決する状況だった。
本文の構成を全体から見れば確かに「家庭」の言葉が多く唱われているものの、こと「家庭」という見出しの項は約12行の叙述、一方「教会共同体」の項は約37行でこの項だけが箇条書き、量的に見てぐんと教会共同体にウエイトがかかった感じである。そして、何よりも第一回全国会議の答申に比べ具体性に乏しい印象は否めない。
「家庭」の項を読むと、家庭みずから努力すべきことは「社会の風潮に流されないこと」が強調されているだけで、あとはすべて「教会共同体の刷新」まかせで、信徒の立場からすれば他力本願に読める。教会共同体はキリスト者個人ないし家庭で構成されるから、教会共同体=家庭かもしれないが、この会議に「福音宣教はまず個人ないし個々の家庭の回心から」と意気込んで参加、期待してきた人たちは、このまとめ方をどう受け取るだろうか。
審議の終盤において「福音の価値観に基づく家庭づくり」といった表現がいくつかの分団から拒否されたのが印象的だった。この点が今回の全国会議の難しさであり、議論をし尽くしていないように思う。
(村岡昌和)
共同記者会見から
浦上天主堂での閉会ミサの後、各教区広報担当者およびその他報道関係者が出席して、NICE・2事務局長小田武彦神父の共同記者会見が行われた。
- 司教団の声明はいつ出るのでしょうか。
小 司教団の答えは、12月の臨時司教総会の後に出ます。
- 今回教区にかえっては、本日発表された答申「展望」を伝えるのですね、それで一応NICE・2は完結ですね。
小 いえ、完結はしないでしょうね、えんえんと続いていくでしょう。答申の中に出てきましたけれど、継続が強く強調されました。事務局の私は解任されると思いますけれど(笑)全国レベルでは動いていくと思います。
- 青年たちがあつまりましたね。あれは、全くのハプニングだったのでしょうか。
小 青年たちはバラバラに計画していたようです。金沢(名古屋教区)の青年が私の所に電話をくれまして、これを機会にネットワークを作りたいということなので、住所録をお渡ししました。
小さなネットワークがあちこちで、できたりつぶれたりしていて継続性がないのも時代でしょうか。
- 青年たちは、健常者と司祭が目立つ会議であったと指摘しました。これは、どこで決めたのでしょうか。主婦や障害者の出席者が少ないのが一番の反省だと思いますが。
小 司教総会できめられました。NICE・1では、司祭と信徒の代表は同数でした。今回は、司祭3、信徒6になりましたが、オブザーバーは司祭がほとんどでしたし、後ろにならんだ広報担当者も司祭が多かった。
NICE・1より後退したのは次の点です。長崎で開催されると決定した後、車椅子、手話通訳、等の対応ができることを確認し、各教区にしらせました。NICE・1では代表者に障害者がはいっていました。今回は一人も入っていません。代表を選ぶのは各教区です。教区の問題だとおもいます。
- 今度のNICE・2を一言で言えば、どういう言葉になるでしょうか。NICE・1は、「開かれた教会」でしたが、
小 「共感」から「共有」へ?
- 「回心する教会」
「共感と共有を求めて」
- 「展望」で、回心と言う言葉が、刷新になったのは残念だ。
- この会議の主催者は?
小 司教協議会です。
- 諮問される側に司教がいるのはおかしいのでは、ないかと思います。
- 議長が会議の進行ができなかったようだ、オブザーバーには、投票権がないのに、投票をしたり、それを広報担当者が指摘するわけにもいかず…
- 分団会に入れない理由は?
