委員会紹介

担当者 猪熊太郎神父

「皆さんに強調したいのは、まず、第2ヴァチカン公会議の精神をモノにし、そのうえで、次の時代に入っていただきたい、ということです。公会議が目指した本質そのものをしっかり捉えないと、混乱を招くだけになります。公会議を理解し、自分のものにしていくことが必要です」(白柳誠一枢機卿・1997年6月29日の東京教区教会委員会総会の言葉。講演集『第2ヴァチカン公会議と私たちの歩む道』から引用)

第2ヴァチカン公会議は、1962年10月11日に開催され、1965年12月8日まで続きました。
この公会議において、よく使われるようになった言葉に「アジョルナメント(aggiornamento / 現代化)」というイタリア語があります。これは、ヨハネ23世教皇が使用した言葉で、「時のしるし」を見極めて、教会の教え、あるいは、そのあり方を「現代に適したものにすること」を意味しています。
上記、白柳枢機卿の言う「第2ヴァチカン公会議の精神」「公会議が目指した本質そのもの」とは、まさに、このことなのです。
世界は、刻々と、また、大きく変化し続けている。それなのに、カトリック教会は、2回の世界大戦を経て、尚、旧態依然としたまま、閉塞状態にあった。だからこそ、第2ヴァチカン公会議は開催され、「今」という時代に、より「適応」する必要があったのです。第2ヴァチカン公会議は1965年12月8日に閉会しましたが、この精神は、今も、教会の中に息づいています。

さて、菊地大司教の「教区カテキスタ養成講座」への招きの言葉(『東京教区ニュース』352号 / 2018年5月15日)に、次のような言葉があります。
「信仰における学びは、洗礼や堅信の準備で終わるものではなく、生涯を通じて深められていかなくてはなりません。そして、学びの機会を提供するのは、司祭などに限定された務めではなくて、信仰共同体を構成しているすべての人の務め」なのです。
現代日本の教会において、また、東京大司教区において、司祭たちの高齢化はますます進み、その数は大きく減少しています。これまで、主に、司祭たちが担ってきた「信仰における学び」は、既に、司祭たちだけでは担えなくなっています。
しかし、一方で、信仰を求めて、教会の門を叩く、実に多くの人々がいます。
この現実に、より「適応」していくために、様々な「信仰の学び」の機会を提供していくのが、生涯養成委員会といえます。
また、イエスをキリストとして信じ、その生き方を学び、実践していくために、必要なことはたくさんありますが、それらを「信仰教育」というのであれば、既に、信じる者となった人々が、現代社会に適応した信仰生活を送るための教育一般(カテケージス)を担当する委員会ともいえるでしょう。
どの時代、どの国、どの文化の中にあっても、キリストの教会が根をおろし、人々の生活の中に、信仰の花を咲かせ、証しをしていくことができるよう、私たち生涯養成委員会は、奉仕をしていきたいと思っているのです。