大司教
週刊大司教第百十九回:四旬節第五主日A
2023年03月28日
四旬節も終盤となりました。
今年は3月26日が四旬節第5主日で、年度が明けて4月に入ると最初の日曜日4月2日が受難の主日となり、聖週間です。そして復活の主日は4月9日となります。
例年通り、受難の主日午前10時、聖木曜日、聖金曜日、聖土曜日午後7時は、関口教会で大司教司式ミサです。またそれに併せて、次の二回の土曜日、すなわち4月1日と4月8日は、週刊大司教の配信をお休みにします。
週刊大司教の次回、120回目は4月15日の配信です。また関口教会の聖週間のミサは、すべてYoutubeの関口教会のチャンネルから配信されます。
また聖木曜日の午前10時半には聖香油ミサが東京カテドラル聖マリア大聖堂で行われます。入堂制限は基本的にはありませんが、定員以上の収容はできませんので、状況によっては入堂をご遠慮いただく場合もあり得ることを、事前にご承知おきください。
以下、25日午後6時配信の、週刊大司教第119回、四旬節第五主日のメッセージ原稿です。
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四旬節第五主日
週刊大司教第119回
2023年3月26日
ヨハネ福音はラザロの死と復活の話を記しています。主こそがいのちの与え主であり、復活であり、永遠のいのちであることを、信仰においてわたしたちに再確認させる福音の奇跡物語です。この数年のように、パンデミックによっていのちの危機に直面してきましたが、わたしたちもマルタやマリアのように、「主よ、あなたの愛しておられる者が病気なのです」と叫びたい気持ちです。
パンデミックは、わたしたちに、すべてのいのちを守るためには、自分の身を守ることだけではなく、同時に他者のいのちにも心を配る思いやりが必要なのだということを思い起こさせています。すなわち、すべてのいのちを守るための行動は、社会の中での連帯と思いやりを必要としています。
教皇ベネディクト十六世は、回勅「希望による救い」のなかで、「苦しみは人生の一部」だと指摘されています。苦しみは、希望を生み出す力であり、人間が真の神の価値に生きるために、不可欠な要素です。苦しみは、神がわたしたちを愛されるが故に苦しまれた事実を思い起こさせ、神がわたしたちを愛して、この世で苦しむわたしたちと歩みをともにされていることを思い起こさせます。
本日の福音で、イエスは愛する友人であるラザロの死という苦しみと悲しみを通じて、初めて神の栄光を目に見える形で表します。
そのイエスご自身が、自ら受難の道へと足を進められ、十字架上でいのちをささげられます。しかしその自己犠牲こそは、永遠のいのちへの復活という栄光を生み出す苦しみでありました。
この数年間、闇の中を彷徨ってきたわたしたちは、「いのちを守るための行動」をすることの必要性を痛感し、自分の身を守ることだけではなく、社会の中での連帯と思いやりの重要性に気がつかさせられました。こういった気づきは、残念ながら、危機的状況が去ってしまうと、あっという間に忘れ去られてしまいます。
今回の事態で、病気に苦しむ人、病気との闘いに苦しむ人、経済の悪化で苦しむ人、雇用を失う人。様々な状況で、いのちの危機に直面する人たちが社会には存在することでしょう。わたしたちにはいま、思いやりと共に「人とともに、人のために苦しむこと。真理と正義のために苦しむこと。愛ゆえに、真の意味で愛する人となるために苦しむこと」を生き抜くことが求められています。