小 何もいわない人が側にいるのは、プレッシャーになるということなので……。
典礼担当の古巣師にインタビューしました
補佐はいるが殆ど自分一人でやっているので少し大変である。典礼部のようなものがなく、式長程度と思っていたので毎日の典礼の目的や意向に従って工夫している。
昨日のミサ(黙想付き)は司教さん方の間で賛否両論があった。ネオカテクメナート(新求道共同体)のグループのミサのようだという反応もあった。
ズームアップ 小林章雄氏 長谷部淳あつ氏
宣教司牧評議会新議長
■小林章雄氏(船橋教会)
■長谷部淳あつ氏(徳田教会)
新しいメンバーが多い中、小林氏は、布教司牧評議会と呼ばれていた時代から、この評議会に関わりを持つ貴重な存在である。現評議会の規約の成文化にも加わっていた。
教区の財政評議会の欠くことのできないメンバーの一人でもある。多忙な日程にもかかわらず教区のために労を惜しまない。議長就任と同時に宣司評の活性化をしたいと宣言。
長谷部氏は、3男一女を育てあげた家庭の主婦として、前会期のテーマ「家庭」に熱意をもって取り組まれた。
結婚後も光塩女子学院で数学を教えた経験もあり、宮崎カリタス修道女会の志願院での補習指導を長年に渡って奉仕しておられる。
祖母、母とも雙葉学園で教師を勤めた先生の家系。娘さんは現役として教壇に立っている。
「性」についてご一緒に語り合いませんか。
「人はひとりでいるのは良くない。彼にふさわしい助け手を造ろう」として、神は人を「男」と「女」に造られました。こうして「男女」は父母を離れ、神に向かっての人生の旅を共に歩むことになりました。「2人は裸であったが、恥ずかしいとは思わなかった。」と聖書にありますように、「性」は男女にとっては避けて通ることのできない大きな意味をもつ事柄であります。
「家庭」をテーマに全国会議が開かれた今、「女性と教会委員会」のスタッフたちは、「男女」にとっても「家庭」にとっても重要な意味を持つ「性」を真っ正面から取り上げる「集まり」を企画いたしました。
教会の中ではこれまでタブーとされてきた「性」について、だれとも相談できず悩み続けてこられた方も多いのではないかと思います。この「集まり」を通して、その悩みを解き、「性」が、どのように豊かなものなのか、そしてその豊かさを育てていくためにどうしたら良いのか、互いに学び合いたいと考えました。「男として女として」「性」を豊かに生きてみたいと思われるかたがたの積極的なご参加をお待ちしております。お友だちと誘いあってご気軽にご参加ください。
日時 1994年2月12日 午後〜13日午前まで
場所 東高円寺会館
講師 森 一弘司教
主催 東京教区 女性と教会委員会
信仰の喜びを生きる 第6回生涯養成コース
「雄大な富士山を前に、心と体のリフレッシュ」と銘打った今回の生涯養成コースは、何年ぶりかの台風の関東上陸のニュースと共に幕開けとなりました。今年1月に日野のラサールで体験した感動をもっと多くの方々とも分かち合いたいという願いから、あえて同じプログラムで行うことと致しました。
1日目
1日目はみことばの祭儀によって、この3日間の集いが神の恵みのうちに進行するよう祈ることから始まり、続いて満留神父の御指導のもと、分かち合いとは何かを考えました。このコースの全体を貫く『分かち合い』についての共通理解を得、これ以降各グループ(5〜6名)に分かれての話し合いは、まず聖書を読み、各人が心に残ったみことばを分かち合うことからテーマに入ることになります。夕食後、各グループで『信仰体験を振り返る』をテーマに分かち合いが行われました。自分の歩んできた人生を、信仰の目で振り返りながら分かち合ううちに、各人がそれぞれ違う出来事を語りながらもそこに働かれる神を共に感じることが出来ました。全員揃っての晩の祈りでもすでに打ち溶けたムードでロビーのあちらこちらに出来た“雑談の輪”が夜遅くまで続いていたようです。
2日目
