大司教

週刊大司教第百八回:主の公現の主日

2023年01月10日

降誕節も終わりに近づきました。降誕節を締めくくるのは、主の公現の主日です。

東方の三博士の来訪で有名ですが、博士は占星術の専門家だったようです。この三博士には名前があるといわれています。

この時期に見かけられた、「C.M.B.」という表記に見覚えがある方はいませんか。主の公現の主日と切っても切れない関係にある略語です。日本でも海外から来られた宣教師が働いていた地方では、必ず行われていたことだと思います。私も子どもの頃、スイス人の宣教師が働いていた岩手県の教会でしたので目にしていましたし、ドイツ人が中心だった神言会の修道院でも行われていました。それぞれの家の玄関などの戸口の上に、白いチョークで、C.M.B.と記され、十字架とその年の年号が記されているのを見たことありませんか。

かつては主の公現の主日の頃に、家の祝別が行われていました。そしてこのC.M.B.とは、三人の博士の頭文字です。カスパー、メルキオール、バルタザール。

わたし個人としては、年の初めのこの頃、司祭を家に招いて家の祝福の祈りをしてもらうという習慣は、一年の始まりに悪いものではないように思います。もっとも家族全員が信徒でないと難しいかもしれません。家庭が教会の基礎となる共同体であるという考えからすれば、家庭ミサをお願いするとか、家を祝福してもらうとかいうことは、守るべき大事なことであるように思います。

以下、7日午後6時配信の、主の公現の主日、週刊大司教第108回目のメッセージ原稿です。
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主の公現
週刊大司教第108回
2023年1月8日前晩

新年、明けましておめでとうございます。

新しい年の初めにあたり、この一年、皆様の上に神の祝福が豊かにあるようお祈りいたします。

マタイ福音は、東の方からエルサレムに来た占星術の学者たちの言葉を耳にしたとき、ヘロデ王の心は乱れ、不安に駆られたと記しています。自らの立場を脅かす存在が現実にいるのだと、占星術の学者が告げているからに他なりません。本来であれば、救い主の誕生の告知は喜びを持って迎えられる一大ニュースです。しかし現実に権力を行使して人々を支配しているヘロデは、その知らせを喜ぶことは出来なかった。自分をこの世の支配者とするものは、神の支配の実現を前にして、喜びではなく不安しか感じることができません。神の前では、自らの不遜さが暴かれてしまうからです。神の栄光の証しとしての光ではなく、自分勝手な光を輝かせていることが露呈するからです。

心のうちの不安は、ヘロデをいのちに対する暴力へと誘います。「わたしも行って拝もう」というヘロデの言葉に、真実はありません。その本意は、自らの権威を守るために神を抹殺することであり、その後の幼子殉教者の出来事へと続いていきます。

不安は利己的な心の姿勢を強め、時として他者のいのちに対する暴力へと発展します。そこにいのちを生きる希望は生まれません。新しい年となっても、ウクライナをはじめとして各地で起こっている不安定な状況は改善せず、多くの人が不安のうちに生きています。不安が生み出す疑心暗鬼は、さらに対立を深め、いのちに対する暴力は続いています。わたしたち人類は、一体何を守ろうとして神に抗っているのでしょうか。

占星術の学者たちがそうであったように、わたしたちの戻るべき場所はヘロデのところではありません。真の希望の光に触れたわたしたちは、人間の身勝手さの光を輝かせるのではなく、全く異なる道を選び、神の光を輝かせるものでなければなりません。