お知らせ
東京教区ニュース第104号
1993年07月01日
目次
- ◇ 第4回教会委員研修会 教会委員会の現状
- ◇ 「聖ヨハネホスピス」は今!ホスピス科部長 山崎章郎氏は語る
- ◇ 6月12日教会委員会の共通ルール 酒井俊雄神父講演
- ◇ 熱気に包まれた新人リーダー研修会
- ◇ 「動く紙芝居」による宣教師 ジュイニエ神父(パリーミッション会)
- ◇ 青年ネットワーク事務局だより
- ◇ C-TIC カトリック東京国際センターリポート<6月>
- ◇ 教区女性と教会委員会主催講演会 男・女そして神 「豊かなパートナーシップを求めて」
- ◇ ちょっとおたずねします
- ◇ カトリック研究会学生のためのミサ「能」を取り入れて
- ◇ 教会・修道院巡り(26) 『ベタニア修道女会』
- ◇ 教会報担当者アンケート75%回収
- ◇ 編集部から
第4回教会委員研修会 教会委員会の現状
5月22日(土)、6月12日(土)いずれも午後3時から9時まで、教区生涯養成委員会が企画した第4回教会委員研修会が開催された。
今回は「教会委員会の現状・共通ルール」をテーマに発題講演、パネルディスカッション、グループ作業と種々の方法で、アプローチした。
また、前回の研修会の際に、「あえて宿泊研修の形をとらなくても」という参加者の声を取り入れる、2回に分けた研修会の形を取ったことも注目される。会場には、後楽園サテライトホテル、潮見の日本カトリック会館が使用された。
参加者は、39教会、70人を越え、この問題に対する関心の高さを感じさせた。
5月22日 テーマ「教会委員会の現状」 岩島忠彦神父発題講演
「論としての教会、場としての教会」
岩島神父は(イエズス会)「いただいたテーマは、本来の教会とは、という本質論と、具体的な場としての小教区、この双方の絶対につながっていなければならない本質を合わせて考えることだと思う」と前置きし、本論に入いった。
「輪としての教会(教会の本質)」
神の民
「恵みとまことは、イエス・キリストを通してきた」というヨハネの言葉があります。キリストという福音の神秘-聖霊というあふれるような生命が与えられることによって、救いが実現した、神のご計画が完成した。この実現した恵みとまことを保ち、伝えていくために神は、たくさんの人間の中から、あるグループをつくりあげられた。それが教会-神の選びの民であるわけです。
教会は神の民というときには、教会は特別の使命を神によって与えられ、神によってだけ集められたグループだということなのでしょう。
ですから、この神の民は、キリストの真理、聖霊の生命と結ばれている限りにおいてのみ、教会でありうるわけです。
その本質は、具体的に2つの側面をもっています。
1、教会は与えられた恵みとまことを自分自身その場で、恩恵にあずかる。
2、受けたものをまわりに伝える。すなわち宣教をしない教会は教会ではない。
キリストの体
教会はキリストの体であると申します。
教会はどのように神に選ばれた民であるか、どのような形でその救いを受けるのかということをキリストの体という表現で表しています。
キリストと一体となること、同化すること、キリストに成りきることによって、それがなされるのです。
教会はキリストと一体となることによってのみ、恵みとまことを受ける、その受けたものを私たちを通してだけキリストが働き続ける、そしてまわりに伝えるという形で神の民が存在しつづけるわけです。
人類の救いの秘跡
「教会はキリストにおける秘跡すなわち神との親密な交わりと全人類一致のしるしであり道具である」(教会憲章第1項)
教会の存在理由、目的が語られています。
あらゆる時代、あらゆる場所、あらゆる人々のために教会は存在しています。
「神との親しい交わり」「人々の一致」そこにある愛と誠実と真実と勇気とチャレンジと、こういったことが教会にははっきりと見え、輝いているような形であるということです。それがしるしということです。
神の民、キリストの体、人類の救いの秘跡、これが教会の由来であり、教会のあり方であり、教会の目標を語っています。
最近の教会の動きは「信徒の教会」「福音宣教」「開かれた教会」の3つのキャッチフレーズで表されています。
今、述べた教会の本質を考えればこの3つが偶然出てきたものではないことがおわかりになるでしょう。
「場としての教会」
いつも教会に来ている人が社会や家庭で健全に生きているでしょうか?
信者の生き方を教会が反映しているでしょうか?
教会と現実の生活に接点があるでしょうか?
教会では、
1、礼拝行為
2、信仰の育成
3、諸活動
がなされています。このどのレベルでも現実との接点を確立することが必要です。
1、ミサは教会の魂です。典礼に現実の生活感覚が結ばれていなければならないと思います。生きた典礼にしなければなりません。
2、信仰の育成は割合に軽視されています。教会の場はより霊的なものを持たなければなりません。
信徒の霊性を高めるための場が少ないと思います。
祈りが育まれるような助けがあるでしょうか?
