お知らせ
東京教区ニュース第41号
1982年05月01日
目次
第8回教区広報大会
日時 5月16日(日)
場所 東京カトリック・センター
内容 講演と質疑応答 主催東京教区広報委員会
10:00「豊かな第三の人生への道」、A・デーケン師
13:00「ソーシャル・ワーカーから見た老いの現実」 奥川幸子先生
15:00「広報の日」のミサ (地下聖堂にて)
実践の色濃い
’82代議委員
迫りくる核の恐怖
やつぎばやに反対集会
教区は3月22日、カテドラルで82年度の代議員会を開いた。主要テーマは「教皇の平和アピールに答えて」。「核兵器完全禁止と軍縮の実現を要請する署名運動」の推進や千鳥ケ渕戦没者墓苑での平和祈願祭の充実の呼びかけ提案、広島正平協の活動報告などもあったが、なかでも重要なものは、日本のカトリック教会独白の「平和の日」の制定を司教団に要望しよう-という布教司牧協議会からの提案であった。活動を末ながいものにする目安としてはともかく、日本という特別の事情からも、1月1日と決められている全教会「平和の日」とは別に、日本のカトリック教会として固有の「平和の日」を設けたら-ということは、白柳大司教の示唆でもあり、また大方のブロックからの声でもあった。審議の結果、8月6日(広島被爆の日)からはじまる7日間あるいは10日間を、日本のカトリック教会独自の「平和の日」(週間もしくは旬間)として制定するよう、東京教区民の総意として、白柳大司教を通し、5月の司教会議の折り司教団に要望することを、原案通り圧倒的多数で可決した。その他「司祭の家」の募金推進呼びかけ、決算の承認、予算の審議もなされたが、本年の代議員会は大司教の基調演説をはじめとして、平和運動への意識高揚一色の感があった。
会議は午前10時6分、仮議長の登壇ではじまった。開会の辞と祈りはいつもの通りだったが、本年はとくに基調演説に集中させるためか大司教の挨拶はなかった。
議長は進行順に杉本美佐子(城西)杉田稔(城東)矢作健之助(同)の三氏。議長団の挨拶につづきブロックの81年度活動報告。前年は事務局長が一括して行なったが、たとえ短くてもやはり当該者が自分たちのこととして-という声もあり、各地区の代表者がそれぞれ2分から3分、活動のあらましを述べた。その内容は既に本紙第40号で紹介されているので、報告者も参加者もそれを片手にもち、話は要点の指摘と補足事項を中心になされた。(裏面詳述)布司協・事務局関係の活動報告は、事務局長が急病のため、岡野利男師が総括的に行なった。(内容は同じく本紙第40号参照)
大司教の基調演説(講演ではない)は、まさに「反核一筋」で、その迫力は昨年の平和祈願祭の時をしのぐもの。昼休みには広島平和運動の映画「人間をかえせ」を上映。観覧義務なしでも皆見た。
午後の全体会議は「平和の日」制定の議案が中心。広島正平協の活動報告なども。(詳細後述)つづいて決算承認と予算審議がなされたが、とくに異議もなく了承。ただカテドラルの収支決算では、人件費も含めて内訳をもっと詳し-との意見も出た。こうして総ての議題を終え、祈りと聖歌のあと、午後4時28分閉会した。
全体会議をたどって見ると—–
先ずは署名から
Ⅰ、教皇の「平和アピール」に答えて
(1)司教団がきめた「核兵器完全禁止と軍縮の実現を要請する署名運動」を、いっそう推進させよう。(布司協からの呼びかけ提案)
▽発題者A=新谷太佳子(婦人同志会)
空襲で両親と逃げ回ったことが昨日のように思われはじめた。最近の幼児室の、平和で幸福そうな風景を見るにつけ、、火の中を赤ん坊を抱いて逃げるような時代が再度と来てはいけない。戦争を知るものは、その怖しさを後世に伝えなければならない。戦争の傷はいたるところに残り、被爆者の精神的、肉体的傷は決して消えない。しかし教育委員会などでさえ、これをかくそうとする傾向がある。
