東京教区ニュース第16号

1976年02月01日

具体化と浸透に力点 ’76年度代議員会が指針

東京教区は3月20日(土)ー春分の日ー午前10時からカトリック・センターで、1976年度の代議員会を開く。今年は審議のために分科会を設けるのが特徴。活動方針としては昨年度のものをうけつぎ、今年はその具体化と浸透をはかることがねらいとされている。財政面でも今年度の予算案が1月22日の布司教を通過した。しかしこれらのことは教区民すべてで推進してゆくべきものとして各母体やブロックでも十分に検討されることが望まれ、提案などがあれば3月8日(月)までに事務局に提出してほしいと教区運営委員会ではいっている。

教区活動方針案<布司教関係>
1975年度の活動方針を基本的に受けつぎ、今年度はその具体化と浸透に力点を置くことを確認して、これを1976年度の活動方針とする。

1) われわれ教会が、人類の平和と一致のしるしとなるよう、互いに信仰を深め、人権尊重の行動に積極的に参加していこう。
1、司祭の研修会を充実させて行く。
2、「要理教育講座」(要理教師対象)を今年も行う。
3、「使徒職研修コース」(信徒対象)の計画を実施する。
4、「生きた典礼を目ざすつどい」を今年も行う。
5、司祭・修道者の召命、神学生養成の共同責任の自覚を深めていく。
6、「靖国神社法案」に反対する行動を今年も続けるとともに、すべての戦没者の霊のために祈り、平和を求める平和祈願祭を実施する。
7、人権が不当に弾圧を受けている事実に敏感な心を持ち、正義と平和協議会(司教会議内)と連携を保ちつつ、時宜に適した行動をして行く。
8、「カリタスの家」の支援活動、ボランティア活動を教区内に広げて行く。
2) 予算・決算の承認を通して教区財政の現状を知り、財政自立の責任を自覚し、教区の共同化をいっそう進めよう。
1、不動産を含めて教区財産のありかたを検討する。
2、教区活動をささえる教会維持費・小教区負担金についての理解をいっそう深める。
3) 新しい時代の青少年の活動の活発化に協力しよう。
1、高校生連盟の指導者の活動を積極的に支援し、特に小教区・ブロックレベルでの高校生の活動の活発化をはかる。
2、JOCなど、勤労青少年に対する活動に協力する。
3、教会学校(対象 小中学生)教師養成の活動を支援する。
4、各ブロックは中学生司牧の問題を検討し、その活発化を推進する。その結果を適宜青少年小委員会に報告する。
4) これらの活動をさらに前進させて行くために、ブロック会議・布教司牧協議会の機能を十分に生かし、「教区ニュース」を充実させて行こう。