3、諸活動は、もっと現実的な、もっと社会的な、打てば響くような活動にする必要があります。例えば、外国人の受け入れ、結婚講座、国際的な交流等。
こういった現実との接点をもつ教会-生きた典礼、多様な現実に結びついた信仰を育み、時のしるしに直結するような活動を教会の中につくりあげるためには、自主性をもった教会でなければなりません。そのためにはビジョンとリーダーシップが必要です。
このビジョンとリーダーシップをとるのは、単に主任司祭1人ではできない、教会委員会の役割だと思います。
教会委員会への提言
1、教会委員会自体その重要性を自覚し、何らかの改善をする。
2、司祭の下部組織ではいけない。教会が現実との接点をもつために、メンバー1人ひとりが責任をもたなければならない。
3、大きなビジョンとリーダーシップをもつ。
4、多様性が生きることを考慮していかなくてはならない。
5、ネットワークを築いていく。
岩島師は、最後に「活発で生きた教会となるために、教会委員の皆さんの活躍を期待する」と励まして講演を結んだ。
パネルディスカッション
「教会とは何か…組織か、鳥合の衆か、司祭のものか、聖職者のものか、社会の避難所か…」
講演に引き続いて、3人の信徒-春宮伸光氏(浅草教会)、小林裕一氏(西千葉教会)、高根和雄氏(8王子教会)がパネラーとなり、上記のテーマでパネルディスカッションが行われた。
高根氏は、40年の銀行マンとしての体験を踏まえ、主として教会委員会の求められるものについて語り、小林氏は西千葉教会の信徒会の会則の実際を述べた。
春宮氏は、浅草教会で主任司祭が不在の期間に教会委員長を務めた体験を述べ、教会委員会がいちばん心がけたのは「情報の収集」であったと語った。
参加者が6つのグループに分かれてグループディスカッションをした後、森司教は、「これからの教会の活性化のポイントの1つは、情報収集であり、また、司祭と信徒のコミュニケーションも1つの課題である」と述べ、「教会委員会も信徒の気持ちを吸い上げるのみではなく、現代社会の人々の要望もくみ取らなければ魅力ある教会を育てられないという自覚が前提に育っていなければならない。ビジョンを育て具体化していくために、リーダーシップのあり方が課題となる」と第1日目の研修会をまとめた。
「聖ヨハネホスピス」は今!ホスピス科部長 山崎章郎氏は語る
1988年聖ヨハネホスピスが開設され、その歩みが始まった。この4年の歩みを、現在聖ヨハネホスピスでホスピス科部長をしておられる山崎章郎先生にうかがった。
山崎章郎先生は、『病院で死ぬということ』(主婦の友社)という本を書かれ、日本エッセイスト・クラブ賞を受賞された。この本は大きな反響を呼び、ベストセラーになった。映画化もされて本年8月から上映される予定である。
Q 1988年にカトリックではじめての、末期患者医療を専門とする聖ヨハネホスピスが誕生しました。4年経った現在の状況はいかがでしょうか。
■山崎 私は1991年10月にここに来ました。その時6床でしたが現在は12床になっています。いつも満床で、他の病室のベッドを借りる場合もあります。外来で入院を待っている人が常時5〜6人います。1人の診療に最低40分はかかりますので1日の初診は3人ですね。再診もありますから。全部予約制で、5月31日現在で6月21日までいっぱいです。常勤看護婦が15名、ボランティアもたくさんいますが、医師は私1人です。今電話をして来て入院は恐らく1か月後ですね。その時までには亡くなる人もいます。「ベッドが空きましたよ」と電話をすると「もう亡くなりました」とね。そんな時、いちばん辛いですね。そして今は普通の病棟を使っているんですが環境的にも十分ではないんですね。もう少し良い環境にしたいですね。
Q 今年6月に新病棟建築が始まるそうですね。
■山崎 ホスピスケアを望む患者さんが増えていますので必要ですね。聖ヨハネホスピスも少しずつ知られて来ているので、新しい病棟が20床になってもすぐいっぱいになってしまうと思いますね。
Q ホスピスを簡単に説明していただけますか。
■山崎 ホスピスのあり方の基本は人を大切にするということです。病気が治らないということはほとんどの患者さんが分かっておられる。だから自分の思い、悩み、気持ちをとても率直に言ってくださる。それに対して私たちはできるだけ応えて行きたい。
それからホスピスの主要な目的は、肉体的な苦痛を取ること。これは基本的なことですね。その上で人間的な関わりを作っていくので、かなり心のケア、支えになれると思います。
Q ホスピスを支えるために、ボランティアがたくさんおられるそうですね。
■山崎 ええ、百人ぐらい登録されているようです。でも病室に直接入って、患者さんに接する人は30人ぐらいです。全員が患者さんに接するわけではありません。ホスピスを支えるいろんな活動がありますから、役割分担をしているんです。コンサートやバザーなどで資金を集めるというグループもあります。
Q 『病院で死ぬということ』の次に『安らかに死ぬということ』という本を最近お出しになりましたが、これらの本に対する反響が大きいということは、現代医療に対する疑問が、人々のなかに大きいということでしょうか。
■山崎 『安らかに死ぬということ』という本では、死を準備し、医療への意志を明らかにしておくことが大切だということが中心になっています。
