大司教

週刊大司教第百四十一回:年間第二十三主日

2023年09月11日

年間第23主日となりました。この数日、台風の影響を大きく受けた地域があります。東京教区でも千葉県内で大雨が降り、教会がある地域でも大きな影響があった模様です。今の段階では、教会自体の被害の報告はありませんが、今回の台風に伴う大雨で被害を受けられた皆様にお見舞い申し上げます。

東京教区では、先週の森司教様に続いて、9月8日の早朝にセバスチャン西川哲彌神父様が、80歳で帰天されました。1年半ほど前、清瀬教会の主任をされていたときに階段から転落されて、その後、入院生活を送っておられました。葬儀ミサは9月12日午後1時半から、東京カテドラル聖マリア大聖堂で行います。西川神父様の永遠の安息をお祈りください。

以下、本日午後6時配信の週刊大司教第141回、年間第23主日のメッセージ原稿です。
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年間第23主日A
週刊大司教第141回
2023年9月10日前晩

わたしたちは、人生の旅路の中で、決して一人で置き去りにされることはありません。わたしたちは、「世の終わりまでともにいる」と約束された主が、常に歩みをともにしてくださると信じています。

その主は、わたしたちを共同体へとつないでくださいました。実際に手をつないで歩んでいるわけではなく、実際の人生の旅路では、物理的に一人で歩みを進めることもあるでしょう。しかしわたしたちは、主の名の下に集められた共同体に、信仰の絆で常につながっています。

この3年間のコロナ禍の間、感染対策のために離ればなれにならざるを得ない事態が続いていたとき、わたしたちは普及したインターネットによって、互いにつながっているという感覚を持つことができました。わたしたちの信仰の絆は、インターネットの絆以上の存在です。その絆は、神の与えた掟によって結び合わされているからです。パウロはローマ人の手紙に、「どんな掟があっても、隣人を自分のように愛しなさいという言葉に要約されます」と記しています。その相互の愛の絆によって、わたしたちは物理的に離れていてもつながっており、世界中の兄弟姉妹とともに、一つの共同体を作り上げています。

主の名によって集められたその共同体には、主御自身が常に存在されます。「二人または三人がわたしの名によって集まるところには、わたしもその中にいるのである」。

この主御自身の存在によって結び合わされたわたしたちは、感謝の祭儀に与ることで、朗読される御言葉のうちに現存される主と出会い、ご聖体の秘跡のうちに現存される主をいただきます。

わたしたちを結び合わせる掟の中心にある「隣人愛」とは一体何なのでしょうか。「自分のように愛する」」とは一体どういうことでしょう。それはただひたするに優しくすることでもなければ、自分の思いを押しつけることでもありません。それは、自分自身が生きて行くことを肯定しているのと同じように、交わる他者がいのちを生きていくことを肯定する態度であります。生きるための希望は、互いに支え合う交わりの絆を確認するところから生み出されます。すなわち連帯こそが、生きる希望を生み出します。そこに隣人愛の根本があります。

常にともにいてくださる主イエスこそ、わたしたちがいのちを生きようとする思いを肯定し、支えてくださる方です。わたしたちがいのちを豊かに生きる希望を生み出すことができるようにと、道をともに歩まれる方です。その愛をわたしたちは心にいただき、主と一致しながら、さらに愛の絆を多くの人へと広げて参りましょう。