大司教

週刊大司教第百二十回:復活節第二主日

2023年04月17日

復活節第二主日は、教皇ヨハネ・パウロ二世によって、神のいつくしみの主日と定められています。聖ファウスティナに告げられた主イエスのお望みメッセージに基づいて、大聖年であった2000年から、復活の主日の次の日曜日(復活節第2主日)が「神のいつくしみの主日」と定められ、この主日に神のいつくしみに対する特別の信心を行うよう、教皇様は望まれました。2005年に帰天されたとき、最後に準備されていたのは、この神のいつくしみの主日のメッセージでした。こちらでご一読ください

なお東京カテドラルの地下聖堂には、聖ファウスティナに出現された主イエスの姿の絵が安置されています。教皇庁大使館を通じて聖ファウスティナと聖ヨハネ・パウロ二世の聖遺物とともに、東京教区に贈られたものです。こちらにそれについて触れたいつくしみの特別聖年の際の、岡田大司教様の説教があります。(上の写真は、ウクライナの平和のための祈祷会の時のものです)

今週は、12日の水曜日に、東京カトリック神学院において、哲学・神学課程を始める前に少なくとも一年間を過ごす予科のために、独立した建物ができあがり、司教様たちも東京と大阪の教会管区から8名の司教も参加して、竣工祝福式が行われました。新しい予科棟は、ぱっと見ると新潟の司教館とそっくりです。デザインと施工が新潟の司教館と同じだからです。施工は木造建築では定評のある新潟の新発田建設でした。

また土曜日15日の午後2時からは、ドミニコ会において司祭叙階式が行われ、ドミニコ会会員の佐藤了師が司祭に叙階されました。おめでとうございます。今年は東京では司祭叙階の多い年になりました。叙階式は渋谷教会で行われました。

以下、15日午後6時配信の、週刊大司教第120回目のメッセージ原稿です。
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復活節第二主日
週刊大司教第120回
2023年4月16日前晩

「弟子たちはユダヤ人を恐れて、自分たちのいる家の戸に鍵をかけていた」と福音に記されています。わたしたちはこの3年間、同じように、恐れの中で閉じこもっていました。

その日、弟子たちに向けて語りかけられたように、主ご自身がいまもまた、「あなた方に平和があるように」と語りかけてくださっていると、信じています。神の平和、すなわち神の支配の中にわたしたちは生かされていることを心に留めたいと思います。

復活節第二主日は、教皇ヨハネ・パウロ二世によって、「神のいつくしみの主日」と定められました。聖ファウスティナが受けた主イエスのいつくしみのメッセージに基づいて、神のいつくしみに身をゆだね、互いに分かちあう大切さを黙想する日であります。

よく知られていますが、2005年4月2日に帰天された教皇は、その翌日の神のいつくしみの主日のためにメッセージを用意されていました。そこには、こう記されています。

「人類は、時には悪と利己主義と恐れの力に負けて、それに支配されているかのように見えます。この人類に対して、復活した主は、ご自身の愛を賜物として与えてくださいます。それは、ゆるし、和解させ、また希望するために魂を開いてくれる愛です。」

神のいつくしみは、教皇ヨハネ・パウロ二世にとって重要なテーマの一つでした。1980年に発表された回勅「いつくしみ深い神」には、「愛が自らを表す様態とか領域とが、聖書の言葉では『あわれみ・いつくしみ』と呼ばれています。・・・いつくしみは愛になくてはならない広がりの中にあって、いわば愛の別名です」(いつくしみ深い神3/7)と記されています。

神のいつくしみ・あわれみを目に見える形とするのは、愛の具体的な実践です。

同時に教皇は、「人間は神のいつくしみを受け取り経験するだけでなく、他の人に向かって、いつくしみをもつように命じられている」としるします(いつくしみ深い神14)。神のいつくしみは一方通行ではありません。それをいただいたわたしたちは、互いに神のいつくしみ・あわれみ、すなわち愛を分かち合うものでなくてはなりません。

東京ドームでの教皇フランシスコの言葉を思い起こします。

「傷をいやし、和解とゆるしの道をつねに差し出す準備のある、野戦病院となることです。キリスト者にとって、個々の人や状況を判断する唯一有効な基準は、神がご自分のすべての子どもたちに示しておられる、いつくしみという基準です」

神のいつくしみを、あわれみを、愛を、具体的に生きる教会でありましょう。