癌の場合は死までに時間がありますが、突然の事故や、心臓疾患の時は時間がありません。医療現場に連れて行かれたら、医者は目の前の患者さんの命をのばす努力をするのは当然です。その人の気持ちが分からないから。本当はその人は、現代医学のいろんな治療を受けたくないかも知れませんが、その人の気持ちが分からなければ、なんとか心臓を動かそうと努力する。自分の本当の気持ちがあるなら、文章に書いておくとか、家族に話しておくとか、必要ですね。そのようなことについて書いてあります。翻訳物ですが。
Q 日本では癌の告知は難しいと言われているようですが。
■山崎 癌を告げるというのは普通の病気の病名を言うのとは、ちょっと違いますね。治るのが難しいし、普通の人が癌に対して持っているイメージは、まず助からないんじゃないか、最後はとても苦しいんじゃないか、という概念がある。これは医療側にもあります。癌の痛みはしようがない、癌は痛いものだと。それを伝えるというのは、とても辛い、苦しい死を迎えなければなりませんよということを伝えることですから。この認識がずっと長くあったと思います。この概念は患者側にも、医療側にも定着してしまった。だから伝えにくい。肝硬変とか糖尿病というのならまだ伝えやすい。しかしこの病気も悪くなれば死に至るのですからね。
ぼくらが癌であることを伝えるとすれば、癌によって起こってくる症状、痛みとかをちゃんと取り除く状況を作っておく。癌は確かに今の段階では難しい病気、治るものもあるが、治らないものもある。しかし痛みで苦しむことは決してないということを知らせる状況を作れば、もう少し病気を伝えやすくなると思います。
私たちのホスピスでまずやっていることは、痛みを完全に取ること。ホスピスの患者さんで、痛みで苦しんでいる人はほとんどいないと思います。今の医学では癌の痛みは知識と技術を使えば、ほとんど取れてしまう。モルヒネを使うんですけどね。これを上手に使っていくと、中毒の心配、いわゆる麻薬中毒の心配とかは全くありません。最後まではっきりした意識を持ったまま、痛みは全然ないということはできます。
ぼくらは少なくとも「あなたは痛みで苦しむようなことは決してありません」と言えますし、それは実際できますね。
ここに来た人たちは、かなり最後の時まで痛みのない状態で過ごせますから、死の間際まで普通に動ける人がいます。突然最後の時が来るという感じがしますね。昨日まで歩いていた人が、今日急に亡くなったというような。
これは病気が治って動けていたのではなくて、病気は進行していたんですが、かなり悪くなるまで痛みがなかったので、苦しまなかったということなんです。
Q このような治療は普通の医療機関ではできないのですか。
■山崎 いや、これはできるはずです。そんな難しいことをしている訳ではありません。ただモルヒネを使う量が普通より多いというだけです。でもこれは世界中の末期患者の医療に取り組んでいるところでは、普通にやっていることですし、知識としてはあるんですね。
普通の病院の先生たちが、患者さんの痛みに関して、その訴えによく耳を傾け、聴いてあげるということですね。その上で、どういう痛み止めを使っていけばいいのかを工夫する。どこでもやろうと思えばできるはずです。それをしないで患者さんが痛みで苦しんでいるとすれば、その担当医の怠慢、努力が足りないということですね。今は癌は痛みで苦しむ病気ではない。少なくともこのことは、ホスピスを担当しているものにとっては常識です。
Q ホスピスは普通の病院にも広がっていますか。
■山崎 少しずつですね。病室の広さとか、家族のための部屋とか。そういう施設基準がいくつかあります。厚生省が決めているんです。それに見合ったホスピスは、現在全国に9つぐらいあります。新しいものはそれに合いますが、既成の病室を使っている所もあって、それも入れると20か所ぐらいあると思います。ただ規模が小さいです。日本全国合わせても病床の数はしれている。
癌で死ぬ人は毎年22〜3万人と言われますから、その人たちがホスピスケアを受けられる可能性はほんとうに少ないです。そういう意味で、ホスピスがもっと広がっていかないと、いたずらに癌(痛み)で苦しんでしまう患者さんが多いということになってしまいます。ホスピスまではいかなくても、痛みを取るとか。病院もその気になってほしいですね。その後のケアは確かに人手がかかるので、十分なケアはできないかもしれない。ホスピスのようには。でも少なくとも痛みだけは、取ってあげてほしいですね。
Q 先生が持っておられる夢、希望をおきかせいただけましたら・・・
■山崎 ホスピスのことをもっとたくさんの方に知っていただきたいですね。だれかに勧められてホスピスケアを受けるのではなくて。
癌になる確率はとても高いんですよ。4人に1人は癌で亡くなる。治る人もいるから、3人に1人は癌になるという現状です。
自分がもし癌になったら、ある段階までは治療を受けて頑張る。治る可能性もありますのでね。だけどもし治療の可能性が難しくなったら、そのまま病院で治療の継続を受けて、1パーセントの可能性のために、残りの全エネルギーを病気と戦うために注ぎ込むより、もし治るのが難しいなら、病気は病気として受け入れて共存し、残された時間をどう生きるかにエネルギーを向けてほしいと思いますね。そのためにホスピスが応援します。
ホスピスケアの目的は、病気と戦うための応援というよりは、もう戦い疲れた人とか戦うことが難しくなってきた人が、自分の人生を見つめ直して、周囲の人と交流を深めたり、よい時間を持って、人生にさよならをしていく。このプロセスができるように十分支えようということなんですね。