今年度の活動方針案や予算案、および代議員会そのものの基本的な形は、布教司牧協議会、運営委員会などが、過去2回の代議員会の反省にもとづいてきめたもので「活動方針および予算編成方針のたいもうは前年度を踏襲するものとしてこの活動方針にもとづくいくつかの具体的活動計画を分科会を設けて重点的に審議する」のが骨子。
理由としては(1)教会活動はその性質上息の長いものであること(2)過去の代議員会では審議がややもすれば抽象的に流れたこと(3)1日の日程の中で実のある審議をするため(4)ブロック会議員・布教司牧協議会議員の改選が行われ、1年たってようやく活動方針への取り組みが始まった段階であることなどがあげられている。
今年の代議員会の目玉である分科会は、宣教、人権、財政、青少年、教会学校の5部門にわかれているが、これは活動方針案全体を網羅してわりふったものではなく教区として昨年やってきたこと、および今年具体的に計画のあるものを中心に考えたという。
中学生司牧の問題をどの分科会でとりあつかうかはかなり議論になったが、高校生問題と深くかかわりをもつものとして、とくに教会学校の枠外のものについては青少年分科会で審議することに落ち着いた。各分科会からのコメントをひろってみると、(カッコ内は報告および発題者)
1、宣教分科会
(1)日本という独自の文化の中にいかにしてキリストを見出してゆくか、真に現代人にあったことばによる宣教とその新しい方法論  (東京要理教育講座)
(2)まわりの人たちとの日々の交わりの中で、信仰を生きてゆく信徒をどう育ててゆくか。 (使徒職研修コース)
(3)使徒職団体対話集会と城南ブロックによる文書伝道についての報告。
2、人権分科会
(1)靖国神社法案や、いわゆる慰霊表敬法案などに対する反対運動が、教区民のものとならないことの反省をふまえて、運動についての批判や今後の対策。 (靖国問題実行委員会)
(2)多摩に残る自然を守り、子孫に伝える運動について、その発端と経過、今後の展望など。また地域ごとに公害などの問題に取組んでゆくことの必要性。 (多摩社会問題研究会)
(3)正義と平和協議会発足の事情と現況などの報告。とくにこれに対する教区レベルでのかかわりあい。 (正義と平和協)
(4)カリタスの家が行なっている福祉活動の報告と福祉、人権擁護、差別問題についての具体的行動と協力の検討。(対社会小委員会)
3、財政分科会(財政委員会)
(1)教区財政確立のため、活動に直接関係のない土地を整理、処分して教区基金を作る案。教会敷地で、当面の司牧と宣教に必要なもの以上の余分のものについての検討。
(2)たとえば教区維持会員(仮称)の組織など、教区民が直接教区の財政に寄与できる方法の立案。
(3)維持費についての信徒の意識を高め、教区レベルでの宣教と司牧に対する責任と自覚を財政面においても盛り上げること。
4、青少年分科会 (高校生活動指導者会)
(1)小教区、ブロック等における高校生活動指導者の研修会実施をめぐる問題の検討。
(2)高校生、青少年問題に深くかかわりをもつ中学生司牧、青年の活動についての報告。
5、教会学校分科会 (児童教育部)
(1)いわゆる土、日曜学校の対象となる少・中学生、および司祭、両親、先生などが直面している問題についての話し合い。
(2)とくに先生達の協力システムをブロックごとにでもつくってゆくことの方向さぐり。
分科会はこれらのはつだいをもとにセンターの5つの部屋にわかれて行なわれ、審議のあと報告者が計画づくりをまとめて全体会議で報告することになっている。
各母体やブロックでは今年度の代議員会の趣旨をよくわきまえ、各分科会よりのコメントをもとに事前十分に検討することが望まれる。

生きた要理を求めて 再考すべき福音宣教

聖年の終りにあたって発表されたパウロ6世教皇の「福音宣教」を読めば、今更のごとく日本における福音宣教について考えさせられる。
福音宣布のかなめが要理教育だと自認するつもりはないが、ごく少数のキリスト者に生活の証しを呼びかけても、ことばが伴わなければ福音の証しといえるだろうか。最近の研究によると、シンボル、ことばの重要性が再認識されつつある。日本人のうちに現存するキリストを発見するためには、日本文化という精神風土から、適切なことばやシンボルを見つけていく以外にはない。
日本のことばを媒体に、神のみことばをが大部分である日本人に述べ伝えることが今日の要理教育の最大の課題であろう。それにとりくんでいるのが教区主催の「第2回要理教育講座」である。
今年は代議員会でも第1分科会でこのことが取り上げられる。講座への参加もさることながら、分科会でも話し合い、真に現代人にあったことばによる宣教とその新しい方法を探ろう。 (要理教育研究所)

代議員会プログラム
10:00  開会・議事運営承認
10:30  分科会
12:30  昼食・休けい
13:30  全体会議1(分科会報告)
15:00  全体会議2(決算・予算の承認)
16:00  閉会

使徒職研修へ

目的  ・信仰を自分のことばで人に語ることによって生活の場を変えてゆくため。
定員  ・各グループ約30人
期間  ・4月開講、3期9ヶ月

墓地の申込受付

五日市霊園第3期工事が完了。

信仰のふところ 歴史が教訓・八王子

八王子教会は100年の歴史をもっているが、現代のわれわれにとって大切な教訓がその中にかくされている。しかしまだ未発掘で、むしろキリスト教以外の一部の人たちから注目されている程度なのは残念である。
現在の教会は、明治初年、一分方、本町、砂川の3ヶ所に芽生えたものから発展した。布教は信徒によってはじめられ、司祭を招きやがて司祭が居住して日曜ごとのミサが行われるようになった。3つの芽はのびて3本の木となったがやがて2本は生命を失い1本は大木となって大正、昭和にかけて多くの司祭、修道者を出した。
砂川では明治元年、旧仙台藩士武内おさみという信者が学習塾を開き、その感化で同8年、境弥兵衛氏が受洗、13年にはテストヴィド神父を同地に招いて聖堂が建てられた。
一分方では同じく明治7年、山上卓樹、山口重兵衛の両氏が横浜で受洗、故郷の地に左記のテストヴィド神父を招き、同10年聖堂兼布教所が建てられた。
本町でもやはり明治8年、横浜で受洗した塚本五郎氏が世帯を片倉にもち、同14年、そこに神父を招いて布教の拠点とした。ついで17年には八日町に布教所をつくり、三崎町を経て29年現在の本町に移った。
明治23年、開拓者テストヴィド神父の死後、八王子小教区が設立され、25年11月10日、メイラン神父が主任司祭として三崎町に着任した。
この頃の信徒数は一分方で250人、砂川で100人、三崎町ではクリスマスに20人が集まり、12人が聖体拝領したという記録がある。
信徒数では最小の三咲町を小教区の中心とした理由、その後の教勢の経過、一分方、砂川、本町(三崎町)それぞれの特色、わけてもなぜ3本の若木のうち2本が枯れ、1本だけが大樹として残ったカなどと、これからのわれわれの研究課題といえよう。

