大司教

週刊大司教第三十六回:年間第十七主日

2021年07月25日

7月も終わろうとしています。暑い毎日が続いています。

週刊大司教のメッセージでも触れていますが、教皇様は、今年から、7月26日の聖ヨアキムとアンナの記念日に近い主日を、「祖父母と高齢者のための世界祈願日」と定められました。今年は7月25日がこの祈願日となります。

教皇様は、今年の1月31日のお告げの祈りで、次のように述べて、この祈願日の制定を告知されました。

 「2月2日は、イエスが神殿で捧げられたことを記念する、主の奉献の祝日です。そのとき、シメオンとアンナは二人とも年老いていましたが、聖霊に導かれ、イエスがメシアであると認めました。聖霊は、知恵に満ちた考えやことばを高齢者の内にわき上がらせます。高齢者の声はかけがえのないものです。神をたたえて歌い、人々のルーツを守っているからです。年を重ねることはたまものであり、祖父母はその人生体験や信仰を若者に伝えることにより、世代を結びつける輪となっていることを、この二人は思い起こさせてくれます。祖父母は忘れられがちですし、ルーツを守り、伝えるというその宝もないがしろにされています。だからこそ、7月第四主日を「祖父母と高齢者のための世界祈願日」とし、教会全体で毎年祝うことにしたのです。この日のころには、イエスの「祖父母」にあたる聖ヨアキムと聖アンナの記念日があります」

今年は初めてのことでもあり、どのようにこの祈願日を祝うのか、定まってはいないのですが、わたしたち自身の祖父母に限らず、教会や社会に多数おられる高齢の方々に思いを馳せ、御父の祝福と守りを祈る日曜にしたいと思います。

なお今年の祈願日のテーマは、「わたしはいつもあなたとともにいる」と定められており、教皇様のメッセージの翻訳は、こちらの中央協議会のホームページへのリンク先に掲載されていますので、ご一読ください

メッセージの中で、教皇様は、特にパンデミックの状況に置かれている現在、孤独のうちに取り残されている人が多くいる中で、特に高齢者の状況には厳しいものがあるとして、次のように希望の言葉を記しておられます。

「このパンデミックの数か月のように、何もかも真っ暗に思えるときでも、主は天使を遣わし、わたしたちの孤独を慰め続け、「わたしはいつもあなたとともにいる」と繰り返しておられます。そうあなたにいっておられ、わたしに、皆にいっておられるのです。これこそが、長い間の孤独と、いまだ時間がかかっている社会生活の回復とを経て、まさに今年に、初回を迎えるこの祈願日の意義です。祖父母の皆さん、高齢者のお一人お一人が、とくに孤独に苦しむかたがたが、天使の訪問を受けられますように」

以下、24日午後6時配信の週刊大司教第三十六回のメッセージ原稿です。
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年間第17主日
週刊大司教第36回
2021年7月25日前晩

列王記は、飢饉に見舞われた地にあって、預言者エリシャのもとへ持ってこられた少ないパンが、召使いの常識を越えて、百名の人の空腹を満たした奇跡的な話を記しています。

ヨハネ福音も、いわゆる「五つのパンと二匹の魚」の物語を記し、少年がささげた少ないパンと魚が、イエスのみ言葉を聞くために集まっていた五千人を超える人たちの空腹を満たした、奇跡物語を記しています。

どちらにも通じるのは、もちろん少ない食べ物が多くの人を満たしたと言う奇跡の物語であり、御父である神の、また主イエスの偉大な力を示しています。同時にそれは、自分が持つ数少ないものをまもるのではなく、他者のために惜しみなく分かち合ったときに生まれる愛の絆の物語でもあります。そしてそれは、ミサを通じて主の食卓にあずかり、主イエスご自身の現存である御聖体によって生かされることで教会共同体にもたらされる、霊的な一致の意味をあらためて考えさせるものでもあります。主の十字架上での自己犠牲は、神による最大の愛のあかしであります。

パウロはエフェソの教会への手紙で、まさしくこの霊的一致について語ります。パウロは、例えばローマ書など他の書簡で一致について、一つの体とその部分であるわたしたちのようなたとえを記しますが、一致は決して皆が全く同じように考え、同じように行動するのではないことを明確にしています。それぞれはそれぞれが与えられた使命に自らの決断を持って生きているのであって、一致は同じ霊によって生かされ、同じ主における「一つの希望にあずかるように」と招かれている生き方にあります。主イエスを中心とした愛の絆に結ばれていることこそが、わたしたちの語る一致であります。

さて教皇様は、今年から、7月26日の聖ヨアキムとアンナの記念日に近い主日を、「祖父母と高齢者のための世界祈願日」と定められ、メッセージを発表されています。今年は7月25日がこの祈願日となります。教皇様のメッセージのテーマは、「わたしはいつもあなたがたと共にいる」(参照:マタイ28,20)とされています。教皇様はメッセージの中で、今回の「パンデミックは思いがけない嵐のようにそれぞれの生活に試練を与えたが、とりわけお年寄りに与えた影響は厳しいものであった」と述べられ、亡くなられた多数の高齢者への思いを記されています。その上で、「主はわたしたち一人ひとりの苦しみを知り、痛ましい経験をした人々のそばにおられ、その孤独を心にかけておられる」と呼びかけられます。わたしたちが招かれている霊的一致は、いのちが忘れ去られ孤独のうちにあることをよしとしません。すべてのいのちに主が共にいることを、あかしするよう、わたしたちは招かれています。

教皇様の「フラテリ・トゥッティ」にもこう記されています。「わたしたちは、歴史の教訓、「人生の師である歴史」をすぐに忘れます。・・・長年の医療体制の縮小の結果の一部として、呼吸器が不足で亡くなった高齢者を、どうかわたしたちが忘れずにいられますように。・・・わたしたちには互いが必要で、互いに対し義務を負っていることを、はっきりと気づくことができますように」(35)

東京教区の宣教司牧方針も、「わたしはいつもあなた方と共にいる」という御言葉に導かれます。わたしたちは、三つの柱の一つである「すべてのいのちを大切にする共同体」も目指しています。社会の多様化の中で、より小さないのち、より弱いいのちがないがしろにされつつあります。神からいただいたいのちを大切にし、それぞれのいのちを尊重しあう共同体をめざしましょう。