宗教の力が必要になってくることもあります。いろんな形で、いろんな人たちで患者さんを支えていこうと思っています。こういうケアを少しでも多くの人に受けてもらえるように、核になっていけたらいいと思っています。聖ヨハネホスピスを1つの核として、網の目のように広がっていったらいい。ここがうまくいって成功したら、チェーン店のように全国に作れたらいいですね。(笑)
それから、治療の1パーセントの可能性を断念してホスピスを選んだ人に、この少しの心残りを、十分報われるだけのホスピスケアができるようにしたいです。これを選んでよかったと言えるように。
Q 先生とお話しをしていると、死に対する恐れをあまり感じませんが。
■山崎 そうですか。毎日患者さんに接するときも、特別なことをしているわけではありません。基本は患者さんにうそをつかないということです。
患者さんから聞かれた時、もし悪ければ「悪いですよ」ときちんと伝えます。「大丈夫ですよ」とは言わない。患者さんはそれによって、自分をきちんと見ることができますから。
ここにいる人の9割以上の人は、自分は癌で治る見込みがない、難しいと分かっています。知らない人もいますけど。お年寄りなど。そういう人には無理やり癌だとは言いません。聞かれれば答えますが。「とても悪いですよ」と言うだけで、自分がどんな状態か分かりますから。質問されればきちんと答えますけど。
「あとどれくらいですか」と言われれば、目安として「これぐらいかも知れません」と。聞かれたことに対しては、ほんとうのことを言います。ホスピスで患者さんと良い関係が作れるのは、うそを言わないからだと思います。
在宅ケアもしていますが、シスターとか神父さんを紹介してほしいと言われることがあります。この前も洗礼を受けた人がいましたね。
この病院はカトリックが母体ですが、患者の宗教にとてもおおらかですね。その人が大切にしているものを、大切にしてあげたい、という気持ちがあるのはすばらしい。カトリックはとてもおおらかな感じがします。
Q きょうはお忙しい中、ありがとうございました。
6月12日教会委員会の共通ルール 酒井俊雄神父講演
6月12日、教区生涯養成委員会主催の教会委員会研修会の2日目(1日目は5月22日)が、潮見の日本カトリック会館で開催された。テーマは「教会委員会の共通ルール」
研修に先立ち、白柳大司教は、「信徒1人ことりが、共同体に属するという意識、共同責任があると自覚する内的刷新が前提になければなりません。変わることの大切さ、変わる時期があることを自覚し、勇気をもたなければなりません。」と出席者を励まされた。
1、共同体には共通ルールが必要
(1)規約の必要性
出エジプト記の18章には、エトロがモーセに対して組織化を勧める個所があります。モーセ1人だけが席について朝から晩まで民を裁いているのを見て、「あなたのやり方は良くない。あなた自身も、あなたを訪ねて来る民もきっと疲れ果ててしまうだろう」と忠告します。共同体を生き生きとさせるためには組織化が必要であり、組織をスムーズに動かすためにはルールの確立が不可欠なのです。
(2)信徒の教会
現代の教会は、司教(または司祭)が信徒に一方的に命令するということではなく、共に協力して、考え、行動していくことが求められています。信徒は、各自の力と時代の必要に応じて教会の救いの事業に積極的に参加することが求められており、一方では、司教(または司祭)の権能は信徒に仕えるためであることが強調されています。従って、信徒は小教区のあり方に積極的に参加していかなければなりません。そのためにも教会委員会が必要なのです。
(3)司祭と教会委員会が役割を分担
前回の講師である岩島師が、教会では1、礼拝行為、2、信仰への育成、3、諸活動がなされていると指摘されていましたが、1、と2、については司祭がリーダーシップをとるべきだと思います。3、の諸活動(例えば外国人の受け入れ、結婚講座、国際的交流等)は教会委員会がリーダーシップをとるべきではないかと思います。特に教会の維持・運営に関しては教会委員会の責任ではないかと思います。
2、規約作成にあたって
(1)「安息日は人のために定められた」
教会が開かれた教会として活動していくためには、組織化や規約がある程度しっかりしたものでなければなりません。しかし、組織や規約はそれができると、かえってそれにしばられ動きがとれなくなってしまったり、人を裁いたりしてしまうことがあります。わたしたちは、その規約の意味と目的をよく知り、それを活用していくことが必要です。そのためにあまり細部にとらわれず、必要最小限に留めるのがよいと思います。
(2)教会委員は奉仕職である
教会委員は信徒の代表として委員会に参加するのですが、このことは、委員が名誉職であるとか、権力をもっているということではなく、奉仕職であるということを大切にしなければなりません。
(3)少数の意見を大切にする
教会委員会は、議会とは違い、「神の救いの事業」に参加するわけですので、十分な話し合いと少数意見を尊重することを忘れてはなりません。そのため委員会は、基本的には多数決によって決めるのではなく、みんなの合意によって決定すべきだと考えます。
(4)各教会の独自性を大切にする
各小教区にはさまざまなグループがあり、もうすでに活動しているので、それをよりよく生かすような規約を作ることも大切だと思います。
酒井師は最後に、「教会は多数決で小数意見を抹殺するのではなく、何回も話し合いを重ねて、なんとなく合意するというのがよいのでは……」と話し合いの重要性を強調して講演を結んだ。