戦争は戦争、私は私-などという無関心が一番いけない。戦争に勝つ事によって国を守る時代は過ぎた。信者は署名するにあたり責任と勇気を持て。呼びだされると困るので、カンパはするから名前を書くのだけは勘弁してくれなどというのは情ない。買物篭の中に署名紙を用意。肉屋・魚屋の、亭主・おかみさんがよろこんで署名した。人間の救いを使命とする教会の運動として力強く進めたい。
▽発題者B=渡部真(城南)
日本と世界は、いつか来た道を辿っている。信者は現実を直視することをさけ、安易に考えがちである。第三次世界大戦の危機があり、戦争の規模が昔と違うのに国民の半分でも残れば国家は安泰などと無責任な事を云う人もいる。信者の中には署名の効果を疑ったり、長いものにたてついた?かどで職を失う事や殉教?を覚悟-などの理由で、ためらう者もある。
効果はやって見なければわからぬし、やるべきときにはやらねばならぬ。政治にかかわりたくないとして署名用紙をくず篭の中に捨てた教会もあると聞く。そうかと思えば配布された用紙が少なすぎたなどというところもあり、足並がそろわない。司教団と信徒の間に事前の了解がなかったせいもあった。世論でおさえるのには国連の力に頼る以外にない。しかし署名運動の真の目的は単に数をそろえることではない。信仰に根ざした平和運動へのきっかけを作ることこそが大切である。
署名期限すぎたら他団体のに。
【呼応提案】(赤羽・村岡昌和)
1、「反核・平和を願うキリスト者合同祈祷会」をもとう
5月30日(日)午後4時
カテドラル
主催・正平協、NCC
-反核の講演・映画、説教、ゴダイゴ作反核の歌、祈り、
キャンドル行進等。(正平協・深水正勝)
2、「平和を願う集い」をもとう
6月6日(日)午後1時
都立水元公園(葛飾)
主催・城東ブロック
-みことばの祭儀、聖歌行列、歌唱指導、菖蒲見物、魚釣り、園遊等。
「司祭の家」着工
Ⅱ、「司祭の家」建設募金にいっそうの協力を(布司協からの呼びかけ提案)
詳細は募金趣意書に。教区大会で司祭の老後保障が問題となり、その確立が決議されていたことから来たもので、突然に出たのではない。小教区に募金額を割り当てるというようなことはしない。
○募金方法-原則として小教区単位
期間81・12・1~84・12・31
○送金方法-左に振込む。団体も個人も
(1)振込先 三菱信託銀行本店
口座名義 カトリック東京大司教区東京教区司祭の家
口座番号普通預金 1891241
(2)振替貯金 口座番号 東京5ノ98608
名称カトリック東京大司教区東京教区司祭の家
8月に「平和の日」もう一つ
(2)日本のカトリック教会独自の、「平和の日」(週間もしくは旬間)を制定するよう、司教団に要望しよう。(布司協からの提案)
【主旨】
小冊子「平和と現代の日本カトリック教会」に答える具体的な行動の一つとして大司教からも示唆されたが、日本のカトリック教会独自の「平和の日」の設定が考えられる。ブロックでの話し合いも展開したが、大方の賛同を得た。
【提案】
8月6日(広島被爆の日)からはじまる7日間あるいは10日間を、日本のカトリック教会独自の「平和の日」(週間もしくは旬間)として制定するよう、東京教区民の総意として、白柳大司教を通し、5月の司教会議の折り司教団に要望する。
【審義】
(1)「月間」を望む向きもあったが、ブロックの声の集約では月間にという反対意見がなかったことから、週間もしくは旬間として提案したと説明。
(2)1月1日の全教会「平和の日」の位置づけについても質疑が出たが、提案側はそれに対し「1月1日以外にもう一つというこどだ。両方とも大切である。ただ日本人は気分として正月は行事がやりにくいし、平和のメッセージも届かぬことが多い。むしろ1月は祈る月、8月は行動の月と考えたらどうか。総論と各論のようなものでどちらが濃くなる薄くなるというようなものではない」と述べた。(圧倒的多数で原案通り可決)
