大司教

週刊大司教第百四十回:年間第二十二主日

2023年09月04日

早いもので、9月となってしまいましたが、まだまだ暑さは続いています。

9月1日から10月4日までは、教皇様が「ラウダート・シ」の呼びかけに基づいて定めた「被造物の季節」であり、日本の教会はさらに広げて「すべてのいのちを守る月間」としています。教皇様は、今年の被造物の季節の終わりにあたる10月4日、アシジのフランシスコの祝日に、新たなインテグラルエコロジーについての文書を発表される予定だと伺っています。

日本の司教団も、全教会レベルで教皇様の呼びかけに応え、霊的な視点からインテグラルエコロジーの課題に向き合うために、司教協議会にラウダート・シ・デスクを開設し、新潟教区の成井司教様を責任者に任命して、様々な取り組みを始めています。成井司教様の呼びかけを含め、ラウダート・シ・デスクについて、また今年のすべてのいのちを守る月間の取り組みについては、こちらのホームページをご覧ください

教皇様は8月31日から9月4日までの日程で、モンゴルを訪問されています。モンゴルは、日本からは遠いようで、しかし割と近い国であり、また相撲界などでモンゴル出身者が活躍されています。地政学的には、ロシアと中国に挟まれた地でもあり、この時期、教皇様がモンゴルの地からどういった発信をされるのかが注目されています。教皇様の訪問の日程などは、こちらのバチカンニュースをご覧ください

9月1日は関東大震災の発生から100年の節目となりました。当時亡くなられた多くの方々の永遠の安息を改めて祈るとともに、教会でもいつ発生してもおかしきないと言われている大きな災害への対応を改めて心しておきたいと思います。いつ起きるのかわからないのが災害です。東京教区にも災害対応チームがありますが、平時から少しづつ備えを進めていかなくてはなりません。ご協力ください。

また災害などの緊急事態が発生し、パニック状態になるとき、もちろんそこにはヒロイックな助け合いの出来事もあるでしょうが、同時に、先行きの見えない不安が生み出す疑心暗鬼と、心に潜む利己的な指向性が、自らの保身へと人を向かわせるとき、時に流言飛語に踊らされて暴力的な行為を生み出すことがあります。関東大震災の時にも、そのようなパニック状態の中で、朝鮮半島を始め他の地域出身の人たちへの暴力的な行動があったことは当時の裁判などの記録に残されており、人間の負の側面の表れとして、残念で悲しい出来事でありました。パニックになったときにこそ、互いに連帯して助け合う世界を実現しようとすることが、神の賜物である生命を守ることにつながります。歴史の中には、世界各地で、災害や戦争などのパニック状態が、人を暴力的な排除差別の行動に駆り立てる事例が記されています。同じことを繰り返してはなりません。そういった排除差別的暴力によって生命を奪われた多くの方々のために、心から祈り、同じ過ちを繰り返すことのないように学びを深め、互いに助け合うことを心に誓いたいと思います。

以下、2日午後6時配信、週刊大司教第140回、年間第22主日メッセージの原稿です。
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年間第22主日
週刊大司教第140回
2023年9月3日前晩

今年の夏は、例年以上の早くから台風の影響があり、特にお盆の帰省時期に台風が重なって交通機関に影響が出たりしました。まだ台風シーズンは終わっていませんから今後どうなるか想像もできませんが、これまでのこの夏の洪水や土砂災害の被害を受けられた方々には、心よりお見舞い申し上げます。

線状降水帯という言葉も、少し前までは集中豪雨などと言っていましたが、だんだんと耳に慣れてきました。わたしは30年くらい前に、赤道直下のアフリカのガーナで働いていましたが、日本で言う夏はちょうどガーナでは雨期でありました。雨期と言っても朝から晩まで降っていることはなく、午後2時過ぎくらいから、やにわに雲が沸き立ち、すさまじいスコールが降ったり風が吹き荒れたりしたものです。確かにこの数年、日本の気候は荒々しくなり、まるでかつてのアフリカのような気候になりました。いわゆる温暖化による気候変動の結果、なのでしょう。

気候変動の様々な影響が語られ、その原因が様々に取り沙汰される中で、2015年、教皇フランシスコは「ラウダート・シ」という文書を発表されました。この文書の副題は、「ともに暮らす家を大切に」とされています。広く環境問題に取り組むことが、神が創造され、人類にその管理を託された自然界を、養い育てる責務を果たすことにつながり、それは信仰上の責務でもあると強調されました。

教皇様は、毎年9月1日を「被造物を大切にする世界祈願日」とさだめ、日本では9月の第一の日曜日にこの祈願日を定めています。またアシジのフランシスコの記念日である10月4日までを、被造物を保護するための祈りと行動の期間として、「被造物の季節」と定められました。

ここで教皇フランシスコが強調されるエコロジーへの配慮とは、単に気候変動に対処しようとか温暖化を食い止めようとかいう単独の課題にとどまりません。「ラウダート・シ」の副題が示すように、課題は「ともに暮らす家を大切に」することです。それは、「この世界でわたしたちは何のために生きるのか、わたしたちはなぜここにいるのか、わたしたちの働きとあらゆる取り組みの目標はいかなるものか、わたしたちは地球から何を望まれているのか、といった問い」(160)に、ひとり一人が真摯に向き合うことに他なりません。

日本の教会は同じ期間を、さらに視点を広げて、「すべてのいのちを守る月間」として、司教団のラウダート・シ・デスクが、様々な活動を呼びかけています。

環境への配慮をすることは、いまわたしたちが享受している生活を変えていくことを意味しているため、容易なことではありません。しかし、神がこの世界を創造し守り育み管理するようにとわたしたちに託した意図を考えれば、福音にあったように、「神のことを思わず、人間のことを思っている」とわたしたちも主から叱責されるものであるのは間違いありません。

主イエスが、「自分を捨て、自分の十字架を背負って、わたしに従いなさい」といわれるとき、それは苦行を強いているのではなく、神様の計画を最優先に考えて、人間の都合を捨て去るように求めておられるに違いありません。