続いて、多摩教会の北村司郎氏が、1971年に入居が始まった多摩ニュータウンで、多摩教会が現在の姿になるまでの体験を語り、「白柳大司教様から、教会は建物ではない。あなたがたがいればそれが教会だという言葉に励まされてきました。多摩教会は信徒のつくった教会だという意識が残っています。」と、生き生きとした言葉で体験を語った。
■グループ作業
生涯養成委員会担当の門馬邦男神父が、「神の民の共同体はどんな組織なのか、皆で考えてみよう。」と提言し、「教会法では、小教区には、司牧評議会と経済問題評議会の設置が必要だとうたわれているが、これを教会委員会との関係はどうなのか考えてみよう。」と具体的な示唆を与えた。参加者は11のグループにわかれ、熱心に訂義し、それぞれの考え方を図式化した。
■門馬神父講評
まとめに同師は、11の図を見て次のように論評した。
「超小教区的なレベルで、コミュニケーションができたと思いますが、皆さん従来の自分たちの形にとらわれているような気がします。
今までなれ親しんだ形からいかに脱皮するか、根本的な発想の転換が求められています。従来あったものに固執しないで、教会共同体に本当に必要なものは何かを考えることが大切です。
信仰を生活の中で、どのように具体的に営んでいくかが問題でしょう。」と。
作業を通して、参加者1人ひとりの意識が浮きぼりにされ、今後の問題点がかなり明確化された研修であった。
熱気に包まれた新人リーダー研修会
5月23日、聖パウロ女子修道会ホールで、東京教区教会学校委員会主催の新人リーダー研修会が行われた。
今回の参加者は、若い青年やシスターが多く、ホールに入りきれるかと思うほどの人数であった。
プログラムは、名古屋教区司祭で、現在神学院のモデラトールである太田実神父の「リーダーになるとは」、東京都レクリェーション協会の中能なかよく孝則氏の「仲間作りゲーム」、援助修道会シスター景山あき子による「子どもと典礼-ともにミサをささげる-」の3部から構成された。
太田神父は、「話がつまらなくても、元を取ったと思えるようにレジメをお土産に持ってきました」とユーモアのある話し方で始められ、ご自分が在日韓国人の両親に育てられたせいもあって、韓国語は何も話せなかったのに、叙階後すぐ在日韓国人の司牧をまかされ、ハングルを1から勉強し大変苦労をしたことや、韓国人の世話がよく出来るようになるために、司教にお願いして2年間韓国の教会の助任をしていたことなどを話した。
両国のリーダー育成の仕方の違いを比較して、日本のリーダーには、韓国のやり方ではとてもついてこないだろうと、ちょっぴり辛口の話もあった。
私たちにとって大切なことは、聖書をよく読み、祈り、典礼を大事にし、共に生きることである。リーダーは時間も体力も使うが、自分のいちばん大事なことをささげることにより、信仰者として育てられていくのではないかと思う。イエスと共に信仰を分かち合っていきたいと思うと結ばれた。
中能氏は、いつものように参加者をゲームの中に誘い込み、皆、我を忘れてゲームに熱中し、まさに今日のテーマである仲間作りそのものであった。
シスター景山は、子どもたちの信仰教育の大事さを話され、私たちはすぐ子どもたちに話を聞きなさいと言うが、まず先に、子どもたちのことを聞いてあげなければいけない。そうすれば子どもが何を言いたいのかわかってくるし、子どもも私たちの話をよく聞くことができるようになると話し、また子どもたちがよく参加できるために典礼の変えられるところは変えて、子どもたちの出番をふやしていったほうがよいと、経験にもとづいた話をしてくれた。
1時30分から5時まで、今までにない熱気に包まれて、三々五々、会場を後にした。
(間島道子)
「動く紙芝居」による宣教師 ジュイニエ神父(パリーミッション会)
ジュイニエ神父(パリーミッション会)
1943年に司祭に叙階されてまもなく派遣された任地は中国。52年に中国から追放されて来日。以後東京教区の徳田、秋津教会の宣教司牧にあしかけ20年。
自ら「動く紙芝居」と呼ぶ聖書を題材とした人形芝居を創作して、聖書のメッセージを分かりやすく、子どもやお年寄りに伝えてきた。今は黙示録を題材にした創作に取り組んでいるという。
去る5月16日、秋津教会で司祭叙階の50周年記念を盛大に祝った。
72年から北海道の8雲教会主任。司祭の少ない北海道で生涯を終えたいという。
青年ネットワーク事務局だより
教区青年一泊錬成会 みんなと一緒に神と自分の関係を見いだすために
5月8(土)〜9日(日)にかけて、横浜カトリックセンターで第2回東京教区青年一泊錬成会が行われ、約20人ほどの青年が集まった。
昨年から始まったこの泊錬は、泊流会(一泊交流会)とはまた別の角度から信仰を深めることを目的として「信じてること生きてるっ?」をキャッチフレーズに行われるものである。だからそこではみんなとの「出会いを通して」というよりも、みんなと一緒に「神と自分との関係を見いだす」という神とのつながりをより大切にするものであろう。
今回の泊錬は前回の泊錬からの流れのをくむもの(つながりのあるもの)にしたいという気持ちから前回のメインイベントが深夜0時からの「手作りミサ」であったのに対し、今回は「祈り」を取り上げることになり、そのためテーマは「祈りって……!?」という原点に触れるものとなった。
