大司教
2022年聖香油ミサ@東京カテドラル
2022年04月14日
今年は聖香油ミサを、例年通りに聖木曜日の午前中に執り行うことができました。残念ながら、感染対策の制限のため、信徒の方々にはご一緒いただけませんでしたが、オンラインで配信いたしました。
ミサの冒頭で、田町神学生の司祭助祭叙階候補者としての認定式と、熊坂、冨田神学生の、祭壇奉仕者選任式を行いました。なおミサには、教皇大使レオ・ボッカルディ大司教様と、先日大分の司教に任命されたばかりの森山信三被選司教様も参加してくださいました。
ミサ中には司祭の約束の更新、そして聖なる油の祝福を行いました。特に洗礼式、堅信、叙階式、献堂式などに使う聖香油の聖別は重要です。純粋なオリーブオイルに香料としてバルサムを混ぜ、象徴的に司式司教は口を近づけて息を吹きかけた後、祈りを唱えます。祈りの後半では同席するすべての司祭が右手を差し伸べて祈りに加わります。
また、配信には入っていませんが、ミサの終了後には、今年度の人事異動ですでに新しく来られた神父様や、東京を離れる方の紹介もありました。どうか皆さん、霊的に満たされ祝福された聖なる三日間をお過ごしになり、喜びのうちに復活祭を迎えられますように。
以下、聖香油ミサの説教原稿です。(なお当初用意した原稿の最後の部分を飛ばしましたので、配信担当者には事前に用意された字幕と異なることになり、通知していなかったので混乱を招いてしまいした。申し訳ありません。読み飛ばした部分は、ミサ冒頭の選任式で読み上げられた式文とほぼ同じ内容でした)
聖香油ミサ
2022年4月14日
東京カテドラル聖マリア大聖堂
あらためて繰り返すまでもなく、わたしたちは2020年2月頃から、新型コロナ感染症に起因する困難な状況の中で、社会生活を営んでいます。もうすぐ収まるのではないかという期待を持ったところに、今度はまた変異株などが出現してみたり、普通の風邪と同じレベルだという声が聞こえたかと思うと、今度はまた、慎重さを失ってはならない、いのちは危機に直面しているという声を耳にすると言うことの繰り返しです。先が見通せないことほど、わたしたちに不安をかき立てることはありません。
あらためて亡くなられた方々の永遠の安息を祈ると共に、今も病床にある方々の回復を祈り、さらにはいのちを守るために最前線で働いておられる多くの医療関係者の方々の健康が守られるように祈り続けたいと思います。
感染症の困難のただ中で、教皇様は、しばしば世界的な連帯の必要性を強調されてきました。2020年6月2日の一般謁見では、この危機的状況から、以前より良い状態で抜け出すためには、「調和のうちに結ばれた多様性と連帯」が不可欠であると指摘されました。
しかしながらこの四旬節の間、わたしたちの眼前で展開したのは、調和でも多様性でも連帯でもなく、対立と排除と暴虐でありました。
世界的な感染症による困難といういのちの危機に直面する中で、戦争などしている暇はないだろうと思うのですが、政治の指導者たちの考えは、わたしたちの考えとは異なるようです。
ウクライナを巡るロシアの武力侵攻は、これまで積み重ねてきた国際社会の努力を踏みにじる大国の暴力的行動として世界に大きな衝撃を与えており、いのちを守り平和を希求する多くの人たちの願いを顧みることなく事態は展開してきました。3月25日、教皇様が、全人類、特にロシアとウクライナを聖母の汚れなきみこころに奉献し、世界の多くの教会がそれに賛同して祈りをささげましたが、聖母の取り次ぎによって神の平和が確立する道が開かれるように、祈り続けたいと思います。
ちょうどこの困難な時期のただ中で、教皇様は、2023年秋に世界代表司教会議(シノドス)を開催することを決定され、そのテーマを、「ともに歩む教会のため-交わり、参加、そして宣教-」と定められました。わたしたちは今その道程を、全世界の教会をあげて、ともに歩もうとしています。ともに旅を続ける神の民にあって、わたしたち一人ひとりには固有の役割が与えられています。共同体の交わりの中で、一人ひとりがその役割を十全に果たすとき、神の民全体はこの世にあって、福音をあかしする存在となり得ます。
現代社会において、真摯に福音宣教に取り組もうとするなら、それは何らかのテクニックを考えることではなく、教会共同体を福音をあかしする共同体へと成長させるところからはじまらなくてはなりません。言葉と行いによるあかし以上に力強い福音宣教はありません。それは一人のカリスマのある人物の出現に頼っているのではなく、教会共同体が全体として、社会の中における福音のあかしの発信源とならなくてはなりません。
そういう現実の中で、福音をあかしする教会共同体を育てて行くためには、牧者である司祭の役割は重要です。ですから、今日のこのミサで、教区で働く司祭団が見守る中で、認定式と祭壇奉仕者選任式が行われることには、福音宣教の後継者の誕生につながるという大切な意味があります。
司祭へと養成されていくことは、決して共同体の中で序列が上がり偉くなっていくことではなく、反対に、出会う多くの人にいのちを生きる希望を見いだす道を示し、互いの絆を生み出し深めていくための模範を示していくことです。司祭養成の道を歩むことは、徐々に力強いものとなっていくのではなく、自分の弱さ、足りなさを自覚していく道です。自分の弱さを自覚するからこそ、神の力が自分のうちで働くのです。力不足を自覚するからこそ、支えてくださるおおくの方々の祈りの力を感じることができるのです。どうか、常に謙遜な奉仕者であってください。
同時に、司祭の養成には、信仰共同体の愛に満ちた関わりも不可欠です。今日、ここに集まっている司祭、修道者、信徒の方々は、ある意味東京教区全体を代表しておられます。司祭の養成は誰かの責任ではなく、教区共同体全体がそれに責任を負っていることを、どうぞ今一度思い起こしてください。教区や神学院の養成担当者だけの責任ではなく、わたしたち皆が責任を分かち合い、祈りを通じて、養成を受ける神学生と歩みをともにしていただければと思います。
司祭への養成を受ける道を、一人で孤独のうちに歩むことはできません。歩みを進める中で、しばしば困難に直面します。人生の岐路に立たされます。そのようなとき、ふさわしい選択をするためには、多くの人の祈りによる支えが大切です。わたしたちの召命も、信仰における連帯によって生かされます。どうぞ、神学生のために、そしてこれからの新たな召命のために、お祈りを続けてください。
今回のシノドスの道の歩みを進めるにあたり、3月19日に、教皇庁シノドス事務局長マリオ・グレック枢機卿と、教皇庁聖職者省長官ユ・フンシク大司教は、世界中の司祭に向けて書簡を書かれました。シノドスを、ただでさえ忙しいのにまた加わった重荷と考えずに、「観想的な視線で皆さんが共同体を見つめ、そこにすでに根付いている参加と分かち合いの多くの事例を見出す」ようにと語りかけるこの書簡に、三つの勧めが記されています。
第一に「今回の旅が神のことばに耳を傾け、それを生きることに基礎を置くために、あらゆることを行うこと」。
第二に「わたしたちの旅が、互いに耳を傾け合い、受け入れ合うことによって特徴づけられるよう努力」すること。
第三に「今回の旅が、内省に向かうようにわたしたちを導くのではなく、すべての人に会いに出かけて行くようにわたしたちを刺激するよう気を」つけること。
この困難な状況の中にいるからこそ、わたしたちは、暗闇の中で福音の希望の光を高く掲げ、より多くの人が福音に出会い、命の希望を見出すような、教会共同体を育んで参りましょう。