大司教

週刊大司教第百十一回:年間第四主日

2023年01月30日

1月の最後の日曜日、姉妹教区であるケルンでは、「東京デー」が祝われています。通常、日曜日が4回の1月であれば東京におけるケルンデーとケルンにおける東京デーは同じ日に重なるのですが、今年は5回の日曜があるためずれてしまいました。

今年のケルンにおける東京デーには、東京とケルンで支援するミャンマーから、マンダレー教区のマルコ大司教様が招待されており、東京からは担当のレオ神父様(築地教会)が、ケルンへ出掛けております。明日の日曜に、ケルンの方々が東京のために祈ってくださっていることを、どうか心に留めてくださいますように。

なお1月の最終日曜日は、世界こども助け合いの日となっています。こちらのリンクから、担当の教皇庁宣教事業担当者である門間直輝神父様のメッセージをご覧ください。

以下、28日午後6時配信、週刊大司教第111回、年間第四主日のメッセージ原稿です。
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年間第4主日
週刊大司教第111回
2023年1月29日前晩

マタイによる福音は、山上の説教の冒頭部分に記されたいわゆる「真福八端」を伝えています。イエスが指摘する幸福の八つの状態、すなわち「心の貧しい人」、「悲しむ人」、「柔和な人」、「義に飢え渇く人」、「あわれみ深い人」、「心の清い人」、「平和を実現する人」、「義のために迫害される人」の八つのタイプの幸福は、そうだと納得できるものもあれば、社会の常識から言えば決してそうとも言えない状態もあります。

それと同時に、よく考えてみるとこの八つの真の幸福を体現されているのは、主イエスご自身であることに気がつかさせられます。つまりここに掲げられているのは、イエスが示す生き方に倣いわたしたちも生きることが、神の定めらた幸福の道なのであり、それは人間の常識が考える幸福とは異なっていることを、このイエスのことばが教えています。

「心の貧しさ」ということばは、特に日本語では否定的な意味にも取られがちなので困惑するのですが、聖書のこの箇所が伝えたいのは、霊的な貧しさであると同時に、物質的な執着からも解放されている、私利私欲にとらわれていない状態を示しています。イエスの生きた姿に学ぶならば、人類の救いのための贖いのいけにえとしてご自分をささげられた主ご自身は、まさしく他者のために仕える者となったという意味で、徹底的に「心の貧しさ」を生きた模範です。わたしたちそれぞれは、どのような生き方をしているでしょうか。常に道からそれるわたしたちに、主は御ことばを通じて、すべてを神に委ねる生き方をするように、繰り返し招いてくださいます。

1月の最後の日曜日は「世界こども助け合いの日」と定められています。この日は、子どもたちが使徒職に目覚め、思いやりのある人間に成長することを願って制定されました。まさしくイエスご自身の生きる姿勢に子どもたちが与り、「心の貧しい人」として生きる道を身につけることを目指している日です。そこで、「子どもたちが自分たちの幸せだけでなく世界中の子どもたちの幸せを願い、そのために祈り、犠牲や献金を」ささげることの大切さを学ぶ日なのです。

現在、日本の教会のこの活動の担当責任者は教皇庁宣教事業の日本における責任者、東京教区の門間神父様です。この日の献金は、全世界からローマの福音宣教省に集められ、世界各地の子どもたちのための活動を支援しています。献金も大切ですが、一番大切なのは、私利私欲に生きるのではなく、他者を支えることに真の幸福の道が隠されていることを、子どもたちに伝えることであろうと思います。