大司教

週刊大司教第百二十一回:復活節第三主日

2023年04月24日

復活節第三主日です。

先週の日曜日、復活節第二主日には、東京の六本木にあるフランシスカン・チャペルセンターで、堅信式ミサを捧げました。チャペルセンターはフランシスコ会の日本管区本部の隣にあり、司牧はフランシスコ会が担当しています。

東京教区内には、いくつかの言語別の属人小教区があります。そのうちのフランス語共同体とドイツ語共同体には、それぞれフランスの司教団とドイツの司教団が司祭を派遣してきますし、関口にあるもう一つの小教区である韓人教会は、ソウル教区が司祭を派遣してきます。それに対してチャペルセンターは独立した教会の建物がある東京教区の小教区ですが、基本的に英語を使用する教会なので、主任司祭は司牧を委任されているフランシスコ会が手配をし、現在はシンガポールから派遣されてきたフランシスコ会員のクリフォード・アウグスティン神父様です。

 

復活節第二主日には、この教会の所属する様々な国籍の子供たちが、20数名、堅信を受けられました。おめでとうございます。写真は、フランシスカン・チャペルセンターのFacebookからお借りしました。

明日、復活節第三主日は、都内の成城教会で、午後から堅信式ミサの予定です。

吉祥寺教会の司牧を担当し、また私自身の所属する神言修道会では、6年に一度の総会の前に、ローマ本部の顧問が各国の共同体を訪問することになっています。これを総視察と呼んでいます。現在ローマ総本部から二名が日本に来られ総視察中ですが、そのうちの一人、総本部顧問のGuy Mazola Midoブラザーが、昨日訪問してくださいました。ブラザーGuyは、コンゴ民主共和国出身です。神言修道会のアフリカのミッションでは、ガーナとともに長年にわたって活動を続けている歴史のある管区出身です。これからの神言修道会の東京における活動について、意見を交換させていただきました。

以下、22日午後6時配信の、週刊大司教第百二十一回、復活節第三主日のメッセージ原稿です。
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復活節第三主日
週刊大司教第121回
2023年4月23日前晩

主が復活された日の夕方、力強く導いていたリーダーを突然に失い、弟子たちは混乱していました。その中で、二人の弟子が、その混乱の現実に背を向け、安心を求めてエルサレムを旅立ち、エマオへ向かっていました。

悲劇的な出来事の引き起こす混乱に心が翻弄され、不安にとりつかれているときに必要なのは、落ち着いた振り返りです。イエスが何を教えきたのか。何をあかししてきたのか。そしていま眼前で起こっている出来事を通じて、神は何を語りかけているのか。落ち着いて見つめ直し、より良い道を探し求めなくてはなりません。しかしこの日、弟子たちには、その心の余裕がありません。

二人の弟子とともに道を行かれるイエスは、起こっている出来事の意味に自ら気がつくようにと、二人に辛抱強く耳を傾け、ともに歩きながら、その気づきを待ち続けます。

使徒的勧告「キリストは生きている」で教皇フランシスコは、イエスに対する信仰とは、イエスと出会って真の友情を深めることだとして、こう指摘されます。

「イエスとの友情は揺るぎないものです。黙っておられるように見えたとしても、この方は決してわたしたちを放ってはおかれません。わたしたちが必要とするときにはご自分と出会えるようにしてくださり、どこへ行こうともそばにいてくださいます」(154)

あの夕方、エマオへの道で、二人の弟子と共に歩み、辛抱強く耳を傾けたように、主は今日もわたしたちと歩みを共にされ、辛抱強くわたしたちの叫びに耳を傾け、時のしるしをどのように読み解くのか、わたしたちが気づくように導きながら、いつも待っておられます。

わたしたちを友情の固いきずなのうちに結びあわされた主は、「黙っておられるように見えたとしても」、必ずや共にいてくださる、ともに歩まれる。わたしたちはそう信じています。

この3年間の様々な活動の制約が徐々に撤廃されているいま、単に過去のあのときに戻るのではなく、この体験から何を学ぶことができるのか、何を神は語りかけているのか、振り返ってみることが大切です。なぜなら教会は、時の流れの中で立ち止まらず、時の流れに逆らって過去に戻るのでもなく、聖霊に導かれて常に前進を続ける神の民だからに他なりません。

わたしたちは弟子とともに歩む主の姿に倣い、互いに耳を傾け合う対話と、共に道を歩む辛抱強さを持つものでありたいと思います。神からいのちを賜物として与えられた兄弟姉妹として、友情のきずなで結び合わされ、連帯のうちに支え合いたいと思います。教会共同体こそは、社会の現実の中で、神との一致と全人類の親密な一致の「しるしであり道具である」という自覚を、新たにしたいと思います。