2日目は、朝の祈り、朝食に続いて事例を基に信仰の表わし方の多様さを語り合い、そしてイシドロ・リバス神父による『光を受けて』。私たちが神に「愛されている・赦されている・召されている」ことを、ある時は楽しく、ある時は力強く語って下さいました。私達が生まれてきたことを、神がどれ程喜んでおられるか、それはビックバーンによって地球が生まれたその時から、すでに名指しで準備された存在であるということが、神父様のお話しとまた聞かせて下さった数々の名曲と共に、参加者の心に深く浸み通ったことと思います。
昼食後の集いでは自分の信仰についてグループで語り合い、全員揃っての感謝のミサへと続きます。このミサでは創世記の一章が朗読されたあと、各自の感謝の心を表す物を2〜3個、周囲の自然の中から集め持ち寄り奉納することになりました。ミサ中、全員が見渡す限り緑の芝生という研修所の庭や、隣の畑などへ気の向くまま出かけ、それぞれ集めたものをグループ単位で分かち合いながら一枚のベニヤ板にのせて行く作業。ある人は枯れ枝を、ある人は欠けた植木鉢を、ある人は農家の方に分けて頂いたとうもろこしを(これは後で研修所の方の御好意でゆでて頂き参加者の胃袋へ)。集められた方のお話を聞くうち、ただの枯葉が実はこの世に2枚とない貴重な物に思えてきたり、ベニヤ板には名画にも劣らぬ見事な作品が出来上がりました。
夕食後、各グループの作品を一堂に集めて全体会が行われましたが、どの作品もそれぞれに意味があり、趣きがあり、それはすなわち我々人間にも通じる事であるという貴重な体験となりました。
最終日
最終日は台風一過の青空の下、まさしく絵のような富士山の全景を眺めながら庭に出てのグループの分かち合いをしました。このコースで体験した神の導きを確認し合い、全員車座になって行われた全体会で更にその思いが強められたように思います。白樺の中で捧げられた派遣のミサを通して、再び世の海原に漕ぎ出そうとする我々に生きるエネルギーが与えられたようです。神の恵みは繁る木々の葉音のように私達を包み、神の祝福は重なり合う葉のすき間をぬって差す木漏れ日のように私達を輝やかせるものなのです。
次回のコースの日時は未定ですが、今回体験したことの一つ「神の声を聞く」というテーマを少し掘り下げてみたいと、現在話し合いを始めています。ご期待ください。
(近藤真美子)
教会・修道院巡り(29) 『扶助者聖母会』
19世紀半ばイタリアは産業革命と国家統一運動のために激動していた。ピエモンテの農家出身の司祭聖ヨハネ・ボスコは、トリーノ市の工場等の劣悪な環境で働く若年労働者に、神の愛に基づく教育を施すため、有望な青年たちを養成し、「サレジオ会」を創立した。
その間、少女たちの教育を望む声が高まり、彼は女子修道会設立も神のみ旨と悟り、適切な人材を探していた。当時、ピエモンテのモルネーゼ村で裁縫塾と日曜学校を通して、少女たちの信仰と道徳の向上のために働いていた「無原罪の聖母信心会員」マリアマザレロは、村を訪れたドンボスコに出会い、その聖徳をいち早く直感して、修道女となる決意を固めた。数年の準備期間を経て、1872年に修道誓願を立てた。聖ヨハネ・ボスコを父、創立者と仰ぎ、聖マリア・マザレロを初代総長、共創立者とする「扶助者聖母会」が誕生したのである。
現在、本部はローマにあるが、創立当初の素朴で神の愛に燃える精神は、「モルネーゼの精神」と呼ばれ、将来に受け継ぐべき遺産となっている。両創立者在世中に、サレジオ会員に続いて南米の地に宣教女が派遣され、現在6大陸82か国に及んでいる。
日本には、1929年、ドン・ボスコ列福を記念して、サレジオ会宣教師尊者チマツチ師の招きで、宣教女6名が派遣された。別府市で始めた福祉事業は、現在の養護施設大分小百合愛児園に発展した。
1938年、東京3河島に本部を移し、保育園等を開設したが、戦災孤児を養育するために戦禍を避けて山中湖畔に疎開し、戦後、現在の北区赤羽台に移転した。こうして本修道会の使命とする児童福祉と青少年教育に専念する、星美ホーム、幼小中高短大に至る星美学園、および修学院を併設し、福音宣教の場としての教育に励んでいる。
