東京大司教区

カトリック潮見教会

※新型コロナウイルス感染症防止のため、ミサや各種行事の時間が変更になっている場合があります。教会にお越しの際は、必ず事前にお問い合わせくださるようお願いいたします。

教会堂名

蟻の町のマリア

住所・連絡先

〒135-0052 東京都江東区潮見2-10-5 [Google地図]
電話:03-3644-8189  Fax:03-3644-8168

・JR京葉線「潮見駅」より、徒歩5分。
・メトロ東西線「東陽町駅」より
都バス 木11乙 潮見駅前行きに乗り終点下車徒歩5分
・JR「錦糸町駅」より
都バス 錦13 晴海埠頭行きに乗り【潮見一丁目】下車徒歩12分
都バス 急行05 or 錦18 新木場駅前行きに乗り【新砂二丁目】下車徒歩15分

主日のミサ

日曜 10:00

平日のミサ

月曜~土曜 7:30(都合により休みの場合あり)

主任司祭

レオ・シューマカ (コロンバン会)※築地教会主任兼任

助任司祭

ルイス 真境名 良和 (まぜきな よしかず)

創立年月日

1960年6月

信徒数

394人(2019年12月31日現在)

宣教協力体

京葉

教会学校

日曜日ミサ後

講座

カトリック入門講座 

土曜 16:00(その他お問合せ下さい)

聖書講座

第1、3土曜 11:00

身障者設備

スロープ、トイレ

歴史 

潮見教会の現在の聖堂は、1986年6月1日聖霊降臨の主日に献堂され、「蟻の町のマリア」の名を冠することになりました。この特徴的な名前を持つ教会の由来をわたしたちは大切にしています。

第二次世界大戦後、職もなく、住む家もない人々が隅田川の言問橋の近くに集まって、「蟻の会」という共同体を作り、廃品回収で生計を立てていました。コンベンツァル聖フランシスコ会のゼノ・ゼブロフスキー修道士は、「蟻の町」と呼ばれたその地をたびたび訪問していました。
大学教授の娘で、恵まれた家庭に育った北原怜子(さとこ)というカトリック女性はゼノ修道士から蟻の町の話を聞き、そこに出かけるようになり、献身的に蟻の町の子どもたちの世話をしました。怜子は次第に持てる者が持たない者を助けるという姿勢に疑問を抱くようになり、自ら「バタ屋」となって廃品回収を行うようになりました。怜子はいつしか結核を患い、静養のために蟻の町を去りました。

shiomi3
北原怜子の「くず物収集鑑札」

蟻の町のあった場所は今の墨田公園の一角にあたります。東京都はいく度となく、蟻の会に立ち退きを求めてきました。蟻の町を存続させるために、当時の蟻の会の人々は、教会を建てると言って、建物の屋根に十字架を取り付け、新聞にも取り上げられました。怜子の名は「蟻の町のマリア」として知られるようになりました。有名になった蟻の町に対して、都は代替地として「8号埋立地」を提示しましたが、都が示した条件は蟻の会にとっては厳しいもので、交渉は難航しました。
shiomi4 
言問橋の近くにあった蟻の町の十字架
(現在、潮見教会の聖堂入口に掲げられています)

一時蟻の町を離れて、病気療養をしていた怜子は病状が悪化し、これ以上治療方法がないと分かったとき、蟻の町に戻ることを希望しました。十字架が立った建物に近い小部屋に住み、蟻の町のためにひたすら祈り続けました。
1958年1月19日、怜子の祈りが神に通じたかのように、都が蟻の会の要求を全面的に認め、蟻の町の「8号埋立地」への移転が決定しました。その直後、北原怜子は1月23日に28歳の若さで息を引き取りました。

shiomi5 
新・蟻の町と教会(屋根の上の十字架は現在裏庭の小山に立っています)1963年頃

蟻の町が当時の地名で枝川と呼ばれた埋立地に移ったころはまだ京葉線もなく、今のようなマンションも一軒もありませんでした。そこに怜子や蟻の会の人々の願いであった教会が建てられました。こうして始まったのが「カトリック枝川教会(蟻の町教会)」です。また、蟻の町とその周辺の子どもたちのために「ありんこ保育園」も併設されました。(1977年 閉園)

枝川が繁華街から遠く廃品回収には難しかったことや1960年代以降の高度経済成長の結果、蟻の会の人々は少しずつこの地を離れていきました。そして1988年「蟻の会」はその役割を終え解散しました。