復活主日のミサ

2016年3月27日 千葉寺教会にて

説教

わたしたちの教会は、ナザレのイエスという人の復活という出来事への信仰によって成立しました。「イエスの死と復活に出会った」人が深い喜びを体験し、その喜びを多くの人に伝えることによって教会が発展してきました。マグダラのマリアという女性は、そのような体験をした人の代表です。
今日の福音は、マグダラのマリアのお墓参りから始まります。マグダラのマリアという女性は非常に多くの人の関心を引いている人物です。
福音書によれば、彼女はイエスから七つの悪霊を追い出していただいた人(ルカ8・2)でした。今日の第一朗読「使徒たちの宣教」でペトロは「イエスは、方々を巡り歩いて人々を助け、悪魔に苦しめられている人たちをすべていやされたのです」(10・38)と言っていますが、彼女にイエスによっていやしていただいた一人でした。
また、イエスに最後まで従い、十字架のもとに佇んでイエスの死を見届けた人でした。そして、何よりも、復活したイエスに最初に出会った人である、という恵に与った人であります。(ヨハネ20・11-18参照)
「週の初めの日、朝早くまだ暗いうちに、マグダラのマリアは墓に行った。そして、墓から石が取りのけてあるのを見た。」
今日の福音の冒頭に書かれている部分です。マリアはイエスを愛し慕っていました。イエスの十字架上の惨たらしい死を目の当たりにして彼女はどんなにか悲しみ苦しんだことでしょう。
ペトロたち男の弟子たちにとって、イエスの死はすべての終わりと思われたのでしょうが、彼女にとってはそうではありませんでした。生前のイエスの面影を求めて彼女はイエスの葬られた墓に詣でます。
すると、墓は空でイエスの遺体は見当たりませんでした。しかし、この後、マリアは復活したイエスと出会うことになります。そのときのマリアの喜びはどんなにか大きかったことでしょう。
イエスの復活と言う出来事は、弟子たちの全く予想しない出来事でした。マグダラのマリアも生前のイエスの十字架と復活の預言を理解していなかったと思われます。それだけに、彼らの驚きは大きく、喜びも大きかったのです。
聖週間を通じてわたしたちはイエスの受難を黙想してきました。イエスの受難とは人間の罪と悪によって引き起こされた悲劇です。神はイエスの死をすべての人の贖いと救いのために受け入れ、イエスを復活させました。復活は罪と死、悪に対する勝利を意味しています。
イエスは復活し、弟子たちに聖霊を注ぎ、聖霊の働きを通してご自分の使命を遂行させ発展させます。そのような教会の使命は「福音宣教」と言うことばでまとめることができるでしょう。
さてわたしたちは昨年2月8日より本年11月20日まで、「いつくしみの特別聖年」を祝っています。神のいつくしみを深く受けとけ、神のいつくしみを日々出会う人に伝えるよう努めましょう。
「いつくしむ」とは誰かを、唯一かけがえのない存在として大切に思い、大事にすることです。弱さ、間違い、罪があってもその人のかけがえのなさを認めゆるぎない愛をしめすことです。これは、神の恵みなしにはできないことです。
日々祈り、日々自分が受けている神の恵みを新たにし、感謝のうちに自分をささげるようにいたしましょう。