ひろば

津地鎮祭違憲訴訟は、今から10年ほど前の1965年1月14日、津市が市立体育館の地鎮祭を同市船頭町の建設現場で主催・挙行したことに端を発する。この地鎮祭は、宗教法人大市神社宮崎吉脩宮司ら4名の神職が、神式に則り厳かに行ったが、そのための公金7,663円の支出が、憲法20条、89条に違反する違法な支出であると訴えたのがこの裁判である。政教分離原則に関する訴訟の先駆であるこの訴訟は、近く最高裁判所大法廷で審理されることとなった。最高裁判所は書面審理を建前とし法廷は開かれないのが普通である。しかし社会的関心を集めている本件については、あるいは15人の裁判官全員が居並ぶ大法廷で開かれ、口頭弁論が行われるかもしれない。国会レベルでは「靖国神社法案」も廃案となっているが、この間、国家神道の復活をめざす勢力は例の「世論」調査をするなど、名目的な「民主的」方法を用いても法案の成立をめざす根回し策を着々と講じていることに留意しなければならない。このような状況の下で「津」の訴訟はいよいよ最終段階に差し掛かったわけである。憲法20条の解釈を争点とするこの裁判を支援する運動は、靖国神社法案反対の運動と一体をなすものといえよう。この裁判の最高裁における勝敗は法案の成否に端的に影響を及ぼすものと覚悟してかからなければならない。
民主主義は「多数者の意思の優越を原則とする以上、地方公共団体主催の神式地鎮祭に反対する少数者の権利が軽視される結果になってもやむを得ない」とする地鎮祭事件の津市長側の主張が認められるとすれば、「個」より「全体」を尊しとする名目的な「民主的」手続きが最高裁によって正当化されることになる。政教分離訴訟の先駆であるこの裁判に、断じて敗けてはならない。  (五日市教会 中野秋一)

あした葉

今年は丙辰の歳である。「丙」とは十干の3番目で「ひのえ」と読む。「さかんな」という意味があり、五行では火にあたり「あきらか」などという意味がある。また「辰」は十二支の5番目であるが振につながり「ふるう」で草木が活力旺盛になってきた時の表現であるときく。//動物では「龍」で蛇に似た霊獣とされている。仏教では仏法守護の八部衆の1つで竜王、竜神などという。中国では麒麟、象などとともに縁起のよい動物とされている。ともかくめでたい、高い霊的なものであるからよく君主にも喩えられる。//さて東京教区の教区長は不思議と辰年に縁がある。先代の土井枢機卿もそうだったし今の白柳大司教も3回り下の辰年である。龍の喉下に1尺四方くらいの逆さ鱗(うろこ)があり、もし知らないでこれにさわると、龍は凄まじい勢いで怒るといわれている。このことから、君主の怒りに触れることを「逆鱗に触れる」という。//それほどのものなのに、角があり、鱗があり、髯があり、足の指が5本あるといったこと以外には、その姿その他について何も知られていないという。白柳大司教はわりと知られている。善き牧者は羊をよく知り、羊もまた牧者を知るといったところか。民を案ずる疲れのためか、バリバリに凝った首すじは鱗のようだ。それでも辰の刻にはミサも終え、その日の司牧のプランを立てるし、ときどき角もたてる。//その大司教を龍頭に、教区の今年の活動方針が代議員会できまる。去年のものをふまえて、その具体化と浸透に力点をおくという。分科会などで問題点を「あきらか」にし、活動をより「さかん」にしようというのだからまさに丙辰の歳にうってつけだ。//去年は「聖年」であったが行動においても「静年」であったのなら困る。今年は「動年」でなければいけない。しかし「動」は「あかるい」方向で「さかん」になり、しかも「竜頭蛇尾」で終わらぬようにしたい。またかりそめにも「扇動」や「動乱」になったりして、逆鱗に触れることのないように願ってやまない。(S.A)

