大司教

週刊大司教第二百七十三回:年間第二十九主日

2026年10月19日

この主日は世界宣教の日です。

今年の世界宣教の日は、メッセージでも触れていますが、100周年となります。教皇様のメッセージはこちらのリンクをご覧ください。また教皇庁宣教事業の日本におけるホームページはこちらのリンクです。

17日土曜日の午前11時から、さいたま教区の前教区司教であるマルセリーノ谷大二司教様の葬儀ミサが行われました。10月10日に病気のため帰天された谷司教様は、まだ73歳でした。年齢は私より上ですが、司祭叙階は同じ1986年で、司祭叙階25周年の時には、お互い、すでに司教でしたので、銀祝記念に一緒にメキシコとキューバに出かけてきました。懐かしい思い出です。

谷司教様の生涯を振り返るとき、わたしたちの記憶に刻み込まれているのは、神から与えられた「いのちの尊厳」を命がけで守り抜こうとされた、毅然とした姿です。

教区司祭として、また後に教区司教として歩まれた日々において、谷司教様は絶えず社会の片隅に追いやられた人々、忘れられた人々、十分な助けを与えられていない人、人間の尊厳を奪われている人とともに歩み、そのような状況を生み出す社会の現実に立ち向かおうとされました。神の正義が確立し、平和が実現するようにと、そして一人ひとりの人間の尊厳が守られる社会が実現するようにと、司教団においても様々な役職を引き受けられ真摯に働き続けられました。

さらに、教区司教の職を退かれてからも、その情熱と使命感が衰えることはなく、沖縄の地に深く心を寄せ、平和を確立するために、文字通り生涯を捧げて祈り、発言し、行動されました。

日本の教会のために、また普遍教会のために力強く貢献された人生でした。福音を自らの言葉と行いであかしし、多くの人に伝えようとした人生でした。困難に直面する人、助けを必要とする人に思いを寄せ手を差し伸べる人生でありました。牧者として先頭に立ち続ける人生でありました。「自分のことではなくキリストのことを考えて」、キリストに倣い「仕えられるためではなく仕えるため」に生きる人生でありました。

谷司教様の永遠の安息のためにお祈りください。

以下、17日午後6時配信、週刊大司教第273回、年間第29主日のメッセージです。

年間第29主日
週刊大司教第273回
2026年10月18日前晩

本日は世界宣教の日です。1926年に教皇ピオ十一世によって制定されたこの世界宣教の日は、今年で100周年を迎えました。

2026年の「世界宣教の日100周年」にあたり教皇様は、「キリストにおいて一つ、宣教における一致」をテーマとしたメッセージを発表されています。

その中で教皇様は、「キリスト者であるとは、実践や思想を第一に求められることではありません。それはキリストと一致した生活です」と記し、その上で、「キリストが弟子たちにゆだねた福音宣教の使命は、何よりもまず和解し、交わりを望む心を必要とします」と指摘されています。

しばしば一致という言葉は画一性と同一視されてしまうきらいがあります。しかし教皇様はそれを明確に否定し、こう記します。「むしろそれは、同じ目的のために多様なカリスマが歩み寄ることです。この目的とは、キリストの愛を目に見えるものとし、すべての人をキリストとの出会いへと招くことにほかなりません。」

教会にとって福音宣教は最も大切な使命の一つであります。あらためて引用するまでもなく、例えば、マルコ福音書の終わりには「全世界に行って、すべての造られたものに福音を宣べ伝えなさい」という、復活されたイエスによる弟子たちへの宣教命令が記されています。わたしたちへ与えられている使命です。

本日の第二朗読、テサロニケの教会への手紙でパウロは、「わたしたちの福音があなた方に伝えられたのは、ただ言葉だけによらず、力と、聖霊と、強い確信によったからです」と記しています。もちろんわたしたちは、何かを信じようとするとき、論理的に構築された事実を理解し、十分に納得した上で、その次の決断を下します。十分に納得するために、さまざまな知識を積み重ねていきます。もちろんそういった知識の積み重ねの重要さを否定することは出来ません。しかし、パウロは、そういった知識の積み重ねだけでは、人の心動かすことができないとして、「ただ言葉だけによらず」と言い表します。福音のメッセージは、知識の積み重ねだけに頼るのではなく、「力と、聖霊と、強い確信」が必要だと記します。教皇ベネディクト十六世の言葉ですが、「人をキリスト信者とするのは、倫理的な選択や高邁な思想ではなく、ある出来事との出会い、ある人格との出会い」であります。

福音の中でイエスは、「皇帝のものは皇帝に、神のものは神に返しなさい」と述べています。質問を投げかけている人たちは、「この世界の常識、人間の知恵」の枠組みにとらわれていますが、イエスの回答はそれを全く破壊する強烈なインパクトを持っていたことでしょう。神はこの世の知恵の中で、すなわちこの世の常識の枠組みのうちには存在していないことを明示した言葉だからです。

この世界を支配する人間の価値観と全くかけ離れたところにいるイエスの存在。そのイエスとの出会いこそは、多くの人に強い衝撃を与え、信仰を持つきっかけとなったことでしょう。この世の価値観を優先させるところに、神の真理のあかしはありません。