東京教区には、他に目黒星美学園(小中高)、調布市に修練院、幼稚園、神学園家政扶助の支部があるが、各支部の日曜学校のほか、小教区の教会学校やサレジオ会ユースセンターの合同司牧も行っている。2年前よりフィリピン管区から宣教女が来日し、在日滞日外国人のために活動している。
全国20支部(東京、横浜、大阪、長崎、大分の各教区)で、教育、児童福祉、教会への奉仕を行い、またボリビア、フィリピンで邦人宣教女たちは現地の会員と心を合わせて、祈りと働きの精神をもって、青少年の全人教育に従事し、教会の使命に参与している。
本部 〒115北区赤羽台4-2-14
山谷だより
この不況は、日雇い労働者を直撃しています。昨年の11月にはすでに仕事のないアブレが始まりました。現在、求人にくる手配師は無に等しい日があります。働く意欲があっても仕事がない不安、焦りは、つらく深刻です。
路上で生活する人々(野宿者、ホームレス)の数は、例年の3〜4倍で、狭い山谷地区だけでも4〜500人になり、地域住民との摩擦も取り沙汰されています。野宿する地域は広がる様相です。
昨年11月からこの3月までに、台東区だけで行路死者は百余名と区の統計は語っています。この豊かと思われる日本での話です。他の区を合わせると、何人になるか。誰にも見取られないで寂しく生涯を終えた人々です。
私たちは、毎週2回(月・木)炊き出しと夜回りをしております。今年は米が不作で大変ですが、ここでも1回の炊き出しに、米を約60キロ使用します。また、野宿者は毛布があれば寒さをしのげます。
すでにいろいろなご協力を頂いていますが、一層のご協力をお願い致します。私たち「山友会」と「山里相談室」は協力してやっておりますので、連絡郵送はいずれにでもよろしいです。送り先は左記です
山友会(さんゆうかい)
Tel3874-1269
Fax3874-1332
主な活動はクリニックとお年寄りの援助など、
〒111台東区清川2-32-8
郵便振替「山友会」
東京 0-158990
山里相談室(やまさとそうだんしつ)
Tel3871-7382
Fax3876-2544
活動は主に医療・生活相談。外国人帰国の援助など。
〒111台東区清川2-18-11
郵便為替「山里」
東京 7-104749
福祉委員会 災害対応・海外救援基金の募金呼びかける
10月28日、日本カトリック会館で、東京教区福祉委員会、地域福祉推進小委員会主催の第6回福祉の集いが開催された。この集いは会を重ねる毎に参加者が増え、今回は百人近くが出席した。開会ミサに続いて、森一弘司教が「キリストの心を受けて」をテーマに、カトリックの信仰と福祉の結びつきについて講演した。グループに分かれて、互いの体験を分かち合った後、福祉委員会担当の塚本伊和男神父が10月25日付けで出された「災害対応・海外援助基金についてのお願い」について説明した。
東京大司教区福祉委員会(カリタスとうきょう) 災害対応・海外救援基金の募金についてのお願い
この度、東京教区福祉委員会では、緊急時に東京教区としてすばやく対応できるように「東京教区災害対応・海外救援基金」をつくることになりました。
今年は国内では南西北海道地震(奥尻島)を始め鹿児島の水害などがあり、アジアの諸国でも最近のインド地震や各地で洪水などで大きな被害がありました。教区としてその都度、教区民に呼びかけ募金し、お見舞金や援助金を送っておりますが、教区全体に呼びかけて募金するとなると1〜2ヶ月遅れてしまいます。そこで予め、基金を用意しすばやく対応したらどうかということになった次第です。
この度白柳大司教さまのご了解を得てクリスマスの機会に、募金運動を展開することになりました。今年はとりあえず子どもたちへ呼びかけ、クリスマス献金として捧げて頂ければ幸いです。
そこで、小学校以下のお子さま向けに、別紙のような教材を作ってみました。クリスマスツリーを作りながら、恵まれない人々への思いやりの心を育てることができればと存じます。