まず準備段階において、スタッフが「祈り」についての分かち合いを数回繰り返し行いながら、泊錬の内的な面を深め合ってきた。その中で気ついたポイントが、「落ち着いて祈ってみる時間を持ちたい」ということであった。社会生活を営む私たちにとって、日常生活の中で時間的にも精神的にもゆっくり自分を見詰めることや「祈る」ことができない。だから今回の泊錬では、「祈り」について分かち合うだけでなく、実際に「祈ってみたい」「個人的に黙想してみたい」という気持ちが沸いてきたのであろう。そのため内容的にもゆったりとしたものにできるようプログラム編成がなされた。
プログラムに目を通してみると今回の泊錬の流れが3つのステップから成り立っていることがわかる。まず第1にあらかじめ各人が考えてきたことやテゼの植松氏の導入の話を題材にしながら「個人的に祈りの中で深めてみる」ということ、そのため1日目はテゼの集い(祈りと黙想の集い)や個人的な黙想の時間だけが設けられ、分かち合いなどの時間はない。第2に1日目に深めたことを分かち合いながら「それぞれの考えや気持ちに触れること」、それを今後の参考にすること。そして第3にそれを「神に捧げること」によって気持ちの面でまとめる。そのためにミサの中で共同祈願の形で各班での分かち合いから出たことを祈ることである。
今回の泊錬には森司教や晴佐久神父のほか、フランスのテゼ修道共同体からのブラザーの参加もあり、さまざまな人の話も聞くことができた。
今回の泊錬で、分かち合いの中でも出た話だが、祈りは方法でも量でもなく、祈りに対する前向きな姿勢が大切であることが、少なからずわかるような気がした。だから今回の泊錬で祈るきっかけができただけでも良いと思う。
(金田順一)
C-TIC カトリック東京国際センターリポート<6月>
●4月1日にC-TIC第2期の新しいスタートをいたしましたことは、ご承知のことと思います。私もここで仕事をさせていただくことになり、その1つは賛助金会計なのでまず、その報告をして、今後とも皆様のご支援を心からお願い致します。
●4月1日現在私が引き継ぎました金額は、
¥4、012、363
(普通預金、現金)
¥1、000、000
(定期預金)
●場所も変わり年間支出もはっきりわかりませんが、
人件費、事務費、電話料金、電気、水道、リコーリース、雑費、活動費などです。
●ニュースレターを出しますことは費用がかさみますので、当分の間、東京教区ニュースの中に場をいただきましたのでご了承ください。
できるだけ活動費にお金をまわしたいと思います。
●また、この新しいスタートでC-TICは、東京教区の中でたくさんのグループの方方が滞日外国人のためにいろいろ努力しておられるので、その活性化のためにどのようなことができるのか模索しております。しかし、一方で相談の電話などがありますので受けております。
●皆様のお知恵をお借りしたいし、また、ご意見がございましたら、お聞かせくだされば、参考にさせていただきたいと思います。
次号には、ここの仕事の内容をお知らせしたいと思います。
(林香枝子)
教区女性と教会委員会主催講演会 男・女そして神 「豊かなパートナーシップを求めて」
5月15、16日の2日間にわたって開かれた「男・女そして神-豊かなパートナーシップを求めて」は、内容の濃いもので、教会のなかで女性について考える芽となった。
50名ほどの参加者のうち男性はわずか3名。満留神父は「今とても不安な気持ちです。男性が少ないから。男性のなかに女性が2、3人という場合、こういう気持ちなのかと経験できました」と挨拶された。女性自身が女性について認識することも必要だが、男性にもこのような会に大勢参加して、人間理解を深めてほしいものだ。
1日目、まず幸田和生神父が「女性にとっての福音とは」という題で話された。旧約聖書の時代から今に至るまで、どこの社会も男性中心であり女性は従であった。しかしイエスは違った。マルコ10章の離婚について、ルカ10章のマルタとマリア、同じく7章の罪の女、ヨハネ8章の姦通の女を取り上げながら、裁く側ではなく苦しむ者と心を1つにしておられるイエスを見た。男性は女性を利用価値でしか見ていない。イエスもまわりからその目で見られ、利用価値がなくなると十字架上で見せ物にされた。男たちは逃げてしまったが女性たちは残った。イエスが当時の男性と違う目で女性を見ていたことがうかがえる。最後は聖母マリアの、神への従順と謙遜の姿で講演をまとめられた。
続いてシスター今道遥子は、「ルツの姿を通して見る女性の解放」について述べた。旧約聖書の表現を見ていくだけで、当時女性がどれほどないがしろにされていたかが分かる。ルツ記に入る前に、創世記の人間創造の2つの物語を読み、神の似姿として造られた男と女を確認した。ルツ記は旧約聖書のなかで、異邦人の女性の名を持つ唯1のもので、序と4つの場から成っている。たまたま起こったいろいろの出来事によって物語は進んでいくが、この偶然によって行われる登場人物の決断の陰に、神の働きが感じられる。聖書自体が男性社会のなかで書かれ、後の理解・解釈も男性社会のなかでなされた。女性の解放は1人ひとりの女性が担っていかなければならない課題である。神のイメージされた女性性を輝かすとき、男性も神のイメージされた男性性を輝かすのでは……と結ばれた。
2日目は、森司教の挨拶に続いて実践女子大学の岡野治子教授が「日本宗教史の脈絡のなかで」女性について語った。日本における女性差別は古代神道のなかにみられる。自然共同体のなかでじっとしていれば安心という集団意識は、その後日本に入ってきた仏教、儒教も飲み込み日本的にしてしまった。精神的に成熟するためには、自分に目覚める必要がある。解放された女性のモデル、弱い者と連帯する姿、能動的な強さをマリアに見て終わった。
