大司教

週刊大司教第八十回:三位一体の主日

2022年06月13日

三位一体の主日となりました。

わたしの健康のためにお祈りくださっている多くの方に、心から感謝します。この一週間は、徐々に仕事に復帰していますが、まだ少し声が不調なことと、大きい声を出すと咳が出てしまうため、いくつかの行事をキャンセルいたしました。

本来であれば、6月11日の土曜日午後には、碑文谷教会で青年の集いが久しぶりに開催されることになり、ミサを司式する予定でしたが、体調に不安があったため、メッセージだけとさせていただきました。申し訳ないです。将来の教会、ではなくて、まさしく今の教会を担う青年たちが(教皇フランシスコのシノドスでの言葉より)、しっかりと互いの絆で結ばれ、教会をさらに大きく発展させてくださることを期待しています。聖霊は、時に驚くような方法で働かれます。常識を破るような方法で働かれます。挑戦することを恐れず、力強く前進されることを、心から期待しています。

以下、本日午後6時配信の、週刊大司教第80回、三位一体の主日メッセージ原稿です。
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三位一体の主日C
週刊大司教第80回
2022年6月12日前晩

わたしたちは、「父と子と聖霊のみ名によって」洗礼を受けます。したがってわたしたちキリスト者の「信仰は、三位一体に基づいて」いると、カテキズムは記しています(232)。

わたしたちを「導いて真理をことごとく悟らせる」聖霊は、「わたしのものを受けて、あなた方に告げる」と、ヨハネ福音は主の言葉を記します。その「わたしのもの」は、「父が持っておられるものはすべて、わたしのものである」と主ご自身が言われるのですから、わたしたちは、信仰において、三位一体の神の交わりの中で、聖霊に導かれて御子に倣い、御父へと結びあわされています。

カテキズムはそれを、「御父の栄光をたたえる者は、御子によって聖霊のうちにそうするのであり、キリストに従う者は、その人を御父が引き寄せ、聖霊が動かされるので、そうするのです」と記します(259)。

東京教区では、2020年末に宣教司牧方針を定めました。この宣教司牧方針も、三位一体の神の交わりに基づいて三つの柱が定められています。宣教司牧方針には、こう記されています。

「東京大司教区の宣教司牧方針の三つの柱、①「宣教する共同体をめざして」、②「交わりの共同体をめざして」、③「すべてのいのちを大切にする共同体をめざして」は変動するこの世にあって、わたしたちがこころを合わせて向かっていく方向を示しています。そして、その三つの柱は互いに関連しあっています。「宣教する共同体」は「義人アベルから最後に選ばれた人に至るまで」ご自分のもとへと集めようとなさる天の御父の救いの想いを反映しています(『教会憲章』 2参照)。「交わりの共同体」は神と人、人と人の和解のために十字架へとつけられた御子の生きる姿を写し出します。「すべてのいのちを大切にする共同体」は「主であり、いのちの与え主」(『ニケア・コンスタンチノープル信条』参照)である聖霊の働きによって成立します。ですから、この宣教司牧方針は三位一体の神のお姿をこの世にあらわしていくものなのです」

わたしたちは共同体で生きる教会です。わたしたちの信仰が、父と子と聖霊の一致のうちにある共同体としての三位一体に基づくものであるからこそ、教会共同体も、三位一体の神をこの世に具体的に顕す共同体であるよう務めなくてはなりません。

またそれだからこそ、宣教する共同体も交わりの共同体もすべてのいのちを大切にする共同体も、それだけで独自の存在ではなく、互いを前提とし、互いに支えられて、一致していなくてはなりません。

そもそもわたしたちの信仰が三位一体に基づいているからこそ、わたしたちには教会共同体が必要であり、信仰を一人孤独のうちに生きることはできません。父と子と聖霊のみ名によって洗礼を受けた瞬間に、わたしたちは三位一体の神の交わりの中で、教会共同体の絆に結びあわされるのです。わたしたちの信仰は、本性的に共同体の信仰です。

第二バチカン公会議の現代世界憲章は、「主イエスは、『わたしたちが一つであるように、・・・すべての人を一つにしてください』と父に祈ることによって、・・・神における三位の結びつきと、真理と愛における神の子らの結びつきとがいくらか似ていることを開示するものであった。この類似から明らかなとおり、・・・人間は、余すことなく自分自身を与えない限り、自分を完全に見出すことはできない」(24)と記します。主イエスご自身に倣い、御父の願いを具体的に実現するために、聖霊の導きに身を委ね、共同体の交わりの中で、信仰を生きていきましょう。