▽ただ、もし「旬間」と決まれば、政府が8月15日をいわゆる「戦没者を追悼し
平和を祈念する日」として制定しようとしている折りから、この日に行事を開催す
るにあたっては、利用されぬよう、特に慎重な配慮が必要である。
この期間に、すでに教区規模で行なわれている平和祈願祭を、改めて教区レベルのものとして充実させ、その他の平和に関する行事も、教区として実施しよう。(布司協からの呼びかげ提案)
平和祈願祭は、昨年500人の参加で盛り上ったが信徒6万の教区の、教区規模の行事としては甚だ小振りである。特に司祭の参加が極めて少ない。大人がまじめに誘えば子供への影響も大きいはずである。従来からの惰性としてやるのではなく「平和の週間もしくは旬間」にひらく平和行事の一つとして、教区規模の色彩を強めたい。布司協も実行委員会に一任するというのではなく、たとえば多くの教区民を動員する方法を一人ひとりが考えるなど、こぞって企画に加わる所存である。大方の協力をお願いする。
その他の平和行事の開催についても、別の実行委員会を設けて検討する用意がある。
「怨念」ヒロシマ
(3)「放射性核廃棄物の太平洋投棄反対署名運動」を中心に、カトリック正義と平和広島協議会の活動を知ろう。(報告者・西尾禎郎)
日本国内の原子力発電所から出た放射能をもった廃棄物を太平洋の海底にすてる計画が発表され、太平洋の諸島に住む人びとは、太平洋をゴミ捨て場にしないでくれと訴えている。この声を日本政府に伝えようと全国のカトリック教会を対象に署名運動を展開した。ヒロシマの信徒の声として、信徒自身にも署名用紙発送の協力を願ったところ、あたたかな理解を得て、約6000枚(9万人分)を全国に送ることができた。そのほか、
(1)「平和文庫」を作る運動-平和や人権に関する図書・資料を集め誰でも利用できる場を作る。
(2)「平和問題学習会」-平和教育で西尾先生を、タイ難民の情況で戸田先生を招いて開く。
(3)「全国に共同祈願のはがきを送る運動」-原爆犠牲者の追悼と平和への願いをこめた祈りを日本中の信徒に依頼する運動。
(4)「韓国・光州の同朋のための祈祷会」-6月の光州事件の後幟町教会地下聖堂で開催。出席多。
(5)「フィリピン問題講演会」-青柳氏を招き、川崎製鉄の公害輸出の問題で詳細な実情を聴く。
(6)「金大中氏救出の署名運動及びデモ」-金大中氏など良心的な人達が政治犯として死刑を宣告されたり、不当な裁判で苦しめられている。この人権無視
に抗議。
(7)「日本カトリック正義と平和協議会全国会議」-広島で。
(8)「市民が画いた原爆の絵」のスライドを他国の教会へ送る-英語の解説テープつきスライドを外国のカトリック平和団体等に。
(9)フィリピン農民と私たち」講演会-日本の企業の搾取で苦しむ農民代表が訴える。
(10)「靖国神社公式参拝請願」反対署名-県会に提出された同議案について反対の署名を県会に。
-審議の諸提案-
1、教皇の「平和アピール」に答えて。
(1)司教団がきめた「核兵器完全禁止と軍縮の実現を要請する署名運動」をいっそう推進させよう。(呼びかけ提案)
(2)日本のカトリック教会独自の「平和の日」(週間もしくは旬間)を制定するよう、司教団に要望しよう。(提案)この期間に、すでに教区規模で行なわれている平和祈願祭を、改めて教区レベルのものとして充実させ、他の平和に関する行事を教区として実施しよう。(呼びかけ提案)
(3)「放射性核廃棄物の太平洋投棄反対署名運動」を中心に、カトリック正義と平和広島協議会の活動を知ろう。
2、「司祭の家」建設募金に一層協力を。(呼ひかけ提案)
21世紀は来るか!
