大司教

週刊大司教第百一回:年間第三十三主日

2022年11月14日

典礼の暦も終わりに近づきました。年間第三十三主日は、貧しい人のための世界祈願日と定められています。(写真は府中墓地で)

本日から装いを新たにした「週刊大司教」の配信を始めました。今日が百一回目となります。基本は主日の福音の朗読と、メッセージ、そして祝福です。メッセージを少し短くしました。

時に大きく増減を繰り返していますが、徐々に感染症の状況も改善し、またこの状況とどのように適応していくのかが分かってきましたので、教会の活動も再開されつつあります。そこで新しい週刊大司教では、霊的聖体拝領の祈りを入れていません。しかし、様々な事情から出掛けることが困難な方は多くおられると思いますので、そのような事情があるときには、この週刊大司教とともに、それぞれご自分で霊的聖体拝領のお祈りを唱えるようにしていただければと思います。もちろんそれがミサの代わりというのではなく、それぞれの霊的成長に資するものですので、困難なご事情のあるかたにあっては、折を見て司祭に相談され、司祭や聖体奉仕者が聖体を持って訪問されるようにされてください。

以下、12日午後六時配信の、週刊大司教第101回目のメッセージ原稿です。
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年間第33主日
週刊大司教第101回
2022年11月13日前晩

典礼の暦は終わりに近づき、毎年この時期の福音は、世の終わりについて語り始めます。

そうなると、一体のその終わりはいつ来るのかが気になってしかたがありません。例えば今回の感染症の世界的大流行の中で、二年ほども混乱が続き、いのちが危機に直面すると、それこそが世の終わりのしるしだと考える人が出てきたり、また世紀末のように区切れがよい時期が近づくと、世の終わりが近いと考える人も出現します。歴史はそれを繰り返してきました。

しかしイエスは、そういった諸々の不安を醸し出す出来事に振り回されないようにと忠告します。なぜならば時の終わりは神の領域であって、人間の領域の出来事ではないからです。

その代わりにイエスは、「しるし」を読み取ることを求めます。マタイ福音書16章には、もっとはっきりとこう記されています。

「あなたたちは、夕方には『夕焼けだから、晴れだ』と言い、朝には『朝焼けで雲が低いから、今日は嵐だ』と言う。このように空模様を見分けることは知っているのに、時代のしるしは見ることができないのか」

ヨハネ二十三世が、1961年の降誕祭に、「フマーネ・サルティス」を持って第二バチカン公会議の開催を告示したとき、そこには「時のしるし」を読み解くことの重要性が記されていました。そこで第二バチカン公会議は、「時のしるし」を読み解き行動することを柱の一つに据えました。公会議を締めくくる「現代世界憲章」は、「現代の人々の喜びと希望、苦悩と不安、特に貧しい人々とすべて苦しんでいる人々のものは、キリストの弟子たちの喜びと希望、苦悩と不安でもある」と指摘した後に、社会の現実の中で、真理をあかし、世を救い、キリストの業を続けるために、教会は「つねに時のしるしについて吟味し、福音の光のもとにそれを解明する義務を課されている(4)」と記しています。

「時のしるし」を福音の光に照らされて読み解くのは、わたしたちの務めです。

教会は年間第33主日を、貧しい人のための世界祈願日と定めています。教皇様の今年のメッセージは、「イエス・キリストはあなたがたのために貧しくなられた」をテーマとし、特に感染症や戦争によって貧困が深まっている世界にあって、教会は義務だからではなく、イエスに倣って生きる者だから当然として、困窮する人々との連帯のうちに支え合って生きることの重要性を強調されています。

わたしたちの心の目は、「時のしるし」を、福音の光のもとに読み解こうとしているでしょうか。