大司教
週刊大司教第二百六十六回:年間第十七主日
2026年07月27日

7月最後の主日は年間第17主日です。
今週はアジア司教協議会連盟(FABC)の総会のために、インドネシアのジャカルタに来ていました。日本からは、司教協議会会長のわたしと、代表として成井司教様、ガクタン司教様が、また信徒家庭局の秘書として西村桃子さんが一緒に参加しておられました。

今回の総会のテーマは「シノドス的な回心と宣教への招き。アジアにおける橋となり、また橋を架けるものとなるために」とされており、バチカンからもシノドス事務局のグレック枢機卿が参加するなど、シノドス的な教会共同体のあり方を実践する場となっています。

また福音宣教省のタグレ枢機卿が、忙しい中ジャカルタまでおいでくださり、二日目に静修を指導してくださいました。総会は話し合いというよりも、祈りと分かち合いの場となっています。

アジア全体から司教協議会の代表や各部局の担当者など150名ほどが参加していますが、詳細は他の報道に譲ります。またアジアの枢機卿は全員参加する権利がありますが、今のところ12名のアジアの枢機卿が参加しています。

なお、総会に先立ち、四日間ほどフローレス島のエンデ大司教区を、成井司教様と一緒に訪問してきました。フローレス島は、インドネシアの中でもカトリック信徒の多い地域で、エンデ教区のクレドン大司教様は、少し前まで神言会の総会長でした。これについては後日また。

以下、25日午後6時配信、週刊大司教第266回、年間第17主日のメッセージです。
なお「週刊大司教」の配信は、8月中はお休みとさせていただきます。今の予定では再開を9月5日土曜日と考えております。また8月8日(土)午後の東京カテドラル聖マリア大聖堂における平和祈願ミサと、8月15日夕方の聖母被昇天ミサは、どちらもわたしの司式で、渡橋教区YouTubeチャンネルからライブ配信を行う予定です。
年間第17主日
週刊大司教第266回
2026年7月26日前晩
「宝」という言葉には、経済的な価値を持っているという意味だけではなく、他では代えることのできない大切な存在という意味もあります。わたしたちが生きている世界は、どちらの価値を大切にしようとしているのでしょう。
マタイ福音は、「持ち物をすっかり売り払って」でも、手に入れたくなるような「宝」を語ります。ここでイエスが語る「宝」は、もちろん数字で量ることのできる価値に富んでいる財産としての「宝」ではなく、自分の人生にとって決定的な意味を持つ「宝」であります。人生のすべてを賭けてでも手に入れたくなるような、いのちを生かす価値のある「宝」であります。
わたしたちキリストに従う者にとっての宝は、福音そのものではないでしょうか。なんと言ってもわたしたちにいのちという賜物を与えてくださった神ご自身が、神のことばという宝物として、常にわたしたちと歩みをともにしてくださっているのです。わたしたちはこの宝を、人生のすべてを賭けてでも手に入れて従い、さらに多くの人にその宝を分け与える者でありたいと思います。
まもなく8月になり、毎年この時期には平和について普段以上に考えさせられます。8月6日から15日までは、日本のカトリック教会にとって大きな意味を持つ平和旬間がはじまります。1981年に日本を訪れた教皇ヨハネ・パウロ二世は、広島での平和メッセージで、「過去をふり返ることは、将来に対する責任を担うことです」と、繰り返し呼びかけられました。わたしたちは将来の世代に対する責任を担うためにも、過去を忘れ去ることのないようにしたいと思います。
教皇レオ十四世は、先般アフリカ司牧訪問へ向かう機内で、教会の平和への呼びかけが政治的発言として受け止められることについて問われ、「わたしたちは政治家ではない。外交政策を彼らと同じ視点で捉えているわけではない。しかし、わたしたちは平和を築く者として福音のメッセージを信じている」と答えられ、平和構築は福音という宝物を大切にしている教会にとっての優先事項であることを明確にされています。
さらに教皇は、「戦争に強く反対し、平和を促進し、問題解決のために各国間の対話と多国間主義を推進し続けるつもりだ。今日、あまりにも多くの人たちが苦しみ、あまりにも多くの罪のない人々が殺されている。誰かが立ち上り、より良い方法があると言うべきだと思う」と述べておられます(『バチカン・ニュース』2026年4月13日)
平和旬間をまもなく迎えるにあたり、この教皇の言葉を思い出したいと思います。わたしたちが平和を求めて声を上げるのは、それこそが福音という宝物がわたしたちに求めていることだからに他なりません。
暴力の支配が当たり前の日常になる中で、戦争のような暴力を平和の確立のための手段として肯定する動きすらあります。しかし、目的が手段を正当化することはありません(カテキズム1753)。「戦争は死です」。賜物であるいのちを生かす神の「宝」から目をそらすことなく、ともに歩まれる平和の主に従っていきたいと思います。