大司教

週刊大司教第五回:待降節第二主日

2020年12月07日

待降節第二主日となりました。第五回めとなる「週刊大司教」をお届けします。

今年のクリスマスのミサについてどうなるのか心配される声が多数届いております。わたしたちの信仰にとって聖体祭儀は不可欠であり、復活祭を祝うことが出来なかったこの年にあっては、信仰生活において重要な主の降誕の聖体祭儀に共に与ることは、重要です。

ミサの公開を中止するような事態が発生しないようにできる限りの対応をしたいと思いますので、先日、東京大司教の対応を一部変更いたしました。また状況に応じて対応の細部は変更しますので、それについては現時点での対応が分かるように、東京大司教区のホームページにクリックして見ていただけるバナーを用意しました。なお現時点の対応はこちらをご覧ください

今回の変更では、「ミサ以外については、小教区運営に関する最低限不可欠な会議を除き、教会におけるすべての会議、会合、集い、勉強会などを、当面の間、中止またはオンラインとしてください」としております。

現在のところ、小教区における感染やクラスターなどの報告はありませんが、信徒の方が、教会以外の場で感染したと言う報告は、当初よりいくつか受けておりました。それがこの数日の間、これも教会を原因とする感染ではありませんが、信徒の方が社会の中で感染したという報告が増加いたしました。そのため、今回の変更の対応をさせていただきました。手指の消毒、マスクの着用、互いの距離など、基本的な感染対策をしっかりとまもっていただくことで、例えばミサにおいては、マスクを着用し聖歌を歌わずに距離を置いて着席することで、これまでも感染が防止できていると思われます。基本的な対策を守るならば、ミサに関しては不必要なまでに恐れることはありません。

ですからクリスマスのミサを行うことが出来るように、当分のあいだ、会話や密接した接触の可能性のある会議などを自粛していただくようにお願いしております。なお状況によりますが、「当面の間」は、12月中を考えております。また小教区によって地域の状況が異なりますから、現場における最終的な判断の権限は、主任司祭にあります。

皆様には、再び我慢を強いてしまう待降節となりましたが、どうかご理解の上、ご協力をお願いいたします。

以下、本日公開しました、待降節第二主日の週刊大司教メッセージ原稿です。なお今回から、主の祈りの後に霊的聖体拝領の祈りを画面に表示させています。
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待降節第二主日
週刊大司教第五回
2020年12月6日前晩

わたしたちが生きている今のこの世界には、「主の道を備え、その道筋をまっすぐにせよ」と声をあげる存在が必要です。神の招きに応え、その使命に徹底的に生きる存在が必要です。

教皇フランシスコは、使徒的勧告「喜びに喜べ」の冒頭で、「(主が)わたしたちに望んでおられるのは聖なる者となることであり、平凡で風味に乏しい、曖昧なものに留まることではありません」と記して、神からの招きである聖性の道を徹底的に生き抜こうとする存在が不可欠であることを指摘しています(1)。

もちろん教皇は、聖性の道への招きは、特別な人だけへの呼びかけではなくすべてのキリスト者に向けられた呼びかけであることを強調されますが、同時に「教会が必要とするのは・・・まことのいのちを伝えることに燃えて献身する、熱い宣教者だ(138)」と記して、司祭や修道者の聖性の模範が信徒に先立つものとして重要であることも指摘されています。

教会は、聖性の道を歩む模範となる司祭や修道者を必要としています。洗礼者ヨハネのように、勇気を持って先頭に立ち、信仰における正論を声を上げてあかしする存在を必要としています。

教会は、12月の第一主日を教皇庁宣教援助事業・使徒聖ペトロ会が呼びかける「宣教地召命促進の日」と定めています。今年はこの待降節第二主日、全世界のカトリック教会は、宣教地における司祭や修道者の召命に思いを馳せ、加えてその養成者を思い起こし、ともに祈りをささげます。また宣教地における教会が豊かに成長する道に心をよせ、司祭職や奉献生活者を目指して養成を受けている神学生や修練者を支援するために献金を捧げます。

宣教地と言うことでは、日本の教会もアジアの他の多くの教会と同様、その国にあっては少数派ですから、宣教地の召命促進の祈りには、当然日本における召命促進も含まれております。

司祭は、どこからか自然に誕生して、小教区共同体に与えられる存在ではありません。教会は会社のような組織ではありませんから、毎年のように募集をして、司祭を雇用するようなところではありません。司祭は、自分たちの教会共同体から生み出され、育てられ、歩みをともにする存在です。

主イエスは、突然大人としてこの世界に出現したのではなく、聖書に記されているとおり、幼子として聖家族のうちに誕生し、その聖家族の絆のうちに育まれ成長していきました。共にいる神がそのようにしてわたしたちと関わるのですから、洗礼者ヨハネのように、勇気を持って先頭に立ち、信仰における正論を声を上げてあかしする存在、すなわち司祭も、同じように家族の絆、すなわち教会共同体のうちに誕生し、育まれ、成長する存在であります。

第二バチカン公会議の「司祭の養成に関する教令」は、「召命を育てる義務は、キリスト教共同体全体にある。この共同体はとくにキリスト教的生活を十全に生きることによってその義務を果たさなければならない(2)」と記しています

わたしたちは、日本において、そして世界各地において、「主の道を備え、その道筋をまっすぐにせよ」と勇気を持って率先しながら正しい声をあげる存在、すなわち司祭がひとりでも多く誕生するように、粘り強い祈りと犠牲をささげる心、そしてわたしたち自身の信仰の養成を深めることによって、貢献していきたいと思います。