大司教

福者ペトロ岐部司祭と187殉教者

2021年06月30日

 
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7月1日は、福者ペトロ岐部と187殉教者の記念日です。迫害の時代、全国各地で多くの殉教がありましたが、その中から代表する形で188人が選ばれ、2008年11月24日に長崎で列福式が行われました。188福者の中で、一番人数が多いのは、1629年1月12日に山形県米沢で殉教した、ルイス甘粕右衛門を始めとした53名の殉教者で、その次に多いのは、1619年10月6日に京都で殉教した52名です。

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山形県の米沢市には、市役所に近い北山原(ほくさんばら)と言う殉教地が残されています。いまは住宅に囲まれていますが、昭和の初めに宣教師が場所を特定し、その地を買い求めてくださったおかげで、現在は小さな公園のような佇まいの殉教地に十字架が立ち、祭壇が設けられています。毎年7月の初めには殉教祭が行われています。今年はコロナ禍で参加者限定のようですが、新潟教区のホームページに案内があります。(上の写真は2013年の北山原での殉教祭です)

188名の殉教者全体を代表しているペトロ岐部は、1639年7月4日に江戸で殉教していることから、この日にもっとも近くて、典礼暦的に可能であった7月1日が、188殉教者の記念日とされました。

ペトロ岐部は大分県の出身で、司祭となることを目指しているなか、1614年にマカオに追放。その後、ローマを目指してインドへ船で渡り、インドから、なんと歩いてローマへ到達した人物です。その途上、日本人で初めて、聖地に足を踏み入れたとも言われます。1620年に司祭に叙階され、イエズス会士として帰国。最後は東北で捕らえられ、1639年に拷問の末殉教されています。

188殉教者には、もうひとり、江戸での殉教者がいます。ヨハネ原主水です。東京教区では、原主水が江戸の殉教者として知られていますが、それは彼が1623年12月4日に起こった「江戸の大殉教」の中心的人物であったためだと考えられます。

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「宣教師を含む信者50名は小伝馬町の牢から 江戸市中を引き回され、東海道沿いの札の辻(現在の田町駅付近)から 品川に至る小高い地で、火刑に処せられました」(高輪教会のホームページから)。高輪教会は、殉教地である札の辻に近いことから、殉教者の元后にささげられており、通常は毎年11月頃に殉教祭が行われます。(写真は2018年の殉教祭)

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全国各地の殉教者のそれぞれの殉教の日が異なるので、それぞれの記念の行事などの伝統があることだと思いますが、7月1日には、是非とも日本における信仰の礎となった188殉教者を思い起こし、その勇気と信仰に倣うことが出来るように、取り次ぎを祈りましょう。

中央協議会のホームページには、殉教者たちについていくつもの記事が掲載されています。是非ご一読ください。またそこには、殉教者を顕彰する今日的な意味を、こう記しています。

「『ペトロ岐部と187殉教者』は、それぞれ、現代に通じるメッセージをもっていますが、その根底に流れる共通点は、神と一致した生き方を貫いたこと。言い換えれば、神の価値観を公言し、福音的でない価値観を、勇気をもって拒否したことではないでしょうか。
現代人にとって福音のメッセージは、一見すると不合理で弱々しく、説得力に欠けるように感じられるかもしれません。それどころか、社会からは受け入れられず、反発を生むかもしれない、それでもなお、勇気をもってイエスの価値観に生き、それを証していくことこそ、いま私たちに求められる霊性ではないでしょうか」

日本の教会では、福者殉教者の列聖を求めて運動を展開しています。どうぞお祈りください。