日和見からの脱皮を 靖国の政治問題をめぐって

ヤスクニ反対は今年も教区の活動方針の1つとなっているが、前号に続き、昨年11月10日、広報部の主催で開かれた靖国神社問題についての後半の部分を掲載する。典礼改革より本腰を、信者一人一人はっきりした態度を、など「信仰と政治といかにかかわるか」というテーマの核心に触れた部分として注目される。
浜崎師 信者の中には司教の名前で反対声明を出したことは行きすぎだという意見もある。
水谷師 ヤスクニは福音の立場からも、ハッキリいけないのだということを明らかにすればいい。実行委員会もハッキリやれ。そうすれば信者として反対しなければならないということが出てくる。信者が社会問題を考えるよいチャンスだ。

勇気をもってやれ
青木師 福音の立場から見ても反対ということならもっと勇気をもってやれてもよさそう。しかし主任神父様方の影響力は大きいから、そのあたりの方法論も。
青山師 私たちの現場では、ものを司牧的な面から考えることが多い。教会にはいろんな人がいる。全般的な努力をしようとしても、信者の中にギャップがあってさじ加減がむずかしい。司教が号令をかけるだけでは足らないと思う。
都賀氏 国が1つの信仰で、戦死者を祀るということがいけないのだと、福音の光にてらしてどんなにいってみても、それが政治行動的な色あいを帯びているということだけで動かない。
浜崎師 そのへんがよくわからない、政治という言葉だけでアレルギーを起こす体質は根づよい。

正しい祀り方
都賀氏 それなら、政治行動でもなんでもない千鳥ヶ淵戦没者墓苑での平和祈願祭のミサに、奮って参加するといえばそうでもない。靖国に反対することと深くかかわり、反対のための反対ではなくて、それぞれの宗教で戦死者を祀るということが、正しい祀り方であるということを示すために教区大会で決まったはずなのに。
山本師 千鳥ヶ淵での平和祈願祭に参加しなかったことは反省しているが、信者にはその重要性を確実に伝えている。話はもとにもどるが信徒にとって政治にかかわらねばならないということは典礼の改革以上の大きな問題だ。司教が号令をかけるというのではなくかんでふくめるように説明して教え込むぐらいの親切さがないと、ますます政治離れしてゆく人を増やすだけだ。1つの委員会などではなくて、司教団が腰をすえてやらなければだめだし、司祭団もやるのだという気持ちにならなければ絶対にできない。

運動は少数の人で
都賀氏 それは理想だが、しかし急にこうすべきだとかいう態度ではなくて、教会のそういう方向への努力について理解を示しながら、目覚めた少数の人たちでねばり強くやってゆきたい。
金沢氏 それにしても信者は真の共同体意識をもっているのかどうか、政治にはかかわりたくない自分の信仰だけ求めていればいいのだという感覚がつづくかぎり困難だ。
浜崎師 靖国神社を宗教法人からはずして、国の運営でやるというのならそれでもいいという考えがある。
山本師 法律の面で、宗教法人からはずすとかはずさないとかということだけで日本のそういう問題が解決できるとは思わない。宗教ではないといわれたことを真に受けて、あとでだまされたと思ってもまにあわない。
司会者 最後に一言ずつ
阿部氏 過去の日本のカトリック教会が、靖国神社に関してとった態度について、苦しいことであってもまちがったなら間違ったと判断することをためらってはいけない。

宗教は冠婚葬祭か
寺西師 キリスト教を冠婚葬祭の宗教ぐらいにしか考えていないのなら、そこから公害とか障害者の人権問題など出てこない。福音を現代の意味でとらえ直して、政治の時代である現代の新しい面をとらえることだ。
都賀氏 天皇によって祀られることを無上の名誉とする人がいても別にいい。信仰・思想というものは1人ひとりの精神の問題で、こういう人権を守るのは特に信仰者として率先してやってゆかなければならない。
金沢氏 戦争のために死んだものを祀るのが靖国神社である。戦争をぬきにして議論しても堂々めぐりになるばかりだ。
関根師 政教分離というよりも教会はむしろその上をゆくものだと考える。