今年の代議員会のテーマは「平和」である。平和ということは決して単に「戦争がない」ということだけではない。勿論大切な条件ではあるが平和という概念はもっともっと広いものである。それは「完成する」という意味を持ち、人間らしく生きることのできる完成した状況を示す積極的なものである。ところが昨今、この平和と反対の現象が名所に見られる。
紀元2001年の世界について善書かせた小学生の作文の中に次のようなのがある。
「朝、目がさめて見ると、私は瓦礫の中に埋っている。周囲の人は皆死んでいる。一つの音も聞えない。だんだん暗くなってゆく。淋しくて仕方ない。これはいつまで続くのか。私は確かに生きている。しかし死んだ人のようだ。」
子供たちはふつう将来について大きな夢を持つ。若者たちも希望や理想を持つのが常であった。しかし35年~40年の年月の間に、人の心、子供の心の中にまで知らず知らずのうちに戦争への恐怖、核兵器への怖れというものが培われてきた。これはかつての子供達には考えられなかったことである。
また、1月の初め、キリスト者ではないがある実業家がたづねてきて次のように訴えもした。
「見聞きするところから判断すると、愛する子供たち、孫たちの生きる21世紀というものは、もうやってこないのではないか。カトリック教会は国際的な団体だと聞く。ぜひその力を使ってそのようなことが起きないように、人類破滅というようなことがないようになんとかしてくれ。そのために金ならいくらでも出す。」
確かに現代の世界には、戦争への、死への恐れがみちている。国の独立記念日だといって新兵器を満載した車の行進が行なわれる。あたかもそれを誇っているかのように人殺しの道具が行進しているわけだ。しかもさらに怖いのは、それを見て多くの人たちが何も感じないことだ。それほど神経がマヒしているのである。
最近は核問題の論議が深刻だ。現在、全世界の核兵器のもつ破壊力は、広島に落ちた原爆の100万倍であるといわれる。恐しい事だ。核兵器を作っている、あるいはつくることのできる国が6カ国。18の国がその基地となり、場所を提供している。85年までには40カ国が核兵器を保有するにいたるであろうとまでいわれている。その数は4万から5万、世界中のすべての都市を何回も破壊できる数である。しかも現在の核は性能のよい殺傷率の高いものになっている。かって核兵器は戦争を阻止するものとして考えられていた。しかし今はそれをはるかに超える力をもち、人類を滅亡させるといっても過言ではない。そしてそれが準備されつつあるという事は、戦争への可能性を示唆するものである。
しかも戦おうとする意志とは無関係に、ボタン一つの操作の誤りで人類滅亡がありうるのである。現にアメリカではコンピューター操作の誤りで3回も核部隊が動いたことがある。誤ってやったとしても先に攻撃すれば相手は必ず報復する。そして世界は滅亡する。さらに本当に戦う意志をもってボタンを押そうとするところまできていると専門家たちは指摘する。核の力が均等の場合のほうが戦争の起る率が高いからである。新しく事態を変革する要素の出ない限り、80年代には限定核戦争は少なくとも2回起り、21世紀には人類を絶滅させる戦争が起るかも知れない。日本の景気回復のためには遠い所で戦争が起こればよいなどと思っている人もいる。事の重大さ知らぬというべきである。
教皇の平和アピールは、あたかもこのような状況下でなされた。
(1)広島で人間が失ったものが数えつくされたわけではない。将来のことを考えると心が痛む。
(2)平和を保つために核を持つことは全く無意味である。
(3)戦争の可能性は大きい。準備がたえまなく進んでいる。
(4)而し人間に対して一つの確信がある。戦争をやめることもできるということだ。戦争は不可避でも必然でもない。人間の理性と意志によって阻止できるものである。(5)平和のためには何が必要か?究極的には愛である。
(6)各国の元首、社会・経済の指導者達に4つの提案をする。
(イ)正義のもとで平和を誓おう
(ロ)戦争は許されるべきではないという決意をしよう
(ハ)軍備縮少と核兵器の破棄を約束しよう
(ニ)暴力と憎しみに対し信頼とおもいやりを持とう。
