大司教

週刊大司教第九十五回:年間第二十六主日

2022年09月26日

9月最後の主日は、世界難民移住移動者の日と定められています。(上の写真は神学院にて)

中央協議会のホームページには、次のように記されています。

「世界難民移住移動者の日は、各小教区とカトリック施設が、国籍を超えた神の国を求めて、真の信仰共同体を築き、全世界の人々と「ともに生きる」決意を新たにする日です。日本の教会でこの分野の活動を受け持つ日本カトリック難民移住移動者委員会は、日本と全世界にある協力グループとともに、活動の推進、連絡、協力、支援、情報の交流等を行っています。そのために祈りと献金がささげられます」

教皇様はこの日にあたりメッセージを発表されています。今年のテーマは、「移民や難民と共に未来を作る」とされています。こちらのリンクです

メッセージの中で、教皇様は次のように呼びかけておられます。

「だれ一人、排除されるべきではありません。神の計画は本質的にすべてを包み込むもので、実存的周縁部の住人を中心に据えるのです。その中には、多くの移民や難民、避難民、人身取引の犠牲者が含まれます。神の国の建設はこの人たちとともに行うものです。この人たちなしでは、神が望むみ国はならないからです。もっとも立場の弱い人たちを含めることは、完全に神の国の市民権を得るための必要条件です」

その上で、教皇様は次のように呼びかけて、祈りと共にメッセージを締めくくっておられます。

「親愛なる兄弟姉妹の皆さん、とくに若者の皆さん。もし天の父と協力して未来を築きたいのであれば、それを、難民や移民の兄弟姉妹とともに行いましょう。今日築きましょう。未来は今日から、そしてわたしたち一人ひとりから始まるからです」

今般のウクライナの情勢を見るにつけ、難民は遠い世界の出来事ではなくて、世界に生きるすべての人の現実です。そして様々な理由から移動し移住する多くの方も、一人ひとりが神から愛されるいのちをいただいた大切な存在です。すべてのいのちが守られるように祈るためにも、現実に起こっていることを、まず知ることから始めましょう。

日本の司教団も、個別の委員会の課題としてではなく、司教全員の総意として、今ひとつの問題について政府にお願いをしています。多くの課題が存在する中で、小さな一つの課題ですが、いのちを守るための大切な課題の一つだと考えています。こちらのリンクです。司教全員のメッセージビデオもありますので、一度ご覧いただければ幸いです。(下の写真はウガンダ北部にあった国内避難民キャンプで。2005年)

以下、24午後6時配信の、週刊大司教第95回、年間第26主日メッセージ原稿です。
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年間第26主日
週刊大司教第95回
2022年9月25日前晩

「現在の世界情勢は、不安定や危機感を与え、それが集団的利己主義の温床となります」

2015年に発表された教皇フランシスコの回勅「ラウダート・シ」205項にそう記されています。そしてまさしくこの数年間、感染症による先の見えない不安感は、世界中を「集団的利己主義」の渦に巻き込みました。

教皇は続けてこう記します。「人は、自己中心的にまた自己完結的になるとき、貪欲さを募らせます。心が空虚であればあるほど、購買と所有と消費の対象を必要とします。・・・こうした地平においては、共通善に対する真正な感覚もなくなります」

ルカ福音が記す金持ちとラザロの話には、まさしく世界が自分を中心にして回っているかのように考え振る舞う金持ちの姿が描かれています。利己主義に捕らえられた心には、助けを求めている人は存在する場所すらありません。死後の苦しみの中で神の裁きに直面するときでさえ、金持ちの心は自分のことしか考えず、それを象徴するように、この期におよんでもラザロを自分の目的のために利用しようとします。

2016年5月18日の一般謁見で、教皇様はこの話を取り上げ、こう述べておられます。

「ラザロは、あらゆる時代の貧しい人々の叫びを表わすと同時に、莫大な富と資源がごく少数の人の手に握られている世界の矛盾をも示す良い例です」。

その上で教皇様は、「神のわたしたちに対するあわれみは、わたしたちの隣人に対するあわれみと結びついています。それが欠けていたり、わたしたちの心の中に無ければ、神はわたしたちの心に入ることはできません。もし、自分の心の扉を貧しい人々に向けて押し開かなければ、扉は閉ざされたままです。神への扉も閉ざされたままです。それは恐ろしいことです」と指摘されます。こころの扉を開いて、出向いていく教会であることが、集団的利己主義から脱却する道であることが示唆されています。

教皇様が指摘されるように、世界における貧富の格差の問題は、「先進諸国や社会の富裕層では、浪費と廃棄の習慣がこれまでにないレベルに達しており、そうした消費レベルの維持は不可能であることをわたしたちは皆知って」いるにもかかわらず、全く解決されていません(27)。扉は閉ざされたままです。

9月の最後の主日は世界難民移住移動者の日です。教皇様は今年のテーマを、「移民や難民とともに未来を作る」とされました。教皇様は今年のメッセージの終わりにイザヤ書を引いて、「新しいエルサレムの住人は、都の門をつねに大きく開いておき、異邦人が贈り物を携えて入ってこられるようにする」と記しています。わたしたちは、扉を開くことを心に留めましょう。

この一ヶ月、10月4日まで、わたしたちは」ラウダート・シ」の精神に倣って「すべてのいのちを守る月間」を過ごしています。「ラウダート・シ」に倣うということは、ともすれば、環境問題などの特定の課題に取り組むための啓発活動と考えられる嫌いがありますが、教皇フランシスコの呼びかけは個別の課題をはるかに超え、わたしたちの存在の有り様全体にに対して、回心を呼びかけています。

わたしたちは扉を閉ざして籠もってしまうのではなく、扉を開いて外へ出向いていき、共通善の実現のために汗を流す教会でありたいと思います。