大司教

週刊大司教第三十二回:年間第十三主日

2021年06月27日

6月最後の主日となりました。年間第13主日です。週刊大司教は32回目です。

6月29日が聖ペトロ聖パウロの祝日ですので、毎年この直前の主日には、各小教区において、聖ペトロ使徒座への献金が行われます。以下その意義を解説する、中央協議会のホームページからの抜粋です。

「キリストの代理者、教会の最高牧者である教皇は、祈りと具体的な援助を通して全世界の人々にいつも寄り添っているのです。この教皇に心を合わせて、わたしたちも世界中の苦しんでいる人々のために祈りと献金をささげます。教皇のこうした活動のために充てられる聖ペトロ使徒座への献金は、8世紀ごろイギリスで始まった、大人も子どもも一番小さなお金である1ペニーを毎年教皇に献金する運動がもとになって世界中に広まったものです」

この困難な状況の中、世界各地において、教会はこれまでとは異なる方法で助けを必要としている人たちにアプローチしようとしています。教皇様ご自身も、援助を必要としている世界各地の人々への配慮を、さまざまな具体的形で示しておられます。教皇様の活動を支えるためにも、献金にご協力ください。

6月29日に近い月曜日には、毎年、東京カテドラル聖マリア大聖堂で、東京教区で働く司祭の叙階金祝・銀祝などが行われてきました。また、土井枢機卿様、白柳枢機卿様、岡田大司教様と、1937年以来、歴代の教区司教の霊名がペトロだったこともあり、この月曜にお祝いのミサが捧げられてきました。今年は昨年と同様、感染症の状況下ですので、司祭叙階金祝・銀祝のお祝いは、年末の「テ・デウム」の際に行うことにしました。それでもこの月曜には、司祭団だけで、一般には非公開で、ペトロとパウロの祝日のミサを捧げる予定にしています。

どうぞこの月曜日、東京教区で働いてくださる司祭たちのためにお祈りください。また特に、ペトロとパウロの霊名をお持ちの神父様方のために、お祈りくださいますようにお願いいたします。

以下、26日午後6時公開の、週刊大司教第32回、年間第13主日のメッセージ原稿です。
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年間第13主日
週刊大司教第32回
2021年6月27日前晩

「タリタ、クム。少女よ、わたしはあなたに言う。起きなさい」

マルコ福音は、会堂長ヤイロの幼い娘が病気で伏せっていたときに、父親の頼みに応えてイエスが出かけた出来事を描写しています。福音は、到着したときにはすでに亡くなっていたヤイロの娘を、イエスが生き返らせたという奇跡物語を伝えています。

パウロはコリントの教会への手紙で、キリストから与えられた恵みと、教会における交わりによって豊かにされた者は、豊かに分かち合うものとならなければならないことを説いています。

知恵の書は、万物を造られた創造主が、それを滅びのためではなく「生かすためにこそ」創造されたのだと強調し、「世にある造られたものは価値がある」と記します。

イエスが行われた奇跡は、病によってうちひしがれ、人生の絶望の淵にある人たちが、イエスとの出会いによって生きる希望を取り戻した話でもあります。

教皇ベネディクト16世は回勅「希望による救い」に、「福音は、あることを伝達して、知らせるだけではありません。福音は、あることを引き起こし、生活を変えるような伝達行為なのです」と記しています。その上で教皇は、福音が伝えられることによって、「時間、すなわち未来の未知の扉が開かれます。希望を持つ人は、生き方が変わります。あたらしいいのちのたまものをあたえられるからです」(2)と記します。

教皇は回勅の中で、福音とはすなわちイエス・キリストとの個人的な出会いの体験であることを強調し、次のように続けています。

「このかたは自らこの道を歩き、死の国に降り、死に打ち勝って、戻ってきてくださいます。それは、この世でわたしたちとともに歩み、このかたとともにいれば、道を最後まで歩き通すことが出来ると確信させてくださるためです。死の時もわたしたちとともに歩んでくださる方。・・・この方が現実におられると知っていること。それが、信じるものの人生に生まれる、新しい『希望』です」(6)

豊かな希望に満たされたとき、人はその与えられた賜物を分かち合うために行動し、神が望まれたように、すべての被造物が滅びのためではなく「生かすためにこそ」創造されたことをあかししていきます。それが福音が伝わると言うことだと、教皇は強調しています。

神の似姿として、すべてのいのちはその尊厳を護られなくてはならないと、教会は常に主張しています。なぜならば、いのちはまさしく「生かすためにこそ」創造されているからです。人間の尊厳への理解が進んだ現代社会にあっても、いまだにさまざまな形でその尊厳がないがしろにされている存在があります。また現在の感染症による困難な状況の下、経済も悪化し、雇用環境も厳しさを増す中で、生活に困窮し、孤立のうちにいのちの危機に直面する人も少なくありません。異質な存在を排除しようとする差別的な言動によって、尊厳を否定されている人もおられます。さらに世界的なレベルでは、貧困や紛争が、多く人生を狂わせ、中には人間の尊厳を否定するような扱いを受けたり、物のように売買されたり、いのちを奪われたりする現実があることも否定できません。

福音は、希望をもたらす光であり、この社会を神が望むように働きかける力です。神の似姿であるすべての人の人間の尊厳が守られるように、福音を告げていきたいと思います。困難に直面する一人ひとりへ、立ち上がって希望を手にするようにと、今日主は「タリタ、クム」と呼びかけます。自らとの出会いへ招かれる主イエスの福音を、あかしする努力をいたしましょう。