大司教

週刊大司教第七十九回:聖霊降臨

2022年06月06日

聖霊降臨の主日です。

5月23日夕方に発熱と喉の痛みで始まり、25日には新型コロナ陽性判定となり、十日間の自宅療養を続けていましたが、なんとか解熱剤なしで熱も平熱となり、喉の痛みも癒えてきました。少なくとも72時間、解熱剤なしで平熱を保ち、そのほかの症状もないことから、6月2日23時59分を持って自宅療養を解除との連絡が、東京都のフォローアップセンターからメールで送られてきました。

まだ少し咳が残っているのと、声が本調子ではないことに加え、体調が完全に戻っていないものですから、再稼働しましたが、ちょっとスローで前進することにします。

聖霊降臨の主日の午後に予定されていた韓人教会の堅信式と、その後に予定されていた教区の堅信式は、それぞれ韓人教会主任司祭と、司教総代理に司式を委任しましたこと、どうかご理解くださるようお願いいたします。

この期間、大勢の方にお祈りいただいたことを感謝いたします。また、のど飴やサプリメントなど、様々なものを送ってくださった方にも感謝します。あらためて一人で生きていけないことを痛感しています。私が療養している間、多くの方に支えられていることを、実感いたしました。教区事務局長から始まって、カテドラル構内の多くの方、医療関係者、また保健所などで対応にあたられる多くのスタッフ。皆さんに支えられていることを痛感しながら、過ごしておりました。あらためて感謝申し上げます。

以下、4日午後6時配信、週刊大司教第79回、聖霊降臨の主日メッセージ原稿です。なおビデオは5月18日に収録したものです。
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聖霊降臨の主日
週刊大司教第79回
2022年6月5日前晩

「聖霊来てください。あなたの光の輝きで、わたしたちを照らしてください」

聖霊降臨の主日に、福音の前に歌われる聖霊の続唱は、この言葉で始まります。共同体として何らかの行動を始めるときに、聖霊の導きを祈ることは、教会の伝統です。なぜならば、教会は聖霊によって誕生し、聖霊の働きによって育まれ、聖霊の導きによって歩み続けている存在だからです。

「聖霊は教会の中に、また信者たちの心の中に、あたかも神殿の中にいるかのように」住んでいると指摘する第二バチカン公会議の「教会憲章」は、聖霊は「教会をあらゆる真理に導き、交わりと奉仕において一致させ、種々の位階的たまものやカリスマ的たまものをもって教会を教え導き、霊の実りによって教会を飾る」と教えています。その上で、「聖霊は福音の力をもって教会を若返らせ、たえず新たにし、その花婿との完全な一致へと導く」とも記し(4)、教会は、「キリストを全世界の救いの源泉と定めた神の計画を実現するために協力するよう」、聖霊から迫られているとまで記します(17)。

使徒言行録には、五旬祭の日に起こった聖霊降臨の模様が記されています。その出来事は、「激しい風」と「家中に響」く音と、人々が集まってくるような「物音」によって特徴付けられています。聖霊降臨の出来事は、静かに秘められるように進んでいったのではなく、皆が驚くほどの衝撃を与えるような、いわば騒々しい出来事であったと、使徒言行録はわざわざ記しています。すなわち、聖霊によってもたらされる業は、時に居心地の悪い驚きをもたらすものであり、皆が驚くような変革であります。

2021年9月の初めにローマ教区の信徒代表たちとお会いになった教皇フランシスコは、シノドスのあゆみに関連して、「教会がリーダーたちとその配下の者たちとか、教える者と教わる者とから成り立っているという凝り固まった分断のイメージから離れることには、なかなか手強い抵抗があるが、そういうとき、神は立場を全くひっくり返すのを好まれることを忘れている」と指摘されました。会議で集まって何かを決めることよりも、皆で歩みをともにして識別する道を提示され、シノドスというシステムを大転換させようとしている教皇様は、これまでのやり方に固執することなく、勇気を持って新しいあり方を模索することを教会にしばしば求められます。

「福音の喜び」には、「宣教を中心にした司牧では、『いつもこうしてきた』という安易な司牧基準をすてなければなりません(33)」と記されています。これまで歩んできた道を、大きく変えることは、居心地が悪く、心に不安を生み出し、成果を見通すことが難しいため、どうしても一歩を踏み出すことに躊躇してしまいます。そういうときにこそ、教会は聖霊によって導かれており、その聖霊は静かな改革ではなく、騒々しくて居心地の悪い改革を生み出すものだと言うことを、心に思い起こしたいと思います。

聖霊は、弟子たちを、福音を全世界に向けてあかしする宣教者と変えました。わたしたちは同じ聖霊に導かれている共同体です。ヨハネ福音に「わたしを愛する人は、わたしの言葉を守る」とあるように、わたしたちは主イエスを愛しているが故に、主の言葉に従って生き、主の言葉をあかし、福音を告げしらせます。聖霊は、「望むままに、望むときに、望む場所で働かれます(「福音の喜び」279)」。聖霊の導きに、心から信頼する共同体でありましょう。