2日とも質議応答が活発で、参加者は関心をもってメモをとっていた。
女性問題は男性問題であり、子ども、外国人、老人など弱者全体にかかわる問題でもある。これからもさまざまな角度から女性についての深めが期待され、成長してほしい集いである。
ちょっとおたずねします
Q 信者になって長いのですが、初歩的な質問をさせてください。なぜミサのことをミサというのでしょうか。
A、 ミサはもちろんかなり昔からミサとよばれてきましたが、最初からそうだったわけではなく、5世紀頃から1般的になったようです。それ以前にはいろいろな名称があり、集まり、感謝、賛美、奉献、ささげもの、パンを割くこと、奉仕、といった意味のギリシャ語やラテン語が用いられていました。これらの名称はいずれもミサの大切な要素を表しており、1つの名称では表現しつくすことのできないほどのミサの豊かさを今日でもわたしたちに教えてくれています。今の日本の教会でも、ミサのほかに感謝の祭儀という名称を用いて、ミサのもつ豊かさを表そうとしています。
さて「ミサ」ですが、もともとはミサの結びの派遣のことば「イテ・ミサ・エスト」(行け、終わった)というラテン語から出たといわれています。初めの段階では、解散することや結びの祈願といったミサの結びの部分だけをさしていたのですが、次第に祭儀全体を表す名称として使われるようになってくると、なぜミサというのかは必ずしも判然としなくなっていったようです。ラテン語の時代からすでにその傾向があったわけですから、ラテン語のわからないわたしたちが、ミサのことをなぜミサというのかがわからなくてもむしろ当然かもしれません。
ギリシャ語のエウカリスチアから「感謝の祭儀」ができたように、「ミサ」も適当な日本語に訳すことができればいちばんいいのですが、それも無理であれば、ミサという名称の由来を1人ひとりがしっかりと意識していくしかないでしょう。
派遣のことばからとられた「ミサ」という語が祭儀全体の名称となっています。それほど派遣はミサにとって大切な要素なのかもしれません。もしそうであるならば、ミサという名称は、ミサが生活の場への、そして福音宣教の場への派遣にほかならないということをわたしたちに伝えようとしているのではないでしょうか。
(山本量太郎神父)
カトリック研究会学生のためのミサ「能」を取り入れて
カトリック研究会の新しい企画として、「学生のためのミサ」を始めることにしました。
その第1回目として、5月14日に真生会館で、日本の伝統芸能である「能」を取り入れたミサを行いました。
この新しい試みの目的は、以下のとおりです。
まず第1に、最近の会員数の減少によって、カトリック研究会は、またも解散の危機に直面しており、広く一般に、私たちの存在、並びに活動内容を知らせ、新しい会員を獲得しようとするものです。
第2は、私たちの活動を、今の時代の私たちに合ったものにするために、新しい活動内容を模索するものです。
時代と共に、特にこの10年の間に、学生のライフスタイルは、大きく変化しています。そして最後には、東大の学生に限らず、東京在住の学生の集う「場」がこれといってなく、特に自宅を離れて下宿している学生にとって、カトリックの生活から遠ざかってしまいがちであるので、そのような学生が集って、カトリックの信仰について、分かち合いができる機会をつくるものです。
今回のミサでは、東京近辺の学生寮及び主な教会に案内を出しましたので、フランスの留学生を含め、当日は20数名の参加者がありました。
カト研会員の栗田直幸君が、援助修道会の皆様の協力を得て、ミサ中の聖歌の部分を、「能」の形式によって歌いました。彼の荘厳な声が、聖堂内に響きわたり、参加者の心にしみいりました。
ミサの後に、ささやかな分かち合いの会が開かれました。まず、栗田君が「能とミサ」について話をしました。その主旨は、「能は古くは宗教的なものであったが、今残っているものは、人間の情を描写しようとしているもので、必ずしもカトリックと通じるところはないのかも知れない。
しかし、さらに高いところを目指し、日々精進して自らを磨く『芸』の精神は、信仰との共通点も大きいのではないか」というものでした。参加者の1人は、「能の謡には、聖歌と違った良さがあり、非常に新鮮な印象を受けた」と語っていました。(O・シエガレー神父)
教会・修道院巡り(26) 『ベタニア修道女会』
1927年7月19日、聖ビンセンシオ・ア・パウロの祝日、フロジャク神父は中野の江古田にある結核診療所の1人の入院患者を見舞った。当時の結核患者の悲惨さを目の前にした彼は、この日以来病人訪問を自分の使命の1つとし、30年間続けることになった。
1929年のある日、1人の患者が退所命令を受けて、行き場のないことを神父に訴えた。2年間の訪問で神父は診療所の事情が分かっていた。
治っても治らなくても1年たったら患者は退所させられてしまうこと、退所させられても帰る所のない人が大部分であること、結核患者の収容施設は中野を除いてはほとんど皆無に近いことなど。
日本の結核は手のつけようもない泥沼の様相を呈していた。「誰かが手を差し延べなければ」。彼にとって、自分の目の前にうなだれて立っている1人の人を見殺しにすることはできなかった。
こうして1軒の借家が神父の負担によって借りられ、数名の行き場のない患者が収容された。
東京府豊多摩郡野方町丸山に設けられたこの仮の施設は、神父がベタニアの事業に踏み出す第1歩となった。