(7)神よ、私の祈りを聞き給え。
深刻な現状を基礎に話してはいるが、人間性に対する信頼を忘れていない。その意味ではキリスト教的楽観主義といえるかも知れない。実にキリスト教的平和運動の基礎は、たとえば核の使用により「神の似姿である人間が破壊されるから」という所にある。神の似姿である人間を殺す権利は何人にもない。我々は憎しみや批判によって平和運動をやるのではない。
いろいろのやり方の一つとしてこのたび司教団は「核兵器完全禁止と軍縮の実現を要請する署名」運動をはじめた。この運動が政治に介入することであるといって危惧する人もいる。しかし現代社会の主要な問題で政治と関わりのない問題はない。
平和の諸問題を取り扱う場合も確かに多くの政治的側面がある。また署名運動そのものも政治的行動と捉えられることがある。しかしわれわれの運動は政治的信念、野心に基づくものではなく、またわれわれ自身が政治的操作をしようと意図しているものでもない。
前述のとおり、核兵器の使用、戦争は神の美しい創造のみわざを破壊するものであり、神の似姿に創られた人間を殺傷するものである。神に等しく創られ、神を父といただく者が互いに兄弟として愛し合うよう召されているのに、戦争は憎しみを生み、キリストの最大の掟にそむくものである。われわれの訴えかけの基礎は福音のなかにあり、われわれは福音に基づいて、やむにやまれず声をあげているのである。
署名運動を単に署名として終るのではなく、平和運動への意識高揚、そして一つの目ざめとなることこそがねらいである。そして人間の尊厳に対する再認識という、つっこんだ考察をするきっかけとしても、しっかりやってほしい。
(東京大司教・白柳誠一)
地域色で活動競い合い
代議員会で報告された81年度のブロック活動の内容は、前もって本紙第40号で紹介した通りだが、なお、主なものと、補足されたいくつかをひろって見ると-
【中央】
(1)教皇の平和アピールに全力、全霊もってとりくまないなら、教皇の期待にそむくばかりでなく、特に深い感銘をもってこのアピールを聞いた日本の人、世界の人の期待にそむき、カトリックへの失望を招く。各母体はこのような決意をもって課題にとりくんだ。
(2)「障害者年」では、多くの母体が、これにちなんだ集会を開き、多年の念願であった障害者用トイレその他の設備を完成させたところもあった。
(3)当ブロックは特に地理的な関係で、布教司牧協議会主催の「平知祈願祭」を大切にしている。今後もより盛大にするため努力する所存である。今年も8月7日(土)の夕方、千鳥ケ渕戦没者墓苑で待っている。
(麹町・大柳博士)
【城東】
(1)平和祈願祭には約30人の設営班を送ったが、他のブロックからも多くの奉仕者を出してほしい。
(2)平和について話し合ったときには核兵器禁止・軍縮だけでなく、青少年の暴力・産業ロボットの話も出た。人権を侵害するものとして今後とりあげてゆきたい。
(3)平和には直接つながらぬかも知れないが、中絶の問題も出た。
(4)数人の司祭から、平和に対する宗教家らしいゆき方をきかせてもらった。
(赤羽・村岡昌和)
【城西】
(1)組織運営の見直しに力をそそぎブロック会議は6回、条件の異なった地区で集会を2回ひらいた。
(2)マンネリをとくため、講演会、研究会、スライド・映画の上映などを加える試みをした。
(3)各地域から福祉委員を選び、福祉問題における母体間の交流をはかった。
(4)行事を列挙すると- 5月講演会「障害者問題について」、7月福祉委員会「活動方針について」、9月研究会「平和アピールの検討」、1月講演会「平和メッセージに信徒としていかに答えるか」、 同スライド上映・絵画展「カンポジャ難民について」
3月映画会「障害の垣をはずそう会」
(三軒茶屋・内藤哲次)
【城南】
(1)活動をみのりあるものとするため「基礎共同体とは何か?」「開かれた教会になるためには?」を年間の継続テーマとし、分科会形式で討議できる方針をたてた。
(2)「平和アピール」も前述の2本の柱に照らしあわせてとりあつかった。
(3)平和について何ができるかを考え、身近なところに手をさしのべよう、近隣社会と対話を持とう-などの精神から「一声かけ運動」もはじめた。