なお、ご採用くださり、募金に参加してくださる学校、園は、ご面倒でも、電話かファクスまたは手紙、はがきで、数量、送り先をはっきりさせ、お申込みください。(その際送料のみ負担して頂くことになります)
1993年10月25日
東京教区福祉委員会
塚本伊和男
●申し込み先
東京教区福祉委員会(カリタス・とうきょう)
〒112文京区関口3-16-15 東京ナイス事務局内
Tel03-3943-2277
Fax03-3944-6677
女性にとっての自立と自律をめぐって
-女性と教会委員会講演会-
河野貴代美氏の講演を聞いてはじめて「フェミニストカウンセリング」というものがあることを知った。
このカウンセリングは、一般に言われる「女性らしさ」という仮面の下に巣くっている、神経症的なものに気づかせることによって、女性をさまざまなこだわりから開放していくための手伝いをするものである。
たとえば、「女性らしさを生きる」ということが、分を過ぎてはならないとか、人様はどうみているかなど、他人のオッケーを確認しなければ行動してはならないと思っているような人がいる。つまり「他人の評価」を気にして、自分で判断して行動するということになじみがない。「相手はどう感じるか」ということがいつも心の大きな場を占め、相手がどう反応するかを前もって考え、その予測した反応に自分を合わせるのである。
自分に対応する社会をいつも否定的に見ることが固定化してしまうと、分裂症の妄想を引き起すことになる。
他人に対する基本的信頼とともに、自分自身に対する基本的信頼を確立する必要がある。
ある現実に対して不当なことや不正なことに怒りを感じる時、それを主観的なこととして自分の中に葬り去らずに、その主観を客観的に見直してみること。自分の感覚を確かめてみること。ある事態にじっと踏み止まって自分で考え、そのものとやりとりができる、「柔軟な強さ」というものを自分の中に持つ必要性を考えられた。
最近、人間全体が本当に生きるためには、その感情、気持ちの動きをよく見つめることが大切であることを実感していたので、この講演を通してさらに確信をいだくことができた。
編集部から
細川総理は、「歴史の1ページが変わるのではなく、一つの章が変わる」といったが、実際には政治改革、経済改革など問題が山積し、悲鳴、うめき声をあげている。
NICE・2は終わった。会議は終わったが実行はこれからである。またもや「刷新」なることばが出た。古くて、新しいが「刷新」である。よほど、思い切った努力がなければ、「刷新」も1ページで終わるかもしれない。「家庭」の諸問題に、片手間でなく、4つに組むことによって「刷新」が大きな実をあげられるのではないか。
「家庭」という日本語はなにを意味している言葉なのだろうか。庭付きの家に住んでいる人々を指しているような気がする。そこに住んでいる人々がバラバラに生活していても、家庭と読んでいるのが日本の現実なのではないだろうか。「家庭」と言うのは、欧米語のファミリーやホームの訳語であるなら、それぞれの家庭が社会の共同体の一単位であって、社会全体を動かしたり、考えたりする原動力になる場でなくてはならないとおもうのですが???家庭という一番小さな共同体が一人ひとり、生き生きと生きられるような家庭を作るために、キリストの教えが意味を持っているのか。そうであるなら、その教えをこの世に示そうとしている教会は、日本の家庭にどんな刺激が与えられるのか。キリスト者の創造力とエネルギーが試されていると言える。
「顔のないNICE・2」
今回のNICEでは、責任の所在がはっきりしていないように見受けられた。代表者に渡された資料の何処にも、担当司教、事務局員の名前がない。基調考察の用紙が掲載されているが、誰が書いたものか名前がない。かろうじて、事務局長として小田武彦師の名前があるだけであり、母体、責任の所在がすっかり隠れているのである。