翌年に、木造2階建てのホームを作った。神父はこれを「ベタニアの家」と名づけた。ベタニアは、ラザロとマルタ、マリアの村で、イエスが旅の疲れを癒されたところである。新しく生まれた事業の実質的な担い手となるため、彼は修道会をつくる準備をした。
神父の呼びかけに応え、そこに新しいキリストのわざの実現を見出して集まった若い女性たちによって、ロゼッタ姉妹会が生まれた。彼女らは、3つの修道誓願のほか、1生の間病者への奉仕を約束する。重症の結核患者たちに仕える、という激しい労働と祈りの生活をもって、困難な神父の事業の草創期を支えたこのロゼッタ姉妹会こそ、今日のベタニア修道女会の前身である。
1937年、修道会は教皇庁から正式認可を受けた。
戦争中も戦後も、フロジャク神父が手がけた事業は多い。特に戦後は、上野の貧民救済、那須のカトリック総合福祉センターを建設したことなどである。
当時の事情に押されて始めざるを得なかった事業は、今日の社会の状況の中でもまだ、営まれなくてはならない重要な意味あるものとして、ベタニア修道女会によって受け継がれている。
〒165 中野区江古田3-15-2
教会報担当者アンケート75%回収
5月の「広報の日」にちなんで、教区広報委員会では各小教区で発行されている教会報の実態を知ろうと、小教区報担当者を対象とするアンケート調査を実施した。その結果、およそ6割の小教区で教会報が発行されているものの、それを支えているのは5人以下という小数精鋭(?)のスタッフたち、はからずも編集担当者の奮闘ぶりと苦悩が浮き彫りにされた。
広報委員会では、この結果をもとに、今後小教区報担当者を対象とした研修会を実施したいと計画している。
回答を寄せた58小教区のうち49小教区が教会報を発行していると回答している。教区全体でみるとおよそ6割の小教区が何らかの形で教会報を発行していることになるが、この数字を多いと見るか少ないと見るかは評価の分かれるところだろう。
発行目的と編集方針
発行目的のベスト3は、
*信徒の交流
*お知らせ・報告
*教会・司祭の方針の伝達
ここで目をひくのは、多くの教会が「信徒の交流」をあげたこと。教会報が教会や司祭からの方針等を伝達する「お知らせ」的役割を担っているのは当然といえようが、さらに、信徒の意見や情報を積極的に取り上げて、教会報を「分かちあいの場」(小平・成城)と位置づけて信徒の交流や親睦、意見交換を積極的に図ろうというわけだ。そこにはまた、教会や司祭から信徒へという1方的情報伝達から脱皮して「信徒が信徒へ向けてのメッセージ」(関町)を目指そうとする編集スタッフの意気込みが感じられる。
編集方針では「とにかく1人でも多くの人に読んで欲しい!」との願いにつきるようだ。そのための工夫としてグラフにあるようなさまざまな努力をしている。初めて教会に来る人が読んでも親しめる内容をということで、教会用語をできるだけ1般の人にもわかるように心がけている教会(吉祥寺)もある。
発行回数や記事傾向
7割の教会が年5回以上、つまり2ヶ月に1回以上のペースで教会報を発行している。ページ数は6ページから12ページあたりが多いようだ。部数、はこれは教会の規模がそのまま反映してさまざま。
記事傾向では、司祭の声は何面に載せますかとの問いには、予想どうり(?)1面にというのが圧倒的だった。昨年の”広報の日研修会”で講師が「1面は顔である、なのにいつも司祭の声というワンパターンでいいんですか?」と教会報編集者をさかんに挑発していたが、この辺は今後の課題といえよう。
編集スタッフは5人以下 信徒の協力・反応が欲しい
さて、これだけの仕事を何人の編集スタッフでこなしているかというと、圧倒的に5人以下!!企画に始まって原稿依頼や執筆、そしてレイアウト・文字校正……と日刊紙を作るのと変わらない作業を編集に素人の信徒が少人数でしかも限られた時間の中でやるわけだから、これはかなり大変だ。スタッフ不足を何とかしたいという声が大きいのも当然だろう。
編集スタッフのもう1つの悩みは、信徒の協力や反応があまり得られないこと。原稿をお願いしても書いてくれる人が少ないので、どうしても「内容がマンネリ化」(高幡)「書き手が片寄る」(豊四季)ことになってしまう。また、読者である信徒からの「よいとか悪いとかの批評がほとんどない」(豊四季)ので、「読んでいてくれているのか不安」(葛西)と手応えのなさを嘆いている。
駆け足で教会報の現状を見てきたが、私たちの教会の潤滑油であり広場である教会報―ふだん何気なく読んでいるこの小さな紙面の役割の重要性を改めて思い起こすとともに、編集スタッフの情熱と努力によって作り続けられているこの教会報が教会に根づきすくすくと育っていくには、読者である信徒の協力や支援なくしてありえないことを確認しておきたいと思う。まさに「よい読者はメッセージのよい送り手」なのだ。
編集部から
教会報アンケートへのご協力を感謝します。それにしても「作業は午前さまも」(吉祥寺)という皆さんの苦労のわかること!教区報の編集でも午前様が良くあるようなぁ、トホホ……。でも、教会と信徒を結ぶ潤滑油となるべく、互いにがんばりましょう!!
教区ニュースを編集している時、「これをどんな人が読んでくださるんだろう?」と考えます。読んで為になり、得をしたと思っていただけるような教区ニュースにしていきたいと思います。ご意見をお願いします。
「えーそうだったんですか、知らなかった」と感心して教区ニュースを読んでいる人の目を追っていくと、”ちょっとおたずねします”でした。”教会・修道院巡り”とともに好評です。これからもご期待下さい。