大司教
週刊大司教第百十七回:四旬節第三主日
2023年03月13日
東北の地を巨大な地震と津波が襲って、今日で12年となりました。あらためて亡くなられた方々の永遠の安息を祈ります。また東北の地の日々の歩みを、いのちを生み出し、すべてを創造された御父の愛といつくしみに満ちあふれた御心が、守り導いてくださるようにと、あらためて祈ります。
日本の教会全体としての復興への取り組みは、10年をもって一区切りをつけましたが、現在でも、東北の各地で、復興の歩みの中で築き上げられた結びつきが、全国に広がって絆のように固く結ばれ、ともに歩む道程は続いています。考えてみれば、いま世界全体で教会が取り組んでいるシノドスの歩みは、東北の地では12年前から具体的に実践されていたと言えるのかも知れません。その12年のあゆみを、ローマでのシノドスの会議に伝えることができればと思います。
なお本日午後2時から、聖イグナチオ麹町教会で、イエズス会の助祭叙階式が行われ、森晃太郎さんと渡辺徹郎さんのお二人のイエズス会士が、助祭に叙階されました。おめでとうございます。この機会に、さらに司祭・修道者の召命のために祈りましょう。
以下、11日午後6時配信の週刊大司教第117回、四旬節第三主日のメッセージ原稿です。
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四旬節第三主日
週刊大司教第117回
2023年3月12日前晩
ヨハネによる福音は、のどの渇きをいやす水について話すサマリアの女に対して、自らの存在がもたらす永遠のいのちについて語るイエスのことばを記します。
「わたしが与える水はその人の内で泉となり、永遠の命に至る水がわき出る」
永遠のいのちに至る水を与えると語る主イエスに従う教会は、「いのちの福音」を語り続けます。人間のいのちは、神から与えられた賜物であるが故に、その始まりから終わりまで例外なく守られ、神の似姿としての尊厳は尊重されなくてはならないと、教会は主張し続けます。
教皇ヨハネ・パウロ二世は、人間のいのちを人間自身が自由意思の赴くままに勝手にコントロールできるのだという考えは、いのちの創造主である神の前での思い上がりだと戒めながら、社会の現実を「死の文化」とよばれました。そして教会こそは、蔓延する死の文化に対抗して、すべてのいのちを守るため、「いのちの文化」を告げしらせ実現しなければならないと強調されました。
教皇ヨハネ・パウロ二世は、回勅「いのちの福音」に、「『殺してはならない』というおきては、人間のいのちを尊び、愛し、守り育てるといった、いっそう能動的な観点においても、一人ひとりに拘束力を持っています」と記しています。
キリストに従うわたしたちの心には、「人間のいのちを尊び、愛し、守り育て」よという神の声が響き渡ります。わたしたちは、キリストの与えるいのちの水を、この世界の現実の中で分け与えるものでなくてはなりません。
先日3月10日は、「性虐待被害者のための祈りと償いの日」でした。率先していのちを守り、人間の尊厳を守るはずの聖職者や霊的な指導者が、いのちに対する暴力を働き、人間の尊厳をないがしろにする行為を働いた事例が、相次いで報告されています。被害を受けられた方々に長期にわたる深い苦しみを生み出した聖職者や霊的指導者の行為を、心から謝罪いたします。
教会全体として対応を進めていますが、いのちを守り、人間の尊厳を守るための務めに終わりはありません。聖職者をはじめ教会全体の意識改革などすべきことは多々あり、教会の取り組みもまだ十分ではありません。ふさわしい制度とするため、見直しと整備の努力を続けてまいります。
教会がいのちの水を生み出し分け与える存在となるように、これからもともに務めて参りましょう。