(4)平和の標語を募集した。
(5)「障害者年」では福祉小委員会が各教会にスロープを設けることをすすめた。
(6)一粒会に関しては青少年と子供たちのためのパンフレットを作製中。
(田園調布・菅又立夫)
【城北】
(1)「障害者年」では、各母体から障害者への対応の仕方をもちより問題を恒久的に考える事にした。
(2)「平和の日」は元日でよいが、反対の意見もある。
(3)城南ブロックの一粒会の青少年あるい子供むけのパンフレットをほしい。
(徳田・小林又三郎)
【武蔵野】
(1)「障害者年」では、小金井教会と桜町病院が協力してバザーその他で援助した。
(2)とくに調布教会では婦人会ボランティアが食事の世話をした。
(3)吉祥寺教会はユニークダンスなどをひらいた。
(4)「シオン会」の閉鎖は、時期的にも残念。
(高円寺・西野良明)
【多摩】
(1)青少年洪鰯が中心。中学生の練成会から出発し、10年を経っているのでその当時の者がリーダーになっている。
(2)3月末、夜間練成登山。
(3)夏、青梅の民宿で中・高生の練成会。小教区を超えた交
(4)壮年一泊研究会も目立ったもくろみの一つである。
(5)11月末、青年のための研修会。
(6)ブロック会議は数をへらし、催しものをいれた。
(7)今年の秋頃、合同ミサを計画している。
(豊田・古川正弘)
【千葉】
(1)とくに召命小委員会の発足が目立つもの。ブロックの殆んどの司祭がコロンバン会であるため、召命問題にはとくに関心がある。
(2)修道女への召命問題も忘れていない。若い娘が将来と召命について考えるため、修道女と起居をともにし、修道生活につき話す機会をもった。
(千葉寺・村田増雄)
●数で見る教区
(1)面積7,298,95平方キロメートル
(2)人口16,490,338
(3)信者実数(含聖職者)60,417
Ⅱ
(1)司教 1
教区司祭 (含他教区在住)84
神学生 (含中間期生・哲学生)11
(2)宣教・修道会司祭 【邦人】124、 【外人】249
修道士 (含永久助祭・修練・志願者)【邦人】117、 【外人】47
神学生 (含哲学生)【邦人】117、 【外人】47
(3)修道女 【邦人】1,583、 【外人】230
(4)在俗会員 【邦人】54、 【外人】14
(5)信徒総数 667,668、 実数57,845、 求道者3,629
Ⅲ
(1)小教区 68、 分教会 7、 巡回教会 2、 布教所・修道院付聖堂 43
(2)宣教・修道会 (男子)26、(女子)60、 修道院 (男子)52、(女子)132
(3)神学校 2、 在俗会 5
Ⅳ
(1)成人洗礼 1,461、 幼児洗礼 746、 臨終洗礼 132
(2)堅信 1,482
(3)婚姻 (信徒同士)130、(非力トリックの受洗者と)5、 (未洗者と)676
(4)病者の塗油 319
(81・12・31現在)
【布司協議事要旨】
◇第7回(4月22日)
1、代議員会の反省(要点)
(1)大司教の話と映画は好評
(2)覇気なし。形式的。お膳立過
(3)短時間ゆえ「平和ひとすじ」妥当
(4)場所、時候、運営で要再考。
2、代議員会の抜本的改正案6月に小委を設け、9月答申
3、「平和の日」(仮)の行事8月7(土)の平和祈願祭を中心に、同実行委が検討する
4、所属ブロック変更について西千葉教会が千葉ブロックへ
5、第2回障害者問題を考える会
日時・7月11日(日)14時~17時
場所・秋津教会
内容・主として公演「信仰との出合い」「社会との戦い」
主催・布司協内障害者問題小委
信徒のカテドラル
カテドラルは教区の宣教活動の中心になる所ですから、教会、修道会、信徒の皆様がたは下記により、遠慮なくご利用くださいますようおすすめいたします。
1、使用目的・司牧、布教その他宣教に役立つ催しであること。
2、使用時間・日曜午後2時以降。但し信者の結婚式がある場合は式後(普通3時以降)。平日午前9時から午後4時迄。
3、費用・掃除料、電気料、オルガン、マイク等の原価償却費などの一部として少なくとも2万円。冬期暖房費は実費。むずかしい場合はお申し出で下さい。
4、申込み・少くとも1週間前。
(東京カテドラル事務所)