靖国以外の方法を
水谷師 戦争で亡くなった者に対して果たして靖国以外に方法はないのか、国はもっと賢明に考えるべきだ。
青山師 問題の1つは戦前派や戦中派の心情である。戦争は悪かったがお前たちは立派だったということを表わす工夫も必要だ。
山本師 キリストには毅然とした態度と、最後まで考えぬくという態度とが人格の中に統一されている。この2つをおもんぱからなければ靖国問題は証しを立てることにならない。
浜崎師 信仰は祈りばかりでなく政治にも関係があるということを目覚めさせるよい機会だ。公害など他の問題についても信者の関心をよびおこすキッカケとしたい。
司会者 ではこのへんで。

出席者
青木師(広報部長)。水谷(築地)、青山(八王子)、山本(麹町)、関根(松原)、浜崎(もと本所)の各師。靖国神社実行委員の寺西氏、都賀、金沢、阿部の各氏。

信徒の努力実る  本年度の予算案

本年度の予算は、現在の経済不況から収入の伸びを大きく期待することはできず、しかも繰越金が100万円減となることから支出を大幅に抑えざるを得なかった。
ただ神学生育成費はその数の増加に見合うだけ増額して計上した。
しかし教区財政自立に向かっての教区民全体の努力は、ここ数年次第に成果をおさめつつある。教区収入に対する小教区負担金は、1969年に16.51%であったのが、本予算では40%強となり、この他の献金収入を入れると本年度は58.25%が信徒の力によって支えられることになった。
本予算の中で、教区本部経費は26.4%、それ以外は教区全体の活動および助成にあてられている。なお本年度も計上できなかったものに、司祭の老後保障、健康保険、適正な給与と環境の整備などがあり、また教区財政の基盤確立に対して具体的な進展がなかったことを遺憾とするものである。

典礼法規・教会法メモ 4

1975年11月現在、東京教区において、主任司祭(および特別に許可を与えられた司祭)の結婚に関する権限は次の通り。
(1)正当な理由のあるとき、左記の3つを除き、すべての教会法上の結婚の障害を免除することができる。ここでいう障害は「教会法上の」障害であって、神法・自然法上の障害(たとえば不能、直系血族、重婚など)を含まない。
例外1.司祭に叙階された者の結婚
2.直径姻族間の結婚(たとえば、妻の母や連れ子との結婚)
3.未成年者の結婚(男17才、女14才未満)
なお、教会で有効な結婚を挙げるための条件(式文・司式者・証人など)の免除は教区長へ。(この免除があれば、司祭なしの神前結婚など可能である)
(2)有効化をすることができる。前項の必要な障害免除なしに結婚が行われたり、有効な結婚のために教会が必要ときめた条件をふまずに結婚が行われた場合、夫婦の結婚の意志が継続していることを前提にして行われるもの。2つの場合がある。
1.夫婦がもう一度司祭と承認の前で結婚の意志の更新をすることを承諾すれば、通常の結婚式と同様にこれを行う
2.1が承諾されない場合、書面だけで有効化を行う。例外として、夫婦の少なくとも一方が精神病者である場合、有効化は聖座の許可を必要とする。
つづく

ブロック便り

新興都市の宣教
<城東>新年初のブロック会議は、1月18日、船橋教会で開かれた。まず染宮師から人口急増地帯の司牧についてお話を伺ったが、船橋は創立10年の若い教会で東京のベッド・タウンとして人口増の著しい地域に位置し、その点、都心の歴史の深い教会とは際立った対称をしている。いわゆるニューファミリー層が主流で、しかも転出入が激しいこの地で染宮氏は八面六臂の活躍の様子である。尚、当ブロックのリーダーでもあった梁恕師が1月はじめ急逝、会議員一同から哀悼の祈りを捧げた。

小・中学生の司牧
<城西>11月と1月の2回「中学生の問題について」パネルディスカッションを行った。
パネラーは、1回目は父親の信徒、女子中学校校長のシスター、日曜学校の青年、中学校の錬成会の指導神父、ら4名。第2回目は母親の信徒、ボーイスカウトのリーダー、中学生の指導神父、の3名。それぞれの立場からの問題提起の後、自由な話し合いの結果、いかにして中学生を教会に導くか。中学生に何をしてやれるのかにしぼられた。尚ブロック規模の合同ミサを6月6日聖霊降臨の日に、聖心大で行う予定。

<武蔵野>従来のように各母体の内部に留まる消極的な施策を廃し、積極的さを持つ共同体に生まれ変わらなければならない時期にきていることを認め、互にブロック内をよく知り利用することを考えていこうという話し合いをした。その具体的な目標は今回の代議員会の結論を待つことにした。